壱中の掃除の時間、ヒカリがアスカを廊下に連れ出していた。
「明日、何か予定ある？」
「別に。加持さんにどっか連れてってもらおうと思ったのにさ、ここんとこ、ずっといないのよねぇ〜」
「だったらデート、してみない？」
「デートぉ？　ヒカリと？」
「ち、違うわよっ。コダマお姉ちゃんの知り合いなんだけど、どうしても紹介してくれって頼まれちゃったのよ。お願い、アスカ」
「う〜ん……」

「碇カスミの戦い」第拾伍話　嘘と沈黙
　　　　　　　　　　　　　　　作・スニフ


その日の帰り、カスミとレイはいつものように手をつないで帰った。
「明日のお墓参り、綾波さんも呼ばれてるんだよね」
「ええ」
「綾波さんも、毎年行ってるの？」
「いいえ。いつもあの人が墓前に立つのを、ＶＴＯＬの中から見ていただけ」
「そっか」
明日はカスミの母、碇ユイの命日である。カスミとレイは、ゲンドウから墓参りに同行することを命じられていた。
「お父さんは、毎年お母さんのお墓参りしてたんだ……」
「ええ」
（少なくてもお父さんは、今でもお母さんを愛してるんだね……）
複雑な感情に、カスミは眉を寄せた。


その日、葛城家は休日だというのに朝からバタバタしていた。カスミは母の墓参り、アスカはデート、ミサトは友人の結婚式に、それぞれ出掛けるためである。
カスミは他の２人が騒いでいる声をバックに、朝食の用意をしていた。何しろ制服で出掛けるカスミとは違い、アスカとミサトはお洒落に手を抜けない状況だ。
「ねぇ、いいじゃんいいじゃん、あのラベンダーの香水、貸してよぉ〜」
「ダメよ、アスカにはまだ早すぎるわ」
「ちぇ〜、ケチぃ」
「アスカ、私の目を見なさい」
「な、何よ」
「そんなに大切な相手なの？　それなら貸してあげるけど」
ミサトの真剣な表情に、アスカはプイッ、と目を逸らした。小さく嘆息するミサト。
「じゃ、やっぱりダメ。あなたは背伸びするには早すぎるわ」
「はいはい、わかったわよぉ」
アスカに香水をつけることを諦めさせたミサトは、カスミのところにやってきた。
「カスミ、今日、大丈夫？」
「何がですか？」
「お父さんとのわだかまり、解けそう？」
穏やかに微笑んではいるが、ミサトの目には心配の２文字が宿っていた。カスミの心に、先日レイと交わした決意の想いが浮かぶ。
「大丈夫です。私もう、お父さんから逃げるのやめました」
カスミの力強さに、ミサトは少し驚いてから、ゆっくりと笑顔になった。
「そう。……頑張ってね」
そして３人はペンペンに留守番をさせて、ミサトのマンションを後にした。

