白い雲が覆い尽くす空。そこに自分の存在を示すような、黒いエヴァ。

　　　「エクタ６４より、ネオパン４００」

　　　「前方航路上に積乱雲を確認」

　　　「ネオパン４００、確認」

　　　「内部気圧状態は問題無し」

　　　「航路変更せず、到着時間を遵守せよ」

　　　「エクタ６４、了解」

　　　巨大な入道雲の中に消えていく輸送飛行機とエヴァ。

　　　その積乱雲が、稲妻を放つように不気味に鳴る。

　　　朝の葛城邸。今日から松代に出張のため大量の荷物を準備しているミサト。

　　　「あれ、ミサト。シンジは？」

　　　とんとんとつま先で靴を叩きながらアスカは登校の準備をしている。

　　　その玄関に、彼の……シンジの靴は無い。

　　　「さっきまで居たんだけどね。どこかに行っちゃったわ」

　　　「行っちゃったって……無責任ね」

　　　「やっぱり鈴原君の事で思うところがあるのよ。少しそっとしておきたくって……ね」

　　　俯くミサトにアスカは怪訝そうな顔で続ける。

　　　「明日、起動実験なんでしょ。大丈夫なの？」

　　　「大丈夫よ。本部のスタッフも共同でやるんだし。ココのスタッフが優秀なのは知ってるでしょ」

　　　ピンポンピンポンピポーン！

　　　続けざまに鳴らされるインターフォン。

　　　「はい……？」

　　　開いたドアの先に頭を下げたままのケンスケが居た。

　　　「おはようございます。今日は葛城三佐にお願いに上がりました」

　　　腰を下げたまま頭を上げ、その体勢のままミサトの目の前まで詰め寄る。

　　　「自分を、自分をエヴァンゲリオン３号機のパイロットにしてください！」

　　　「は、ハァ？」

　　　ミサトに却下されたメガネはどうでもよくて。

　　　アタシは学校にも向かわないでシンジを探していた。

　　　なんでかな……アイツは今日、学校にはこない。

　　　そんな確信めいたものがあったから、アタシは制服のままあちこちを探している。

　　　「んもう、何処行っちゃったのよ……」

　　　なんだか、前にも同じことあったわよね。

　　　あ……。

　　　頭の中に思い描かれるは夜の公園。

　　　第七使徒、ユニゾンの訓練中に来たあの公園。

　　　あそこ、行ってみよう。

　　　１０分くらい徒歩で歩く。昼間の公園だというのに人影は無い。

　　　そこに……静かに聞こえたのはチェロの音色。

　　　遠くのベンチにシンジの姿を捉える。

　　　前に聞いた時よりも、悲しさが増すような音色。

　　　曲が終わったところを見計らって話し掛ける。

　　　「こ〜ら、学校サボる気？」

　　　「え……あ？アスカ」

　　　「何よぉ、サボるんだったらアタシにも声かけなさいよ。……一人で行っちゃわないでさ」

　　　少しむくれるようなアスカの仕草。

　　　「……色々、考えたくて」

　　　アスカから視線を外してチェロの弓を見つめるシンジ。

　　　その表情は、厳しい。

　　　「聞いてあげるから言って見なさいよ」

　　　「トウジが、エヴァに乗るなんて……あのエヴァに」

　　　「ま、決まっちゃったものは仕方ないわよ」

　　　「何故……トウジなんだ……」

　　　「もう、そんな心配しなくてもいいじゃん。
　　　　何かあってもこのアタシが居るんだから……シンジは、何も心配しなくて――大丈夫」

　　　ザァ……。

　　　そんな二人を風が横切る。

　　　「ああ……そうだね」

　　　あっ……。

　　　ふっと笑うシンジの顔。

　　　シンジの笑顔を見るのは初めてで。

　　　どきどきする……。

　　　「ね、ねえ。どうせ今日はもう学校いかないんでしょ？」

　　　「……だね」

　　　「じゃあさ、アタシとさぼっちゃおう！」

　　　そのまま二人は街で遊んで時間を潰し、学校の教室には主が居ない空席の机。

　　　その机を……学校でレイは見ていた。

　　　……碇君、今日はこないのね。

　　　シンジの後ろの席、トウジも今日は休みだ。

