アラエル戦の際に、初号機が２つのＳ２機関を共鳴起動させたことにより、
Ｓ２機関の活動を計測していたセンサーは一瞬にして、全てが破壊されてしまっていた。
そのため、原始的ではあるが、これまでの使徒を観測してきた実績を元に、
アルミサエルの発する光の強度から、Ｓ２機関の出力を推定しようとしている。
脈動しており、輝度が周期的に変化していることもあって、
その実力は測りにくいが、少なくともシャムシェル級か、
それ以上、ただしゼルエル級まではいかないと想定された。
シャムシェルの鞭に似た印象の淡い光に包まれた輪の形状をしており、
全体が一様で前後、分離面、コアなどは認められない。
各種センサーで観測した限りでは、実体を持っているのは確実。
地球全域が電波霍乱状態に陥っていることから、Ｓ２機関の稼動も間違いない。
ただ、非破壊観測ではこれ以上のことはわからなかった。
――＊――
発令所は重苦しい空気に包まれていた。
上部組織ゼーレから、最優先事項が指示されたのである。
それは、「電波霍乱状態を４８時間以内に回復する」こと。
アラエルのもたらした混乱は、まだ収拾には程遠く、力で抑えつけているに過ぎない。
それだけに、今、電波を基盤とした対人類向け戦力が無効化されるのは、
なんとしても避けなければいけなかった。
そして、アラエル戦で、人類が譲歩しうる猶予期間は使い切ってしまっていた。
アルミサエルは、人類が現在のレベルで存続していくためには、
いかなる犠牲を払おうとも、速やかに排除せざるを得ない。
アラエルの次に降臨した、という、ただ、それだけの理由によって。
アルミサエルとは一切関係ないところで、アルミサエルの運命を決めようとしていた。
――＊――
「……これは……新しい子が来たみたい」
シンリが、突然、会話を中断して、ジオフロント天井のほうを見上げたまま、呟いた。
カヲルが苦々しい表情を浮かべるが、それに気付いた様子はない。
懐かしいモノを見るかのように、シンリの視線はどこか優しい。
「今度の使徒は、どんな感じかな」
カヲルの言葉には、招かれざる客というニュアンスが色濃く含まれていた。
「……なんだろう？ この感じ。
初めてなのに、そうじゃない気がする……。
この記憶……初号機……違う、ユイさんのほう……」
ぽつり、ぽつりと紡がれる言葉は、どこか謎めいていて捉えにくい。
自分の心の中を触れて確認するかのように、その言動には不安定さが混ざっている。
カヲルは少しだけ強めに「本来の存在として」の意志をシンリに向けた。
「！？ な、なに？ あ、えっと、そのカヲルくん？」
耳元で大声で呼ばれたかのように、飛び退いて身構える。
シンリは、カヲルの瞳が、暗闇の中で浮かぶように紅く輝いているのを見て、その意図を掴みかねた。
カヲルは、シンリの意識がしっかりと自分に向いたことを確認して、「渚カヲルとして」の振る舞いに切り替えた。
「シンリくん、もしかして、初号機と深く接触し過ぎたことで記憶が混乱しているのか？」
あまりに深く接触を続けて、記憶を共有し続けたことで、初号機と自分の自我境界が曖昧になっているのだとしたら……。
碇シンリを、碇シンリとして成立させる独立した情報群が、他と混ざって安定すれば、それは別の存在への変化を意味する。
「……ちょっとね、強い記憶だったから、”自分の経験じゃない”ことに気付くのに手間取っただけ。
普段は、こんなことないんだけど、ね。……大丈夫。初号機は初号機、ボクはボクだよ」
シンリは心配することじゃない、と微笑むが、カヲルは真剣な表情を崩さなかった。
人は、会話という形で聞かせることで、あるいは文字や身振り手振りなどを見せることで、、
匂いで、皮膚感覚で、味覚を使わせることで、自分の経験を他者に伝える。
たとえ情感たっぷりに語ろうとも、表情豊かに振舞ったとしても、相手は、その情報を独自に
再加工した上で、判断をして理解するから、あくまでも他人の体験だ、と認識できている。
