「なぜあんな無茶をしたの？」
第４使徒殲滅の後、ＮＥＲＶのブリーフィングルームでミサトとカスミは対峙していた。ミサトの声に怒りは含まれていない。本来なら命令違反を咎めねばならないのだが、カスミの行動があまりにも異常だったので、取り敢えず事情を聞き出そうとしていた。
「ごめんなさい」
カスミはすっかりうなだれてしまっている。冷静になると、自分は何て事をしてしまったのかと恐ろしくなったのだ。ミサトの命令を無視してしまった。大好きなミサトやコウゾウにまで嫌われてしまったかもしれない。そう考えると、彼女は自分の心が冷たくなるのを感じた。
「今聞きたいのは謝罪の言葉じゃないわ」
『ごめんですむか、われぇ！』
『泣けばすむ、思うな、ボケっ！』
トウジのセリフがフラッシュバックする。カスミは自分が涙を流しているのに気付いて、さらに狼狽えた。
「うっ・・・ううっ・・ひっ・・ごめんなさい」
「カスミ・・・あなたね、今日は心理グラフがぜんぜん安定してなかったわ。何があったのか、教えてくれない？」
「・・・今日、クラスメートに呼び出されて・・・、彼の妹さんが、この前の戦闘で怪我したって・・・、ＥＶＡが・・・滅茶苦茶に暴れたからだって・・・」
「そう・・・、そんなことが・・・」
「私がっ・・・もっと上手にＥＶＡに乗れたら・・・こんなことには、ならなかったのに・・・」
ミサトは小さく溜め息をついた。この子は戦うには優しすぎる。しかしそんな女の子を戦場に送り出してしまったのは、他でもない、自分なのだ。
「カスミ、悪いけど、訓練と実戦を積み重ねないと、そんな急にうまく戦えるようにはならないわ」
「ふっ・・えぐ・・・ひっ」
「今はたっぷり泣いていいから、早く立ち直ってちょうだい」
「ミサトさぁ～～～ん！！」
ミサトがカスミを優しく抱きしめると、カスミはその豊満な胸に縋り付いて泣き出した。

「碇カスミの戦い」第四話　雨、逃げ出した後に
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　作・スニフ

（学校、行きたくない）
カスミはトウジと顔を合わせることを考えると、気が重かった。トウジとケンスケが、昨日の戦闘で恐ろしい目に遭ってしまったのは自業自得なのだが、内罰的な彼女としては自分に非があるように思えてしまう。
学校に向かおうとしているカスミの足は、際限なく重くなっていった。

気付くと、学校とは別な方向にある公園の前に来ていた。時計を見ると、すでに朝のＨＲが始まる時間であった。
（サボろう）
カスミは疲れたような足取りで、公園の木陰の中に消えていった。



「なるほど、そんなことが」
マコトは納得したように頷いた。
「昨日のカスミちゃん、普通じゃなかったですモンね」
マヤは少しうなだれていた。
「カスミちゃんは優しすぎるっす。そのクラスメートって、ただの八つ当たりじゃないっすか！」
ロンゲも憤慨していた。
ＮＥＲＶのブリーフィング・ルーム。ここには留守中のゲンドウを除いた発令所のメンバーが詰めかけ、ミサトから報告を聞いたところだった。
「それを無視できないほど、彼女は優しいのだよ」
コウゾウも小さく嘆息した。
「そうやってみんなが甘やかすからね。だから彼女はいつまで経っても責任感が持てないままなのよ？」
リツコが反論を試みる。この中でカスミに反感を持っているのは自分だけと知りながら・・・。
「先輩、何もわかってません！　カスミちゃんがあんなことしちゃったのは、責任感が強すぎるからじゃないですか！」
マヤの反論に、リツコは歯がみする。
「葛城さん、何とかカスミちゃんを励ますこと出来ませんかね？　パイロットのメンタル・ケアって大事でしょう？」
マコトの言葉は、彼女を心配する者全員の気持ちを代弁している。
「残念ながら、今回私達に出来ることはないわ。『犠牲を考えずに戦え』なんて言ったら、それこそ彼女を傷つけるだけですもの。今度のことは、カスミが自分で立ち直るしかないのよ」
「うむ、葛城君の言うとおりだな。我々は少し見守ってあげるべきだろう」
（たいそうなチルドレンね。流石はあの女の娘ってところかしら）
リツコは自分の心にどす黒い何かが蠢くのをとめられなかった。



次の冾焉Aカスミは学校へは姿を見せなかった。カスミをガードしている保安部員から、彼女が学校をサボってることはとっくにミサトの耳に入っていたが、今は傍観を決め込んでいた。

（早く訓練が始まらないかな）
またビルをたくさん、倒してしまった。そしてパニックによる命令無視。この前の戦闘も、カスミの満足するものではなかった。
今の彼女は、訓練による経験の蓄積だけが縋れるものだったのだ。



