「碇カスミの戦い」第拾参話　使徒、侵入
　　　　　　　　　　　　　　　　　作・スニフ

碇カスミの朝は早い。
実質、葛城家の主婦たる彼女の活躍は、中学生とは思えないほどだ。当たり前のように同居人の誰よりも早起きして、朝の用意を始める。
洗顔を済ませたカスミは、可愛らしく欠伸をしながらエプロンを着けると、早速朝食と弁当の用意を始めた。
「あれ？」
そこで冷蔵庫を開けると、ミサトのために残しておいた夕食が手つかずになっているのを発見した。
「ミサトさん、結局泊まり込みだったのかな？」
昨日の夕食はエビフライであった。
「もったいないや。これ、お弁当に入れちゃおう」
そう決め、テキパキと動き回る。以前はレイの分の弁当も作っていたのだが、最近レイが料理を覚えてきたこともあって、今は自分とアスカの分だけを作ればよくなったカスミは、ずいぶんと楽になった。
レイは自分の恋人である。レイの分の弁当を作るのが別に面倒だったわけではない。だが、アスカとはあまりに食べ物の好みが違う、レイの分の弁当も一緒に作っていたころは、かなりメニューで悩んだ覚えがあった。

昨日の内に下ごしらえを済ませているため、弁当作りは滞りなく進んでいった。
カスミが働き回っていると、不意に玄関から物音がした。
「スミちゃん、ただいまぁ〜」
ミサトである。徹夜だったのだろうか、ぐったりと疲れたような足取りでキッチンに入ってきた。
「ミサトさん、お疲れさま」
カスミに優しげに微笑まれると、なんだかそれだけで疲れが癒されるような気がするミサトであった。ジャケットを椅子の背もたれに預けて、ゆったりとそこに座った。
「やっぱ同居人がいるって、いいわねぇ。スミちゃんの顔見たら、疲れが吹っ飛んじゃった」
「ふふっ、おだてたって、何も出ませんよ」
「やぁね〜、おだててんじゃないわよぉ」
そう言って、テーブルに並べてあったお新香をつまむ。
「あっ、ミサトさん！　んもう、お行儀悪いんだから」
そう言って、ぷくっ、と頬を膨らませるカスミ。これではどちらが保護者なのかわからないところである。
「ゴメンゴメン。で、今日の朝御飯、何？」
「塩鮭、焼きますけど、食べますよね？」
「うん、それ食べてから寝るわ」
ミサトが頬杖をついてカスミを眺めていると、彼女も眠いのだろうか、何度も欠伸をしていた。
「あらスミちゃん、寝不足？」
「あ、はい。昨日、本に夢中になっちゃって」
「あらダメよぉ。寝不足はお肌に悪いんだから。夜更かしは美容の天敵よん♪」
「普通、作戦部長さんだったら、美容よりもパイロットの健康云々の話しません？」
ミサトのお姉さんぶった発言に、カスミもイタズラっぽく反撃する。
「ぐっ、言うようになったじゃない、カスミ」
「ふふふっ、だからミサトさんって、大好き」
嬉しそうに笑うカスミに、ミサトは不思議そうな目を向けた。
「何？」
「ミサトさんにとって、私はパイロットである前に、１人の女の子なんだ」
そう言って穏やかに目を細めるカスミに、ミサトは言葉を失った。
「やっぱり、ミサトさんは私のこと、復讐の道具になんかしてないよ？」
「カスミ…」
不意にミサトの視界がぼやけた。
「ば、馬鹿ね……」
「ふふっ」
ミサトは目の辺りを少し擦ると、優しい気持ちでカスミが働き回るのを眺めた。何て優しい子だろう。あの誰にも心を開かなかったレイが、カスミに対してはあっさりと心を開いたのがわかるような気がする。ミサトはとても満たされた気持ちになった。
ミサトは涙腺が弛んでしまったのを誤魔化すように立ち上がった。
「さって、アスカでも起こしてくるか」
「ちゃんとノックしないと怒られちゃいますよ？」
「わぁーってるって！」
ミサトはジャケットを自室に放り込んでからアスカの部屋の前に立った。
「アスカちゃん、朝ですよぉ〜〜」
柱をノックしてから、ふすまを開ける。
「んげっ」
ミサトの奇声に、カスミも何事かとやってきた。そこには、美少女とは思えないような格好で寝こける朱金の髪の少女がいた。
寝苦しかったのだろう、タオルケットは足元に丸めてあった。パジャマはめくり上げられ、臍だけでなく、下着も丸見えになっていた。奇妙なポーズを取り、絶妙なバランスでベットの上に乗っている。もう少し起こすのが遅かったなら、ベットから転げ落ちていたかもしれない。あまつさえ、口元には涎が光っていた。
「この娘、お嫁に行けるのかしら……」
ミサトがポツリとツッコミを入れた。
（ミサトさん、人のこと言えるのかしら……）
カスミも心の中で、そっとツッコミを入れた。

