「ただいまぁ〜」
「・・お、おじゃま、します・・」
今日レイは、学校帰りにミサトとカスミのマンションに寄っていた。カスミに料理を習うためである。カスミとの想いを確かめ合った彼女は『人らしく』あることを願うようになっていた。
カスミもまた、彼女のこの様な変化を喜んだ。別に自分の好みの人間になって欲しいわけではない。カスミは人づてに、彼女に会う前のレイがＥＶＡ以外に興味を持たず、決して人に心を開かなかった少女だったことを聞いていた。だからレイのこの変化が、彼女がこの世界に対して心を開き始めていることの証のように思えたのである。
まだ夕食の準備を始めるのには早い時間だったので、カスミは買ってきた食材を冷蔵庫に入れると、２人分のお茶を用意して、レイを自室に招き入れた。


「碇カスミの戦い」第七話　人の造りしもの
　　　　　　　　　　　　　　　　　　作・スニフ

「・・・ん・・・」
２人はカスミの部屋に入ると、きつく抱き合い、唇を重ねた。お互いの温もりを、その柔らかな唇から受け取ろうとして。
カスミはレイの体温や匂いを感じて、頭の奥が白くなった。お互いの躰のあいだで潰れた胸から甘い感覚が背中に走る。
レイが必要以上にカスミを求めているのは知っていた。しかしカスミは、自分もレイを必要以上に求めていることも、また自覚していた。
（人の温もりに餓えていたのは、私も同じだったんだね・・）
彼女には、母を失った４歳以前の記憶がなかった。カスミの一番古い記憶は、どこかへ去っていく父の背中である。人に愛された記憶がないのは、カスミも同様だったのだ。

ひとときの淡い情事をすませた２人は、カスミのベットに寄り添うように並んで腰を掛けた。レイが甘えるようにカスミの肩に頭を預ける。
カスミの部屋は、シーツもカーテンも白地に赤を基調としたギンガム・チェックで統一されており、実に女の子らしい感じだ。枕元にテディ・ベアのぬいぐるみが置かれているのがカスミらしい。
「この部屋は碇さんの匂いがする。とても安らぐ感じ」
レイの言葉にカスミは眉をひそめた。レイの部屋を思い出したからである。冷たく人の温もりを感じさせない風景。カスミには、その風景がレイがこの世界を拒絶していた名残に思えた。
「綾波さんの部屋は・・・綾波さんの匂いが、しなかったよ・・」
「・・そうかもしれない・・」
「ごっ、ゴメンねっ。変なこと言っちゃった」
「いいわ、本当のことだもの。・・・前は、あの部屋は落ち着く場所だった。でも今はあの部屋にいると寒く感じる。心が冷たくなるの」
レイの部屋が、彼女の生まれた場所の模倣であることを知らないカスミは、なぜレイがあの部屋で落ち着けたのかはわからなかった。しかし今は辛い場所だと認識してくれていることに安堵した。
自分の愛が、と自惚れるつもりはカスミにはないが、それでもレイは確実に変化している。この世界に対して心を開きつつある。カスミは嬉しくなった。
「あのっ、綾波さん、部屋の模様替えするなら、いつでも言ってね。協力するからっ」
「ありがとう」
レイの柔らかな笑顔に、カスミの鼓動が跳ねた。
抜けるように白い肌、彫像のように整った顔立ち、ルビーのような紅い瞳、蒼銀に輝くシャギーの入ったショートヘア。その完璧と思えるほど美しい少女の一番側にいることを許されているのは、確かに自分なのだ。カスミは妙な優越感が沸き上がるのを押さえることができなかった。
「綾波さん、大好き」
「私も。あなたが好き」
２人の少女は、赤い顔のままもう一度軽い口づけを交わすと、夕食の準備に入った。

