暁の守護天使
第１５話「ココロの傷」
相互互換試験の翌日、ユウリはリツコに呼び出された。
「何の用ですか、リツコさん」
「今、初号機暴走の原因究明の最中なのよ。それで、あなたにも意見を聞きたいの」
「何故、レイじゃなくて私なんですか？」
「勿論、レイへの事情聴取は行ったわ。でも、レイは何も覚えていなかったのよ」
「覚えてない？」
「ええ、気が付いたらベッドの上だったそうよ」
「そうですか…。（ヘンだ…レイはちゃんと覚えていた筈。なのに何故？）」
考え込むユウリ。
その顔を見詰めていたリツコが、ユウリに質問した。
「その顔だと、何か思い当たる事がありそうね。あなたは何を知っているの？」
「私は別に…」
「そうかしら？じゃあ、あの時『やっぱり受け入れてくれなかったのね』と言ったのは何？」
「！…（聞かれてたのか…話すしかないかな？）いいでしょう、お話しします」
「そうしてもらえると助かるわ」
「私が零号機にシンクロした時…うまく言えないんですが、レイのイメージのようなモノを感じたんです」
零号機の、あるいはレイの記憶が見えたとは言わない。
「イメージ？…残留思念みたいなモノかしら…？そういえば、レイの匂いがするとか言ってたわね。ただの気配かと思ってたけど、どうやら違うようね」
「…どうでしょうかね。それで…レイの心とか、そんなモノが見えたんですよ」
「レイの心が見えた？…それが、初号機の暴走とどう繋がるのかしら」
「それと同じ現象がレイと初号機とのシンクロで発生したら、どうなると思います？」
「どうって……まさか！」
「ええ、ヒトは誰しも、心に様々な感情を持っています。良いモノも悪いモノも、ね。でも、心が未発達なレイでは、それらを受け入れられないだろうと思ったんです」
「その予想が当たった、と言う訳ね。…でも変ね、レイの心はそんなに弱くはないと思うけど？」
「そうですか？……例えば、日本刀に求められるモノって、何だと思います？」
「強度と切れ味…かしら？それがどうしたの？」
「では、強度を上げるには？」
「硬度の高い材料を使うとか？…いえ、そうじゃないわね……」
「確かに硬度も大事ですが、それを突き詰めると切れ味は増しても逆に脆くなってしまうんです。硬さと強さは、この場合イコールではないんですよ」
「そうか、硬度だけではなく粘りも必要、と言う事ね」
「はい、逆にそれを突き詰めると、今度は切れ味が落ちてしまいます。その微妙なバランスを見極めなくては、本当の強さは得られません」
「ヒトの心にも同じ事が言えると？」
「その通り。多少ニュアンスが違うような気がしますが、ようは経験をつまなければ本当の意味での強い心は得られないんじゃないか、と言いたいんです」
「レイには、その経験が足りない？」
「はい。レイには、ヒトが成長する過程で当然身に付けているべき経験、というモノが全くありません。そのレイにとって、様々な未知の感情の奔流は、さぞ大きな衝撃だったでしょうね？」
「なる程…経験が無い、あるいは鍛えられていないが故に脆いレイの心は、その衝撃には耐えられなかった…という事？」
「あるいは、心が壊れる事を無意識に恐れ、拒絶したのか。多分、そんなところだと思います。まあ…本当のところがどうなのかは、レイ自身にしかわからないでしょうけどね」
「そう、もういいわよ。ありがとう、とても参考になったわ」
会話を記録していたレコーダーを止めながら、リツコは言った。
「そうですか、それでは失礼します」
全てを話すことなく事情聴取を終えた事に安堵しつつ、ユウリは立ち上がった。
「ああ、ちょっと待ってくれる？ユウリ」
「何ですか？リツコさん」
「明日はあなたのお母様の命日なのだけど、覚えている？」
「………そうなんですか？」
しばらく考えた後、ユウリはそう言った。
「そうなの。場所はここだから、行ってみたら？一度も行った事無いんでしょう？」
地図をユウリに手渡しながら、リツコは墓参りを奨める。
