ザッ……ザッ……。

　　　ホウキを掃く音が静かに流れる。

　　　学校の授業が終わり各教室では掃除が行われて、シンジ達の２年Ａ組も例外は無く掃除の時間である。

　　　ザッ……ザッ……。

　　　ホウキの音が止まり、シンジは窓から見える外の風景を眺める。

　　　……明日、か。

　　　一年で一番気が重い日。

　　　そう、明日は母親の命日だった。

　　　「はい、加持です。ただいま外出しています。御用の方はお名前とメッセージを……」

　　　携帯から流れる留守番電話の声。

　　　ため息をつきながら携帯の通話を切った。

　　　「今日も留守かぁ……。色々聞きたい事あったのになぁ」

　　　ここ最近何時かけても留守留守留守……。

　　　「どうしたのアスカ？」

　　　振り向くと後ろからヒカリが塵取りを持ってこちらを見ている。

　　　「んー？なんでもない」

　　　「そう……。ねえ、アスカ。明日とかヒマ？」

　　　「明日？別にこれといって用事はないけど」

　　　「それじゃあさ、ちょっと頼みたい事があるんだけど……」

　　　アスカの耳元でその続きをそっと耳打ちするヒカリ。

　　　途端、廊下にアスカの叫び声が響く。

　　　「えーーーーーっ！？デートォ！？」

　　　「コダマお姉ちゃんの友達なんだけど、どうしても紹介してくれって頼まれちゃってさあ……オネガイッ！」

　　　手を合わせて拝み倒される。

　　　……全然行く気はないんだけどさ……。

　　　そっと教室を覗き込んで彼を探す。……シンジはそれほど遠いところには居ない。

　　　さっきの声も聞こえているはずだった。

　　　だが、シンジは明後日の方向を見たままぼーっとしている。

　　　む……、何よ。ちょっとくらい気にしなさいよ。

　　　「アスカ、やっぱりダメ？」

　　　「……いいわよ、行くわ！」

　　　半ばシンジに反抗するように声高らかにデートの確約をする。

　　　シンジは……やはりぼーっとしたままだ。

　　　何か考えているのか、それとも聞こえているのか。ここからではシンジの表情が良く見えない。

　　　と、そんなシンジにホウキを持ったトウジがこっそり近づき……ホウキが振り下ろされた。

　　　「メーーーーーン！真面目にやらんかい！」

　　　「……悪い」

　　　なんだか元気の無いシンジの声。

　　　「真面目にやるのは掃除でしょ！？」

　　　「わーっとるわい！」

　　　言い争うトウジとヒカリ。そんな二人には目もくれずアスカはシンジを見続けた。

　　　シンジは相変わらず気の抜けたようになってはいるが、しばらくすると掃除を再開。

　　　机を元の位置に戻して掃除は終了。今日もハーモニクスのテストがある。

　　　レイは本日お休みで学校には居ない。結構な……チャンスである。

　　　アスカ、行くわよ。

　　　「シンジ、ほら、テスト行くわよ」

　　　「うん……」

　　　見慣れた道を二人並んで歩く。

　　　シンジはこちらから話し掛ければ反応はするが、自身から言葉は発しない。

　　　そんな彼をチラチラ見ながら会話のタイミングを探す。

　　　やがて、意を決したように口を開いた。

　　　「今日は、やけに元気ないわね」

　　　「……そう、かな」

　　　「そーよ。どーしたのよ、シンジ」

　　　「…………」

　　　「い、言いたくなかったら別に、いーんだけどさ」

　　　傍から見れば、別には全然良くないアスカである。

　　　「明日……母さんの命日、だから」

　　　「……そう。お墓参りにでも行くの？」

　　　俯き加減だったシンジの顔が僅かに上がる。

　　　「知らないんだ。お墓」

　　　「知らない……って」

　　　「……母さんが死んでからすぐ、親戚に預けられて。先生は母さんの事殆ど言わなかったし。
父さんとはここに来るまで連絡した事も無いし。お墓、あるのか無いのかも知らない」

