（これは私。
この物体が私。
私を作っている形。
でも、自分が自分でない感じ。
とてもヘン。

体が溶けていく感じ。
私のかたちが消えていく。
私がわからなくなる。

他の人を感じる。
誰かいるの？　この先に。
……碇さん？

あなた、誰？
あなた、だれ？
アナタ、ダレ……？）

「どう？　レイ。初めて乗った初号機は？」
『…碇さんの匂いがする』
ＮＥＲＶ本部の実験室。今はレイによる初号機の起動実験が行われていた。機体の相互換実験である。
「シンクロ率は、ほぼ零号機のときと変わらないわね」
「パーソナル・パターンもほぼ酷似してますからね。初号機と零号機は」
「だからこそシンクロ可能なのよ」
実験室のコンソール・ルームでは、リツコとマヤの会話を、ミサトが鋭い目つきで伺っていた。


「碇カスミの戦い」第拾四話　ゼーレ、魂の座
　　　　　　　　　　　　　　　作・スニフ


カスミによる零号機の起動実験が始められた。アスカによる弐号機の連動試験も同時である。コンソール・ルームには、初号機の起動実験が終わったレイも姿を見せていた。
「どう？　カスミさん。零号機の感想は」
『いつもと違いますね。何だか……綾波さんの匂いがします』
『ふ〜ん、匂いねぇ……』
「アスカ、ノイズが混じるから、零号機との通信は切って」
『はいはい。……ところでさぁ、アタシはその実験に参加しなくていいわけ？』
「アスカはどうせ、弐号機以外、乗るつもりはないんでしょ？」
『そりゃそうだけどさぁ』
アスカをなだめたミサトは、すぐに真面目な顔付きに戻った。
（確かに弐号機の互換性、ないわね。弐号機が特別なのか、初号機と零号機が特別なのか……。そもそもこの実験の意義は何？　機体やパイロットを失ったときの備え？　それにしては………）
ミサトがリツコを伺うと、何やらマヤと小声で話しているところであった。
「いい数値ね。これであの計画を実行できるわ」
「ダミー・システムですか？　先輩の前ですが、私はあまり…」
「感心しないのはわかるわ。でも常に備えは必要なのよ。人が生きてくためにはね」
「先輩を尊敬してますし、自分の仕事はします。でも、納得はできません」
「潔癖性ね。この先辛いわよ、人の間で生きてくのが……。『汚れた』と感じたときわかるわ、それが」
そう言うリツコの顔には、何の表情も表れていない。マヤは不快な表情のまま、リツコから目を逸らした。

零号機の起動準備は次々と整えられていく。そんな中、カスミが突然、頭を押さえて苦しみだした。
（何コレ？　頭の中に何か入ってくる。頭に直接……）
カスミの脳裏に、次々とレイのイメージが浮かぶ。
包帯姿のレイ。
プラグ・スーツ姿のレイ。
壱中の制服を着たレイ。
無表情のレイ。
頬を染めて微笑むレイ。
ゲンドウに迷惑そうな顔を向けるレイ。
（何コレ？　綾波さん？　綾波さんだよね、このカンジ）
やがてそれは、現実離れしたレイの姿に変わっていった。
実験室のような部屋で、裸のまま体育座りをしているレイ。
ＬＣＬで満たされた水槽に、無数に浮かぶレイの体。
そして胎児のようなレイが現れ、不気味に目を見開いて笑った。
（何コレ、何コレ？　綾波さん？　これも綾波さんなの？　…違う。誰？　だれ？　アナタ、ダレ？）

「パイロットの神経パルスに異常発生！」
「精神汚染、始まってます！」
「ＥＶＡからの浸食です！」
零号機がいきなりもがきだし、コンソール・ルームに緊張が走った。
「そんな、暴走！？　電源、カットして！」
外部電源をカットされても、内部電源があるため、すぐにＥＶＡがとまるわけではない。零号機は無理矢理拘束を逃れると、苦しそうに頭を押さえた。コンソール・ルームで作業員達が慌てる中、レイだけが無表情に零号機を眺めている。
やがて零号機は、コンソール・ルームの窓を目掛けて殴り始めた。実験室の分厚いガラスにひびが入る。それでもレイは逃げだそうとはしなかった。
「レイ、逃げなさいっ！！」
ミサトの怒鳴り声も、レイの耳には入らなかった。いつもの無表情でいるため、レイの膝が恐怖に震えているのを、誰も気付かなかった。
（碇さんに……私の秘密を知られてしまった……）
レイの頬はすでに真っ青になっていた。彼女はまさに絶望の淵に立たされているのだ。

