衣ずれの音を響かせ、カスミは壱中の制服を着ていく。服を着たのは、カスミがこの部屋を訪れて以来だった。何しろ、食事のときでさえ裸のままだったのだから。
恥ずかしがり屋のカスミは、自分で自分が信じられないほどだった。
「使徒って、いつか来なくなるときが来るのかな……」
カスミがポツリと漏らす。
「使徒の数は、初めから決まっているらしいわ」
「それ、本当！？」
「ええ」
カスミの顔が、途端に輝く。
「だったら、いつか平和になるんだね？」
「ええ」
「じゃ、そのとき、また綾波さんに逢えるね！」
２人は手を握り合い、互いを見つめた。
「綾波さん……そのときまで、無事でいてね」
「ええ」
「綾波さんは無茶ばかりするんだから………怪我しちゃダメだよ？」
「……ええ」
２人の頬に、いつの間にか涙が伝う。
「ふっ……あやなみさん………大好きだよ……ひっく」
「……私も、碇さんが大好きよ……」
そのままカスミとレイは、唇を重ねた。もう、別れの時間だった。

「碇カスミの戦い」第拾九話　女の戦い（後編）
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　作・スニフ

カスミがレイの部屋へ泊まることは、夕べの内にミサトに連絡していた。２人の関係を知るミサトに反対されるかと思ったが、ミサトも離ればなれになる恋人達に気を遣ったのだろう、気持ちよく了承してくれた。
今日の正午、ミサトがここへカスミを迎えに来ることになっていた。

ドアチャイムが鳴った。ミサトだろう。
ところが２人が玄関へ行くと、そこにいたのはリツコであった。頭の包帯が痛々しい。
「あ、あれっ？　リツコさん」
「ミサトの代わりに迎えに来たわ」

