「え……と、Ｂ−１６からＤ−５２まで問題無し、と」
ディスプレイを見ながら呟くマヤ。
ネルフ本部・第一発令所……マヤの指先が滑るようにキーボードの上を動き、ホロディスプレイに次々と情報が流れる。
現在、『ＭＡＧＩ』の定期検診中である。
技術部のスタッフは、黙々とそれぞれの仕事をこなしていた。
「流石はマヤ、速いわね」
手元のチェックシートを見ていたリツコは、ふと顔を上げ、マヤに言った。
「それはもう、先輩の直伝ですから」
マヤは少々自慢げに応える。
そして、更に作業を続けようとしていた。
「あ、待ってそこ。Ａ−８の方が早いわよ」
そう言ってリツコは、傍のキーボードを叩く。
その速度は、マヤよりも遙かに速かった。
「！……さっすが先輩」
モニターの『ＭＡＧＩ』の表示がグリーンに変わる。
「『ＭＡＧＩ』、３基ともシステム自己診断モードに入りました」
「第１２７次定期検診、異常なし」
技術部スタッフの報告が聞こえる。
ミサトは、傍観していた姿勢を正して、返事をする。
「了解、みんなお疲れさま」
洗面所……リツコは顔を拭いている。
出しっぱなしの水の音だけが静かに響いていた。
ふと、リツコは正面の鏡に写った自分の顔を見て、苦笑を浮かべた。
疲れの見えるその顔を見て、リツコは誰にともなく呟いた。
「異常なしか……母さんは今日も元気なのに……私はただ歳をとるだけなのかしらね……」
第拾六話 秘やかな侵入者
ジオフロント中央部、セントラルドグマ。
その下層にある実験施設……３人のパイロット達はすでに１７回ものボディクリーニングを受けていた。
その身には下着一つ着けていない。
『そのままでエントリープラグに入って頂戴』
「えええっ?」
リツコの指示に、アスカが抗議する。
『何か問題でもあるかしら？映像はカットしてあるけど』
こともなげにリツコが言う。
アスカは少し頬を染めながら、文句を口にする。
「そういう問題じゃ無いでしょ！」
『アスカ、これは命令よ！』
業を煮やしたミサトが声を荒げた。
「……ったく。分かったわよ！」
アスカのその声を合図に、３人はエントリープラグに入った。
実験施設・制御室。
実験漕を見つめるリツコ。
技術部のスタッフは滞り無く作業を進めている。
リツコが開始の号令を掛ける。
「テスト、スタート」
「了解、シミュレーションプラグ挿入」
「システム、模擬体と接続します」
マヤを初めとする、技術部スタッフ達のチェックの声が制御室に響き渡る。
実験漕の中には、首から上と腰から下を無数のパイプやコードに繋がれた、ヒトの身体を模した物体が３つ、存在していた。
それが何かの活動を行っているのを示しているのか、時折隙間から泡が立ち上る。
「神経接続、完了」
「シミュレーションプラグ、『ＭＡＧＩ』の制御下に入りました」
マヤが最終報告をする。
リツコの横で実験漕の様子を見ていたミサトが軽い口調で言う。
「おー速い速い。さっすがは『ＭＡＧＩ』さまさまだわ。初実験の時に１ヶ月かかったってのがウソのようね」
リツコは、それを無視してパイロットに話しかける。
「気分はどう？」
『何か、違うわ……』
レイが淡々と言う。
『ちょっと、違和感がありますね……』
ユウカが躊躇いがちに告げる。
『感覚がおかしいのよ。右腕だけハッキリしてて、あとはなんかボヤけた感じ』
アスカがハッキリと答える。
リツコは少し考えた後、指示を出す。
「レイ、右手を動かすイメージを描いてみて」
『ＭＡＧＩ』の表示が通常から対立モードに移行する。
「……ジレンマ、か。作った人間の性格が伺えるわね……」
それを見たリツコがポツリと呟く。
「何言ってんの。作ったのはアンタでしょ？」
ミサトが言う。
リツコは淡々と返した。
「……私はシステムアップしただけ。基礎理論と本体を作ったのは母よ」
その頃、発令所では……冬月と青葉が、所内の異変をチェックしていた。
「３日前に搬入された物です。ここですね、変質しているのは……」
モニターに染みのような物が浮き出た壁が映し出される。
「第８７タンパク壁か……」