　　　鈴原君。今日から松代……。

　　　そして――シンジの前方の空いた席。

　　　弐号機パイロット……あの人も居ない。

　　　胸が……ざらつく。どうして？

　　　その問いに答えるものは無く、悶々としたままその日を過ごした。

　　　同時刻、松代の第二実験場に予定よりも２時間遅れでエヴァ３号機が到着していた。

　　　夜。

　　　ミサトのマンションには彼女の変わりに加持が着ていた。

　　　シンジは風呂に入っており、リビングには加持とアスカだけが居る。

　　　「ねえねえ、加持さん。男の人ってさ、どんなことで女を意識するものなの？」

　　　「こりゃまた唐突だな……。そうだな、仕草とか色々あるだろ」

　　　「ふぅん……」

　　　何かを思慮するようにこつこつと指で机を叩くアスカ。

　　　「恋の悩みかな？」

　　　「……ま、まあそんなところ」

　　　恋、か。

　　　照れくさくなって頬を赤らめるアスカ。

　　　……アスカがなあ……あのアスカが、恋か。

　　　よく自分になついていた彼女。変に大人びて居ようとして、加持にくっついてばかりだった。

　　　なんだか、娘を嫁にやる父親の気分だな……。

　　　「あ、加持さんっ！何笑ってるのよ！」

　　　「ああ、こりゃ失敬……」

　　　こっちに来てから彼女は変わった。

　　　まず自分と居る時間がかなり減ったし、アスカから電話してくることもめっきり減った。

　　　以前のとげとげしい雰囲気も、今は殆ど感じられない。

　　　成長したってコトかな。生きるってことは、変わるってことだからな。

　　　となると……相手はあの子か。

　　　今晩、もう少し話してみるか。

　　　そして就寝。加持とシンジはリビングで並ぶように寝ている。

　　　「シンジ君……まだ起きてるかい？」

　　　「……ええ」

　　　「昨日、聞き忘れたんだが……楽しい事、何か見つけたか？」

　　　楽しいこと……色々あるようでどれもはっきりとしない。

　　　「……わかりません」

　　　「まあ、そのうち見つかるさ。自分の好きなこと、楽しい事、自分の居場所を」

　　　「居場所……」

　　　「帰る場所だな」

　　　「ミサトさん、ですか？」

　　　「そうあれば本望だがね……。ただ彼女というのは遥か彼方の女と書く。
　　　　女性は向こう岸の存在だよ。我々にとってね」

　　　……向こう岸。

　　　「アスカも楽しい事見つけたようだしな」

　　　「楽しいこと……恋とか、ですか？」

　　　「驚いたな。知ってたのか」

　　　「前に……好きな人が居るって……」

　　　誰かは、話してない……か。

　　　まあアスカがそうそう言うはずもないな。

　　　「アスカは変わったよ。ここに来て。昔はもっと……そうだな、突っ張った所があったからな」

　　　……そうなのか。

　　　「知りませんでした……」

　　　明るい彼女、一時期暗かった事もあるけど。

　　　それでも太陽みたいに明るい。

　　　「前……アスカが来る前に、アスカの性格、自己中心的だってきいてましたけど。
　　　　そんなこと、全然無かったです……」

　　　……好きな人には優しくしたくなるさ。

　　　こりゃ、アスカも大変だな……。

　　　そうして夜は静かに更けていく。惨劇の前の……嵐の前の静けさのように。

　　　翌日、松代第二実験場。

　　　暑い日差しの中、エヴァ３号機の起動実験……その準備が行われている。

　　　地下……無人の仮設ケイジにその黒いエヴァが収納されており、

　　　地上にはエヴァ３号機の総合制御地点があり、その中央統括指揮車内にミサトやリツコが居る。

　　　これだけ厳重な体勢なのはやはり暴走の危険性があるからなのだろうか。

　　　「これだと即、実戦も可能だわ」

　　　英語に同時通訳されるオペレーターの声を聞きながらリツコは３号機のチェックに余念が無い。

　　　車内には日本のスタッフだけではなく、アメリカのスタッフも混ざっている。