「…何故リツコさんがそんな事知ってるんです？」
「司令が、副司令と話していたのを聞いたからよ」
「そうですね…意味の無いことかもしれませんが、一度くらいは行ってみてもいいかもしれませんね」
「意味が無いってどう言うこと？」
ユウリは、リツコの問いに答えることなく出ていった。
ユウリの事情聴取を終えたリツコは、ゲンドウに報告すべく司令室を訪れた。
先程録音した会話をゲンドウと冬月に聞かせると、リツコは口を開いた。
「以上で終わりです。実験データの分析結果と比較検討してみましたが、ユウリの推測が正解ではないかと」
「ダミーシステムへの影響はどうかね？」
冬月が質問した。
「ヒトの精神のデジタル化は、今の技術で完全に行う事は出来ません。しかし、暴走の原因がユウリの推測通りなら、それが逆にプラスに働きます」
「どういう事かね？」
冬月がさらに質問を重ねる。
「ユウリの例えに倣うなら、ダミーの心はまだ形になっていない、原料である砂鉄のような状態と言えます」
「なるほど。砂鉄の塊なら、何をぶつけたところで形が変わるだけ。壊れる事は無い、か」
小さく頷きつつ納得する冬月。
「そういう事です」
リツコはその冬月に対し、肯定の意を伝える。
「赤木博士。事情は了解した、ダミーの完成を急ぎたまえ。我々に残された時は、あまりにも少ない」
「了解しました。では、これで失礼します」
そう答えると、リツコは出て行った。
翌日、ユウリはリツコに貰った地図を頼りに墓参りに来ていた。
「ふう…やっと着いた。肝心の母さんの墓標はどこ…！あれは、碇司令？」
一瞬、このまま帰ろうかと考えるユウリ。
しかし、すぐに思い直すとゲンドウに向かって歩いて行く。
ゲンドウもユウリに気付いたようだが、一瞥しただけで墓標に向き直った。
また、ユウリも墓碑銘を見てユイのものであることを確認すると、持参した花束を置く。
その間、会話は一切無かった。
永遠に続くかのような沈黙を破ったのは、ゲンドウだった。
「何故、ここへ来た？」
「赤木博士が、命日だと教えてくれましたから。意味があるとは思えませんでしたが、一回くらいは来てもいいかと思いまして」
「何故、意味が無いと思う？」
「母さんはここには居ないのに、ここに来て石を眺める事にどんな意味があるんですか？」
「確かにユイはここに眠ってはいないが、意味が無い訳ではない。私がここへ来るのは、決して忘れてはならぬ大切なモノを再確認する為だ」
「写真等は残っていないのですか？」
「何も残ってはいない。全ては心の中に…今はそれでいい」
「思い出を心にしまい、世界を拒絶している。あなたは、何の為に生きているんですか？」
「どう言う意味だ？」
「アダム、リリス、そのコピーたるエヴァ、ロンギヌスの槍、綾波レイ、ダミーシステム、そして人類補完計画。人類を滅ぼしてまで、あなたは何を願うんですか？」
「！！……何故それを………」
ゲンドウは、見るからに狼狽していた。
声も震えている。
「初号機に眠る母さんから…そして零号機に眠るリリスの欠片から…」
「ユイに…会ったのか…？」
「ええ。私だけずば抜けてシンクロ率が高いのは、母さんが助けてくれているせいです。もっとも、いつも目覚めている訳ではありませんが」
「ユイは目覚めているのか！？…ならば…ユイは、ユイは何と言っていた！？」
「あなたが私を手放した事、随分怒っているようでしたよ？『何があってもちゃんと育てようと約束したのに』って」
「そ…それで……？」
「相互互換試験を行ったのは、失敗でしたね。零号機は、今まであなたが行ってきた非人道的行為を私に教えてくれました。その知識は、その後のシンクロテストの時に、母さんに伝わっています」
「！！…何だと！？」
ゲンドウは震えていた。
全身から、脂汗が噴き出している。
「母さん、物凄く怒っていましたよ。特に赤木ナオコ博士の事など…怒髪天を衝くとは、ああいうのを言うんでしょうね」