冬月が顔を顰める。
「ずさんな工事のせいじゃないですかね」
「事故が起きてからでは遅いな……処理しておきたまえ」
冬月が、そう指示を出した。
壁に出来た染みは、その瞬間、不思議な光を発し、その周囲にＡＴフィールドが生まれた……
それは、付近の検知器に反応する。
制御室、リツコが次の作業を指示しようとした、その時……
警報の音が鳴り始めた。
「どうしたの?」
リツコが慌てて叫んだ。
「シグマユニットＡフロアに汚染警報発令！」
「第８７タンパク壁、急速に劣化、発熱しています！」
「第６パイプにも異常発生！」
「タンパク壁の侵食部が増殖しています！」
スタッフ達の報告が飛び交う。
マヤが展開したモニターにシグマユニットが表示される。
そこに写された汚染範囲は驚くほどのスピードで増加していく。
「実験中止！第６パイプ閉鎖！ポリソーム出して！場合によってはパイプを物理的に閉鎖します！」
リツコが緊急の指示を下す。
だが、侵食はすでにレイの乗る模擬体に達しようとしていた。
模擬体が、右手から徐々に変色していく。
声もなく見つめるミサト。
「全機エントリープラグ緊急射出！」
リツコが叫び、プラグが急速に射出された。
ポリソームと呼ばれた作業機械が、パイプにレーザーを発射する。
その光は、パイプに当たる直前に跳ね返された。
「分析パターン出ました！パターン”青”、使徒です！」
マヤの悲鳴じみた、上擦った声が響いた。
発令所に、リツコから連絡が入る。
「冬月だ。どうした?」
『使徒が実験施設内に侵入しました！緊急処理を願います！』
「使徒の侵入を許したのか?……セントラルドグマを物理閉鎖、シグマユニットと隔離しろ！」
リツコの報告に、冬月は即座に指示を出す。
「誤報だ。探知機の故障として日本政府と委員会に報告しろ」
ゲンドウはそう言って警報を止めさせる。
冬月が傍に来て小声で話しかける。
「場所がまずいぞ」
「ああ……『アダム』に近すぎる」
ゲンドウが少しの間悩み、ＥＶＡを地上に射出させた。
「初号機が最優先だ。その為なら他の２機は破棄しても構わん！」
その指示は、どこか歪んでいたが、誰も気に止めはしなかった。
「まいったね……俺以外にもお客さんとは。こりゃ仕事どころじゃ無くなったな」
セントラルドグマの中央溝。
遙か上に輝く赤い光を見つめながら、加持はボヤいた。
そして彼は、今まで乗っていた移動コンテナから下りて、搬出路から何処へともなく走り去った……
ＥＰＩＳＯＤＥ：１６ Ｓｉｌｅｎｔ Ｖｉｓｉｔｏｒ
完全に侵食された模擬体。
所々に赤い光点が見える。
純水に満たされた実験漕から、使徒はあまり侵食を広げていない。
その状況を見て、リツコは一つの案を試してみる。
「マヤ、実験漕にオゾンを注入して」
「はい」
実験漕にオゾンが注入され、使徒の動きが一瞬止まったかに見えた。
だが、すぐに活発な動きを始める。
「目標、活動を再開しました。以前より活発なようです」
「……目標に関して、もう少し慎重に当たらないとダメね……」
リツコは溜息をついた。
保安部のメインバンクにアクセスする存在が感知された。
「外部からのアクセスの形跡無し。内部からです」
青葉の警告が飛ぶ。
「『ＭＡＧＩ』への侵入を行っている模様です」
マヤが状況を報告する。
ゲンドウが命令を下した。
「電源をカットしろ……」
「ダメです！こちらからのアクセスは受け付けません！」
日向が叫ぶ。
モニターに経路図が映し出された。
それは、少しずつ使徒によって侵食され、色が変わっていく。
「目標、さらに侵入！」
モニターが、『ＭＡＧＩ』の表示に変わる。
「メルキオールに接触しました！」
マヤが叫ぶ。
モニター上では、メルキオールの色が少しずつ、しかし確実に赤くなっていく様が展開されている。
「ダメです！目標に乗っ取られます！」
メルキオールの色が完全な赤になり、ネルフ本部の自爆が提訴される。
それは、残りの２基によって否決される。
メルキオールを侵食した使徒は、バルタザールへのハッキングを開始した。
青葉が、驚愕の叫びを挙げる。