コンソール・ルームの窓を滅茶苦茶にした後、零号機は電源切れで活動を停止させた。
「パイロットの救出、急いでっ！！」
ミサトは素速く指示をした後、零号機の巨体を睨み付けた。
（まさか、レイを殺そうとしたの？　零号機が………）

「今回の零号機の事件、先の暴走事故と関係あるの？」
誰もいないブリーフィング・ルームで、ミサトとリツコは対峙していた。その２人の表情は堅い。
「今はまだ、何とも言えないわ。ただ早急にレイによる零号機の起動実験、シンクロ・テストが必要ね」
「そんなことより、カスミの精神汚染、ホントに大丈夫なんでしょうね？」
「先程、病院から連絡があったわ。脳波には問題ないそうよ」
「なら結構。レイのシンクロ・テストの件はそちらに任せるわ、赤木博士」
「わかってるわ、葛城三佐」
ミサトが退室した後も、リツコの表情は堅いままだった。
（零号機が殴りたかったのは私ね、間違いなく）
そして携帯の端末を持って病院に向かった。カスミを尋問するためである。その表情はさらに強張り、瞳は冷たく光っていた。
（このままではダミー・システムに支障が生じる。あの娘に何があったのか訊かないと……）

カスミは広い病室の中央にたった１人で寝かされていた。その姿はあまりにも儚げであった。
リツコは椅子をベッドのかたわらに置いて、そこに座った。端末を膝の上に乗せ、カスミの顔をマジマジと眺めた。
（やはり、似ている…）
リツコはカスミをずっと憎んでいた。ゲンドウはリツコの体を抱きながら、その顔を見てはいなかった。レイに、そしてカスミに面影を残した、あの女しか見ていないとリツコは感じていた。
カスミは苦悶の表情を浮かべて眠っている。リツコは立ち上がると、そっとカスミに両手を伸ばした。その手はやがて、カスミの細い首に絡んでいった。
「お母さん…」
カスミの弱々しい寝言。リツコの意識は一気に覚醒した。カスミの首を絞めようとしていた手を慌てて引っ込める。
（私、何をしようとしていたの？）
「お母さん…」
再びカスミの切なげな寝言。その目の端には涙が盛り上がっている。リツコは心臓を締め付けられたような気がした。
まだ幼さを残した顔立ちと華奢な体躯。細い肩も、薄い胸も、どこまでも頼りなく見えた。
リツコはカスミの表情を思い出していた。リツコに疎まれていることを勘づいているのだろう。カスミはリツコの前では脅えた目で、おどおどしてばかりだった。リツコの冷たい声色に、カスミは何度となく捨てられた仔犬のような寂しげな表情を見せた。リツコの胸に切ない気持ちがよぎる。
「私は……何を馬鹿なことをしているの……」
リツコは再びおずおずとカスミに手を伸ばし、その柔らかな頬をなでた。するとカスミから苦悶の表情が消え、頬に笑みが浮かんだ。リツコの体が震える。
「お母さん…」
カスミの寝言は、どこか嬉しげだった。リツコの目が涙で滲んだ。
「ごめんなさい……カスミ……ごめんなさい……」
リツコはカスミの頬を撫でたまま、しばらく弱々しい嗚咽を繰り返していた。

「予定外の使徒侵入。その事実を知った人類補完委員会による突き上げか」
２人きりの司令執務室。コウゾウがゲンドウの横で詰め将棋をしていた。ゲンドウは先程まで会議に出席していたのだ。
「切り札はすべてこちらが擁している。彼等は何もできんよ」
「だからといって焦らすこともあるまい。今ゼーレが乗り出すと面倒だぞ、色々とな」
「わかっている。すべて我々のシナリオ通りだ。問題ない」
「アダム計画はどうなんだ？」
「順調だ。すでにダミーのデータは揃えてある」
「ロンギヌスの槍は？」
「予定通りだ。作業はレイが行っている」
（碇、レイにこだわりすぎだな…）
コウゾウが鋭い目でゲンドウを伺う。
「ところでレイは、カスミ君とずいぶん仲がいいみたいだな」
「ああ。カスミにとって、レイは初めての親友だろう」
カスミの身上調査書では、カスミが愛情だけでなく、友情にも縁の薄い生活をしてきたことが記されていた。
「レイの事実を知ったら、カスミ君は我々を許さないだろうな」
（冬月、カスミにこだわりすぎだな…）

ターミナル・ドグマの通路を、零号機がゆっくりと歩いていく。その手にしているのは、コウゾウが『ロンギヌスの槍』と呼んだ、赤黒い２又の槍であった。
零号機の中のレイは、完全な無表情になっていた。それはまるで、カスミに出逢う前の彼女のようだった。