ゲンドウからの返事は無い。
完全に硬直しきっているようだ。
「捨てられる覚悟をしておくことですね。あなたが何を画策していようと、もはやそれが叶う事は無いと思って下さい」
ゲンドウの顔から、瞬く間に血の気がひいていった。
「人類に明るい未来を…それが、私と母さんとの約束です。では、私はこれで失礼します」
ゲンドウへ視線を向ける事無く歩き出すユウリ。
しかし、数歩歩いたところで立ち止まると口を開いた。
「そうだ、勘違いしているようなので言っておきます。元から欠けた形をしているモノをいくらよりあわせても、結局は欠けた形にしかなりませんよ」
再び歩き出すユウリ。
今度は、歩みを止める事無く墓地を後にする。
ユウリがやってきてから立ち去るまで、二人は一度も目を合わせなかった。
夕食の買出しを済ませて帰宅したユウリは、誰も居ないリビングで遅い昼食をとっていた。
「ミサトさんは友達の結婚式、アスカは…誰かとデートだったかな」
つい先日、ケンスケに拝み倒されていたアスカの姿を、ふと思い出す。
相手はクラスの誰かだったような…などと考えながら食事を終えたユウリは、部屋に戻って銃の手入れを始めた。
「いつもは私をガードしてる保安部が、これからは敵になるかもしれない。手入れは、しっかりしておかなくちゃ」
熱心にやりすぎたせいか、手入れが終わった頃には夜になっていた。
「いけない、晩御飯の仕度しなくっちゃ！」
冷蔵庫から材料を引っ張り出して、料理を始めるユウリ。
無意識に三人分作るところに、ここでの生活への馴れが感じられる。
一人の食事を終えた頃、アスカが帰宅した。
「おかえり、アスカ。……どうかしたの？」
帰宅したアスカに声をかけるユウリの声に、心配そうな響きが混じる。
アスカの顔は、とても楽しいデートの帰りには見えない。
アスカは、ユウリへ視線を向ける事無く自分の部屋に戻って行った。
「どうしたのかな……ま、いいか。お茶でもいれてあげよう」
ユウリは、立ちあがるとキッチンへと向かった。
部屋へ戻ったアスカは、ベッドへ飛び込んだ。
うつ伏せになり、枕に顔を埋めたアスカの目には、涙が光っていた。
「チクショウ…チクショウ…」
小さな声で呟き続けるアスカ。
事の起こりは、デートの相手と二人で入ったレストランだった。
食事をしながらの会話の中で、何気なく出たユウリの話題。
その何気ない話題が、アスカの心に刻まれた傷を広げてしまったのだ。
なおも呟き続けるアスカの耳に、ノックの音が聞こえた。
「ねえアスカ、お茶にしない？」
アスカは返事をしなかったが、ユウリはそれに構わずドアを開けた。
トレイの上には、二人分の紅茶とクッキーが乗せられている。
トレイを机の上に置いたユウリは、アスカを起こそうと近付いた。
そして、アスカに触れようとした瞬間、アスカはユウリの腕を掴んでベッドへ引き込んだ。
自分の上に圧し掛かるアスカに抗議しようとしたユウリだったが、その目に光る涙に言葉を失った。
「チクショウ！…何でお前なんだよ！何で俺じゃねぇんだよ！」
ユウリの胸倉を掴んで絶叫するアスカ。
「ちょっとアスカ…何言ってるの？」
戸惑うユウリに構わず、アスカの叫びは続く。
「後から来たくせに！…後から来たくせに、何もかも持って行きやがって！何で俺が一番じゃいけねぇんだよ！！」
ユウリを射貫くような目で見ながら、アスカはなおも叫び続ける。
「俺には、エヴァが全てだったのに！それだけが、俺の価値だったのに！ずっとずっと、それだけが俺の生きる意味だったのに！！」
アスカは、とうとう感極まったのか、ユウリの胸に縋りついて号泣した。
それから暫く後。
ユウリは、泣き疲れて眠るアスカをそっと抱きしめた。
そして、愛しげな眼で見詰めながら頭を撫でる。
暫くの間そうしていたユウリだったが、アスカから離れてベッドを出ると、冷え切った紅茶とクッキーを回収してドアを開けた。
そこには、ユウリが予想した通り、ミサトが立っていた。