その次の日は雨であった。
（今日はどうしよう。公園で時間を潰すことはできないなあ・・）
カスミは気付くと、再開発予定地区に足を踏み入れていた。
人の気配を感じて、傘を上げると、そこには見知った紅い瞳があった。
「綾波さん・・・」



ミサトはＮＥＲＶに出勤しなくてはいけない時間だというのに、まだリビングでだらだらしていた。本当に自分達がカスミにしてやれることはないのだろうか？　ミサトは何度も考えたこの命題に、決着をつけられないでいた。
ふと、玄関のチャイムが鳴った。
「はい？」
そこには２人の少年が立っていた。
少年達も突然現れた美女に驚きを隠せないでいる。
「え～っと、どちら様？」
「はいっ。わし、いや、僕等は碇さんのクラスメートで、鈴原と相田と言います」
「ああっ、初号機のエントリー・プラグに乗った２人？」
「はいっ。その節はとんだご迷惑をかけました！」
「実はあれから碇さんが学校休んでらっしゃるので、気になって見に寄らせてもうたんですが」
「そうなの。心配しないで。あの子は今、ＮＥＲＶの訓練施設にいるだけだから」
「そうやったんですか」
「わざわざありがとう。え～と、相田君と・・」
「鈴原です！　鈴原トウジ！！　どうぞよろしゅう！」
「ありがとうね、鈴原君」
空気の抜ける音とともに、２人の少年の目の前でドアが閉まった。
「これは予想もしなかった事態だね」
「碇のヤツ、あんな美人の上司と同居かい」
来た目的も忘れ、ヤニ下がる２人であった。

ミサトは玄関の壁にもたれ、微かに微笑んでいた。
「馬鹿ね、あの子。学校に行けば、慰めてくれる友達がいるっていうのに」



「ここで・・・何をしてるの？」
レイは、すでにギブスも眼帯も取れたようだ。カスミはそのふたつの紅い瞳から逃れるように俯いたまま、何も答えなかった。
「なぜ学校に来ないの？」
「・・・鈴原君に、会わせる顔がないモン。・・・妹さんを怪我させて、今度は彼に怖い思いをさせちゃった・・・」
「あなたが悪いんじゃないわ」
「・・・・」
「今日も学校へ行かないつもり？」
カスミは小さく頷いた。
「そう・・・。・・この雨の中、どこへ行くつもり？」
「・・・・」
「なら、私の家に来る？」
「え？」
カスミはようやく顔を上げた。

「ここ・・・」
カスミは、あまりの光景に言葉を失った。廃棄寸前のマンション。部屋の壁はコンクリートがむき出しになっている。そこにあるのは、パイプベット、小さなチェスト、冷蔵庫、扉の壊れたクロークのみ。部屋の隅に置いてある段ボール箱には、血のこびり付いた包帯が無造作に投げ込まれていた。カーテン代わりには、黒いビニールがかけてある。心が寒くなるような光景であった。
（綾波さんの保護者って、お父さんって聞いてた。お父さんが綾波さんにこんな生活させてるの？）
しかしレイは別に気にした様子はない。それが余計にカスミを辛くした。レイはベットに腰掛け、カスミを招き入れた。カスミもそれに従って、レイの隣に腰を掛ける。レイが柔らかくカスミの手を握ってきた。
「何が辛いの？」
「・・・ＥＶＡを・・・上手に操れないの・・」
「でもあなたはすでに２体も使徒を倒してる」
「ダメだよっ。誰かを傷つけたら、なんの意味もないよっ」
「人が傷付くのが怖いのね」
「・・・うん・・・」
カスミは床に視線を落としたままだ。
「自分の痛みは我慢できても、人の痛みは自分では我慢できないから」
「・・・そうなのかな・・・」
「あなた以外の人は、心を持ってない？」
「そっ、そんなこと・・・」
「人もまた、自分で痛みを我慢することができるわ」
「綾波さん・・・」
「人は心を持っている。自分で立ち直ろうとする力を持っているわ。あなたは、それが信じられない？」
「・・・私、ひとりよがりなのかな・・・」
レイは握った手に力を込めた。カスミは顔を上げて、レイを見つめる。交錯する紅い瞳と黒い瞳。
「１人で苦しまないで。人は傷ついても、他の人と苦しみを分かち合って、慰め合うことができるわ」
「ふっ・・・ひっく・・・ううっ」
カスミの頬に涙が伝った。その形のいい眉が歪む。
「ダメだよね・・・。鈴原君に怒られたばっかりなのに・・・泣いても何の解決にもならないのに・・・」
「私はあなたの涙が好き。そこに心が見えるもの」
レイはそう言うと、カスミを抱き寄せ、その涙に濡れた頬に優しく口づけた。
「綾波さん・・・」
「私はあなたの側にいたい。・・・この気持ちは迷惑？」
「迷惑じゃ・・・ないよ」
「私はあなたと支え合いたいと願ってる。・・・この気持ちは迷惑？」
「迷惑じゃないっ」
「なら、あなたの苦しみを、私にも分けて欲しい」
「ふえぇぇっ、綾波さぁ～～～ん！！」
カスミは泣いた。レイの柔らかな胸に縋り付いて。レイはただ、カスミの頭を優しくなで続けた。