　　　珍しく長広舌である。

　　　「――――じゃあさ」

　　　「……何？」

　　　「明日は、アタシとどこか行こっか？」

　　　「何で……？」

　　　黒い瞳がアスカを捉える。

　　　「き、気分転換よ。……それとも、嫌？」

　　　「ただいまぁー」

　　　明日は知り合いの結婚式のため、新しい服を買い込んで帰宅したミサト。

　　　「おかえり〜」

　　　アスカは雑誌を見て何かふんふん唸っている。

　　　「まだ起きてたの？」

　　　「ちょっとやることがあって」

　　　「何々……」

　　　後ろから雑誌を覗き込む。

　　　「きゃっ！？ちょっと見ないでよ！」

　　　慌てて雑誌を隠しこむ。だが、ミサトにはしっかりその雑誌が何なのか見えていた。

　　　「ふーん……デートスポットの特集ねえ」

　　　「み、見たのね……」

　　　「あっは。もしかして、シンちゃんと？」

　　　激しく噛み付いてくると思っていたが、彼女からの反応はない。

　　　ただ、その顔が真っ赤に染まっていたのが答えである。

　　　「……い、いいじゃない。別に」

　　　あーあ、すっかり変わっちゃってぇ。

　　　微笑ましくそっぽを向いたアスカを見る。

　　　昔ドイツで会ったことのある彼女はもっと違っていた。

　　　子供扱いされる事を極端に嫌がり……まあ素直じゃなかったのだ。

　　　変われば変わるもんねぇ……。ま、恋のおかげか。

　　　「ねえ、ミサト。あの女――ファーストとシンジってどんな関係なの？」

　　　「どんな……って。そうねぇ……戦友かしら？」

　　　ミサトにも良く分からない。

　　　「まあレイって無口な娘で、話し掛けても会話がすぐに終わっちゃうし。あの娘から話し掛けてくるなんて皆無だったわ」

　　　たまたまであるが、ミサトはレイからシンジに話し掛けたのを立ち聞きしてしまった事がある。

　　　「でも、第五使徒戦が終わったあたりだったかなぁ。レイがシンジ君に話し掛けたりしたのは」

　　　「そう……」

　　　「ま、女の子は素直になるのが一番よねえ〜」

　　　「うっさい！」

　　　沈んだアスカを見てわざと茶化すミサト。

　　　「そういえばシンジ君は？」

　　　玄関に入った時にシンジの靴が無い事に気づいていた。

　　　「なんかテストが終わった後、どこか行っちゃった」

　　　噂をすれば影。丁度ドアロックが外れた音が聞こえ、シンジが帰宅した。

　　　「ただいま……」

　　　学校の時よりも、元気が無い。

　　　「おかえりなさい」

　　　「おかえり」

　　　買った服を仕舞う為に部屋に戻るミサト。

　　　リビングには二人だけ。

　　　「アスカ……明日、行けなくなった」

　　　「え……？」

　　　時は少し遡り、ハーモニクスのテストが終わった後の事。

　　　シャワールームでＬＣＬを流していると、滅多に鳴らないシンジの携帯がなった。

　　　……誰だろ。

　　　「はい？」

　　　「……シンジか」

　　　とう、さん？

　　　「明日は、ユイの命日だ……。墓参りにお前もいくか？」

　　　何の冗談か、何の気まぐれか。

　　　まさか父親からそんな電話が来るとは予想すらしていなかった。

　　　明日は……アスカと約束、あったな……。

　　　アスカとの約束をやぶるのは、正直気が滅入る。

　　　けれど――ずっと墓参りできなかった自分。

　　　「……行く」

　　　「そうか。場所は――」

　　　ピッ。

　　　携帯のボタンを押してそれを自分の服の上に置く。

　　　……きっと、今行かなければ後悔する。

　　　だから行く事にしたのだ。

　　　アスカに、謝らないと。

　　　自分を気遣ってくれたアスカに申し訳ない気持ちが、心の奥底で揺れていた。

　　　そこからは家に帰らないで時間を潰す。

　　　……父さんとふたりっきり、か。

　　　明日は、そうなる。　　　

　　　何を話せば良いのかわからないままで時間は過ぎて。

　　　帰宅したのはすっかり日が落ちてからの事。

　　　そして現在へ。

　　　そのことをアスカに伝えると、やはり表情は良くなく。

　　　「そっか……。ま、まあ仕方ないわよねぇ。ま、まあアタシ明日は用事もあったし」

　　　「……ごめん」

　　　落胆するアスカ。すまないという気持ちで一杯だった。

　　　「い、いいわよ。気にしなくても。じゃあアタシ先に寝るから」

　　　そそくさと自分の部屋に帰っていく。

　　　……ごめん。折角、誘ってくれたのに――。

　　　その背中に向けてずっと詫びていた。

　　　次の日。ミサトは結婚式、シンジは墓参り。

　　　アスカは……よくわからないがとにかく用事があるみたいでペンペン以外の全員が外出となった。

　　　第三新東京市の郊外――。

　　　そこの一角にセカンドインパクトで亡くなった人の共同墓地がある。

　　　墓石だけがずらりと並ぶ異様な場所。

　　　そこに母の墓石がある。

　　　「ＩＫＡＲＩ　ＹＵＩ　１９７７−２００４」

　　　そんな飾り気も何も無い墓石が。

　　　「二人で、ここに来るのは初めてだな」

　　　ゲンドウは突っ立ったまま墓石を見ている。

　　　その手前にはシンジ。

　　　「……墓があるなんて、知らなかった」

　　　「そうか……」

　　　周りには雑音を発する物は何も無い。

　　　来る途中で買った花束をそっと手向ける。

　　　「……毎年来てるの？」

　　　「人は――思い出を忘れる事で生きていける。だが決して忘れてはならないこともある。
ユイはそのかけがえの無いものを教えてくれた……私はその確認をするためにここに来ている」

