『お前のせいやっ！』
『ごめんですむか、われぇ〜！！』
『泣けばすむ、思うな、ボケっ！！　今度戦うときは足元に気ぃつけよ！！』
「はぁ…」
トウジは重い嘆息を漏らす。カスミの脅えたような泣き顔は、いつでも思い出すことができた。
（あんなん、八つ当たりやないか……）
母はいない。父と祖父はＮＥＲＶにほとんど泊まり込みで、実質トウジは妹と２人暮らしのようなものだった。
頼りがいのある兄になりたい、そうトウジはいつしか願うようになっていた。しかし実際には、成長したのは体格と腕力ばかりで、精神の成長が伴っていない。そうトウジは自覚していた。自らの未熟さを知ってるからこそ、トウジは男らしさにこだわっているのだ。
トウジは、あの第４使徒戦を思い出す。エントリー・プラグの中で苦しむカスミ。あのいたいけな少女が恐怖と戦う姿。トウジの糾弾に泣いてばかりいたカスミは、それでも果敢に敵に立ち向かっていったのだ。
（わしよりも、碇の方がよっぽど強いわ…）
トウジは素直にそう思うのだ。あの気弱な少女の方が、トウジの遙か先を歩いてるような気がする。
カスミは、トウジの八つ当たりを責めもせず、恨みもせず、今は当然のように穏やかな笑顔を向けている。トウジはこぶしを力強く握った。
（正直、怖い。アイツらの足手まといになるんもゴメンや。…けど、逃げとうない！）
それがトウジの結論だった。


「碇カスミの戦い」第拾八話　命の選択を
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　作・スニフ


「…鈴原君」
トウジが屋上の手摺にもたれて風景を眺めてると、不意に後ろから声をかけられた。そこにはカスミ、レイ、アスカが並んで立っていた。
「なんや、お前等。…………そうか、お前等も知っとんのか…」
「うん。………鈴原君、悩んでるの？」
「ん？　あ、まあな」
「アンタねぇ、イヤなら逃げてもいいのよ？　誰もアンタを責める権利なんかないんだから」
アスカの穏やかな笑顔にトウジは目を見開いた。
「なんや、惣流がわしに気遣うとは驚きやな」
「アンタ馬鹿ぁ？　そんなんじゃないわよっ！」
アスカは顔を真っ赤にして抗議した。実際彼女は、自分はヒカリを心配していると思い込んでいるのだ。トウジにも友情を感じ始めている自分に自覚することなく。
「鈴原君、ミサトさんが言ってたけど、強制はしないって。だから、ゆっくり考えてね。イヤなら、断ってもいいんだから」
それは事実だった。ＮＥＲＶの上層部は、参号機の運用はゼーレとの対決姿勢が明らかになるまでに何とかなればいいと気長に考えていた。フォース・チルドレン選抜は、ゼーレに対するポーズに過ぎなかったのだ。
「…なんか、心配かけてスマンな。わしは大丈夫や。もう決心はついとる。…正直、怖いで。お前等の足手まといになるんもイヤや。……でもな、おなごばかりを危険な目に遭わせんのも、わしの趣味やないんや！」
「ふんっ。熱血馬鹿にしては殊勝なこと言うじゃない」
「なんやとコラぁっ！？」
「んもうっ、ケンカはやめてよっ！」
カスミは抗議しながらも、いつもの元気を見せたトウジに相好を崩した。
「碇、綾波、そういうこっちゃから、もう心配せんでええで」
「アタシを無視するんじゃないっ！」
「鈴原君が決めたなら、私も応援するよ。頑張ってね」
「私も力になるわ」
「よっしゃ、碇、綾波。これから先輩としてひとつ、よろしゅう頼むで！」
「だからアタシを無視するなぁ〜〜っ！！」
壱中の屋上に、アスカの絶叫が響き渡った。