ＮＥＲＶのヘリポートには、これからカスミ達が乗り込むＶＴＯＬ機がエンジンを暖めているところであった。その前にはレイとゲンドウが立っている。カスミはまだ来ていなかった。
「レイ」
「はい」
「カスミとは仲良くやっているようだな」
「……はい……」
レイは訝しげな目でゲンドウを伺った。ゲンドウとは、いつもに仕事に関することしか話をしたことがない。それはいきなりの話題のようにレイには感じられた。
「レイ、カスミを頼む」
「……え……」
レイが弾かれるようにゲンドウを振り返ると、そこには優しげに微笑む顔があった。
「アレは人に愛されたことがない。だから、よろしく頼む」
勝手な言い分である。愛さなかったのは誰なのか。レイでなかったら、ゲンドウを糾弾していたかもしれない。しかしレイは混乱したまま、何も考えられなかった。
「…どういう、ことでしょう？」
「私は計画をやめるつもりだ。………レイ、人として生きろ。そしてカスミを支えてやってくれ」
レイは、ゲンドウの目に自分の姿がはっきりと映されているのを感じて、はっとした。
ゲンドウを疎ましく思うようになって以来、レイもまた、ゲンドウの心を見ようとはしなくなっていた。だからゲンドウのこの心境の変化には、ただただ驚くばかりだった。
それはカスミに出逢う前のレイなら、耐えられなかった宣告だっただろう。自らの存在理由を失うことを意味するからだ。しかし今のレイは、自分の価値に縋ってはいなかった。
「私は……初めから、そのつもりでした。……私はあの人と出逢ってから、ヒトでありたいと願い続けています……」
「そうか、ならばいい」
ゲンドウは満足そうに頷いた。
「だがレイ、我々はダミー・システムを開発せねばならん。アレはどうしても必要なのだ」
再びレイがはっとする。ダミー・プラグのコアには、レイのスペアの体が使われるのだ。レイは顔を俯かせた。
「もう少し、お前には我慢してもらう。すまないな、レイ」
「司令……」
ゲンドウの誠意のある言葉に、レイはまた驚かされる。
（碇さん…）
レイの胸に暖かい想いが満ちた。早くこのことをカスミに知らせてやりたかった。
「碇さん……」
「来たか」
向こうからカスミが走ってくるのが見えた。１人遅れたせいであろう、カスミは慌てていた。
「ごめんなさいっ」
レイとゲンドウの前に来ると、カスミは、ぺこん、と頭を下げた。
「では行こう」
ゲンドウは気にせずＶＴＯＬに乗り込んだ。カスミはきょとんとした顔になる。レイとゲンドウの間に、穏やかな空気が流れているのに気付いたためだ。
「何かあったの？」
「いえ、後で話すわ。行きましょう」

第三新東京市の郊外にある集合墓地。その広大な墓地には、主にセカンド・インパクトの犠牲者が眠っていた。延々と続く墓標の群は、まさに非日常であり、この世の終わりが来てしまったかのようだった。
ゲンドウは２人の少女を控えさせ、ユイの墓前に白百合の花束を捧げた。
「お母さんって、どんな人だったの？　写真とかないの？」
「写真はない」
「先生が言ってた通り、全部捨てちゃったんだ……」
「ああ。この墓もただの飾りだ。遺体もここにはない。すべては心の中だ」
「心の中……」
「人は思い出を忘れることで生きていける。だが、決して忘れてはならないこともある。ユイは、そのかけがえのないものを教えてくれた。私はその確認をするために、ここに来ている」
２人の少女は、神妙な顔付きでゲンドウの言葉を聞いていた。
「では私は行く。２人はリニアで帰りなさい」
「「はい」」
ゲンドウがＶＴＯＬに向かって歩き出すと、カスミはレイを待たせてゲンドウを追った。
「お父さんっ！」
「何だ」
「綾波さんに、何をさせるつもりなの？」
「どういう意味だ？」
「私、零号機とシンクロしたんだよ。その意味、お父さんならわかってるでしょ？」
ゲンドウはカスミを見てはっとする。そこには強い意志が感じられたからだ。再会したとき、自分の前でおどおどしてばかりだった少女はそこにはいなかった。意志のこもったカスミは、ユイの面影を強く感じさせた。
「……レイはもう、我々の手の上にはいない」
「どういう…こと？」
「レイの心は、レイのものだったようだ」
「……それって、綾波さんが、人間として生きてもいいってこと？」
「そうだ」
ゲンドウの答えに、カスミは弾かれたような笑顔になった。
「お父さん、ありがとう！」
ゲンドウも穏やかに微笑んだ。
「カスミ、レイを頼む」
「え？」
「アレは人に愛されたことがない。だから、よろしく頼む」
「うんっ……」
カスミの視界が不意にぼやけた。自分の父親と初めて心が通じた気がして、カスミの胸に何かがこみ上げる。
「……お父さん、ありがとう。今日はお父さんと話せて嬉しかった」
「そうか」
カスミの目が涙で滲むの見て、ゲンドウは満足そうにＶＴＯＬに向かった。