　　　毎年、来ているらしい。

　　　父さんと二人で墓参りするなんて、思わなかった……。

　　　そういう想像をしてきた事も無い。

　　　「母さんは……あの時死んで、幸せだったのかな……」

　　　「……そのおかげでエヴァは安全に運用できる」

　　　答えになっていない、答え。

　　　……母さんが死んだおかげで、あれに乗っても何とも無い。

　　　「ユイは……お前達に明るい未来を見せるためだと、言っていた」

　　　――――かあ、さん。

　　　心の奥底からじわりとこみ上げてくるものがある。

　　　それは涙となって頬を伝った。

　　　「……シンジ。お前はもう何も出来ない子供ではない。自分で考え、自分の足で大地に立て」

　　　先に帰る、そういい残してゲンドウは去った。

　　　思えば――親子の会話は、今がはじめてかもしれないと。

　　　父さんの考えてる事は、わからない。

　　　けれど、母は幸せだったのだと父は考えている。

　　　それだけでも十分な気がした。

　　　……母さん、また来るよ……。

　　　物言わない墓標に語りかけて帰路につく。

　　　誰も居ない昼下がり。シンジは一人で椅子に座っていた。

　　　……弾くか。

　　　都合良く同居人は出かけていてこの時間には帰ってこないだろう。

　　　そっと自分の部屋からケースを持ち出して、チェロを構える。

　　　――無伴奏チェロ組曲第1番ト短調――

　　　小さい頃からずっとやってきたチェロ。

　　　それは今でも続いていて。ストレスが溜まった時にも弾くし、たまにどうしようもなく弾きたい時がある。

　　　今日は後者。

　　　シンジがチェロを弾くのを見たことがあるのは、教えてくれた先生だけ。

　　　人に聴かせるために弾いているわけではない。

　　　色々な事を思いながら弦を引く。

　　　父親との邂逅。

　　　母親の死。

　　　怒りとも、悲しみともとれない、複雑でごちゃ混ぜ……そんな感情を込めて。

　　　何かを想いながら弾くのは初めてかもしれない。

　　　弾いてると……不思議と無心になれた。好んで弾いていたのはそのため。

　　　だから今日は不思議だった。

　　　自分の想いをメロディーに乗せる。

　　　今までで一番、魂が篭った演奏なのかもしれない。

　　　ラストまで弾き終わってチェロの弓を置く。

　　　……汗、かいてる。

　　　ぽたりと太股に汗の雫が落ちた。

　　　それだけ熱中していたのだろうか。

　　　だから、それを聞いている人が居る事にも気づかなかったのかもしれない。　　

　　　「凄いじゃない……」

　　　乾いた拍手と共にそんな声が背中にかけられる。

　　　「シンジってチェロ弾けたんだ」

　　　「まあ……ね」

　　　人に聴かせるために弾いているわけではないのだから、人に聴かせたことも無い。

　　　「隠し事多いわねえ……シンジって」

　　　……そうかもしれない。

　　　「アスカは、何処行ってたの？」

　　　「ちょっとね〜」

　　　ヒカリに頼まれたデート。その待ち合わせ場所まで行ったは良かったが、やっぱり気分が乗らないので止めた。

　　　つまりすっぽかしたのだ。

　　　一人で適当にぶらぶらして帰ってきたら、静かな……チェロの音。

　　　その音がする方に向かうと、弓を体で引くシンジの姿。