「ま、そんなわけで明日から私、松代に出張だから」
「はい……鈴原君のこと、よろしくお願いしますね」
「わぁーってるって！」
参号機の起動実験は松代で行われることになったのだ。通常のプロダクション・モデルである参号機が、Ｓ２機関を搭載した四号機のように事故を起こすことは考えられないのだが、万が一を考えての処置だった。
「それで私がいない間、誰かにあなた達のことを頼もうと思ったんだけどね、生憎リツコも一緒だし」
「ミサトがいなくたって、カスミがいれば何の不自由もないけど？」
がっくりと肩を落とすミサト。
「ぐっ。アスカぁ、そんなホントのこと言わないでっ」
「ホントなんだから仕方ないじゃない。それにリツコがいないんならマヤに頼めばいいじゃん。アイツじゃダメなの？」
「ま、マヤちゃん、ねぇ……」
思わずミサトの顔が引きつった。まさかマヤに留守を頼むと、カスミの貞操に危機が訪れる可能性があるとは言えないミサトであった。そんなミサトに、２人の少女は小首を傾げることしかできなかった。
「ま、夜が寂しかったら、レイでも呼びなさい」
「寂しいからって、あんな無口な女を呼ぶヤツもいないと思うけど…ま、いいか。枯れ木も山の賑わい、って言うし」
「綾波さんは枯れ木じゃないモン」
ポツリと一言。冗談とわかってても、つい恋人を庇ってしまうカスミだった。


次の日、ミサトは珍しく早起きをしていた。松代に出張のため、出発が早いのだ。ＮＥＲＶの制服をビシッと決め、カスミ達と一緒にマンションを出ようとした。
「じゃ、あの熱血馬鹿のことは頼んだわよ、ミサト」
「ミサトさん、よろしくお願いします」
「はいはい、任しといて」
そしてミサトが玄関のドアを開けると、そこには意外な人物が待ち受けていた。
「ミサトさんっ！　是非、この相田ケンスケをエヴァンゲリオン参号機のパイロットにしてください！！」
そう叫ぶとケンスケは、深々とお辞儀をした。カスミ、アスカ、ミサトの３人は、ただただ呆気にとられるしかなかった。

「熱意だったら俺が１番なのに。……なっ、碇」
「う、うん…」
朝の教室、ケンスケが１人ぼやいている。チルドレンへの申し出は、すげなく断られてしまっていた。
「アンタみたいな馬鹿じゃ、足手まといになるだけよ！」
ケンスケの脳天気さが癪に障ったのだろう、アスカは機嫌を悪くしていた。
「それにしても誰がなるんだろ、パイロット。案外、トウジだったりしてな。今日は休んでるし…」
ケンスケの何気ない言葉に、カスミ、レイ、アスカの３人は人知れず体を強張らせていた。
「そう言えば鈴原、何で休んでるのかしら…」
ヒカリがポツリと言う。その顔には心配の２文字が浮かんでいた。
参号機の起動実験は明日からなのだが、トウジはレクチャーなどを受けるためにミサト達と一緒に松代へ行ったのだ。
どこか重い空気を含んだまま、壱中の時間は過ぎていった。

「何よコレっ！？　野菜ばっかじゃん！　…って、ファーストってお肉嫌いなんだっけ」
食卓を覗いてアスカが喚く。今日はレイが泊まりにきているため、テーブルには菜食のレイに合わせて肉を使ってない料理ばかりが並べられたのだ。
「惣流さんにはソーセージをボイルしたよ」
「やったぁ！」
途端にアスカの顔が輝く。そのゲンキンさに、カスミは穏やかな苦笑を漏らした。
「「いただきま〜す」」
「…いただきます」
カスミとレイがエプロンをはずしてテーブルに着くと、子供達だけの夕食が始まった。
「惣流さん、やっぱり本場と日本とじゃ、ソーセージの味って違うの？」
「ん？　ドイツのソーセージ？　…ん〜、向こうはね、色んな種類があんのよ。使うスパイスの種類によっても違う味になるし、ハーブを使ったりとバラエティは豊富ね」
「ふ〜ん」
「碇さん、これ、美味しい」
「切り干し大根？　じゃ、今度作り方教えるよ。簡単だから」
「ありがとう」
「なんちゅーか、日本の料理って、地味よねぇ〜」
「んもう。でも美味しいじゃない」
「ま、それは認めるけどね。……ところでさ、日本ってお菓子とかあんの？」
「お団子とかお饅頭とかお煎餅とか…惣流さんも食べてるじゃない」
「あんなんじゃなくてさ、家庭で作るようなヤツよ」
「おウチで作るお菓子？……う〜ん、何だろ？　おはぎとかなら作れるよ、私」
「おはぎ？」
「どう説明すればいいのかな……餅米で炊いたご飯でおむすびを作ってね、それにあんこを絡めるの」
「げっ。ご飯にアンコ？　気色悪っ」
「んもうっ、言ったね。美味しいんだから」
「私も食べてみたい」
「何よ、ファーストも食べたことないんじゃない。ホントに喰えんの、それ？」
レイをちゃんと人間らしく育てなかったゲンドウ達を、カスミはちょっと恨めしく思ってしまう。
「じゃ、今度作るね。絶対美味しいんだから」
ちょっと意地になってしまっているカスミだった。