ＶＴＯＬの窓からは、２人の少女が抱き合ってるのが見えた。ゲンドウは再び相好を崩した。
（すべてはこれからだ。今はこれでいい……）
友情とは縁が薄かったのは、レイもまた同じである。だからこそゲンドウは２人の姿に満足したのであろう。２人の少女が育てているのは、友情ではなく愛情だとは知らないゲンドウであった。

カスミがレイを連れてミサトのマンションに戻ったのは、まだ昼前のことだった。２人はカスミの部屋に入ると、軽い口づけを交わした。
「何だか嘘みたい。お父さんが綾波さんのこと、自由にしてくれるなんて」
「きっとあの人の心を変えたのは、あなただと思う」
「そうなのかな？」
「ええ」
２人はカスミのベッドに、寄り添うように並んで腰を掛けた。
「私、綾波さんと、ずっと一緒にいられるんだよね」
「ええ」
「私、凄く幸せだよ」
「私も。こんな日が来るなんて、思わなかったもの」
「えへへっ」
「ふふふっ」
２人は微笑み合い、じゃれ合いながら、絡み合うようにベッドに倒れ込み、そのまま唇を重ねた。何度も何度も角度を変えて、互いの唇を啄む。そしてどちらからともなく舌を差し出し、深い求め合いに耽っていった。
「ん……んんっ……」
「んんっ……ふ……」
部屋には衣ずれの音と湿った音がが響き渡る。２人はきつく抱き合い、互いの髪や背中をなで、行為に溺れていく。不意にレイの手が、カスミの胸をまさぐった。
「！？」
驚いてカスミが顔を離してしまうと、そこには頬を染めながらも、紅い瞳で真剣に見返す少女がいた。
「綾波さん……」
「私、碇さんが欲しい……」
その言葉の意味を理解したカスミは喉を鳴らした。幼いカスミは微かな恐怖を感じる。しかしレイの瞳の中に切ない疼きを見たカスミは、頬を真っ赤に染めて、小さく頷いた。
「……いいよ……」
カスミとレイは、服を脱いで全裸になると、おずおずと抱き合い、再びベッドに横たわった。カスミは赤い頬のまま、困ったような笑顔になった。
「私達、女の子同士なんだね。……ゴメンね、どうしたらいいのか、わからないの」
カスミの体は少し強張っていた。その緊張を理解したレイは、彼女の髪を優しくなでてやった。
「私に任せて。……あなたは、私を感じてくれるだけでいい。私達は愛し合うだけ。特別なことをするわけじゃないから……」
「……うん……」
レイはカスミの唇を優しく啄んだ。裸で抱き合うのは、驚くほど心地よかった。どこか心を落ち着かせるような人の温もり、柔らかな肌の感触、そして少女特有の淡く微かに甘い体臭。カスミは心が落ち着いてくると、レイに対して言いようもない愛おしさを感じて、その背中に回した手に自然と力をこめていった。
カスミの髪をなでていたレイの手が下に降りてきた。カスミの華奢な体を慈しむように愛撫していく。さらに重ねていた唇も離し、首筋や耳元に口づけていった。カスミの頭の中が、白いもやに包まれていく。
「は……ん……綾波、さん…」
カスミの舌足らずな甘い声を耳にすると、レイは一層、行為に夢中になっていった。カスミもおずおずとレイの真似をし、ゆっくりとレイの柔らかな白い肢体を愛撫していった。
「や……あ……」
「ん……ふ……」
それは余りにも拙い求め合いだった。経験のない少女達は、暗闇を探るように愛し合っていく。しかし肌を重ねるということ自体が甘美であったし、何よりも心を寄せる者による愛撫は、どんな技巧を凝らした求め合いよりも、少女達の魂に深く響いた。
カスミとレイは、その幼い官能を徐々に開いていった。
「あ……はぅ……やんっ」
「はぁ、はぁ……はぅ……」
衣ずれの音に混じって、激しい息づかいが室内に響いた。頬が熱くなり、切なさが突き上げる。カスミはいつしか、レイの求めのすべてに反応するようになっていた。
「あ、綾波さん……あん……はぁっ」
「碇さん……好き……大好き……」
レイの繊細な手が、カスミの華奢な肢体を快楽へと溺れさせていく。レイがカスミの熱く濡れた部分に指を這わせていると、不意にカスミが弾かれるようにレイの体を押しのけて抵抗し出した。
「やっ、やだやだ……やめてっ」
「どうしたの？」
突然、カスミの目の端に涙が浮かぶのを見て、レイは目を見開く。カスミは細い肩を揺らしてしゃくりをあげていた。
「ふっ……怖い……怖いの……ひっく……」
「何が怖いの？」
レイは再びカスミの髪を優しくなで、落ち着かせてやった。
「ひっ……なんだか……うっく……おかしく、なっちゃいそうなんだモン……えっく」
未熟な官能しか持ち合わせていなかったカスミは、突き上げる快感に脅えて泣き出してしまったのだ。
「そう…」
カスミの頬に流れる涙を舐め取ると、レイは柔らかくカスミの唇を啄んだ。
「大丈夫。私が受け止めてあげる。だから、怖がらないで」
カスミはレイの紅い瞳に見つめられながら、心が落ち着いていくのを感じた。そして弱々しい嗚咽を繰り返しながらも、ゆっくりと頷いた。
「……うん……」
そして再び求め合いが始まった。胸にこみ上げる切なさに応えるように、行為は激しくなっていく。カスミはまた涙を滲ませるが、今度は行為をとめようとはしなかった。少女の華奢な肢体が絡み合い、その幼い官能を高め合っていく。カスミもレイもその小さな胸を、相手の少女に対する愛おしさで満たしていった。
やがて２人の少女は、高みへと昇っていく。２人はその細い腰を、切なげにくねらせた。衣ずれの音が激しくなる。
「いやぁ……来る、なんか来ちゃうっ」
「私も……私も……」
カスミとレイは抱き合ったまま、ほぼ同時に高みへと達した。呼吸がとまり、体が強張る。そしてその後、ゆっくりと弛緩していった。
「はぁ……はぁ……はぁ……ん」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
静かになった室内に、２人の荒い息づかいだけが残された。