「お帰りなさい、ミサトさん」
普段と全く変わらない様子でニッコリ笑うユウリ。
「ただいま…で、何があったのかしら？ユウリちゃん」
一方ミサトは、厳しい顔でユウリに尋ねた。
「別に何も…。何もありませんよ、ミサトさん」
「でも！」
「何も無かった…それでいいじゃないですか」
「あなたはそれでいいの？」
「私がいいと言ってるんです。それからミサトさん、別件で話があるので、少し待っててもらえますか？」
「ええ、いいわ。シャワーを浴びて、着替えてらっしゃい」
「了解です」
ニッコリ笑ってそう答えたユウリは、バスルームへ消えていった。
シャワーを浴びて服を着替えたユウリがリビングへ行くと、厳しい顔のままのミサトが座っていた。
「お待たせしました、ミサトさん」
ユウリが声を掛けると、ミサトは手招きをしつつ口を開いた。
「で、話って何？」
そう尋ねたミサトの眼は、ユウリをまっすぐに見詰めていた。
「はい。実は…今後、私はＮＥＲＶに命を狙われる可能性があります。ですから、もし不慮の事故で私が死んだら、それはＮＥＲＶの仕業だと思って下さい」
「ちょ…一体どう言う事！？何でユウリちゃんが命を狙われるのよ！」
ユウリの話の内容に、驚愕するミサト。
「詳しい理由は、今は言えません。でも、事実です。ですから、もし私に何かあったら、カタキはとって下さいね」
そう言ってニッコリ笑うユウリ。
「わかったわ。いつかは、理由も話してくれるわよね？」
「ええ、勿論です。そうだ、手付けとして一つイイコトを教えてあげましょう。セカンドインパクトは、人為的に起こされたモノなんですよ。じゃあ、おやすみなさい」
「！！」
パニック状態のミサトを背に、ユウリは自室へ戻って行った。
翌朝、いつもよりやや遅い時間に目覚めたアスカは、自分が昨日外出した時の服装のままである事に気付いた。
理由を考えようと目を瞑ったその時、昨夜の自分が行った暴挙を思い出した。
一気に青ざめるアスカ。
意を決し、服を着替えたアスカは、リビングへと向かう。
そのアスカの眼に映ったのは、いつも通りの朝食の風景だった。
「あ、おはようアスカ。早く顔洗ってきて、朝御飯食べちゃってよ。今日は、朝からＮＥＲＶへ行かなきゃいけないんだから」
いつも通りのユウリの笑顔が、今日のアスカにはやけに眩しく感じられた。
「そうよ、私の車で一緒に行きましょ」
朝っぱらからビールを飲んでいるミサトが、明るく言う。
それから、アスカを交えて３人で朝御飯を食べた一行は、ミサトのルノーでＮＥＲＶへ向かった。
飲酒運転である事には、ユウリもアスカも言及しようとはしなかった。
「皆のシンクロ率はどうなってる？マヤちゃん」
モニターに映った４人のチルドレンの映像から目を離さずに尋ねるミサト。
「はい、大体いつも通りですね。ここ最近不安定だったアスカ君も、今日は安定しています」
「そう、いい傾向ね。シンクロ率が全てじゃないけど、高いにこした事はないもの」
「そうね。けど、何かあったのかしらね、ユウリとアスカ」
ミサトのコメントにリツコがツッコミを入れる。
「何かって、何よ」
「さあ、そこまでは…。でも、ここ最近のデータを見比べると、今日はいつもと違うのよね。しかも、二人揃って。何かあったと思うのが自然でしょう？」
リツコは、意味ありげな視線をミサトに向けた。
「そうかも知れないわね。それより、もうここらでいいんじゃないの？」
「そうね、本日のテストはここまでとします」
リツコの言葉で周囲の緊張が和らぐ。
その後、チルドレンはブリーフィングルームに集合した。
テストの結果が各自に渡され、簡単な講評が始まる。
アスカは、渡されたテスト結果を無言で見詰めていた。
アスカの数値を表すグラフは、第１０使徒戦以降キープしていた９０代前半から、徐々に下がって現在は８０代前半である。
レイは７０代後半でずっと安定、トウジも少しずつ上昇を続けて現在は６０台後半に到達している。