「…何、してるの？」
レイが風呂から上がると、先に風呂に入ったアスカが、カスミの膝枕で耳掃除をしてもらっているところだった。
「耳掃除だよ。惣流さんが終わったら、綾波さんにもやってあげるね」
レイはカスミの笑顔と気持ちよさそうなアスカを見比べると、頬を染めてコクリと頷いた。
カスミの膝の上は、確かに気持ちよかった。見た目は華奢だが、カスミの腿は柔らかくて弾力がある。
それに耳掃除をされている感触は、こそばゆいものの、どこかレイの心の琴線に触れた。
（幸せ…）
そう、レイは確かに至福を感じていた。

レイの耳掃除が終わると、カスミはペンペンと風呂場へ行ってしまった。
「……」
「ああ、カスミはいつもペンペンとお風呂に入ってんのよ」
その後ろ姿を眺めるレイの視線に気付いたのだろう、アスカが説明する。
「そう…」
なにやらペンペンを恨めしい目で睨んでしまうレイだった。

レイはカスミのベッドで一緒に寝ることになった。換えの下着しか持ってこなかったため、カスミのパジャマを借りている。
カスミとレイは、お休みのキスを交わすと、一緒にベッドに潜った。
「鈴原君、大丈夫かな…」
カスミがレイの首筋に甘えるように顔を埋めながら、ポツリと呟いた。レイはそんなカスミの髪を優しくなでる。
「心配なのね…」
「……」
しばらく黙ったいたカスミだが、不意にレイの紅い瞳を覗き込んだ。
「あのね、私、今はＥＶＡのパイロットになれてよかったって、思ってるんだ」
「何故？」
「………ここに来る前、私には何もなかったような気がする……。一緒に悩んでくれる友達も、本気で心配してくれる大人の人も……。私、ずっといい子のフリをしてきたの、人に嫌われるのが怖くて」
「……」
「戦うのは怖いけど、でもこっちに来てからは色んな人に出会えたモン。……ＥＶＡに乗らなかったら、綾波さんにも逢えなかったよね」
「碇さん…」
「だから私、ＥＶＡに乗ってホントによかったって、思ってるんだよ」
「そう」
レイはカスミの髪を優しくなで続けている。不意に、カスミはレイの背中に腕を回した。
「なのになんでだろ？　なんで鈴原君がＥＶＡに乗ることに、こんなに不安になるんだろ…？」
実は、レイも同じ気持ちだった。正体不明の重苦しい不安が、常に胸の中にしこりとなっているのだ。そしてそれは、敏感な少女達の予感だったのかもしれない。
２人は不安から逃れるように、互いを抱きしめ合う腕に力をこめた。


「今日もトウジは休みか…」
「鈴原、どうかしたのかしら？」
壱中の昼休み。事情を知らないケンスケとヒカリは心配顔になっていた。
「なあ、ホントにトウジが新しいＥＶＡのパイロットなんじゃないのか？　碇達、何か聞いてないか？」
「し、知らないよ」
「そんなっ。鈴原がそんな危ないことっ！」
言ってしまってからヒカリがハッとする。
「ご、ごめんなさい、みんな」
ＥＶＡパイロットの目の前で、自分の言葉が無神経だったことに気付いたのだ。ヒカリの気持ちを知っているアスカとカスミは、もちろんそのことで責めることはできなかった。
「い、いいよ、気にしないで」
「鈴原のヤツも、明日になればケロッとして学校来るわよ」

そのとき、カスミの携帯がけたたましく鳴り出した。緊急の呼び出しだ。

「はい、碇です」
『あ、カスミちゃん！？　お願い、急いで本部へ来てっ！！』
「え？　何があったんですか？」
『松代で…参号機の起動実験が行われてる松代の試験場で、謎の爆発があったの！』
「！！　そ、それでみんなはっ！？」
『先輩と葛城さんにはまだ連絡が取れてないの！　レイちゃんとアスカちゃんと一緒に早くＮＥＲＶへ！』
カスミの顔色はすでに真っ青だった。その場の全員に緊張が走る。
「呼び出し……松代で何かあったって…」
「「！！」」
「また戦闘なの？」
「松代って、参号機があるトコじゃないのか？」
「ゴメンね……私達、呼び出しだから…」
「ヒカリ、後、よろしくね」
事情を知らないヒカリとケンスケは、夢遊病者のような足取りで屋上から消える３人をただ眺めることしかできなかった。