痺れにも似た情事の疲れの中、レイはカスミの髪を愛おしそうになでていた。
「ゴメンね……また泣いちゃって……」
レイは柔らかく微笑んだ。
「碇さんは、自慰はあまりしないの？」
（自慰って……）
そのストレートな言い方に、カスミは頬を染めた。
「うん。あんまり気持ちよくならなかったの。イッちゃったのも、多分、今日が初めてだと思う…」
「イク……オルガスムスのことね？」
「う、うん」
（綾波さん……テレビとか雑誌とか知らないし、友達もいなかったから、俗語とか知らないんだろうな……）
レイの今まで人生を考えて、カスミは少し切ない気持ちになった。レイに対する庇護欲が沸き上がる。
「ゴメンね。また甘えちゃったね」
「いいの。碇さんと愛し合えて、私はとても嬉しかった」
「…うん、私もだよ」
少女達は蕩けた顔を見合わせる。
「好きよ、碇さん」
「私も、綾波さんが大好き」
そして再び抱き合い、唇を重ねた。

きゅるるるるるぅ〜〜〜。

するとどちらからともなく、間抜けな音が響いてきた。
２人はきょとんとした顔を見合わせると、同時に吹き出してしまった。
「お腹空いたね。なんか作って食べよう」
「ええ」
カスミとレイは、情事に火照った体を制服に包むと、カスミの部屋を後にした。