しかし、シンリの意志疎通は、目や耳といった通常の感覚器官を通さずに、
直接的に脳に情報を叩き込むようなものだ。
……本当に独立性は保たれているのだろうか？
実は、かなり危険な行為をしているのではないか……？
何かを見落としている……カヲルはどうしても、その考えを否定することができなかった。
――＊――
「既存戦力で攻撃して、勝てる確率は？」
ミサトは関係者全員に向けて静かに問いかけた。
「コアの位置が不明である以上、エヴァによる近接戦闘は意味がありません」
当たり前過ぎる過酷な現実が示される。
「形状的に似ているシャムシェルと同等として考えても、パレットガン等、
現在、残っている火器ではダメージは期待できません」
遠距離攻撃可能な……というか戦力といえるのは初号機だけ。
あのように細い形状に、キチンと着弾させられるかというと
シンリの技量ではなかなか難しいし、利き目と利き手の問題もあり、
ＭＡＧＩに補正させないとシンリの射撃は当たらない。
かなり期待薄な選択肢である。
「直径２００ｍの光輪全体をＮ２爆弾で焼却すると仮定した場合、
ジオフロントの装甲を支える基本構造フレーム自体が圧壊、
セントラルドグマも含めて、全滅は必至です」
時間稼ぎに焼くのではなく、全てをコアと看做して焼却しようと
いうのだから、Ｎ２弾の出し惜しみはできない。
……しかし、ジオフロントは直径１０ｋｍの中空球体である。
薄皮のような殻で中の空間を保持している非常に繊細な構造物なのだ。
その真上で何十発もＮ２弾が炸裂して、巨大クレーターを
作るような圧力が加えられれば、圧壊を防げ、というほうに無理がある。
そして、２２層の特殊装甲を支える基本フレームが崩壊してしまえば
第三新東京市自体がジオフロントに落下してくることになる。
ドミノ倒しのように崩壊の連鎖が起きて終わりだ。
「そもそも、アルミサエルがＮ２爆弾の攻撃をそのまま、
食らってくれれば、という前提条件もつきます」
現れた時と同様、ひょいと逃げられれば、無駄にクレーターを増やすことになる。
定点で回転しているだけだから、機動力がどの程度か、まったくわからない。
サキエルやイスラフェルの例をみる限りでは、大人しく食らってくれそうではあるが。
……恐らく大丈夫だろう、で使徒に手を出すのは愚か過ぎる。
まして、アラエル戦で受けた障害もあり、Ｓ２機関の出力を計測できていない。
過剰火力と言えるだけのＮ２弾を投入せざるを得ない。
やるならば、必中の策でなくてはならなかった。
「せめてリニアトレインが使えれば……」
マコトが呟くが、皆、渋い顔をするしかない。
ゼルエル戦の際に起きた大規模な落盤と出水によって、リニアトレイン復旧の目処は
まったくたっていない。
使徒はジオフロント深部にいるアダムに惹かれてはいるが、同じくらいに、稼働中の
エヴァにも惹かれる。リニアトレインで、エヴァを遠隔地に運んでから起動して、
第三新東京市から離れるように仕向ける、というのも検討案の一つとして存在していた。
ただし、あくまでも、前提条件としてエヴァを使徒に気付かれることなく、
第三新東京市から遠隔地に運べれば、である。
ジェット・アロンを止めた際のように、超大型輸送機を使ってエヴァを運ぶというのも
考えられなくもないが、空中に使徒がいるというのに、ちと悠長過ぎる策だろう。
「殲滅しようにも狙うコアがない、焼却しようにも場所が悪すぎる、か。
……全員退避して、Ｎ２弾で処理するとして、時間は？」
「崖崩れも仮復旧中、モノレールも通常運行にはほど遠い状況です。
アルミサエルが我々の行動を完全に無視してくれたと仮定しても、
人員だけの移動で３日間、最低限の物資移動も含めれば１、２週間は必要でしょう」
かなり楽観的に見たとして、である。
ミサトは、議論の行く末を推し量っているゲンドウ、冬月に視線を投げかけた。
二人は追加する意見はない、と頷いた。