３機のＥＶＡは野辺山の野に展開されていた。零号機はスナイパー・ライフル、初号機はパレット・ガン、二号機はスマッシュ・ホークを装備している。今は美しい夕日が、なぜかカスミには焦燥感を煽るものとして感じられていた。
「ミサトさんと連絡、まだつかないのかな？」
『今は司令が指揮をしてるわ』
「お父さんが？」
『ええ』
双方向回線のモニターに映るレイの横顔は、やはり緊張しているようだった。
「何があったんだろ……みんな、大丈夫かな？」
カスミの呟きに応えるものはいなかった。

「松代からの移動物体、捕捉します！」
ロンゲが叫んだ。
発令所のモニターには野辺山の夕焼けが映し出されている。その彼方から、ゆっくりとヒト型の何かが歩いてくるのが見えた。黒塗りの巨体、ＥＶＡ参号機だ。発令所に溜め息のようなものが満ちる。
「やはりコレか…」
コウゾウが嘆息と共に呟く。しかしゲンドウは眉ひとつ動かさなかった。
「パターン・オレンジ！　使徒とは断定できません！」
「パイロットはモニターできません！」
「よし、停止信号を送れ！」
「はい！」
ゲンドウの指示で、マヤが参号機を止めるための処置を行っていく。しかし参号機はすべての信号を拒絶。まったくコントロールができない状態にあった。
ゲンドウは決断する。
「ＥＶＡ参号機は廃棄。現時点を以て、目標を第１３使徒と認識する！」
「し、しかしっ！」
オペレーター達が不満そうにゲンドウを振り返るが、決定が覆ることはなかった。

ＥＶＡのモニターにも参号機の姿が捉えられるようになった。
「そ、そんな……使徒？　これが使徒なの？」
「……」
「まさか、乗っ取られるなんて……」
３人のインダクション・レバーを握る手が震えた。

参号機から１番近い位置に展開していたのは弐号機だった。
（さて、どうする？）
アスカはスマッシュ・ホークを構えたまま、参号機の前に飛び出した。それに気付いた参号機の動きが止まる。
（まず、手足を切り落として抵抗力を奪う………イケそうね…）
アスカが舌なめずりをしながら頭の中で戦いのシミュレーションをしているとき、参号機が不自然な間合いのまま蹴りを繰り出した。
「？」
遠い間合いのまま蹴りの体勢に入った参号機を見てアスカが呆ける。そこに一瞬の隙ができた。
それを狙うように参号機の脚が突然、不自然に伸びた。まるでゴムのように。
「なっ？」
アスカはずっと格闘の訓練を受けていた。だからヒト型のものと戦うときは、自然と人間相手に闘っているような感覚に陥ってしまう。そのため、参号機の人間離れした動きにはついていけなかった。参号機のハイ・キックをモロに側頭部で受けてしまう。
「きゃあああっっ！！」

『弐号機パイロット、気を失ったようです！』
発令所からの通信を、カスミは絶望の中で聞いていた。
「惣流さん…」
『カスミ、レイと合流、目標を叩け』
「そんな……」
カスミは強張った顔のまま、初号機を零号機の迎撃ポイントに向かって走らせた。

『レイ、近接戦闘は避け、目標を足止めしろ。今そちらに初号機を回す』
「はい」
レイは物陰に隠れたまま、スナイパー・ライフルを構えていた。やがて参号機が狙撃地点にやってくる。零号機の照準の中には、参号機の背中が映し出されていた。
（乗っているわ……彼…）
参号機にはエントリー・プラグが刺さったままなのがレイにもはっきりと見えた。先程の発令所からの一連の操作では、エントリー・プラグの排出も試みられたのだろう。しかしプラグのカバーは吹き飛ばせたものの、肝心のプラグ自体は粘菌のようなものに絡め取られて排出されていなかった。
レイのトリガーにかかった指が震える。
（ダメ…）
引き金が引けなかった。レイは苦しそうに目を瞑る。
「はっ！？」
気付くと参号機は照準の中から消えていた。慌ててレイは周りを見渡す。と、いきなり零号機に衝撃が襲った。参号機が零号機に馬乗りになっていたのだ。
参号機は零号機を組み敷くと、口から涎を垂らすように白い粘液をこぼした。白い粘液は零号機の左腕に突き刺さると、そのまま組織を浸食していった。
「あうっ！！」
レイの悲鳴が漏れる。それはまるで、神経繊維を直接引っかき回されるような痛みだった。
『零号機の生体部品が侵されていきますっ！　危険です！』
ここでもゲンドウの決断は早かった。
『零号機の左腕部を切断しろ』
『しっ、しかし神経接続を切らないと…』
『構わん。切断だ』