「こ……今度はメルキオールがバルタザールをハッキングしています！」
「ロジックモードを変更！シンクロコードを１５秒単位にして！」
リツコは、『ＭＡＧＩ』の処理スピードを遅くして、ハッキング速度を下げさせた。
「これで少しは時間が稼げるわね……」
「あがきじゃなきゃいいけどね……」
リツコの呟きに、ミサトは皮肉を言った。
ブリーフィングルーム……メインスタッフ全員が集合し、緊急対策会議が開かれた。
「目標の分析が終了しました。目標は細菌サイズのマイクロマシンであり、個体が集合して知能回路を形成。結果、進化し続けていると考えられます」
リツコが現状において判明していることを簡潔に報告した。
「作戦部としては、『ＭＡＧＩ』の破壊を提案します」
ミサトが言い放つ。
リツコは、それを否定する。
「ダメよ、『ＭＡＧＩ』の替わりはきかないわ。それよりも、技術部としては、目標の進化を限界まで促進させる案を提言します」
「……進化の行き着く先は自滅……『死』そのものか……カスパーが速いか、使徒が速いか……勝負だな」
ゲンドウか呟いた。
「リツコ……いいえ、赤木博士。そのプログラム間に合うんでしょうね。カスパーまで侵されたら終わりなのよ？」
ミサトが念を押す。
「……約束は守るわ」
リツコは毅然とした表情で答えた。
ネルフ本部から、Ｄ級勤務者が退避した。
カスパーの基部では、リツコとマヤが対策の準備を始めていた。
ミサトは、監督役として一緒に来ている。
内部に入る点検口の中に入ろうとするリツコ。
入り口を開けると、内部にはビッシリとメモが張り付けてあった。
それらには、他愛もないことも書いてある物もあるが、ほとんどが開発中に書かれたコード等の走り書きであった。
それを見たマヤが目を輝かせる。
「すごいです！これなら以外と速くプログラミングも出来ますね、先輩！」
「ありがとう、母さん……」
リツコがポツリと呟いた。
作戦は始まった。
マヤは、ケーブルだけ繋いで入り口の外で端末を操作し、リツコとミサトは中に入り込んで作業している。
ミサトが、思いついたことを話しかける。
「ねぇ、リツコ。使徒がもし自滅しなかったらどうなるの？」
リツコは作業を続けながら答える。
「そうね……自滅しなければ、『ＭＡＧＩ』と共存をするか、急いでどこかのシステムから外へ逃げるか……多分、共存は無いでしょうけどね」
「何で、そう言い切れるわけ？」
「ただでさえ、自滅同然の手段を取ってるのに、今更生き延びるなんて思考、生まれないと思うわ」
「そんじゃ、もう一つは？」
「逃亡？そうね……まだ、外部に繋がってる回線にも使徒が接触していたらありうるわね。でも、外部アクセスが無かった時点で、接続は全て遮断したハズだから……使徒が自ら繋げない限り、これも無しね」
「あっそ……」
その間にも、リツコは工具を受け取って、カスパーの基幹部へ繋ぐための作業の手は休めない。
「リツコが、何かそんなことやってると、大学時代を思い出しちゃうわね……ねぇ、『ＭＡＧＩ』のこと、少しは教えてくんない？」
「長くなるわよ……その割に面白くない話」
そう言いながら、リツコは話し始めた。
「ミサト……人格移植ＯＳって知ってる？」
「ええ……第７世代の有機コンピュータに個人の人格を移植して思考させるってアレでしょ」
「そう……アレって、母さんが開発した技術なの」
「じゃあ、リツコのお母さんの人格を移植したの？」
「そうよ……」
大脳のような部分を開いて、コードを差し込んでいきながらリツコが話す。
ミサトは、コードを渡しながらその先を聞いた。
「それで『ＭＡＧＩ』を守りたかったの？」
「違うわ……母さんの事、そんなに好きじゃなかったから。これは、科学者としての判断よ」
その時、上から日向の声が聞こえる。
「バルタザール、乗っ取られました！」
『人工知能により、自律自爆が決議されました』
コンピュータの合成音声で、最後の宣告がなされた。
ミサトが顔を出して確認する。
「始まったの?」