初めて２人で作ったシチューは、小麦粉を炒めすぎたせいで少し焦げ臭かったが、とても美味しかった。その後帰ってきたミサトにも好評だった。


「今日、ホントに学校に来るんですか？」
「そうよぉ。スミちゃん、私に来て欲しくないのぉ？」
ミサトがわざとらしく哀しいふりをする。今日は壱中の三者面談の日である。
「そっ、そうじゃないです。ただ、ミサトさんも忙しいのに悪いなあと思って」
「平気平気。スミちゃんの学校生活にも興味あるしね」
「はあ」
不意にドアチャイムが鳴った。
「あら、いつものお出迎えよ」
仲良くなって以来、トウジとケンスケは、ミサト目当てにカスミを朝迎えに来るようになっていた。
「ミサトさん、そのままのカッコで出ないでくださいね」
「わぁーってるってば！」
ミサトは起き抜けの、タンクトップにホットパンツというラフな格好のままである。さらには寝癖もついたままだ。
人のいいカスミは、この美女がいつ少年達の夢を壊してしまうかと気が気ではなかった。

準備を終えたカスミが玄関を開ける。
「「おはようございますっ！！」」
トウジとケンスケが元気良く、室内に向かって挨拶した。そこからはミサトの姿は見えないのだが、２人に気にした様子はない。
「じゃ、いってきまぁ〜す」
「いってらっしゃい」
ミサトがダイニングから腕だけを廊下に出して、ひらひらと振った。
「「いってまいります！！」」
２人の少年はそれだけで満足したようだ。

「じゃあ、今日の面談、ミサトさんがくんのか？」
「うん、そうだよ」
「碇っ！　でかしたっ！」
「別に私のおかげじゃないと思うケド・・」
「おっ、綾波や」
「綾波さぁ〜ん、おっはよぉ〜」
「おはよう、碇さん」
カスミがレイに向かって走り出すと、レイは微かに微笑みながら挨拶を返した。毎朝レイとは待ち合わせをするようにしているので、この４人で登校するのがカスミの日課となっている。残念ながらヒカリだけは自宅の方向が違っていた。
カスミとレイは仲良く手をつないで歩き出した。
「綾波もけっこう表情が出てきたよな」
「せやな。ホンマに碇はたいしたやっちゃで」
「あれでもう少し、オレ達とミサトさんの会う機会を増やしてくれると、何も言うことはないんだけどなあ」
「まったくや！」
少年達はあくまでお気楽であった。

うららかな午後の教室。
「何？　碇さんの保護者って、そんなに美人なのかっ！？」
「それだけやあらへん。こう、大人の色気っちゅうか・・」
「スタイルも抜群なんだよ。しかもＮＥＲＶの作戦部長！　才色兼備とはまさにこのことだね！」
「「「おお〜〜〜っ」」」
男子生徒達が、今日逢えるはずの美女の話題に夢中になっていた。
そこに車の爆音が轟く。慌ててカスミが窓の外を見ると、ミサトのルノーが学校の駐車場にスピン・ターンで乗り付けたところだった。
（ミサトさん・・・）
思わず顔に縦線が入ってしまうカスミ。
ルノーのドアが開いてミサトが顔を見せると、男子生徒が騒ぎ出した。トウジとケンスケはすでに窓から身を乗り出している。
「おお〜〜〜っ！」
「ミサトさんやっ！」
「すげぇ！　たまんねぇ！」
「うおおっ。オレもＥＶＡのパイロットになりてぇ！」
「碇さんっ！　オレにもミサトさん、紹介して！」
ミサト教室の窓から生徒が注目していることに気付くと、Ｖサインを送った。トウジとケンスケが嬉しそうにＶサインを返す。
「何よ、アレ。ばっかみたい！」
「はは・・」
ヒカリの吐き捨てたような言葉に、カスミは苦笑するしかなかった。女子生徒も男子の騒ぎを冷たく眺めている。レイだけが、興味なさそうに本を読んでいた。