ばしゅっ。どごっ。

「きゃああっ！！」
レイの左肩に激痛が走った。シンクロしたまま零号機の左腕部を切断されたためだ。
切断された腕は民家を吹き飛ばし、そのまま地面に転がった。
「う……うう……」
動かなくなった零号機に興味をなくしたように参号機が歩き出した。レイは薄れていく意識の中、その背中を見つめることしかできなかった。

「綾波さんっ！！」
駆けつけたカスミが見たものは、地面に無様に転がった零号機と、歩いてくる参号機だった。
「綾波さんっ！　綾波さんっ！！」
双方向回線からレイの返事はなかった。気を失っているようだ。
不自然な間合いのまま、初号機と参号機は対峙した。カスミの胸に緊張が走る。
「鈴原君…………乗ってるんだよね……」
声がかすれた。インダクション・レバーを握った手は震えたままだ。不意に参号機がしゃがみ込んだ。それを見たカスミの中で、何かが弾けた。
「鈴原君、鈴原君っ！　乗ってるんでしょ！？　返事してよっ！！」
カスミの脳裏に様々な出来事がよぎる。「怖い」と素直に告白したトウジ。それでもＥＶＡに乗ることを決断したトウジ。カスミの焦りは最大限に膨らんでいた。そのとき、カスミの胸に閃くものがあった。
（そうだ！　手足を攻撃して無力化すれば…！）
しかし微かな希望も、すぐに絶望に変わった。
（でも鈴原君がシンクロしたままだったら？）
比較的シンクロ率の低いレイでさえ、左腕部切断のフィード・バックには耐えられなかったのだ。カスミはひとつ頭を振ると、再び参号機に向かって叫んだ。
「鈴原君っ！　お願いだから返事しっ…！？」
カスミの言葉は最後まで紡がれることはなかった。参号機の腕がゴムのように伸び、初号機の首に絡んだのだ。そしてそのまま初号機の首を締め上げた。
「くっ……くあっ」

カスミの苦しむ姿を見て、発令所の面々は蒼白になった。
「「「カスミちゃん！！」」」
「カスミ君！！　い、いかん！　初号機のシンクロ率を６０％にカットしろっ！！」
コウゾウの指示をゲンドウが遮る。
「待て。……カスミ、なぜ攻撃しない」
『だって、友達が乗ってるんだよっ！？　攻撃なんかできないよっ！！』
「お前が死ぬぞ」
『いいよっ！　友達を殺すぐらいなら、死んだ方がいい！』
カスミは苦悶の表情を浮かべながらも、攻撃命令をはっきりと拒絶した。ゲンドウはここでも決断する。
「初号機のシステムをすべてダウン、ダミー・システムを解放！」
「は、はいっ！」
マヤはダミー・システムに対して嫌悪感を持っていた。その安全性においても完全には信用できないと感じている。しかしカスミのピンチの前に、それらの感情をすべて忘れ去ってしまっていた。

不意にシンクロが解けた。エントリー・プラグの中が暗くなる。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ」
突然、首を絞められる感覚がなくなって、カスミは荒い呼吸を繰り返した。
と、プラグ内が赤い非常灯に切り替わり、インテリア・シートの後ろにあるディスクが回り始めた。
「何？　何をしたの、お父さん！？」
ＥＶＡが再び起動した。カスミの操縦から離れたまま。

「ぐおおおおおぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜っっっ！！！」

初号機はケダモノのような咆吼をあげると、自分の首を絞めている参号機の両腕を掴んだ。
「何で勝手に動いてるのっ！？　どうなってるの、コレぇっ！？」
初号機が力任せに参号機の腕をへし折った。千切れた腕から体液が飛び散るのがプラグのモニターに映し出される。カスミの目が見開いた。
「やめてええぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜っ！！！」

カスミの絶叫が聞こえたような気がする。
「う………？」
アスカはエントリー・プラグの中で、やっと目を醒ましていた。
『大丈夫かっ！？』
朦朧とするアスカの目に映ったのは、モニター越しに呼びかけている回収班の作業員達だった。
「参号機はっ！？」
『今、初号機と交戦中だ。今プラグから救出するからそのままで…』
「待ってよ！　アタシはまだ戦えるわっ！！」
システム・チェックをしながら叫ぶ。機体に問題はなかった。アスカは乱暴に頭を振ると、意識をはっきりさせた。
『しかし…』
「いいからどきなさい！　吹っ飛ばすわよっ！」
『わ、わかった。健闘を祈る！』
アスカは回収班が引き上げるのを確認すると、弐号機を起き上がらせ、戦場に向かって走り出した。