第１０使徒戦で出した最高記録には及ばないものの、どちらもいい数値であると言えるだろう。
そしてユウリは……３人よりも遥か上の数値で安定していた。
それが真実を知る者と知らぬ者の差なのだろうが、アスカにそんな事が解る筈もない。
「チクショウ…」
そう小さく呟いたアスカは、結果が印刷された紙をグシャリと丸めて捨てた。
その時、緊急警報が鳴り響く。
「使徒！？皆ここで待機してて頂戴、いいわね！」
そう言い放つと、ミサトとリツコは発令所へ向かった。
それから１時間後、ミサトとリツコがブリーフィングルームへ戻ってきた。
「今回の目標はコイツよ」
ミサトの声と共に、スクリーンが点灯する。
そこには、ゼブラ模様の球体が宙に浮かんでいた。
「ミサト、今確か目標って言ったよな。使徒じゃないのか？」
アスカが疑問を口にした。
「勿論、使徒でしょうね。こんなへんてこなモノが他に居たら、見てみたいわ」
「じゃあ、何で使徒って言わないんだよ」
「検出されたパターンは、オレンジ。ＭＡＧＩは、判断を保留しているの」
「ほなら、どないするんでっか？」
「出撃するわ。一機が先行、残りがバックアップ。様子を見つつ、可能なら目標を市外へ誘導します。いいいわね！」
「「「「了解！」」」」
「いい返事ね。それで、先行するパイロットなんだけど…」
「俺がやるぜ！」
一歩前に出て手を上げるアスカ。
「いいわ、アスカにやってもらいます。出撃準備、急いで！」
ミサトの言葉と共に駆け出すチルドレン。
それを見送ったミサトは、発令所へと戻って行った。
出撃した４機のエヴァは、目標へと接近していった。
「くそっ、まだなのかよ…」
アスカは焦っていた。
なんとしても手柄をたてなければ…その思いがアスカを支配していたのだ。
作戦開始ポイントに到着したアスカは、他の三機の位置を確認する。
弐号機以外は、まだ予定のポイントに到着していない。
焦りが募るアスカ。
その焦りが、アスカに行動を起こさせた。
「こちらで足止めだけでもしておくぜ！」
そう言うが早いか駆け出していく弐号機。
思いきりジャンプした弐号機は、ソニックグレイブを振り下ろした。
当たる、そう思った瞬間、目標の姿が消えた。
「パターン青、弐号機の直下です！」
日向の報告が響き渡る。
その声に反応して下を見たアスカの眼に映ったのは、影のようなモノに沈んでいく弐号機の姿だった。
慌ててグレイブを突き刺してみるが、全く手応えが無い。
「何なんだよ、これは！」
叫ぶアスカの耳に、初号機からの通信が聞こえた。
「グレイブをこっちへ向けて！」
見ると、外部電源をパージした初号機が、全速力で駆け寄ってきている。
アスカがグレイブを初号機へ向けて差し出すと、急制動をかけた初号機がグレイブを掴んで弐号機ごと後方へ投げ飛ばした。
着地のショックから回復したアスカが使徒の方を向くと、そこには肩まで影に沈んだ初号機が居た。
弐号機を投げた反動で、広がっていく影に沈みこんだようだ。
思考停止したアスカの両脇を、零号機と参号機が駆け抜ける。
そこへ、ユウリからの通信が入った。
「みんな、下がって！」
「でも、それじゃユウリさんが…」
心配そうなレイ。
「そうやで、ユウリが！」
トウジもレイ同様に心配そうだ。
「駄目…みんなで危険の中に飛び込む必要なんて無いでしょ…」
その言葉を最後に、初号機との通信は途絶えた。
そして、初号機は完全に影に飲み込まれた。
ガン！という音とともに、スチール製のロッカーがへこむ。
アスカが、力任せに殴りつけたせいである。
「チクショウ…チクショウ…チクショウ…」
ブツブツと呟くアスカ。
「…アスカ、落ち着かんかい。まだ、アカンと決まった訳やない。リツコはんらが、ええ知恵出してくれるわい」
それを見かねたトウジがアスカに声を掛けるが、アスカは全く反応しない。
さらに何か言おうとした時、アスカが叫んだ。
「うるせぇ！お前に何が解るってんだよ！いいからほっといてくれよ！！」