朝食が始まった。ミサトはすでにご機嫌である。彼女達の足元では、ペンペンも一緒に朝食にしていた。
「スミちゃん、このお味噌汁、絶品だわ」
「そうですか？　よかった」
カスミが嬉しそうに微笑む。今ではすっかり日本食に慣れたアスカも、文句を言わずに食べていた。
「今度の休み、みんなでどっか行かない？」
ミサトがいきなり切り出した。さっきの会話のせいだろう、子供達に何かしてあげたい気持ちでいっぱいだった。
「アンタ馬鹿ぁ？　今度の休みは実験じゃん」
「んげっ」
「今度は私、零号機に乗るんですよね？」
「そっか、そうだったわ。うかつだった」
「しっかりしてよね、作戦部長さん」
「な、何よぉ、アスカ。私は作戦部長である前に、１人の女なの」
カスミは拗ねたミサトに少し目を細めたが、すぐに真面目な顔になった。
「それで明日はオート・パイロットの実験やるんですよね。どんなことやるんですか？」
「いやぁ、それが私も知らないのよ」
「何でミサトが知らないわけぇ？」
「実験って、技術課の仕事だからね。私は哀しいことに、蚊帳の外なのよねぇ」
ミサトはおどけてみせたが、その心は重かった。リツコが何やら自分に隠し事をしていることに気付いているからだ。そしてそれは、カスミも同じだった。
（ミサトさんにまで詳細を教えてないなんて……。何のための実験なの？）

昼休みの壱中。カスミはいつものように、レイ、アスカ、ヒカリ、トウジ、ケンスケ達と屋上で弁当を広げた。アスカが来日して以来、この６人で昼食をとるのがカスミの日課になっていた。
「なによカスミ、このエビフライ、昨日の残りじゃん」
「だって残っちゃったんだモン。もったいないじゃない」
「われは料理もせん癖に、ホンマ偉そうやなぁ」
トウジが早速呆れる。
「ふんっ、いいのよ！　カスミはアタシの子分なんだから」
「そうなの？」
レイが小首を傾げた。
「私はそんな覚えないよぉ〜」
なんだか泣きたい気持ちになるカスミ。
「あ〜あ、誰かオレ達にも、弁当作ってくれないかなぁ」
「アンタ等、モテなさそうだもんね」
アスカがニヤリと笑う。
「やかましわいっ。でも、そうやなぁ、わしは味より量で勝負の弁当がええな」
「誰も訊いてない、ってーの」
「鈴原君、食べるもんね」
カスミは柔らかく苦笑した。少し小柄なカスミは、成長期だというのに、未だ常識的な食欲しか持ち合わせていなかった。底の見えないトウジの食欲には、いつも感心させられていたのだ。
少年達が弁当を欲しがってるとき、ヒカリが何かもの言いたげな表情になったのだが、それに気付く者はまだいなかった。
「でも、いい天気よね。どっか行きたいなぁ」
カスミが青空を仰ぐのをみて、ケンスケの目が怪しく光った。
「今度の休みでも、みんなでどっか行かないか？」
努めて爽やかに言っているが、ケンスケの目的はカスミ、レイ、アスカの私服を写真に収めることだった。オーバー・ザ・レインボーの１件で、カスミとアスカの私服を撮影したのだが、その売り上げが思ったより大きいのだ。甘い蜜をもう一度味わいたいとケンスケが願うのも当然のことだろう。
「ゴメンね。今度の休みは、私達訓練なんだ」
本当は実験なのだが、ＥＶＡの機密に関することは守秘義務となっているため、カスミ達はＮＥＲＶの用事をすべて『訓練』と偽っていた。
「何や、大変やなぁ。ＥＶＡのパイロットは休みもなしかい」
「そ。アンタ達暇人とは違うの」
「で、でもお休みの日も、ちゃんとあるんでしょう？　そのときはみんなで遊びに行きましょうよ」
ヒカリが取り繕うように言った。彼女はカスミ達に気を遣っているのか、それとも別な目的があるのか、なぜかその頬は染まっていた。
「うん。ありがと、委員長」

放課後、カスミはレイと手をつないで帰路についた。昼食時の６人は、たまに全員でゲーム・センターや買い物などに繰り出すこともあるが、大体はカスミとレイ、アスカとヒカリ、トウジとケンスケの３つのグループに別れて放課後を過ごすことが多かった。
「綾波さん、今日は和食を作るんだ。あんまりお肉使わないから、よかったら食べにこない？」
「いいの？」
「うんっ」
「なら、私も手伝うから。また、色々教えてくれる？」
「いいよ。えへへっ」