ミサトは、皆の議論が出尽くしたのを確認し、ゆっくりと口を開いた。
「我々が取りうる策は２つしかないわ。
一つは、大量のＮ２弾で我々もろともアルミサエルを焼却すること。
もう一つは……初号機に、碇シンリに説得させること。
説得案は、問題が多いわ。
まず、初号機を起動しなくちゃいけない。
次にアルミサエルと意思疎通しないといけない。
次にサハクィエルのように立ち去ることを認めさせないといけない。
立ち去らないにせよ、Ｓ２機関の停止はさせないといけない。
そして説得を４８時間以内に完了させなくていけない」
ミサトが指折り、説得案の持つ綱渡りな点を挙げていく。
メインシャフトの２２層の装甲扉には、ロンギヌスの槍がぶちあけた大穴が残ったままである。
生きる者全てが、あの時、感じたのだ。
ロンギヌスの槍は、全てを根絶するモノだと。
初号機が、或いはシンリが呼んだ時、ロンギヌスの槍は永い眠りから覚めたのだろう。
それまでは、単なる全長２００ｍ近い巨大な槍に過ぎなかった。
しかし、あの時、変わったのだ。
槍に根絶された２２層の装甲版は、その痕跡すら残さず、この世界から消えた。
まるで最初からそこになかったかのように。
破壊されたのでも、融解したのでも、蒸発したのでもなく。
ただ、存在自体が消えた。
存在したことを人々の記憶の中にだけ遺して。
アラエル戦の最後、初号機が止まった際の状況を考えると、
次に初号機を安全に起動できるか保証がない。
暴走の危険性がある。
しかし、何より怖いのは、単なる暴走ではなく、ロンギヌスの槍から絡むかもしれないということ。
アレは危険過ぎる。他の何よりも。
槍を認識したアルミサエルがどう動くかわからない。
恐れをなして、この世界から逃げる「かも」しれない。
初号機がロンギヌスの槍を行使した場合の、最も楽観的な予想の一つだ。
そうなれば、四方丸く収まる。
しかし、別の可能性もある。
槍が、人類に向かって振り下ろされる可能性である。
もしかしたら、初号機は何の問題もなく起動する「かも」しれない。
暴走もせず、意図的な暴力の行使もなく、槍も呼ばず。
だが。
新たな使徒アルミサエルがどんな性格を持つのかわからない。
どんな行動原理を持つのかわからない。
初号機と……シンリと、アルミサエルの接触が、何を生むのか予想ができない。
藪を突いて蛇を出すことになりかねない。
それでも説得が成功すればいい。
多少、第三新東京市が、ジオフロントが壊れようとそれは許容できる。
そんな楽観論を口にすることすら戸惑わせる、予想。
そうなる可能性のほうが高い未来。
初号機の、シンリの説得が失敗したら……どうする？
これまで何度もやったように、不意打ちで使徒を殺す？
第三新東京市にいる住民ごと焼き殺すような真似をして、
それを、シンリが納得して受け入れる、とは考えにくい。
なら、その感情はどこに向くだろう？
どんな未来を導いてしまうだろう？
初号機の常軌を越えた力に期待して近接戦闘させるか？
バルディエルを拒絶した時のように、圧倒的なＡ．Ｔ．フィールドで
アルミサエルを押し潰すように倒せる……かもしれない。
アルミサエルが、バルディエルのような性格なら、そういう顛末もありえそうではある。
けれど。
アルミサエルが、アラエルのような性格だったら？
そうでなくても、好感をもてそうな相手だったならどうだろうか？
シンリにとって、アラエルは親密な家族、或いは友人、恋人といってもいいほど
精神的に深い結びつきがあった、と分析されている。
それだけに失った心の痛手はとても深く、すぐ癒えるものではないと判断している。
なのに、好感を持てる相手を、義務感「だけ」で殺害させたとしたら。
人類にとって、使徒は大きな怪獣、害虫、天災扱いに過ぎないが、
シンリにとっては、親愛の情を向けるに足る人格を備えた相手、である。
今のシンリが、そんな凶行に耐えられるだろうか。
超えてはならない一線を、越えさせてしまうかもしれない。