叫びつつ、さらにロッカーを殴り続けるアスカ。
ため息をついたトウジは、更衣室を後にした。
すると、丁度隣の更衣室から出てきたレイとかち合う。
「どうしたの？」
「ん？アスカやったら、更衣室の中や。今は、一人にしといたろ。自分でも、どないしてええんか解らへんのやろ」
「そう…」
「そうや。ま、男には色々あるっちゅう事やな」
「よく…解らないわ……」
「気にせんでも、その内解るようになるやろ。ワシかて、オナゴの事はさっぱりなんやから」
「ヒカリさんの事は？」
「さっぱり解らん。せやけど、努力はしとる。解らんかったら、解るように努力したらええんや。それが人間、ちゅうモンや」
「そう…そうね……」
それから１時間後、使徒の分析が終了した為、チルドレン以外のスタッフ一同はブリーフィングルームへ集合した。
「へ！？あの影が使徒の本体？」
ミサトがマヌケな声をあげた。
「そう、直径６６６メートル、厚さ６．６６ナノメートルのね。そして、宙に浮かぶあの球体こそが影なのよ」
そんなミサト対して冷静なリツコ。
「その本体ですが、極薄の空間を内向きのＡＴフィールドで包み込み、内部は『ディラックの海』と呼ばれる虚数空間へ繋がっていると推測されます」
マヤが補足説明を入れた。
「さらに言えば、コアは虚数空間の内部にあると推測されるわ」
リツコがさらに補足する。
「で、初号機の救出方法はあるの？」
理解するのを諦めたのか、ミサトが話題の転換を図る。
「一つだけあるわ。現存する９９２個全てのＮ２爆雷を一斉投下、それからエヴァ３機のＡＴフィールドで使徒の虚数空間に千分の一秒だけ干渉。その一瞬に爆発のエネルギーを全て集中して、虚数空間ごと使徒を破壊します」
「！！……第３新東京市はどうなるの？」
「跡形も無いでしょうね」
「虚数空間に干渉したエヴァは？」
「ＡＴフィールドの強度と退避速度次第では、助かるかもしれないわ」
「初号機は？」
「間違い無く大破するわね」
「ユウリちゃんは？」
「運が良ければ助かるわ」
ミサトの全ての問いに、冷静に答えるリツコ。
「そんな作戦、認められないわ！」
「方法はこれしか無いわよ？それに、これは碇司令の命令でもあるわ」
「そう…最初からユウリちゃんを助ける気は無いのね」
ミサトのその発言に、スタッフの視線がリツコに集中する。
「誰も、そんな事は言っていないわよ」
「昨夜、ユウリちゃんが言ったのよ。『ＮＥＲＶに命を狙われる。不慮の事故で死んだらＮＥＲＶの仕業だから、カタキをとってくれ』てね」
ミサトの言葉で圧力を増した周囲の視線を平然と受け流し、リツコは反撃を試みた。
「初号機が取り込まれてから、既に１時間。その前にケーブルを外して全力稼動しているから、すぐに生命維持モードにチェンジしていたとしてもあと９時間しかバッテリーはもたないわ」
そこまで言ってリツコは室内を見まわし、さらに言葉を続けた。
「あと９時間、その間にこれより安全確実なプランを立案し、なおかつ準備を完了する事が出来るのかしら？」
そう皆に問いかけるリツコの目は、不敵に輝いていた。
まるで、反論できるものならやってみろ、とでも言わんばかりである。
「本作戦の指揮は私がとります、すぐに準備にかかりなさい！」
リツコの宣言で、技術部員が動き始めた。
「リツコ…エヴァって何！？他の機体とパイロットを全て犠牲にしてまで回収しようとする初号機って何なの！！」
「あなたに渡した資料が全てよ」
「嘘ね！」
きっぱりと言いきるミサト。
「私を信じて……くれる訳ないわよね、この状況じゃ」
そう呟いたリツコは、クルリと踵を返すと歩いて行った。
使徒の内部に取り込まれたユウリは、様々な手段で状況を把握しようとした。
しかし、あらゆる計測機器が役に立たず、この空間がどのようになっているのか皆目見当もつかない。
自力脱出を断念したユウリは、救出してくれる事を信じて体力を温存する事にした。
ようは、眠ったのである。