　　　その姿が、音楽が目に焼き付いて――何も考えずに聞き入ってしまっていたのだ。

　　　「お墓参り、どうだった？」

　　　「……うん。普通、だったよ」

　　　「なによ、普通って」

　　　本当に普通で。

　　　今日は、今日だけは――使徒と戦っている事も、忘れたのかもしれない。

　　　「ねえねえ、他に何かレパートリーないの？」

　　　楽しそうにせがんで来るアスカ。

　　　他にも弾ける曲はあるのだが……やっぱり人前では気恥ずかしいというか、なんと言うか……。

　　　「あるんでしょ？それで埋め合わせでいいからさ」

　　　埋め合わせ……今日の約束の。

　　　「……わかった」

　　　弓を拾い上げてそっと引く。

　　　――無伴奏チェロ組曲第３番「Bourree」――

　　　最初は明るく弾くように。

　　　中盤からは流れるようにゆっくりと。落ち着けるような静かさで。

　　　今日は初めてのことが多かった。

　　　初めての墓参り、初めての親子の会話。

　　　感情を込めて引いたチェロ、そして……初めて誰かに聞かせるために弾いた、日。

　　　その夜は葛城さんから電話があった。帰りが遅くなるだそうだ。

　　　「ふぅん、朝帰りかもね」

　　　加持さんと飲んでいるらしい。

　　　昔、二人が付き合っていたとか。

　　　「……どうだろ」

　　　トントントン……。

　　　リズム良く野菜を切りそろえる。

　　　「まーアタシはどっちでもいいんだけど」

　　　食事を作る間、アスカは寝そべってテレビを見ている。

　　　「……アスカは加持さんの事好きなんじゃないの？」

　　　前にそんな感じを受けるところがあった。

　　　その人が朝帰りをするかもしれないのに彼女は普通で。

　　　「まあ、あれは憧れみたいなものよ。アタシの勝手な憧れね」

　　　「……」

　　　憧れ……か。

　　　「それに、今は……」

　　　続く言葉は無い。気になって包丁を置いて振り返る。

　　　「今は？」

　　　「……本当に好きな人居るし……」

　　　そうなんだ……。結構意外。

　　　「意外だった？」

　　　「まあ……そうだね。僕の知ってる人？」

　　　クラスメイトかな……。

　　　「ん……秘密。答えがわかったら教えて」

　　　「いいけど……」

　　　一つ、宿題が出来た。

　　　それを考えるのは後にしてとりあえず料理に専念する。

　　　静かに……時間が過ぎていく今日。　　　
　　　　　　　　　

To be continued……

　　　次回予告

　　　ミサト「数学ってアンタ得意よね？」

　　　リツコ「いきなり何よ」

　　　ミサト「私あんまり得意じゃないのよね〜」

　　　リツコ「だから何よ？」

　　　ミサト「小難しい計算式書かれてもわけわかんないのよねぇ……」

　　　リツコ「はあ？」

　　　ミサト「つ・ま・り、分かりやすくお願いしたいのよ」

　　　リツコ「一体なんなのよ……」

　　　ミサト「次回、新世紀EVANGELION・Another 第拾弐話「数学ＯＮＬＹ」よ、お楽しみに〜」

　　　リツコ「うそ臭いタイトル……」

感謝の言葉：

なんか、アスカちゃん、可愛らしいですね（＾＾）
こんな時間がいつまでも続いてくれるといいんですが…。

さ、続きが読みたいと思った人は感想メールで催促しましょう♪