夕暮れの野辺山。紫の鬼神が黒の巨人を一方的に蹂躙していた。頭蓋を踏み砕き、体を引き裂く。辺りの地面は、すでに血の海となっていた。
「何よ、これ……」
アスカの呆然とした呟き。彼女は自分が見ている光景を、自分でも信じることができなかった。
（カスミがやってるの…？）
「カスミっ！！」
双方向回線を開くと、そのままアスカは固まってしまった。そこには半狂乱になってインダクション・レバーを操作するカスミが映し出されたのだ。
『とまって！　とまって！　とまってよぉっ！　お願い、とまってぇぇ〜〜〜っ！！』
（カスミがやってるんじゃ、ないの…？）
『とまって！　とまってよっ！　何でとまらないのよぉっ！？』

「ぐおおおおぉぉぉぉ〜〜〜〜〜っっっ！！」

初号機による殺戮が続く中、カスミの悲鳴と初号機の咆吼が重なった。
「！？」
弐号機の巨体を進ませようとしたアスカの動きがとまる。インダクション・レバーを握る手がガタガタと震えていた。
「な、何よ………」
弐号機のモニターの中では、凶悪な顔の初号機が暴れ回っている。夕闇の中、それは悪魔の化身のように見えた。
早く初号機をとめなければ。そう焦れば焦るほど、アスカの動きは固くなっていった。自分の奥歯がガチガチと鳴っているのに気付いて、アスカは愕然とした。
（アタシ……脅えてるの……？）
それはアスカが戦いの中で初めて感じた恐怖だった。
今までアスカは自分のプライドを守るために戦ってきた。それは大きなトラウマを背負った少女の、自分の『ココロ』を守るための戦いだった。
トラウマの呪縛から逃れたアスカは初めて戦いの意味を知る。それは常に死と隣り合わせのものであることも。
『とまれっ！　とまれっ！　とまってよぉぉっ！！』
モニターの中のカスミは半狂乱になってコントロールが効かなくなったインダクション・レバーを操作している。このままではカスミが壊れてしまうような気がする。それでもアスカは動くことができなかった。

『やめてえええええぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜っっっっ！！！』

呆けていたアスカの耳梁を、カスミの一際大きな絶叫が叩いた。見ると、初号機が参号機のエントリー・プラグを握っていた。
「鈴原っ！」
いつの間にか無我夢中で走り出していたアスカの目に、初号機の体がびくりとケイレンするのが見えた。双方向回線の中のカスミは必死の形相で、それがアスカの目に焼き付いた。
『ダミー・システム、ダウンしました！』
『初号機、活動を停止！』
アスカが初号機に駆け寄ったときには、初号機は動かなくなっていた。慌てて初号機の手の中を見ると、トウジの乗っているはずのプラグは少しひしゃげていた。
「マヤっ！！　こっちに救護班、回してっ！」
『は、はいっ！』
発令所との通信を切ると、アスカは初号機の手をこじ開け、プラグを取り出した。
（これなら……）
プラグはひしゃげていたものの、破壊されるところまではいってなかった。アスカは大きく肩で息をついた。
『うっ…ううっ…うううっ……うわあああぁぁぁっっ』
「カスミ……」
カスミの泣き崩れる声が、アスカの胸に痛かった。彼女の戦っていた恐怖はどんなだったろう？　なのに自分は何もできなかったのだ。アスカはかける言葉を持たなかった。
『うわあああぁぁぁっ。わあああぁぁぁ〜〜〜っ』
弐号機のモニターの端に、救護班がやってくるのが見えた。夜のとばりが降りようとする野辺山に、カスミの泣き声だけがいつまでも響いていた。

（つづく）

後書き

中学生にして切り干し大根の煮たヤツ（正式な料理名は知らん！）を作れるカスミ。……ただモンじゃないっす。ま、その理由は１３話でミサトが洞察してますが。
切り干し大根とかきんぴらゴボウとかほうれん草のゴマ和えとか、メインディッシュにはならない料理ですが、そういうの好きなんですよ。地味だけど美味しいですよね。

感謝の言葉：

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第１９話「女の戦い（前編） 」に進む。
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