　　　「そう……よかったわね」

　　　そんなリツコを傍目に、やる気の無いミサト。

　　　「気の無い返事ね……。この機体も貴方の直轄部隊に配属されるのよ」

　　　「使徒を倒すエヴァ。そのエヴァには子供が必要。１４歳の子供がね……」

　　　「でも、私達にはそんな子供が必要なのよ。皆で生き残るためには」

　　　「奇麗事は、止めろと？」

　　　「別に……」

　　　ミサトとは目を合わせずに答えるリツコ。

　　　「パイロット、エントリー準備完了」

　　　そうして、３号機の起動実験が始まる。

　　　「エントリープラグ、挿入」

　　　エヴァの脊髄部分にトウジの乗ったエントリープラグが挿入される。

　　　固定完了と共に、３号機に火が入る。

　　　「第一次、接続開始」

　　　「パルス送信……グラフ正常位置」

　　　シンクログラフがモニターに表示される。

　　　乱れが少ないグラフ。異常は……無い。

　　　「了解。作業をフェーズ２へ移行」

　　　「オールナーブリンク、問題無し。ハーモニクス正常」

　　　「リスト２５５０までクリア」

　　　赤いリストが素早く緑で埋まっていく。

　　　そして最後のボーダーライン……絶対境界線を突破する。

　　　瞬間、エヴァ３号機の目が真っ赤に光った。

　　　乱れるシンクログラフ、鳴り響く警報。

　　　「実験中止、回路遮断！」

　　　「ダメです！体内に高エネルギー反応！」

　　　電源をパージされた３号機。だが、そんなことは全く無視してケイジで暴れる。

　　　「ま、まさか……使徒！？」

　　　「ウァァァアアアアアアアアアアアアアアアアア！」

　　　エヴァ３号機の咆哮と共に、松代の第二実験場は爆発に包まれた。

　　　「松代で……事故！？」

　　　携帯からはマヤの声。

　　　「未確認移動物体がこちらに向かっているわ」

　　　「……トウジは？ミサトさんは？」

　　　「ごめんなさい、救助部隊が出動したばかりで詳しい事は……」

　　　直行でネルフへ行き、エヴァ三機が野辺山に配置される。

　　　「……ミサトさん、トウジ……」

　　　プラグの中で呟くシンジ。

　　　そこへレイから通信が入る。

　　　「今は……出来る事だけしましょう」

　　　未確認移動物体、おそらくは使徒。

　　　それを倒す……それが今出来る事。

　　　その頃、ネルフ本部発令所では未確認移動物体を映像で捕らえていた。

　　　それは……紛れも無くエヴァ３号機。

　　　「活動停止信号発進。エントリープラグを強制射出」

　　　ミサト不在のため、司令であるゲンドウが直接指示を出す。

　　　プラグカバーが勢い良く飛ぶが、肝心のエントリープラグは何か粘膜のようなものが張り付いて動かない。

　　　「ダメです。停止信号及びプラグ排出コード、認識しません」

　　　「……パイロットは？」

　　　「呼吸、心拍の反応はありますが……おそらく……」

　　　「エヴァンゲリオン３号機は現時刻を持って破棄。目標を第十三使徒と識別する」

　　　パイロットがまだ居るにもかかわらず目標とするゲンドウ。

　　　「し、しかし！」

　　　「予定通り野辺山で戦線を展開。目標を撃破しろ」

　　　冷たく輝くゲンドウの眼鏡。まるで彼の心のように。

　　　ここまでの会話はエヴァには届いては居ない。

　　　「目標接近」

　　　その声に視線をモニターに移し、目を凝らすシンジ。

　　　夕日が逆光となって……良く見えない、だが……。

　　　「全機、地上戦用意！」

　　　その映し出されるシルエットは紛れも無く――

　　　「あれが……使徒？」

　　　紛れも無く、エヴァ。

　　　「そうだ。目標だ」

　　　そんな……使徒に、乗っ取られてるのか！？

　　　じゃあトウジは……トウジは……どうなったんだ。

　　　そして３号機に最も近い弐号機。それに乗る彼女の心中も揺れていた。

　　　「あのジャージ……まだ乗ってる！？」