『自爆装置は三者一致後０２秒で起動します。自爆範囲はジオイド深度マイナス２８０、マイナス１４０、ゼロフロアーです。特例５８２発令下のため、人工知能以外によるキャンセルは出来ません』
コンピュータの合成音声が発令所に響いた。
さらに、青葉が報告をする。
「バルタザール、カスパーに侵入開始！」
「なんて速さだ……」
冬月が驚愕の溜息を漏らした。
「リツコ、急いで！」
ミサトが中のリツコに話しかける。
『自爆装置作動まで、あと３０秒』
「大丈夫、まだ１秒以上余裕があるわ」
リツコは淡々と返す。
その眼は膝の上の端末のモニターから動くことなく、その手は端末のキーの上を滑らかに踊るように動いていた。
「い、１秒って……」
ミサトが絶句する。
「ゼロやマイナスじゃ無いのよ」
冷静に返すリツコ。
館内に、合成音のカウントダウンが進む。
「マヤ！」
「いけます！」
リツコの声にマヤが気合い一杯に応えた。
「押して！」
リツコの叫びに、マヤがリターンキーを押す。
モニターの表示が、赤から青に移り変わる。
『人工知能により、自律自爆が解除されました。なお、特例５８２も解除されました。『ＭＡＧＩ』システム、通常モードに戻ります』
その合成音声に、その場にいたほとんど全ての人間が歓喜の声を挙げた。
そのころ、ジオフロントの地底湖では……
『ちょっとぉ、一体どーなってんのよぉ！』
射出されたエントリープラグの中で、アスカが怒鳴る。
レイは仮眠を取っているのか、全く喋らない。
（もう、終わったのかなぁ……）
ユウカはそんなことを考えていた……
「ふぅ……もう歳かしらね。徹夜がこんなにこたえるなんて……」
１人溜息をつくリツコに、ミサトがコーヒーを入れたカップを持って近付く。
「また約束守ってくれたわね。お疲れさん」
「ミサトの淹れたコーヒーをこんなに上手いと思ったのは初めてだわ」
ミサトが顔を顰める横で、リツコは、コーヒーを一口含んでから、話を続けた。
「死ぬ前の晩、母さんが言ってたわ。『ＭＡＧＩ』は３人の自分なんだって……科学者としての自分、母親としての自分、女としての自分……その３人がせめぎ合っているのが『ＭＡＧＩ』なのよ。人の持つジレンマをわざと残したのね……」
そう言うと、リツコはもう一口コーヒーを飲んで、さらに続けた。
「私は母親にはなれそうもないから、母としての母さんは分からないけど……科学者としては尊敬もしていた。でもね、女としては憎んでさえいたのよ……」
溜息をつき、足元を見つめて話すリツコ。
「カスパーにはね、女としてのパターンがインプットされていたの。最後まで女でいることを守ったのね……ほんと母さんらしいわ……」
最後の呟きは、誰に聞かせるわけでもなく、囁くような声だった……
歓喜に沸き返る発令所。
その内のモニターの一つ、外部監視用の映像には、倒れ伏す長い黒髪の少女が映っていた。
そして、その映像は不意に途切れてしまった……
あとがき
ユウカ達パイロットは、意味のよく分からない実験の最中に、この事件に巻き込まれます。
『彼』が認識していない事件なので、ユウカは内容はキチンと理解していません。そんなわけで、彼女達の出番はちょっとだけです。
セリフの言い回しや発言者が変わっているのは、書いてる途中でのつながりを考えてです。あまり気になさらないで下さい。
使徒と『ＭＡＧＩ』の共存……この世界では否定しています。使徒にとって、共存のメリットが、この時点では存在していないからです。
そして、逃亡の可能性を示唆してもいます。
最後のシーン、さて、何のつもりなんでしょうね。
やってきた転校生の少女。
彼女は少しずつ心を開いていくが……
次回、『災いを齎すもの』。
お楽しみに。
作成日付：２００１／０１／１３
改稿日付：２００１／０２／０５
感謝の言葉：
トップページに戻る。
第１７話「災いを齎すもの」に進む。
作者のＡＢＣさんへの感想メールはこちら（abebeabebe@ksn.biglobe.ne.jp）まで。
読者からの反響は作者のやる気を湧き出させます。
続きが読みたい人は、感想メールを送りましょうね。