「………ん………」
リツコがカスミの病室を訪れて１時間、カスミの薄い瞼が震えた。リツコは慌てて目元を拭った。カスミの瞼がゆっくりと持ち上がる。
「あれ……リツコさん？」
「おはよう、カスミ。大丈夫かしら？」
「……え……？」
「あなたを乗せた零号機が暴走しちゃったの。覚えてない？」
カスミはゆっくりと天井を仰ぎ見た。
「そっか、私、零号機に乗ったんだ…」
そんなカスミに、リツコは穏やかに微笑んだ。
「記憶の混乱はないようね。検査は明日します。今日はゆっくりここで休んでちょうだい」
「はい……」
携帯の端末を持って立ち上がったリツコを見上げるカスミ。いつもと違い優しげなリツコに、カスミは不思議そうな顔をした。
「じゃ、私は行くわね。カスミ、おやすみなさい」
「おやすみなさい、リツコさん」
リツコは穏やかに目を細めてから退室した。カスミは不思議そうにリツコの出ていったドアを眺めていたが、何かを思い出すと、再び天井を見上げた。
（綾波さんは……ヒトじゃなかった……）


次の日、カスミは検査のため、３時間目から登校した。しかしそこにレイの姿はなかった。
「あれ？　委員長、綾波さんは？」
「今日は休みよ。ＮＥＲＶの用事じゃないの？」
（そんなの……聞いてない……）
カスミはその日、ほとんど授業を聞かずに、考え事をしながら過ごした。
（どんな顔で綾波さんに逢えばいい？　何を話せばいいの？）
カスミの脳裏に、零号機の中で見たイメージが蘇る。
（惣流さん、私と綾波さんが似てるって言ってたっけ。……だとしたら、綾波さんは……私のお母さんの遺伝情報を元に造られたのかな？　……お父さんに造られた命。お父さんは、綾波さんで何をしようとしてるの？）
そしてゲンドウに、疎ましそうな目を向けるレイを思い出した。
（綾波さん、だからあんな顔してたのかな？　……綾波さんが零号機を暴走させたのって、アレを見たから？）
放課後、カスミはもの凄い勢いで教室を飛び出した。
（だったら、そのことで１番苦しんでるのは誰？　綾波さんじゃない！　私は何をしてるの？　綾波さんが苦しんでるとき側にいてあげなくて、こんなの恋人って言える？）

『私には、他に何もないもの…』

カスミは、いつかレイが言ったセリフをフラッシュ・バックさせていた。

レイの部屋の前、カスミは肩で息をしていた。学校からほとんど走ってきたせいだ。
（綾波さんは……多分、私が知ったことに気付いたんだ。だから、私を避けてるんだ）
震える指でドア・チャイムを押した。
「……誰？」
しばらくして、閉じられたままのドアの向こうから返事が返ってきた。
「私だよ、カスミ。ここを開けて」
「……帰って……」
レイの冷たい声色に、カスミの頭の奥が熱くなった。苦い焦燥感が募る。
「ヤダよっ。お願い、ここを開けてよっ！」
「……何故？」
レイの声が少し震えていたのを、カスミは気付く余裕すらなくなっていた。
「綾波さんに逢いたいんだモンっ」
「……私は逢いたくないわ。だから、帰って……」
「ヤダっ。絶対ヤダっ！　綾波さんがここ開けてくれるまで、私、動かないからねっ」
「………」
やがてドアが、弱々しく開けられた。パジャマを着たレイは、無表情のままであった。カスミから明らかに目を逸らしている。
「……何？」
「中、入ってもいい？」
「……かまわないわ」
そう応えたレイは無表情のままで、それがカスミの胸を締め付けた。
「綾波さん……私のこと、嫌いになったの？」
驚いてレイがカスミを見遣ると、そこには脅えた目があった。
（何故？）
カスミは拒絶されることに脅えていた。そう感じたレイは混乱する。カスミが秘密を知ったとき、捨てられるのはレイだったはずだ。カスミの脅えた表情に、レイは思わず怯んでしまった。
「嫌いになんか……ならないわ……」
レイがそう答えると、カスミが弾かれたように抱きついてきた。目を見開くレイ。
「よかった………よかった！　綾波さんに嫌われたら、どうしようかと思っちゃった……」
カスミの声はかすれていた。レイはカスミをベットに座らせると、その小さく震える背中をなでて落ち着かせてやった。
「綾波さん……私、零号機の中で、綾波さんに逢ったよ…」
（やはり……知ってしまったのね……）
レイは視界が暗闇に閉ざされたような気持ちになった。哀しげに顔を俯かせる。
「綾波さんが零号機を暴走させちゃったのって、アレのせいだったんだね。……私、綾波さんの秘密を知っちゃったんだね……」
心が固くなる。レイの表情は、すでに何の感情も伺えなくなっていた。
「…そう、私は、ヒトではないわ…。あなたとは、違う存在なの……」
「そんなことないよっ！！」
「碇さん？」
レイは弾かれたようにカスミを見た。交錯する紅い瞳と黒い瞳。不意にカスミの柔らかな頬に涙が伝った。レイは再び混乱する。
「綾波さんは何で苦しいの？　心があるからじゃないっ。ちゃんと生きてて、心があって。……綾波さんは私達と何も変わらないよ？　生まれ方がどうであれ、綾波さんは、綾波さんだよ。私が好きになった綾波さんだよ！」
「碇さん…」
「お願いだから、そんな哀しいこと言わないでよ。私から逃げたりしないでよ！」
「でも…」
「綾波さん……ずっと苦しんでたんだよね。……ゴメンね、私、頼りにならない恋人だね。私、ずっと綾波さんに甘えてばかりだった。ゴメンね……ゴメンね」
涙を流して謝罪するカスミに、レイは言葉を失った。カスミはかすれた声のまま、一生懸命に言葉を紡いでいく。
「ゴメン、ゴメンね………でも、それでも綾波さんが好きなの。ずっと側にいたいの。お願いだから、１人でなんか苦しまないで！」
「……」
「いつか、言ってくれたよね、私と支え合いたいって。私も同じだよ？　私にも、綾波さんの苦しみを分けてよぉ……」
カスミの泣きじゃくる姿を見て、レイの魂が震えた。カスミはこんなにも一心にレイを求めていたのだ。胸が熱くなり、何かがこみ上げようとしていた。レイの白磁の頬に、幾筋もの涙が流れていく。
「私……いいの？　あなたの側にいることを願っても、いいの？」
「違うよ、私が綾波さんの側にいたいんだよ？　……こんなに、こんなに好きなのに……。酷いよ。私から逃げないでよぉ……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
２人は涙に濡れたままの顔を近づけ、強く互いの唇を求め合った。貪り合うような口づけ。それは涙の味がした。
「……大好きだよ、綾波さん」
「私も。碇さんが大好き」
カスミとレイは涙を流したまま、切ない気持ちに突き動かされるように、さらに唇を重ねた。柔らかな温もり。甘い口づけの味。それは２人の少女の心を満たすのに、十分なものだった。