　　　前屈みで歩く３号機。その背中にはエントリープラグが見える。

　　　山の陰に隠れて機会を探るアスカ。

　　　そんな弐号機には気づかないのか、背中を見せたまま歩いていく３号機。

　　　無防備すぎる３号機。機会は今である。

　　　……くっ、どうする……。

　　　一瞬の気の迷い。

　　　それが、致命的だった。

　　　「――えっ！？」

　　　信じられないようなジャンプをして３号機は頭上から襲い掛かってくる。

　　　「ガッあっ！？」

　　　踏み敷かれる弐号機。

　　　手にもっていたロケットランチャーを落としてしまう。

　　　……しまったっ、ナイフを！

　　　ウェポンラックからすぐにプログナイフを取り出して突き刺そうとする。

　　　まだ、乗ってる……！

　　　長い間訓練は受けていたが、人が乗っていることに対してストップがかかってしまう。

　　　踏み敷かれたままの弐号機。３号機の腕の部分から粘着性の液体が流れ出す。

　　　「ああああっ！」

　　　右腕に走る激痛。

　　　「弐号機、右腕部に使徒侵入！」

　　　「右腕部切断……急げ」

　　　「しかし、神経接続をカットしないと！」

　　　「切断だ」

　　　「……ハイ」

　　　有無を言わさないゲンドウに従うマヤ。

　　　バシュ！

　　　「アアアアアッ！」

　　　弾け飛ぶ右腕。神経接続を解除しないまま切断したため、自分の右腕にも気絶しそうなほどの激痛。

　　　「ぐっ、ぐううう……」

　　　「アスカっ！」

　　　動かなくなった弐号機を暫し見つめるようにしていた３号機。

　　　やがてまた移動を開始する。

　　　「レイ。近接戦闘は避け、目標を足止めしろ。今初号機をまわす」

　　　「……了解」

　　　木に隠れながらライフルを構えるレイ。

　　　またしても３号機は気づかないように歩いていく。

　　　ターゲットを、背中にロックした。

　　　……乗っているわ、彼……。

　　　トリガーを絞ろうとして、手が震えた。

　　　怖い……？私、怖いの？

　　　「アアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァ！」

　　　屈み込んだような体勢から雄叫びを上げながらジャンプする３号機。

　　　「はっ！？」

　　　反応が遅れるレイ。３号機に突き飛ばされる。

　　　そして３号機の両手が異様に伸びてレイの、零号機の左腕を掴む。

　　　ギリリリリリッ……。

　　　軋む腕の音。そして激しく折れる。

　　　「キャアアアアア！」

　　　折れた腕を掴み続け、放り投げるように零号機を投げ飛ばす。

　　　「零号機、左腕切断！完全に沈黙！」

　　　「……綾波っ！」

　　　「目標は接近中だ。後２０で接触する。お前が倒せ……シンジ」

　　　倒せって……あれにはまだトウジが……乗っている、かも、しれないのに。

　　　揺らめくようにゆっくりと歩きつづける３号機。

　　　初号機は動かない。そんな初号機を見据えたかのように止まる。

　　　……どう、するっ……！

　　　歯軋りするような緊迫感。

　　　それも束の間。唸り声を上げながら３号機が宙を舞って特攻してきた。

　　　パレットライフルでガードするが勢いを殺しきれずに倒れこむ。

　　　屈む３号機の背中――プラグが、見えた。

　　　「ま、まだ……乗ってる……！」

　　　起き上がる初号機に、３号機は追撃の手を緩めない。

　　　「くっ！」

　　　伸びてくる３号機の手を掴む。

　　　その勢いを殺さないように投げ飛ばそうとして……体が固まった。

　　　……投げ飛ばせば、背中から地面に……！

　　　背中、背中にはエントリープラグ。

　　　だ、ダメだ……っ。

　　　もう一方の手が初号機に伸びる。空かさず掴んで力比べのような格好になった。

　　　「……っ！！」

　　　握りつぶされそうな手。

　　　完全にパワー負けしている。低いシンクロ率、そして欠ける集中力。