眠りについたユウリは、夢を見ていた。
母の胸に甘えていられた、幼い頃の夢を…。
だが、それは永遠には続かなかった。
突然母の姿が消え、周囲の景色が暗闇へと変化。
ふと顔を上げると、そこには小さくなっていく父の背中。
「待って、お父さん！！」
手を伸ばし、叫ぶユウリ。
だが、そんなユウリの声が届いていないのか、父の背中はどんどん小さくなっていく。
父を追って駆け出すユウリだったが、それでも、父の背中には追いつかない。
やがて、力尽き倒れてしまう。
「待って、お父さん！どうして、どうしてなの！私はいらない子なの！？いらなくなっちゃったの！？」
叫ぶユウリの心に、絶望が広がる。
「いらない！何もいらない！父さんも、私も、この世界も！みんなみんな、もういらない！なくなっちゃえ！みんな、なくなっちゃえ！！」
ユウリの慟哭が、闇に響く。
深い絶望が闇を呼び込み、全ての破滅を願うユウリ。
その衝動はやがて、最も身近な存在、すなわち自分自身へと向かう。
自分自身の体を、メチャクチャに傷付け始めるユウリ。
その手を誰かが優しく止め、ユウリをそっと抱き締める。
深い闇に差し込んだ、一条の光。
その光が、ユウリにはとてつもなく眩しく見えた。
そこで、ユウリは目覚めた。
「何だか、凄くヤな夢見ちゃった……そういえば先生、今頃どうしてるかな…？」
呟いたユウリは、何か違和感を感じた。
いつもより、息苦しい感じがする。
また、ＬＣＬの色が濁っており、血の臭いが強い。
どうやら、バッテリーが残り少ない為にＬＣＬの浄化機能が低下しているようだ。
チラリと時計を見ると、ハァ…とため息をつく。
「私の命もあと数分か…母さん、ゴメンね…。私、もう駄目みたいだよ…」
母や零号機から伝えられた様々な情報、そして何より母と交わした約束が、ユウリの脳裏をよぎる。
「食い止めなきゃいけなかったのに…」
悔しさの滲む口調で呟く。
そして、敬愛する師匠達の顔が、孤児院の子供達の顔が、第３新東京市へ来てから出会った人達の顔が浮かんでは消えていった。
「みんな…ゴメンね……。助けて…あげられないよ…ゴメン…………」
だんだんと意識が薄れていく中、誰かがユウリに語りかけた。
『それでいいの…？本当に…あなたはそれでいいの…？』
「誰…？母さん……？」
そう呟いた瞬間、何かに抱きしめられるような暖かい感覚が全身を包む。
『ここで終わってしまって…あなたはそれでいいの…？』
「私…生きたい…みんなと…一緒に居たい…」
『あなたは、生きたいのね…？』
「うん…だって…まだ…何もやり遂げていないもの…」
『なら、帰りましょう…もとの世界へ…』
ユウリの視界が、眩い光に包まれる。
そして、沈黙していた初号機の目に光が灯った。
「もう、バッテリーが限界です」
マヤが感情を押し殺して報告する。
「爆雷投下、６０秒前」
続いて青葉が。
「エヴァ各機、配置につきました」
そして日向が報告する。
リツコが指示を出そうとしたその時、何かが割れるような音が聞こえた。
「何！？どうしたの！？」
リツコの質問に答えたのはマヤだった。
「使徒に変化！！」
影状の使徒の本体が、メインスクリーンに拡大表示される。
使徒は、まるで水面に張った氷が割れるようにひび割れており、隙間から赤黒い液体が噴き出している。
続いて、空中の球体の方も変化。
グニャリと歪み、波うち、所々にひびが出来ている。
「状況はどうなってるの！？」
今まで傍観者に徹していたミサトが叫んだ。
「不明です、全てのメーターが振りきれています！！」
マヤがそれに答えを返す。
「まだ何もしてないってのに…まさか、ユウリちゃん？」
ミサトの顔に、希望の光が宿る。
「まさか、初号機のエネルギーはゼロなのよ！あり得ないわ！！」
すかさずそれを否定するリツコ。
そうこうするうち、使徒に更なる変化が現れる。
宙に浮かぶ球体から、３対６枚の光の翼が生えたのだ。