遅くなってしまった昼食は、パスタで済ませることにした。パスタを茹でる間も、盛りつけをしている間も、２人は何度となく唇を重ねる。少女達は満たされた気持ちで、甘い時間を過ごすことができた。
「綾波さん、ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな？」
片づけが終わった後、２人はリビングでくつろいでいた。
「いいわ。何？」
「私のフルート、聴いて欲しいの」
「フルート……楽器ね。いいわ」
「ありがとう」
そう言ってカスミは、自室からフルートのケースを持ち出した。
「毎年ね、お母さんの命日には、必ず吹くことにしてる曲があるの。今年は、綾波さんにも聴いて欲しいんだ」
「そう」
カスミはテキパキとフルートを組み立てていく。レイはその銀色に光る楽器が組み上がっていくのを、一心に眺めていた。
「じゃ、いくね」
カスミのフルートが、柔らかな音色で空気を震わせた。伸びやかに、しなやかに、驚くほどの表現力で、感情を伝えていく。
（綾波さん……きっと音楽なんか楽しんだこと、ないよね。綾波さんにも伝わるように、心をこめて吹かなきゃ）
カスミの想いは音色に表れる。レイは心が震えるのを感じた。胸が熱くなって、何かがこみ上げようとする。
（これが感動……私は、音楽を楽しんでるのね）
カスミにまた新たな心を与えられたような気がして、レイの感動は一層深まっていった。そんな中、カスミの奏でる旋律はクライマックスに達しようとしていた。レイはすでにうっとりと目を閉じて聴き入っている。
そして曲が終わった。演奏が終わると、ゆっくりとカスミはフルートから唇を離した。

ぱちぱちぱち。

「惣流さん！」
拍手をしたのは、そこにはいないはずの少女だった。
「へぇ、アンタ、そんなのもできたんだ」
「う、うん。子供の頃から習ってるの。あんまり上手くないケド」
「けっこういいわよ。ファーストも感動したんじゃない？」
「ええ、とても。……心が震えたわ」
「きゃはははっ。大袈裟なヤツぅ〜」
２人の手放しの賛辞に、カスミは頬を染めた。
「惣流さん、今日はデートじゃなかったの？」
「だってつまんないヤツなんだもん。途中でこっそり帰ってきちゃった」
アスカは外出着のまま、リビングの床にゴロンと寝そべった。
「ええっ、悪いよ〜」
「いいのいいの。どうせ、ヒカリの顔を立てて逢っただけだし。あ〜あ、まったくまともな男は加持さんだけねぇ〜」
カスミはフルートを片づけながら、人知れず心拍数を上げていた。情事の名残をアスカに気取られないか心配なのである。それに、もしアスカがもっと早く帰ってきていたなら……。カスミは自らの想像に、頬を真っ赤に染めた。
「ミサトは？」
「今日は遅くなるって、言ってたよ。リツコさんと加持さんも一緒だから、多分、飲んでくるんじゃないかな」
「ふ〜ん……」

ミサトが出席したのは、大学時代の友人の結婚式だった。そのため、リツコとリョウジも一緒である。結婚式だというのに無精ひげを生やしたままのリョウジに、２人の旧友は苦笑していた。
披露宴の二次会も終わると、ミサトとリツコとリョウジは、３人で飲みに行った。リツコの行きつけのバーで飲んでいると、ミサトが腕時計を見て驚いた顔になった。
「あらぁ、こんな時間。ちょっとカスミ達に遅くなるって連絡しなきゃ」
そして電話を掛けに廊下へ出ていった。
ミサトがいなくなると、リョウジが懐から何かを出して、リツコに渡した。
「そうだコレ、ネコのみやげ」
「ありがとう、相変わらずマメねぇ」
リョウジが渡したものは、ネコのペンダントだった。
「で、京都、何しに行ってたの？」
「あれ？　松代だよ？　そのみやげ」
リツコは思わず苦笑する。
「そんな話、通用すると思ってるのかしら？　ウチの子達を甘く見ないコトね」
「バレバレか…」
リョウジはここ数日、チルドレン選抜機関である、マルドゥック機関を調べるために京都へ飛んでいた。しかしマルドゥック機関は存在せず、リョウジの京都出張は空振りに終わっていた。
「あまり深追いすると火傷するわよ。これ、友人としての忠告」
「なるほどな。真摯に受け取っておくよ」