リツコとカスミを乗せたＮＥＲＶの公用車は、ゆっくりとレイのマンションを遠ざかっていった。いつまでもカスミを見送るレイの姿をバック・ミラーで確認しながら、リツコは辛そうに眉を寄せた。
レイの姿が見えなくなると、おずおずとカスミが切り出した。
「あの、何でリツコさんが？」
「ミサトに頼んで替ってもらったの。あなたに話があったのよ。……ミサトは先にリニアの駅で待ってるわ」
「私に、話？」
「カスミ……あなた、パイロットを辞めたくないって、駄々をこねたそうね？」
カスミは唇をきゅっと噛み締めた。
「だって……納得できません……ＥＶＡに乗れって言ったり、乗るなって言ったり……」
「そうね。私も納得できないわ。……まったくあの男どもは」
「？」
舌打ちするリツコに、カスミは不思議そうな顔をした。
「私はあなたを、またここへ呼ぶつもりだわ」
「本当ですかっ！？」
カスミの嬉しそうな顔に、リツコも表情を和らげた。
「あなたには、レイの教育係もやってもらうつもりでいるもの」
「綾波さんの……教育係？」
「レイの親友のあなたならわかるでしょ？　あの娘がどんなに常識に疎いか」
「…はい」
リツコが２人を『親友』と評したことで、カスミは体の力を抜いた。どうやら本当にミサトは口をつぐんでくれるようだ。
「……それも私達のせいなんだけどね……。ずっと私達は、あの娘を道具としてしか見てこなかったから」
「……」
「カスミ……これからもレイと仲良くしてあげて。そしてあの娘がヒトとして生きるのに困らないように、支えてあげて欲しいの」
「……でも」
リツコの言葉に、一旦、輝くばかりの笑顔になったカスミだったが、すぐにその表情を曇らせてしまった。
「何？」
「お父さん……許してくれないと思います」
リツコはほっと嘆息した。
「あなた……この前の戦闘で自分が何したかわかってる？」
「え？」
「こう言ったのよ。……『友達を殺すくらいなら、自分が死んだ方がマシだ』って」
「そ、そんなの当たり前じゃないですか！　いけないことなんですか！？」
「悪くはないわよ？」
そう言ってリツコは笑った。カスミは訝しげな視線をリツコに送る。
「カスミは優しい娘だものね。でも、あの憶病者どもにはこたえたんじゃないかしら？」
そう言ってリツコはさらに笑う。
「え……？」
キョトンとするカスミに、リツコはいたずらっぽい視線を送った。
「つまり、あなたのパパと冬月先生は、あなたが怪我したりするのが怖くて、あなたをパイロットから降ろしたのよ」
「そんな……」
クスクス笑っていたリツコは、そこで真顔に戻った。
「カスミ……あの人は自分の娘から逃げることしかできない弱い人だけど、許してあげてね」
カスミの脳裏に、第１０使徒戦のことが蘇った。ゲンドウに褒められたとき、カスミはゲンドウが自分から逃げてるだけなのでは、と思えたのだ。
（やっぱりお父さん……私から逃げてたんだね……）
ふと、カスミは運転しているリツコの横顔を盗み見た。
「そう言えばリツコさんって、お父さんのことよくわかってるみたい……」
「え、えっ？　そうかしら？」
カスミは念のためにカマをかけてみたのだが、図にあたったようだ。リツコは不自然なほど動揺していた。カスミもクスリと笑う。
「こんなこと訊いて、もし間違いだったら失礼かな、って思ったんですけど、間違いなかったみたいですね」
「な、な、な、何がかしら？」
普段、冷静なリツコが慌てるのを見て、カスミは可笑しくなった。
「リツコさん、お父さんの恋人なんですよね？」
「なななっ……！」
リツコは頬を染めたまま、絶句してしまった。これでは決定的に肯定したようなものだ。
しかし一方でカスミは、その笑顔に翳りを差してしまう。
「私……初めの頃、リツコさんに疎まれてたような気がしたけど、それでだったんですね……。お父さんが再婚するのに、私は邪魔だから……」
カスミの寂しげな声を聞いて、リツコの心臓がきゅっ、と鳴った。この少女はやはり、リツコの態度を敏感に感じ取って傷付いていたのだ。重い罪悪感に胸が軋む。
「違うの……。ごめんなさい、カスミ。……私は……あなたのお母さんに嫉妬してるのよ……」
「お母さんに？」
「ええ。……あの人は、今でもユイさんにこだわってる……。それがわかるの、哀しいけどね。……あなたとレイは、ユイさんの面影を残してるから……、だから嫉妬していたのよ」
「……そうだったんですか」
「本当にごめんなさい。…………嫌な女ね、私」
「ふふっ」
しかしカスミは可笑しそうに笑うだけだった。リツコは驚いたような視線を向ける。
「リツコさんって、可愛い人だったんですね」
「ななななっ、何言ってるのよっ！？」
「ごっ、ゴメンなさいっ！！」
しかしカスミは謝りながらも、真っ赤になって照れるリツコはやはり可愛いと考えていた。

リツコの車が駅に着いても、そこには誰もいなかった。途端にリツコは不機嫌そうに顔をしかめる。
「ミサト、何やってるのかしら？」
そして腕時計を見る。
「まだ時間があるわね。カスミ、こっちで待っていましょ？」
「はい」