６枚の翼は、天に向かって真っ直ぐに伸びていく。
その光景は、ミサトに１５年前の悪夢を思い出させた。
「セカンドインパクト……」
ミサトの呟きに注目が集まる。
ミサトが南極で全滅した調査隊の唯一人の生き残りであることは、この場では周知の事実である。
スタッフの間に絶望感が広がりかけたその時。
翼が生えた球体から、今度は一本の腕が生えてきた。
同じ場所からもう一本の腕が生えると、その腕は球体を裂こうとし始める。
徐々に裂かれていく球体の裂け目から、赤黒い液体が噴き出す。
そして、その裂け目から現れたのは、初号機だった。
『ウオォーーーーーーーーーーーーーーーーーー！！！！！』
凄まじい咆哮が響き渡ると共に、球体が完全に二つに裂けた。
紅に染まった初号機が、地面に降り立つ。
その背には、６枚の光の翼が存在していた。
紅に染まり再び咆哮する初号機の姿は、まさに悪魔の化身そのものであった。
「お、俺達…こんなモンに乗ってんのか……」
アスカが呆然と呟く。
「これが…ホンマのエヴァの力なんか…」
トウジの声にも、明らかな恐怖が滲んでいる。
「私達…私達は、何てモノをコピーしたの……」
そう呟くリツコの身体は、小刻みに震えていた。
再度咆哮する初号機。
その咆哮は、聴く者全ての魂に絶対的な恐怖を刻み込んだ。
シンと静まり返る発令所。
その沈黙を破ったのは、レイだった。
「早くユウリさんを救出しないと！」
その一言で再起動するスタッフ達。
「初号機の状況は？」
ミサトが尋ねる。
「は、はい…活動を停止しました！」
マヤが素早く計器をチェックした。
「ＯＫ！レイ、初号機のプラグを抜いて頂戴。すぐに救護班を向かわせるわ！」
「了解しました、葛城三佐」
滞り無く作業が進み、ユウリは病院に収容された。
スタッフの間に安堵が広がる。
「全ての使徒を倒した後、ＮＥＲＶはエヴァをどうするつもりなのかしら…」
ミサトの呟きは、誰の耳に入る事も無く消えていった。
＜後書き＞
期待して下さっていた皆様（いるのか？）、お待たせしました！
ようやく最新話をお届けする事が出来ました。
これから、ラストに向かって突っ走ります〜！
…という事で？予告通りゼーレの出番はありませんでした。
その割には、ゲンドウが出てますけど。
今回、ユウリの強さの秘密の一端を明かしてみました。
母の存在に気付いていただけでなく、共謀していた訳ですね。
ところで今回、原作だとキスシーンだったんですよね。
色々無い知恵絞ってはみたのですが、どうやってもそうはなりませんでした。
期待された方がいらっしゃるかもしれませんが、アスカがユウリに縋りつくシーンがその代わり、という事で。
さらには、本来ミサトが目立つ筈が、またも目立たず。
次回は、ちょっと出番が増える予定です。
ちなみに、非常に細かい事ですが、使徒の寸法を変更したのは単なる趣味です。
全く意味はありません。
ただ単に、この方が『らしい』かな、と思ったモノで…。
さて、これからユウリはどうなるんでしょうか？
そして、段々と追い詰められていく（自分で追い詰めている）アスカは？
とりあえず、次回はバルディエル戦です。
それでは、次回も広い心でお読み下さい。
遂に明かされた驚愕の事実♪
ゲンちゃんてば、「用済み」になっちゃいましたね。
全ての情報が、実はユイさんにばれていたなんて・・・。
これじゃ、ゲンちゃんの計画が実行されても、近寄ることすら許されそうに
ないですしねぇ・・・まぁ、身から出た錆ですけど。（＾＾；）
ユウリｖｓＮＥＲＶの色が濃くなっていく中、自分のことで手一杯のアスカ。
できれば、ユウリちゃんの助けになって欲しいけど・・・難しいようですね。
落ちると、どんどん泥沼に嵌る性格だし。
次回、バルディエル戦・・・そういえばトウジはエヴァに既に乗ってるけど、
誰が乗ることになるんでしょう？
さて、読まれた人は Ｔ．Ｈ さんに感想と一緒に気力を送って、執筆活動を
がんばってもらいましょー♪