その日、カスミは各種テストのために１人でＮＥＲＶを訪れていた。
ブリーフィングの最中にマコトが弐号機のことでミサトに報告に来たため、大人達の無駄話が始まってしまった。予算に関する愚痴が話題に上る。
「零号機の胸部生体部品の補修も、追加予算枠ギリギリですしね」
「こりゃ弐号機が来ても、逆に苦しくなるだけかも知れませんよ」
（私が街を壊してばっかだからだ・・・）
カスミは俯いてしまった。
「ホント、せっこいトコねぇ〜。人類の命運をかけてるとは思えないわ」
「仕方ないわ。人はＥＶＡのみに生きるにあらず、よ」
「それじゃ司令は会議？」
「そ。今は機上の人ね」
「司令がいないと、ここも静かでいいですね」
マヤののんきな感想。俯いてるカスミを見て、マコトがマヤを肘でつついた。慌てるマヤ。
「あの、カスミちゃん、そう言う意味じゃないのよ？」
（じゃあ、どんな意味だよ）
心の中で突っ込むマコト。
「あの、いいです、別に気にしないでください」
カスミはマヤに慌てて笑顔を向けた。彼女は本当に父親を知らない。ゲンドウに対して、身内をいう感覚を持てないでいるのだ。
憂いを秘めたカスミの視線に、マヤとマコトの心拍数は跳ね上がっていた。
「使徒に対抗できるのはここしかないんだから、私達が頑張らないとね」
ミサトが取り繕うように話を戻した。
「・・・あの、使徒って何ですか？」
カスミが真剣な表情を大人達に向けた。それに応えたのはリツコだった。
「カスミさん、セカンド・インパクトはなぜ起きたか、知ってる？」
「あ、はい。大質量の隕石が南極に落ちたって、習いました」
「世間ではそう言われてるわね。でも真相は往々にして隠蔽されるものなのよ。・・・我々人類は１５年前、南極で使徒と呼称される存在に初めて遭遇したわ。けどその調査中に使徒は謎の爆発をしてしまったの・・・」
「まさかそれが・・・」
「そう、セカンド・インパクトの真相よ」
「じゃ、私達のやってることって・・・」
「予想されるサード・インパクトを未然に防ぐ。我々はその為に使徒と戦ってるのよ」
（そうだったんだ・・・）
カスミは何やら考え込んでしまった。
リツコは、セカンド・インパクトの話が出て以来、表情の堅くなってしまったミサトに振り向いた。
「ミサト、例のアレ、予定通りやるそうよ」
「そう」
ミサトは短く答える。その表情はさらに堅くなっていた。


そんなある日、カスミがペンペンと朝食をとってると、ＮＥＲＶの制服に身を固めたミサトが、厳しい表情で自室から出てきた。
「わわっ」
普段とは違うミサトに、カスミは慌てた。
「カスミ、今日は旧東京でパーティーに出るから少し遅くなるわ。夕御飯は先に食べてね」
「は、はいっ」
ミサトはカスミに少し微笑むと、厳しい顔に戻って玄関を出ていった。後に残されたカスミとペンペンは、しばらく呆然としていた。

その日の昼休み、カスミはいつものメンバーと屋上で昼食をとっていた。
「碇、ＪＡって知ってるか？」
「うん、農協のことだよね」
「違うよ。日重が作った巨大ロボットだよ」
「何それ？　知らないよ」
「碇、今のええボケやったで」
「碇なら知ってると思ったんだけどな」
「・・・わしは無視かい・・・」
「相田、またそういう話なの？」
「いいだろ、好きなんだから。なんでも対使徒戦用に開発されたものらしいぜ。言ってみりゃ、ＥＶＡのライバルだな。それで今日、それのお披露目パーティーをやってるらしいんだけど・・・」
「へぇ。ＥＶＡ以外にも、そんなの作ってたんだ。じゃ、碇さんと綾波さんがもう危ない目に遭わなくてもいいってこと？」
「そら、ええこっちゃ」
「それはどうかな。ホントに使徒をやっつけられるかわかんないし」
「多分・・・無理だと思う・・・」
「綾波さん？」
「いえ、なんでもないわ」
（そっか。もしかしてミサトさん、今日のパーティーってそれのことだったんだ。それであんなに厳しい顔してたのかな）
会話はそこで途切れてしまった。カスミの携帯に非常召集がかかったためである。