「じゃあ、ミサトさん、いってきまぁ～っす！」
元気に挨拶していくカスミを見て、ミサトは胸のつかえが取れたような気持ちになっていた。昨日からカスミは立ち直ったらしい。どうやらレイと一緒に学校をサボったらしいのだが、ミサトはカスミがレイと何を話したのかあえて訊かなかった。今回はカスミに任せたのだし、そして何より彼女は立ち直ってくれたのだ。

「おはよう、綾波さん！」
「おはよう」
２人は学校の途中で待ち合わせをして、仲良く手をつないで登校した。
（私はこの人の笑顔が好き。心が暖かくなれる。とても気持ちよくなれるもの）
レイもまた、満たされた気持ちでいっぱいだった。

「転校生、ちょっと話があるんやけど・・・」
教室に着くと、トウジが話しかけてきた。すかさずレイがカスミを庇うように立ちはだかった。
「綾波さん、もう大丈夫だよ。心配しないで」
トウジはカスミを屋上へ連れて行った。そこにはケンスケも、カスミを心配したレイも一緒である。
カスミはぎゅっと、握りこぶしを堅くした。心の準備をするために。だが、トウジの次の行動は、彼女の予想を遙かに超えるものだった。
「スマン、転校生！！」
トウジはいきなり土下座したのだ。
「えっ？　えっ？　ええ～っ！？」
「スマン！　わしはお前が苦しんでるんも知らんと、一方的に責めてもうた。その上命まで助けてもろうて・・・わしは自分が恥ずかしいんや！」
「す、鈴原君・・・」
「ホンマにスマン！！」
トウジは土下座したまま、その頭を地面に擦り付けた。カスミは慌てて、トウジの顔を覗き込むようにしゃがみ込んだ。
「もっ、もういいよぉ、鈴原君！　顔を上げてよぉ。鈴原君の妹さんが怪我したのはホントじゃない！」
「トウジのヤツ、妹にも怒られたんだってさ」
ケンスケがすかさずフォローを入れてくる。
「お前が戦ってくれなかったらさ、オレ達みんな死んでたんだ。トウジのヤツ、妹さんにそう説教されたんだってさ。ホント、小学生に説教されんなっての」
「やっ、やかましわい！」
「そ、そうだったんだ・・・」
２人はゆっくりと立ち上がった。
「お前の苦しみはわしらの苦しみや。・・・わしが言うても説得力あらへんけどな。でもこれからお前んことゴチャゴチャ言うヤツがおってみぃ、わしがパチキかましたるっ！！」
「鈴原君・・・」
カスミの瞳が涙で潤んだ。
「ごっ、ゴメンね。また泣いちゃったよぉ。ゴメンねっ」
「わしはお前の涙、もう嫌いやないで」
「そうそう。碇が泣くのは、優しいからだろ」
「鈴原君、相田君・・・」
カスミはすでに涙をとめられなくなっていた。
「よかったわね」
いつの間にか近づいてきていたレイが、カスミの肩に優しく手を置いた。
「あっ、綾波さぁ～～～ん！！」
カスミはやはり、レイに抱きついて泣きじゃくった。レイも柔らかく抱きしめ返す。
トウジとケンスケは、そんなカスミとレイを優しい眼差しで見守っていた。




「感動っす。何も言うことないっす」
ロンゲは涙が流れるままにしていた。
「やっぱり、壱中に監視カメラを置いたのは正解でしたね」
そう言うマコトの声もかすれている。
「カスミちゃん、良かったね・・ひっく」
マヤもしきりに嗚咽をあげていた。
「青春の日々か。いいものを見せてもらったよ」
コウゾウもハンカチを目に当てていた。
「・・・」
ゲンドウはいつものポーズを崩していないが、サングラスの向こうに光るものが見えるのは気のせいではないだろう。
ＮＥＲＶ本部、いつものブリーフィング・ルーム。妙齢の女性２人を除く発令所のメンバーは、ただ感動に震えていた。
（ったく、どいつもこいつも！）
リツコの機嫌は最悪と言ってもいい。
（こんなことには予算を惜しげなく使って。どういうつもりよっ！）
その中にあって、ミサトの意見だけが理性的であった。

（つづく）


後書き

自分ではこのエピソード気に入ってるんですが、どうだったでしょう。けっこう友情ものって萌えるんですよ。

ミサトが本編より優しくなってます。チルドレンが幸せになるためには、彼女がチルドレン達から逃げないことが大きな条件だと思うんですよね。

さてさて、次回からですが、この話はＬＲＳに突入しちゃいます（Ｓは「スミちゃん」のＳとご理解ください）。つまり、完全百合小説です。もし違う方向性を期待されてる方がいたとしたらすみません。
そういうのお嫌いな人は、ここで読むのをやめちゃった方がいいかも知れません。
そういうのお好きな人は、是非、刮目して待っててください。

感謝の言葉：

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