アスカが風呂から上がると、ちょうどカスミが受話器を置いたところだった。
「ミサト？」
「うん、遅くなるから先に寝ててって」
「……そう……」
アスカは何やら俯いてしまった。レイは夕食後、自分のマンションに帰ってしまっていた。カスミはいつにないアスカの元気のない様子に、居心地が悪そうにした。

「ったく、いい歳して吐くなよ」
「……ううっ。調子に乗って飲み過ぎた……」
リョウジはミサトを背負って夜の道を歩いていた。ミサトはさっきのバーで戻してしまい、今はぐったりとしている。
「そんなに俺と飲めるのが嬉しかったのか？」
「殴るわよっ。元気だったらすでに殴ってるわ！」
リョウジに背負われたまま空威張りするミサト。
「あ〜あ、情けないの。あんたなんかに介抱されるなんて」
「昔もよくこうして歩いたよな。お前、しょっちゅう飲み過ぎてたし」
リョウジの言葉に、ミサトも過去の日々を懐かしく思い出していた。やがて元気になると、ミサトはリョウジの背中から降りて、一緒に歩き出した。
「…私にフラれたとき、ショックだった？」
「もちろんさ。当たり前のこと訊くなよ」
突然の話題に驚きながらも、リョウジは柔らかく微笑んだ。
「でもま、俺が悪いのか。浮気ばっかしてたしな」
「わざと私に嫌われようとしてたんじゃない？」
「まさか。そんなことないさ」
「嘘ね」
ミサトの断定的な言い方に、くわえたタバコに火を付けようとしていた手がとまった。
「あんたはどの娘に対しても本気じゃなかった。もちろん、私にもね」
「何言ってんだ。酔ってるな」
「あんたは私でもなく、他の女の子でもなく、いつももっと他のものを見ていたわ」
「……」
「このままどこまでいっても本気で愛されないんじゃないかと思ったら、凄く怖くなった」
「葛城…」
ミサトの表情に、リョウジもいつしか眉を寄せていた。
「私の父のこと、話したことあったでしょ？」
「ああ」
「家族を省みず、研究に没頭して、いつも母さんを泣かせて…。でも最後は命を懸けて私を庇ってくれた……」
２人は夜道を歩きながら、遠い目になっていた。
「セカンド・インパクトか…」
「加持君、少し私の父に似てるわ」
「葛城…」
リョウジは火を付け損なったタバコを戻し、ミサトの頬に手を当てた。
「加持君…？」
ミサトもしばらくリョウジの目を見つめていたが、やがてゆっくりと目を閉じた。暗い夜道に、２人の影が重なる。

「ねぇ、カスミぃ…」
ペンペンと並んでテレビを観ていたカスミがアスカを振り返ると、面倒臭そうにテーブルに潰れたままだった。
「何？」
「やっぱ加持さん、ミサトとヨリ、戻したのかな……」
アスカがリョウジを慕っていることは、カスミにも十分過ぎるほどわかっていた。うまく答えることができず、カスミは困ったような表情になった。
「ミサトがいいヤツだってのは、知ってるんだけどさ……」
「そう言えば惣流さん、ミサトさんとはドイツでも会ってたんだよね……」
「…ドイツでさぁ、アタシのこと、ちゃんと女の子として扱ってくれたの、あの２人だけなんだぁ。……他のヤツらは、アタシのこと、実験動物を見るような目でしか見てなかった」
「そうだったんだ……」
カスミの脳裏に浅間山の温泉で、アスカとともにミサトに抱擁されたことがよぎった。あのときのアスカは、いつになく素直で、抵抗しようともしていなかった。アスカはミサトのこともまた、リョウジと同じように慕っていたのだ。

