ＥＶＡ初号機が、リフトで地上に射出されると、目の前には第３使徒の姿があった。
思わず緊張するカスミ。
『カスミ、いいわね？』
ミサトの声も、こころなしか固い。
「はっ、はい！」
『最終案全装置解除！　エヴァンゲリオン初号機、リフト・オフ！！』


「碇カスミの戦い」第弐話　見知らぬ、天井
　　　　　　　　　　　　　　　　　作・スニフ



『カスミさん、まずは歩くことを考えて』
「はいっ、リツコさん」
（歩く・・歩く・・）
初号機が、その１歩を踏み出した。
『おおっ』
発令所から歓声が漏れる。
『歩いた！』
リツコの顔にも喜びが浮かんだ。
（歩く・・歩く・・あっ！）
躓いてしまった初号機。その巨体は何の抵抗もなく倒れてしまった。
「いったあ・・」
カスミが情けない声を出しながら振り向くと、そこには第３使徒が間近に迫っていた。
『カスミ、早く立って！』
ミサトの叫ぶ声が聞こえるが、カスミは恐怖にすくんで動けなかった。
第３使徒が初号機の腕を掴む。その痛みはカスミにも伝わった。
「いやぁっ！　痛いよぉ！」
『カスミっ！　掴まれたのはあなたの腕じゃないのよ！？』
「だって、痛いんだもぉん！！」
すでにカスミには余裕が完全になくなっていた。

バキンッ。

鈍い音とともに、初号機の腕がへし折られた。
「きゃあああああああぁぁぁぁ！！」
『カスミ！！』
「痛い、痛いよぉ」
涙を流しながら、ただただ痛がるカスミ。その姿はとても色っぽかった。
（（（（（・・・）））））
妙に興奮する発令所のメンバー。

さらに使徒は初号機の頭部を掴み、掌から光の槍を打ち出した。
「いやああああああぁぁぁ！！」
何度も何度も攻撃は続く。
「ごめんなさぁい。ごめんなさぁい！」
右目を押さえながら、なぜか謝り出すカスミ。
痛みのためにパニックになっているようだ。
「ごめんなさぁいぃ！！」
『カスミ！！』





「はっ」
カスミはベットの上で目を醒ました。のそりと起き出すと、そこは見たことのない病室だった。カスミは力を抜いて、もう一度ベットに横たわった。
天井が視界に入る。
「知らない・・・天井だ」


カスミが病室から抜け出して、廊下の窓から外を見ていると、ストレッチャーに乗せられた、昨日の少女がやって来た。
「あっ、昨日の・・・」
カスミの姿を認めると、レイはわずかに頬を赤らめた。
カスミは迷わず、レイの後を追いかけていった。

レイの病室。看護婦達が出ていって、レイとカスミの２人きりになると、おずおずとカスミは話しかけた。
「あの、自己紹介、まだだよね。私は碇カスミ。あなたは？」
「・・綾波・・レイ・・」
レイはカスミの顔を見つめたままだった。
（また心が暖かくなった。・・・この人といると心が暖かくなる。何故？）
「綾波さんかぁ。よろしくね」
「・・よろしく・・」
カスミはそこで、哀しそうに俯いた。
「あの・・・昨日はゴメンね」
「何故あやまるの？　・・あなたは何も悪いこと、してないわ」
「だって、昨日、綾波さんがケージに連れ出されたのって、私がＥＶＡに乗るのを嫌がったからなの」
「そう・・・でも、気にしないで」
「・・・綾波さんって、優しいね」
（何故？　私が優しい？　違う。この人は私のために泣いてくれた。私を庇って傷付こうとしてくれた。優しいのはこの人。私じゃない）
「ところで綾波さん、なんでそんな大怪我してるの？」
「零号機の起動試験中に事故に遭ったの」
「そう」
（ＥＶＡって危ないんだ・・・）
「綾波さんのお父さんやお母さんは、心配しないの？」
「私に親はいないわ」
「ごっ、ゴメンね」
「何故あやまるの？」
「綾波さん・・・」
（ＥＶＡに乗るのは恐い。昨日みたいな恐い目にはもう遭いたくない。でも・・・、私がＥＶＡに乗るのをやめたら、綾波さん１人になっちゃうんだ。・・・そんなこと、そんなことできないよ！）
掌を堅く握りしめ、決意をするカスミ。
「あの、綾波さん、私、ＥＶＡのパイロット、続けるね。だから、あの、これからは一緒に頑張ろう。ね？　だから、昨日みたいに、無理しちゃ、ダメだよ」
「ＥＶＡに乗るの、嫌では、なかったの？」
「うん・・・。でも、綾波さんと、一緒にいたいんだモン」
カスミが柔らかく微笑みかけると、レイの頬の赤みが増した。
（何？　この気持ち・・・心が騒ぐ感じ。胸が躍るような感じ。嬉しい？　そう、私はこの人といられるのが嬉しいのね）
「・・・あ、ありがと・・」
レイは再び自分の心に向き合った。
（ありがとう。初めての言葉。感謝の言葉・・・あの人にも言ったことないのに）
カスミが満面の笑みを浮かべると、レイは耳まで真っ赤になった。