　　　そして、両手を掴んだまま初号機を投げ飛ばす。

　　　「――――ガッ――！」

　　　激突――。

　　　いき、いきがしにくい。

　　　せなか、せなかがいたむ。

　　　「……初号機とパイロットのシンクロを前面カットだ」

　　　そんなシンジの姿を見て、決意したように立ち上がるゲンドウ。

　　　「前面カットですか！？」

　　　「そうだ。回路をダミープラグに切り替えろ」

　　　「しかしダミープラグにはまだ問題も多く、赤木博士の指示も無く……」

　　　試作段階のダミープラグ。

　　　レイのパーソナルがコピーされており、パイロットは居なくてもエヴァを起動させられる。

　　　密かに初号機にそのデータが入れられていた。

　　　「もはやあのパイロットは３号機には勝てん……。やれ」

　　　ウゥゥン……。

　　　な、なんだ？

　　　突然プラグの照明が落ちた。

　　　そして赤く光る照明と、回りだすドライブ。

　　　……なんだ……これ？

　　　「信号、受信を確認！慣性システム切り替え完了！」

　　　「全神経ダミーシステムへ直結完了」

　　　「感情素子の３２．８％は不鮮明。モニターできません」

　　　動かないエヴァ。

　　　シンクロが切られた……！？

　　　「構わん、システム開放……攻撃開始」

　　　……な！？エヴァが……勝手に！？

　　　シンジの意思とは無関係に動き始める初号機。

　　　初号機に向かって伸びる３号機の手を掴んで先ほどのような力比べになる。

　　　だが……初号機は、いとも簡単にその手を握り潰した。

　　　どうなってるんだ……っ！

　　　比べ物にはならないパワー。悲鳴をあげる３号機。

　　　今度は、その３号機の左腕を毟り取った。

　　　と、止まれ……！！

　　　飛び散る鮮血を浴びながら、初号機はタックルし３号機の頭を踏み潰す。

　　　な、なんだ……なんで勝手に！

　　　人間は、例えば生物を殺す時にどうしても理性で躊躇してしまい、全力で殺しきる事が出来ないという。

　　　ダミープラグは人の心、魂まではデジタル化できない。よって本能のみで動く。

　　　そこには理性のひとかけらも無く……だからこそ限界まで力を出し切れる。

　　　くそっ……くそっ……！

　　　もはやピクリともしない３号機。だが初号機は止まらない。

　　　装甲版を剥ぎ取り、素体を引き裂き、肢体を破壊し尽くす――！

　　　止まれ……止まれっ……！

　　　そして、最後にエントリープラグを抜き取り、その手に収めた。

　　　や、やめ……！

　　　それには、トウジが……！

　　　悲鳴、悲鳴。心の悲鳴。自分の悲鳴。

　　　そして、それはただ普通に握りつぶされた。

　　　アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァ！！

　　　その惨劇を知らない一人の少女。

　　　「鈴原……明日は学校来きてくれるかな」

To be continued……

　　　次回予告

　　　初号機を止められなかった自分、友人を助けられなかった自分。

　　　シンジは深い挫折と後悔の念の中、エヴァを降りる事を決意する。

　　　送り出すアスカ。それを見守るミサト。

　　　だが、最強の使徒が全てをなぎ払うように第三新東京市に襲来。

　　　修復が間に合わない弐号機と零号機。無残に散る零号機。

　　　そして死闘を繰り広げる弐号機。

　　　内臓電源の消費が、彼女を死へと追いやっていく。

　　　次回、新世紀EVANGELION・Another 第拾伍話「絶望を奏でる者」

感謝の言葉：

シンジが無抵抗な現実逃避の駄々っ子モードに陥らなくても、
ダミープラグで起動していまいましたね…初号機…。
次回予告がとっても不安を掻き立てます（T_T)

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