カスミとレイがマンションに着くと、ミサトが出掛けるところであった。
「あれ、ミサトさん。もう行っちゃうんですか？」
「そ、今日も泊まり込みよ。まったくやんなっちゃうわ。スミちゃんのご飯、また食べられないなんて」
「そっか、残念。今日はミサトさんの好きなブリの照り焼きと肉じゃがなのに…」
「あううぅぅ。そんなぁ〜〜」
「じゃ、もしよかったら、明日お弁当にして持って行きましょうか？　どうせミサトさんの分余っちゃうし」
「ホント？　スミちゃん、愛してるっ」
「はは…」
ころりと態度を変えたミサトに、カスミは苦笑した。
「じゃ、行ってきます。レイもゆっくりしてってね」
「はい。では、また明日」
和んだ表情で挨拶を返したレイに、ミサトも相好を崩した。

カスミとレイは２人きりになったキッチンで、夕食の準備を始めた。アスカはまだ帰ってきていない。２人は料理をしながら、何度となく口づけを交わした。甘い時間が流れる。
「そう言えば今度、機体の相互換実験やるんだよね」
「え、ええ…」
「私、零号機とシンクロできるのかな。なんでそんなことやるんだろ」
肉じゃがの味見に夢中になっていたカスミは、レイの体が微かに強張るのに気付けなかった。


「え〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ！！　また脱ぐのぉ〜〜っ！？」
セントラル・ドグマの大深度施設に、アスカの絶叫が響いた。
「ここから先は、超クリーン・ルームですからね。シャワーを浴びて、下着を替えるだけでは済まないのよ」
それをリツコがいさめる。ＮＥＲＶ本部では、今日、オート・パイロットの実験が行われようとしていた。ミサトだけでなく、リツコとマヤも、ＭＡＧＩの定期検診のため徹夜明けだ。チルドレンの３人は、このために学校を休んでいた。
「なんで実験ぐらいで、こんなことしなきゃいけないのよぉ〜」
『時間はただ流れてるだけじゃないわ。ＥＶＡのテクノロジーは日々、進化し続けている。新しいデータは常に必要なのよ』
やがてクリーン・ルームのゲートが開いた。チルドレンの３人は全裸のまま、小さな仕切りのついたスペースにいた。レイは状況を気にせず自然体で立っている。アスカは恥ずかしさを誤魔化すように、逆にいつもの腰に手を当てたポーズでふんぞり返っている。カスミだけが前を隠し、羞恥に頬を染め、モジモジと身悶えしていた。
「ほぉら、お望みの姿になってあげたわよっ。１７回も垢を落とされてねっ！」
『それじゃ３人ともそのままの姿でその部屋を抜け、エントリー・プラグに入ってちょうだい』
「「ええ〜〜〜〜〜〜〜〜っっ！！！！」」
クリーン・ルームのスピーカーからリツコの指示が響くと、カスミとアスカが絶叫した。
「なんでよっ！？」
「そ、そんなぁ」
『大丈夫。映像モニターは切ってあるわ。プライバシーは保護されるから』
「そういう問題じゃないでしょうがっ」
「はぅぅ」
カスミとアスカは諦めたようにプラグに向かった。カスミなどは、恋人の裸に反応する余裕もないほどだ。
レイは平静のままだが、その視線はカスミの華奢な裸身に釘付けであった。
小柄で細身だが、整ったプロポーションは、わずかではあるが女性らしい丸みを帯び始めていた。きめの細かい色白の肌は、どこまでも瑞々しく柔らかそうだ。小振りだが形の整った胸。その中心で微かに色づいた薄桃色の先端。折れそうなほど細い腰の下には、水蜜桃のような形のいいお尻が小さく並んでいた。恥毛はまだ栗色の産毛でしかなく、カスミの成長の遅さを物語っていた。

「流石に３人とも、心拍数が上がってますね」
コンソール・ルームでは、マヤが柔らかく苦笑していた。
「３人？　レイもなの？」
リツコが流石に目を見開く。レイの心拍数が上がった原因はカスミの裸なのだが、流石にリツコもそのことは知らなかった。
「レイちゃんもやっぱり、女の子だったんですね」
「…そう…」
コンソール・ルームには、３人のサーモグラフィで撮影された映像がモニターされていた。マヤの目も、そこに映ったカスミのぼやけた映像に釘付けである。
「あの、先輩、ホントに映像モニター使えないんですか？」
「……見たいの？」
思わずリツコのこめかみが引きつる。
「まっ、まさか。あは、あはははは…」
マヤの乾いた笑いに、ミサトとリツコは溜め息しか出なかった。
「シミュレーション・プラグを挿入」
「システム、模擬体と接続します」
そんな中でも作業は進んでいった。模擬体と呼ばれるそれは、頭部のないＥＶＡのようであり、溶液で満たされた実験室の壁と無数のパイプやコードでつながれていた。