２人がベンチに腰をかけると、カスミは真剣な眼差しをリツコに送った。
「リツコさん……ひとつ訊いていいですか？」
「何？」
「参号機………鈴原君のお母さんの魂が宿っていたんですよね？」
その言葉にリツコははっとする。
「そのことも説明しなくてはならないわね。……参号機のコアには、……ダミー・システムと同じ技術が使われているわ」
「ダミーと？」
「ええ。……ダミーのことだけど…」
「綾波さんの命を使ってるんですよね？」
「……そう。聞いたの……」
リツコは思わず視線を逸らした。
「…ゴメンなさい。続けてください」
「ええ……。ダミー・システムにはレイのデジタル化された魂のデータがインストールされてるわ」
「魂の……データ？」
「ええ。……それには科学的なものだけでなく、呪術的な技術も応用されている……」
「……」
「参号機以降のＥＶＡには、それの応用によってやはりデジタル化された魂の情報が入れられてるの。……魂の宿っていないＥＶＡでは、人はシンクロできないから」
「じゃ、鈴原君のお母さんのデータが……」
「ええ。……そしてそのデータ採りは、死体を使って行われるわ。人の体は魂の形に従う。そしてその魂は、やはり体の形に影響を受けるから……」
「怖いことですね……」
カスミは複雑な心境に、視線を地面に落とした。リツコも眉を曇らせる。
「そうね。人道的見地から言えば、我々のやっていることは異常だわ」
「……それじゃ、誰か近親者の魂のデータ採りをされてる子が、私のクラスに集められてるんですか、チルドレン候補として」
「そこまで気付いてたの……。その通りよ」
「そう言えば私のクラスメートって、みんなＮＥＲＶ関係者の子弟ばかりですもんね」
「ええ。ＮＥＲＶの病院で亡くなった人達は、みんなその目的で魂のデータ採取が行われてるわ。それに、何かに縋る心を持ってる子供はシンクロに適してるから、片親の子がチルドレンなのも都合いいのよ」
「……」
すっかりうなだれたカスミに、リツコは哀しげに嘆息した。
「軽蔑した？」
「わかりません……」
「そう……」
「そう言えば、何で参号機の起動にはダミー・システムを使わなかったんですか？」
「魂のデジタル化……それは不完全な技術なのよ。人の魂が完全にデジタル化されることはないわ。だから、もし鈴原君が参号機を起動できたとしても、レイよりシンクロ率が低かったでしょうね」
「同じ技術を使ったダミーとコアでは、シンクロさえできない……」
「ええ」
「そうだったんですか」
「あら、来たわね」
リツコの言葉に応えるように、青いアルピーヌ・ルノーが駅のロータリーに走り込んできた。そして派手なブレーキ音を響かせて、カスミ達の座るベンチの前に停まった。
思わず顔に縦線の入ってしまうカスミとリツコ。

「んもうっ！　そんな怪我してるときに無茶な運転しないでくださいっ！」
運転席からミサトが顔を出すと、早速カスミが噛み付いた。
「なははは」
そのミサトの右腕は、三角巾で吊ったままだ。しかしミサトにこたえた様子はまったくなかった。
「遅かったわね、ミサト」
リツコが不機嫌そうな視線をミサトに向ける。
「ごみんごみん、この子達を拾ってて遅くなったのよ」
そんなミサトの言葉に応えるように、ルノーの後部座席からヒカリとケンスケが出てきた。
「委員長！　相田君！」
「よっ。……碇、俺達に挨拶なしで行っちゃうなんて、薄情なことすんなよな」
「ご、ゴメンね。いきなりのことだったから……」
「ま、いいさ。事情はトウジから聞いたよ。お前のことだから落ち込んでると思ってさ。……お前は俺達のために戦ってくれてたんだ。もっと胸を張ってくれよ、頼むからさ」
「うん……ありがとう、相田君」
カスミとケンスケが話している間も、ヒカリは気まずそうに俯いたままだった。
「ほら、委員長」
ケンスケに促されて、やっとヒカリはカスミの前に出た。
「ごめんなさいっ！」
いきなり深々と頭を下げるヒカリ。
「委員長……」
「碇さん、私を殴って！」
「ええっ！？」
「碇さんが悪いんじゃないのは知ってたのに、あんな八つ当たりをしてしまって！　私、自分が許せないの。お願い、私を殴って！」
その様子を見ていたケンスケは、顔を引き攣らせていた。
（委員長………けっこう恥ずかしいヤツだったんだな……。さすがトウジを好きになるだけはあるかも）
一方、カスミも最大限に困惑している。
「そ、そんなぁ、殴れるわけないよ！　それだけ委員長が、鈴原君のことを大切に想ってるってことじゃない！」
カスミの言葉に、ヒカリは頬を染めた。
「私だって好きな人が怪我したりしたら、きっと委員長と同じことしてたよ。だから、もうこの話はやめよ？」
「碇さん……」
ヒカリの目には涙が滲んでいた。そんなヒカリを見つめるカスミも穏やかに微笑む。ケンスケはほっと一息つくと、そんな２人の少女を暖かく見守った。
「カスミ、いい友達を持ったのね……」
子供達から少し離れた場所で、リツコが優しげにミサトに声をかける。
「え、ええ…」
カスミの『好きな人』の正体を知るミサトだけが、複雑な顔をしていた。