不意に玄関から物音がした。ミサトがリョウジに送られて帰ってきたのだ。
「たっだいまぁ〜！　２人とも、元気してた？」
ミサトの明るい声に、カスミはぐったりと脱力した。
「近づかないでよ、酔っ払い！　お酒臭いじゃない！」
「アスカちゃん、つれないこと言わないでよぉ〜」
「おかえりなさい、ミサトさん。何か食べます？　お茶漬けとかなら作れますけど」
まるで３人姉妹のようなその光景に、リョウジは目を細めた。
「加持さんも食べるでしょ？　特別にアタシが作っちゃう！」
「おいおい、俺は女性だけの家に長居するほど無粋じゃないぞ？」
「ええぇ〜〜〜っ、いいじゃん、泊まってけば？」
嬉しげにリョウジにまとわりつくアスカ。
「このカッコで出勤したら笑われちゃうよ」
リョウジは自分の礼服の襟をつまんでみせた。
「え〜？　大丈夫よ〜？」
「はは。じゃあな、みんなお休み」
苦笑しながら玄関に向かうリョウジ。その腕にしがみついていたアスカが、急に真面目な顔付きでリョウジの腕をほどいた。
「ラベンダーの香りがする…」

キッチンに戻ってきたアスカは元気がなくなっていた。小首を傾げるカスミ。
「どうしたの？　惣流さん」
「ううん、何でもないわ…」
力無く微笑みながら首を振るアスカ。しかしその顔をミサトには向けようとしなかった。そのままキッチンから出ていこうとする。
「アタシ、先に寝るわね」
そんなアスカの様子に気付いたのか、ミサトも少し、気まずそうに顔を俯かせた。

嵐のような１日が終わろうとしていた。カスミはベッドに潜ると、途端に頬を染めた。昼間、レイと愛し合ったベッド。情事の残り香が漂っているような気がした。
（綾波さんと……しちゃったんだ……）
思い出しては、頬を染める。カスミは自分のベッドの上で、恥ずかしそうに身悶えした。
（零号機にいる、綾波さんの魂の欠片……。あの子、私達のこと、祝福してくれるのかな……）
ついそんなことを考えてしまう。しばらく蕩けた思考で考え事をしていたカスミだが、何かに思い当たると、弾かれるように起きだした。
（綾波さん……零号機にいる自分の魂の欠片とシンクロしてたんだ……。じゃあ、私達は……何とシンクロしてるの……？）
カスミはすでに青ざめていた。


翌日、ＮＥＲＶ本部のセントラル・ドグマ。
ゲンドウは不気味な施設のそろった実験室の中にいた。そこに入れる人間は限られている。ゲンドウの目の前には巨大な試験管のようなチューブがあり、そこはＬＣＬで満たされていた。ゲンドウはそのチューブの中にいる人物、レイを感情のない目で眺めていた。レイもゲンドウを見返してるが、その顔にはやはり何の感情も伺えなかった。
「司令…」
「君か…」
ゲンドウの背後に忍び寄ってきたのはリツコだった。
「いいのですか？　レイ本人のデータ取りをしなくて。完全なダミー開発には、彼女の協力は必要ですが……」
その答えを知りつつリツコは訊かずにいられない。
「かまわん。ダミーはあくまでゼーレに対する牽制のひとつに過ぎん。レイはヒトとして生きてもらう。社会勉強は彼女にも必要だよ」
（レイをカスミから取り上げたくないだけの癖に……）
リツコは穏やかに苦笑する。ゲンドウの口からまともな言葉が出るのが嬉しいようだ。それでもゲンドウに対して、意地悪のひとつも言ってみたくなる。
「レイの秘密、カスミが知ったら、我々は許してもらえるのでしょうか？」
「アレはすでに知っている」
「え…？」
流石にリツコの顔が強張った。
「零号機の起動実験で気付いたようだ」
「……それでもカスミはレイを受け入れたと……？」
「ああ」
「そう…」
リツコの胸に暖かいものがよぎった。その頬に優しげな微笑みが浮かぶ。
「嬉しかったでしょうね、レイ」
「ああ」
ゲンドウの口元にも笑みが浮かんでいたが、すぐに真顔に戻った。
「君にも辛い目に遭わせてきたと思っている……」
「え？」
リツコは弾かれたようにゲンドウを見た。この男の口から、そんな言葉を聞く日がくるとは思っていなかった。
「今まですまなかった……」
「いえ、私は……」
ぼやけた視界にゲンドウの背中を納めながら、リツコは上手く言葉を紡ぐことができなかった。
チューブの中の、レイのスペアの体は、そんな２人を無表情に眺めていた。