カスミの背後で、空気が抜けるような音が響いた。
病室の自動ドアが開いたのだ。
カスミが振り向くと、そこにはゲンドウが立っていた。
「あ・・・」
夕べの久しぶりの再会のとき、優しい言葉をかけてくれなかった父に、カスミは声を失った。
「こっ、ここで何をしている」
「あ、あの綾波さんの・・・」
「ここはお前の病室ではない。帰れ」
「ごっ、ゴメンなさい・・」
カスミは肩を落として俯くことしかできなかった。
「じゃ、じゃあ綾波さん、またね」
レイに力のない笑顔を見せると、カスミはその部屋を後にした。
行って欲しくない。レイはそう思うのだが、カスミの寂しげな背中を見つめたまま、その言葉を口にすることはなかった。

カスミが消えると、ゲンドウはレイに向き直った。その顔には笑みが浮かんでいる。
「レイ、大丈夫か？」
声をかけられたレイは、カスミの出ていってしまったドアからゲンドウに視線を移すと、その紅い瞳を見開いた。
（私を・・・見ていない・・・）
それはカスミの優しげな視線に晒されたために気付いてしまった、ゲンドウの視線の本質だった。
（私を・・・見ていたわけでは、なかったのね・・・）
レイの心に、虚しさが募る。
「どうした、レイ？」
「いえ、問題ありません」
「そうか」
安堵の笑みを浮かべるゲンドウ。しかし彼は、レイの瞳が何も映さなくなっていることには気付かなかった。



カスミが診察を終えて、セーラー服に着替えてると、ドアをノックされた。
「はい」
カスミがドアのセキュリティーを解除すると、入ってきたのは見知らぬ初老の男だった。
「あの・・・どちら様ですか？」
「失礼。私はＮＥＲＶ副司令、冬月コウゾウです、カスミ君」
「あっ、あのっ、いつも父がお世話になってます！」
ぺこん、といった感じでお辞儀するカスミ。
（か、可憐だ・・・）
コウゾウの頬は桜色に染まっていた。
「き、君はユイ君に似てるね」
「お母さんに？　副司令は母をご存知なんですか？」
「ああ。昔、私は大学の教授をしていてね、君のお母さんは私の教え子なのだよ」
「そうだったんですか」
カスミは嬉しそうな顔をした。
「うむ。そうだ、君に『副司令』と呼ばせるのは堅苦しい。まったく知らない仲ではないのだからね。どうだろう、君もお母さんと同じように『冬月先生』と呼んではくれないだろうか？」
「はい！　冬月先生」
カスミはにっこりと花のように微笑んだ。
（いやいや、可憐さではすでにユイ君を超えている）
「それで冬月先生、私に何のご用ですか？」
「いや、君にはお詫びとお礼がしたいと思ってね」
「え・・・」
「昨日は随分と怖い思いをさせてしまったようだからな。すまなかった。そして、ありがとう、カスミ君。昨日、君がしたことは、立派なことだったんだよ。君は人類を救ったんだ！」
「あ・・・あ・・・あ」
たちまち涙腺が弛んでしまうカスミ。
少し顔を歪めると、その柔らかそうな頬に涙をいくつも流し始めた。
「どっ、どうしたのかねっ？　カスミ君！！」
思わず慌ててしまうコウゾウ。
「うっ、嬉しくて・・・、さっき、お父さんに会って・・、ひっく・・、でも、何にも言ってくれなかったから・・・えぐ」
嗚咽で、途切れ途切れになりながらも、カスミは言葉を紡いだ。
（はぅ・・・何と可憐な・・・）
「それはすまなかったね。しかし言わずとも、ここにいる人間は皆、君に感謝している。もう一度言わせてもらおう。ありがとう、カスミ君」
「冬月先生ぇ〜！！」
コウゾウに抱きついて泣きじゃくるカスミ。コウゾウの心はすでにあっちの世界に羽ばたいていた。
（もう、死んでも悔いはない・・・）


その後、コウゾウと別れたカスミを迎えにきたのはミサトだった。

「君の住居はこの先の第８ブロックにある」
「ちょっとぉ〜、こんな子に１人暮らしさせるわけぇ〜」
ミサトが保安部員に噛み付いた。
「仕方ないです、ミサトさん。お父さんにとって、私は何だか邪魔みたいだし・・」
寂しそうに微笑むカスミに、ミサトはかける言葉を持たなかった。
「カスミ・・・」