致命的に……心が壊れてしまうかもしれない。
そして、使徒を殺した直後のシンリは、初号機に乗っているのは間違いなく。
初号機は停止信号で止まるものでなく、内蔵電源切れも期待できず、
Ｎ２弾を大量に投入した「程度」で破壊できるとは到底思えず、
何より、ロンギヌスの槍を呼び寄せた実績を持っているのである。
ミサトの言葉が、心に沁みこんでいって。
言葉に絡みついた毒が、体の奥底まで入り込んで体温を奪う。
倒すのは難しいから、説得してみよう
簡単に口にできそうな選択肢だった。
手持ちのカードがないのだから、目的を達成するためには手段は選べない。
それでも。
冬月が告げた一言に、全員が。
ミサトやゲンドウですら。
無様にも、縋りつくしかなかった。
「碇、無駄かもしれんがゼーレに掛け合ってみてはどうだろう？
技術部の分析でも、使途不明な資金の総額はエヴァ１機分にはなる」
「何か隠し球があるかもしれん、か」
ゲンドウは、ゆっくりと全員を見回し、反対意見がでないことを改めて確認した。
「葛城三佐、説得案のシナリオを再検討してくれ。
我々はゼーレのメンバーを緊急招集してみよう」
説得……それは、勝率何％などと到底言えない作戦である。
検討はどれだけ行っても、やり過ぎということはない。
「了解」
作戦部の面々が静かに頷く。
「遅くとも２時間後には結論を持ち帰る」
リツコは、立ち去るゲンドウの背に、そっと視線を向けていたが、
扉が閉まるのと同時に、白衣を翻して皆に向き直った。
「技術部も情報戦の準備を始めるわよ」
「例の奴ですか？」
「結果を出すためには多少の無茶はするしかない。
この際、出し惜しみは一切なしでいくわよ」
爽やかな笑みで、リツコが白紙の小切手を乱発する。
理性も、常識も、もしかしたら大半の人類の未来すらも、ぱーっとなんでも売り払って大盤振る舞いだ。
日向の顔が引き攣った。
「マヤちゃん、一体何をやろうっていうんだ？」
どーせ、碌なことではないだろうが、知らないのは気持ち悪い。
そもそも、真っ当な方法で取りうる選択肢は日向も把握している。
きっと、さぞかし、道理が引っ込むような案なのだろう。
マヤはぴっ、と携帯端末を使ってＭＡＧＩに指示を送った。
指示内容を忠実に実行し始めたＭＡＧＩからの返信結果に
満足そうな表情を浮かべる。
「インターフェイスのちょっとした見直し。
ちょっとした悪あがきね、たぶん」
「例の言語化処理？」
「そう。シンリちゃんと、私達を繋ぐインターフェイス。
意思疎通の妨げになっている部分を少しだけ、
マシにするためのちょっとした準備」
シンリが落ち着いて、言葉を発しようと努力しないと言語化が難しい。
それをなんとかしようというのだろうが。
マヤはちょっとした悪戯を思いついたように、携帯端末の映像を日向に見せた。
そこには、予想した通りの光景が表示されているだけなのだが。
「……見なかったことにしたいよ」
日向は天を仰いで、肺の空気を全て吐き出すように、深い溜息をついた。
作戦のために多少寄与するかもしれないし、しないかもしれないことに、
投入することの費用対効果と、未来に与える影響、何より、
ジオフロントという閉鎖空間において、あの状況が意味することは……
……ダメだ、正気はとりあえずそこらに捨てておこう
自己完結して、心の中に棚を作って、網膜に焼きついた映像を投げ捨てる。
マヤが見せた携帯端末。
そこには、淡い電子回路網のような赤い輝きを浮き上がらせながら、
周囲を猛烈な勢いで侵食していく地下の居候……イロウルの姿が映っていた。
感想を下さっている皆様、お返事ができずごめんなさい。
メールは全て目を通しています。
今回はちょっとシンプルですが、情報整理ということで。
そういえば、エヴァの漫画版１２巻が４月に発売されるんですよね。
なんとか、あちらよりは早く、最終話まで行きたいところです。
では、次回をのんびりお待ちください。