セントラル・ドグマの最下層にターミナル・ドグマは存在していた。その暗い通路を、１人の男が歩いていく。巨大な扉の前に来ると、男は懐からセキュリティー・カードを取り出した。
カードをスリットに通そうとした男の動きがとまる。後頭部に銃を突きつけられたからだ。その銃の持ち主の気配を察すると、男は苦笑しながら両手を上げた。
「よぉ、二日酔いの調子はどうだい？」
「おかげで目が醒めたわ」
「そりゃ結構」
「特務機関ＮＥＲＶ特殊監査部所属、加持リョウジ。同時に日本政府内務省調査部所属、加持リョウジでもあるわけね」
「バレバレか」
「ＮＥＲＶを甘く見ないで」
「碇司令の命令か？」
「私の独断よ。これ以上バイトを続けると、死ぬわ」
「まだいけるさ。司令は俺の正体に気付きながらも利用している。だが、葛城に嘘をついていたのは謝るよ」
「謝られたって嬉しくないわよっ！」
「じゃあ、いいことを教えてやろう。司令やりっちゃんも君に隠し事をしている。それがこれさ」
リョウジはミサトが何か言う前に、カードをスリットに通した。２人の目の前で巨大な扉が開く。
「こ、これは……」
それは紅い十字架に張り付けられた、白い巨人であった。その顔には七つ目の仮面が被せられ、胸には紅い２又の槍が刺さっていた。巨人は下半身はなく、代わりにこぶのようなものから小さな下半身がいくつも生えていた。
「ＥＶＡ？　いえ、まさか……」
「そう。人類補完計画、Ｅ計画、そのすべての要であり、そしてすべての始まりでもある、アダムだ」
「確かに……ＮＥＲＶは私が考えてるほど甘くはないわね……」
ミサトは、いつしか鋭い目つきになっていた。

（つづく）

後書き

アスカ「へぇ、カスミのパパ、いい人になったんだ。よかったじゃん」
レイ「騙されてはダメ。司令はまだ、碇さんから逃げるのをやめていないわ」
アスカ「じゃ、まだまだこれから色々あるってこと？」
レイ「ええ」
アスカ「ふ〜ん。……ところで最近、アタシの出番がドンドン減ってるような気がするんだけど……」
レイ「そう？　そうかもしれない……。でもこの話は……」
アスカ「これはやっぱりカスミを蹴落として、アタシが主人公になるべきね！」
レイ「でもこの話のタイトルは……」
アスカ「ファースト！　アンタ、カスミの弱点を教えなさいよっ！」
レイ「人の話、聞いてないのね……（しくしく）」
アスカ「何泣いてんのよっ！？　いいからカスミの弱点は何っ！？」
レイ「碇さんの弱点は背中だわ（ぽっ）」
アスカ「背中ぁ？　アンタ、怪獣の弱点を聞いてんじゃないのよ？」
レイ「あと、胸を吸われるのも好きみたい。とてもいい声で啼いてくれるもの（ぽぽっ）」
アスカ「なんの話してんのよっ！？（真っ赤）」

感謝の言葉：

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第１６話「 死に至る病、そして 」に進む。
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