実験が始まった。このテストはプラグ・スーツの補助なしに、肉体から直接ハーモニクスを行うというものであった。
「どう？　気分は」
『何か、違うわ』
『うん。いつもと違うカンジがするね』
『感覚がおかしいのよ。右手だけがはっきりしてて、あとはぼやけたカンジ』
その後、模擬体経由で、シミュレーション・プラグはＥＶＡと接続された。発生するＡＴフィールド。と、コンソール・ルームに警報が響き渡った。
「何っ！？」
「シグマユニットＡフロアに汚染警報発令！」
「第８７タンパク壁が劣化、発熱しています！」
「第６パイプにも異常発生！」
「タンパク壁の浸食部が増殖しています。爆発的スピードです！」
（大事な実験なのに……）
リツコは歯がみしたが、決断は早かった。
「実験中止！　第６パイプを緊急閉鎖！　シミュレーション・プラグを緊急排出してっ」

施設の浸食をとめるために色々な策が講じられていく。しかし汚染のスピードは下がらなかった。最後、レーザーで浸食部を焼こうとしたとき、そこにレーザーを跳ね返す朱金の壁が発生した。
「ＡＴフィールドっ！？」
「まさか……使徒っ！？」
第１１使徒。それは細菌サイズの、マイクロ・マシン型の使徒であった。

その後、使徒は増殖を続け、知能回路を形成するに至った。ＭＡＧＩをハッキングして、自立自爆決議をさせるためである。
第１１使徒との戦いにはＥＶＡは使われず、リツコの手によって殲滅された。ＭＡＧＩをハッキングした使徒に対して、逆に自滅促進プログラムの送り込んだのであった。
使徒の殲滅では、リツコの活躍もさることながら、オペレーター３人の鬼気迫る働きぶりも光っていた。
（カスミちゃん、全裸のままで地底湖に浮いてるんだよな。早く行って助けなきゃ！）
（裸のままじゃ心細いでしょうね、カスミちゃん。今、助けに行くからね。……カスミちゃんの裸……とにかく早く行かなきゃ！）
（こんな使徒、早くやっつけるっす！　そんでカスミちゃんを助けに行くっす！　べ、別にカスミちゃんの裸が目的なわけじゃないっす！　純粋に助けたいだけっす！　って、俺は誰に言い訳してるんすかああぁぁぁ〜〜〜っ！？）
彼等の後ろでは、その働きぶりに、実状を知らない上官達が満足そうに頷いていた。


その頃、地底湖に打ち上げられたシミュレーション・プラグの中では、カスミ達が途方に暮れていた。通信機も使えなくなっているため、外の様子がまったくわからない。
「んもうっ、どうなってんのよっ！？」
アスカの怒鳴り声を聞くものもいなかった。
「はぅぅ。何が起こってるのぉ？」
カスミは誰も見ていないというのに、恥ずかしそうに前を隠したままであった。と、不意にハッチから何やら音がした。
「！？」
ガチャガチャと音を響かせた後、ハッチが開いた。カスミのいるプラグ内に光が射す。
「「「大丈夫（か）っ！？　カスミちゃんっ！！」」」
カスミを迎えに来たのは、オペレーターの３人であった。なぜか彼等の頬は、真っ赤に染まっていた。その姿を認めると、カスミの顔が絶望に歪み、前を隠す腕に力がこもった。
「いやああああぁぁぁ〜〜〜〜っ！！　見ないでえええぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ！！！！」
ジオフロントの地底湖に、カスミの情けない絶叫がこだました。


「くわぁ〜〜、もう、最高っ！」
一仕事を終えたミサトとリツコは、リツコの研究室で休憩にしていた。ミサトはカスミの弁当に舌鼓を打っている。
「あの娘、そんなのも作れたのね」
「スミちゃん、こういうの得意なのよ」
「そう」
「普通、中学生ならハンバーグとかカレーとか好きでしょ？　でもあの娘は、こういう家庭料理の方が得意なのよね」
「……」
「きっと、家族の愛情に飢えてるのね……」
ミサトが哀しげに目を伏せた。
「そう。……そうね、きっと」
リツコもそっと目を伏せる。その声色には、いつものカスミが知っているような冷たさは、なかった。

（つづく）

後書き

使徒戦の描写、思いっ切り端折ってしまいました。申し訳ないっす。
いやあ、だって今回、チルドレンの活躍ないし（＾＾；
リツコさんには後々、別な活躍の場を設けるつもりなんで許してくだされ。

さて、そろそろお気づきかもしれませんが、オペレーターの３人の中では、マコトが１番まともな性格に設定されてます。ま、あくまであの中では、という条件付きですが。

感謝の言葉：

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