「綾波さんは、お父さんに生み出されたんだよね」
「ええ」
「お父さんは、綾波さんに何をさせるつもりなの？」
「魂の解放……」
「魂の解放？」
「ごめんなさい。私にもまだ、詳しいことは知らされていないわ」
「そっか。……私、お父さんと戦うよ」
レイが驚いてカスミに振り返ると、そこには固い決意をした少女がいた。
「私、お父さんと戦う。綾波さんは、私が守るんだ！」
レイはカスミのこんな強さを知らなかった。出逢ったばかりのカスミは、いつも何かに脅えておどおどしてばかりいた。レイはそんなカスミの弱ささえ愛していた。
しかし目の前の少女は、強い意志をその瞳に宿している。カスミはＥＶＡに乗り、人々と触れ合い、愛されていく内に、このような力強さを秘めるようになっていた。そのカスミを強くした原因のひとつは、明らかにレイと愛し愛された日々なのだ。
レイの魂が再び震える。レイはこんな歓喜に満ちた気持ちを知らなかった。
だからこそ、レイの胸にも力強い決意が生まれた。
「私も……私も戦うわ」
「綾波さん？」
「私、ヒトとして生きたい。人間でいたい。碇さんと一緒にいたい。私は……碇司令の人形じゃない」
「綾波さんっ！」
カスミは弾かれるように、レイの華奢な体を抱きしめた。
「一緒に戦おう。絶対、絶対、綾波さんのことは、私が守ってあげる！」
「ありがとう………ありがとう……」
２人の少女は、互いの体を抱きしめ合いながら、支え合うことの甘美さを味わった。２人の魂は、出逢ったときからずっと寄り添ってきたのだ。
カスミとレイは運命を想う。自分の腕に抱いた、愛する少女と出逢えたことの運命を。それは長く孤独な人生の中でやっとめぐり会えた、自分の魂の半身だった。

（つづく）

後書き

カスミ、ついにレイの秘密を知っちゃいましたね。この話は、レイにカスミに告白させるか、カスミに自分で気付かせるか悩みました。
リツコも変化し始めました。ここから本編とは大分違う話になっていくと思います。

では次回予告。

ゲンドウと戦う決意をしたカスミとレイは、釘バット、鉄パイプ、バタフライ・ナイフを持参して司令執務室に向かった。
次回、第拾伍話『嘘と沈黙』

っていうか、この予告が嘘（＾＾；

感謝の言葉：

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