結局カスミは、ミサトに引き取られることになった。
知り合いの家に預けられたときから、勉強部屋を庭に建てられ、家族らしい家族を持ったことのないカスミ。
彼女にはミサトの気持ちが沁み入るようだった。
そう、葛城家に足を踏み入れるまでは・・・。

「何ですか、ここぉ〜！！」
雑然と散らかったキッチンとリビング。そこら中に散らばる、ビールの空き缶とお酒の空き瓶。
冷蔵庫にはビールとおつまみと氷しか入ってなかった。
「はぅぅ。前途多難だよぉ・・・」

「スミちゃん、お料理じょうずねぇ」
「何ですか、スミちゃんって？」
「今考えたあだ名。可愛いっしょ？　私のことも『サトちゃん』って呼んでいいのよ？」
カスミは小さく嘆息した。
「とにかくこれからは、家事は全部、私がやります！　いいですね？」
ミサトにジト目を向けるカスミ。
「あははは〜。よろしくねん♪」
こたえないミサトに、カスミはまたもや溜め息をするしかなかった。
「まあまあ、スミちゃん、ここはもういいからお風呂に入ってきなさい。お風呂は命の洗濯よん」

「わっ。ペンギンがいる！」
お風呂場にペンギンの姿を見て、流石に驚くカスミ。しかしあまり気にせず一緒に入ることにした。
「ふふっ。可愛い」
ペンギンが自分でドアを開け出ていくのを見送ってから、カスミは湯船につかった。
（ミサトさんか・・・いい人だよね？）

自分の部屋に戻ったカスミはベットに横たわり、Ｓ−ＤＡＴを聴きながら天井を見つめた。
（ここも知らない天井だ。・・・当たり前か、この街で知ってるトコなんて、ないもんね）
不意に昨日の記憶が蘇る。




「ごめんなさぁいぃぃ！！」
『カスミ！！』
初号機の右目を貫いた使徒の槍は、さらに初号機の頭部を貫通し、背後の兵装ビルに初号機を縫いつけた。
使徒が光の槍を抜くと、初号機の傷から勢いよく血が吹き出た。
「頭部破損、損害不明！」
「シンクログラフ反転、パルスが逆流していきます」
「パイロット、モニターできません。生死不明！」
「初号機、完全に沈黙！」
オペレーターによって、絶望的状況が次々と報告される。
「作戦中止！　プラグを強制射出して！」
「ダメです、完全に制御不能です！」
「何ですって！！」
ミサトが絶望的な叫び声をあげると、発令所に死のような沈黙が降りた。

と、初号機が、雄叫びをあげて立ち上がった。
「しょ、初号機再起動！　顎部拘束具を自ら引きちぎっています！」
「そんな・・・動けるはずないわ・・・まさか、暴走！？」
リツコの声を聞いたコウゾウが安堵する。
「勝ったな」
使徒に襲いかかる初号機。それは戦いではなく、一方的な殺戮の始まりだった。

理論上の存在であったＡＴフィールドまで展開し、使徒を自爆へと追い込んだ初号機が、その爆発の中から姿を現した。そのエントリー・プラグの中では、カスミが意識を取り戻していた。
ふと、カスミが兵装ビルに映った初号機の姿を見る。初号機の頭部の装甲が落ちた。
潰れた右目の肉が泡立つように膨らむと、そこに新しい瞳が現れる。ＥＶＡ初号機と鏡越しに目が合うカスミ。
「いやあああああああぁぁぁぁ！！」



「カスミ」
気付くと、ミサトがカスミの部屋のふすまを開けていた。
「あなたは人に褒められる立派なことをしたのよ」
しかし夕べの恐怖を思い出してしまったカスミは、答えることができなかった。
「頑張ってね」

（つづく）


後書き

シンちゃん＝スミちゃん。
く、苦しい・・・。

カスミ、レイに大接近です。
彼女は寂しがり屋で甘えん坊で泣き虫で気が弱くて・・・ちょっと情けない女の子ですが、シンジと違い、人に対して心を閉ざしたりはしません。
その辺で、本編と大分変わってくるでしょう。

第２話にして、ゲンドウが自分を見てないことに気がついたレイちゃん♪
暖かい気持ちになれるカスミちゃんへの気持ちに対する自覚も出てきた
ようで今後が楽しみ。
なんとなく既に補完されたかのような冬月先生もいい味出してますよね〜。

さて、読まれた方は、スニフさんに感想と気力を送って、執筆活動を応援しましょー♪