「ええ〜〜〜っ！　暴走っ！？」
「そう。ＪＡってヤツはリアクターを積んでるから危険なんだ」
「そんなの造んないでよぉ」
マコトの報告に、カスミは情けない声をあげることしかできなかった。
「じゃ、カスミちゃん、ミサトさん達が待ってるから、頑張ってな」
「はいっ」
表情を引き締めたカスミに、オペレーターの３人は頬を染めた。
（やっぱり素敵・・・）
（可愛いよなぁ・・・）
（素敵すぎるっす・・・）

カスミを乗せた初号機が、輸送機で旧東京へ空輸されていった。

荒野を駆ける巨大ロボット、ＪＡである。
『カスミ、私がＪＡに取り付いたら、その後はとにかくＪＡの動きを止めていて。万が一のときはフィールドを展開するのを忘れないでね。じゃ、よろしく！』
「はいっ。ミサトさんも気を付けて！」
初号機は防護服を着たミサトを掌に乗せたまま、ＪＡを追って荒野を走った。機動力には雲泥の差がある。あっと言う間に初号機はＪＡに追いついた。ＪＡを掴むと、すかさずハッチにミサトを乗せた右手を近づける。
ハッチの中に消えるミサトを、カスミは祈るような気持ちで見つめた。
（ミサトさんっ！）
それからＪＡの前にまわって動きを止めた。通信機から聞こえるミサトの状況は、芳しくないようだ。あちこちから蒸気を吹き出すＪＡに、カスミの焦りは濃くなっていった。
「ミサトさんっ！　もう、逃げてっ！」
『ダメよ。やれること、やんなきゃね』
ミサトは諦める気はないようだ。そのとき不意にＪＡが止まった。
「止まった！　凄い、やりましたね、ミサトさんっ！」
カスミは顔をほころばせた。だが、ＪＡから出てきたミサトの表情は重かった。疲れでもないようだ。何かある。そう思ったカスミではあったが、寡黙になったミサトから、何も聞き出すことはできなかった。

（ＥＶＡのライバルか・・・。お父さん達にとっては邪魔な存在だよね。・・・完成披露パーティーでいきなり暴走。メルトダウン寸前で停止。確かに出来すぎてる。まさかね・・・）
カスミは自分の想像に背中が凍る思いだった。
さらに彼女の邂逅は続く。
（でも、あんなＡＴフィールドも展開できないようなロボットで使徒と戦えたのかな？）

『多分、無理だと思う』

レイの言葉がよぎる。
（じゃあ、ＥＶＡはなぜＡＴフィールドが使えるの？　ＥＶＡって何？　人の造ったもの。解明できない力を使うもの。・・・お父さんやリツコさんは教えてくれない。ミサトさんは、多分知らない。・・・ＥＶＡって何？）

（つづく）

後書き

少しずつ真実に近づくカスミ。
シリアスに向かう話の中で、トウジとケンスケが清涼剤になってますね。
この２人、本編のように途中退場させるつもりはないので、本編よりも活躍してもらうつもりでいます。もちろん、ヒカリも。

さて、ついに次回からあの娘が登場です。

欠けた心を埋め合わせようとする二人・・・。（ぽっ）
二人の心の補完は順調に進んでいるようですね〜。
レイちゃんも、前向きに自分を変えようと努力するのはいい傾向だし、
カスミちゃんの寂しい気持ち、人を求める気持ちも満たされているし、
いい感じですよね、うん。（＾＾）
それにしても、カスミちゃんてば、賢い、賢い。
真実にたどり着いたとき、彼女がどんな反応をするのか楽しみです。

さて、読まれた方は、スニフさんに感想と気力を送って、執筆活動を応援しましょー♪