と、ミサトの携帯電話の着信音が鳴る。
「誰よ、こんなときに…」
不機嫌そうに通話に出るが、何やら短く会話すると、さっとミサトの表情が真剣なものになった。
「使徒よ」
「こんなときに！？」
ミサトとリツコの緊張した声に、子供達も振り向く。
「カスミ。今帰るのは取り止め。急いでみんなとシェルターに向かって。ちゃんとした別れができなくてアレだけど、元気でね」
「はいっ。ミサトさん、リツコさん、気をつけて！」
「みんなもね！」
ミサトとリツコは、急いでそれぞれの車を発進させた。乱暴な運転で、あっという間に３人子供達の視界から消えていく。
「それで、この辺のシェルターってどこ？」
「そっか、碇はシェルター初めてだったな。こっちだ！」
「急ぎましょ」


「強羅防衛戦、突破されました！」
第１４使徒の襲来。発令所に着いたばかりのミサトとリツコは、オペレーターから渡された使徒のデータに目を見開いた。
「ずいぶん強力なビームを持っているようね」
「装甲も凄いわ。地上戦は間に合わない。……弐号機射出は諦めて、ジオフロントで待機させて！　レイは初号機で出撃！」

ジオフロントに出たアスカは、自分の周りの地面ににバズーカやランチャー、パレット・ライフルなどを突き刺した。まるで映画『七人の侍』のワン・シーンである。
「今度は負けない……負けられないのよっ！！」

初号機の起動シーケンス。レイは目を閉じて集中していたが、突然、嘔吐感に襲われた。神経パルスが逆流したのだ。初号機は、起動しなかった。
（もう、ダメなのね……）
レイは静かに理解していた。初号機の自我は目覚めつつある。もう、レイとのシンクロを受け入れなくなっていた。

「碇……」
「ああ…」
発令所では、ゲンドウとコウゾウが苦渋に満ちた表情で控えていた。
（ユイ、私を拒絶するつもりか……）
ゲンドウの横顔は、苦悩に満ちていた。それでも指揮官として、できることの最大限を果たそうとする。
「初号機はダミーで起動させろ」

第１４使徒が、第三新東京市上空へとやってきた。まるでアドバルーンに小さな手足をつけたような姿だ。体には、ホルスタイン種の乳牛を連想させる白地に黒の模様が付いている。胸に骸骨のような顔と、紅いコアが並んでいた。その姿はユーモラスと言っていい。
しかし兵装ビルの攻撃をものともせず、進撃してくる様子は、ＮＥＲＶの面々に恐怖を与えるのに十分だった。
と、使徒の目が光ると、地面に大きな爆発が起こる。
「１８番までの装甲が破られました！」
「まさか、一瞬でっ！？」
ジオフロントの天井部分の装甲防壁は２２層ある。第５使徒のボーリング・マシンでさえその特殊装甲を貫通するのに１０時間以上も掛かったのに、第１４使徒はそれをビームで１８層まで破ったのだ。
使徒の強力さに、発令所はいつにない緊張に包まれた。

使徒はもう一度ビームを放つと、天井都市に完全に穴を開けた。そこからジオフロントに潜り込もうとする。下で待っているアスカの、インダクション・レバーを持つ手が震えた。あの野辺山の惨事が頭をよぎる。
（使徒……ミサトのパパの仇。鈴原の仇。カスミの仇……）
ジオフロントの天井に開いた穴から、使徒が顔を出した。
「珍妙な生物の癖に、人間様を舐めないでよねっ！！」
アスカは両手に持ったパレット・ライフルのトリガーを引いた。

シェルターに爆発音が伝わってくる。避難している人々は不安そうにざわめいていた。
（上はどうなってるんだろう……）
カスミは知らずに、自分の握りこぶしを固くしていた。何もできない自分がもどかしい。
「碇さん、落ち着きましょう？」
そんなカスミに気を遣って、ヒカリが声をかける。カスミは不安と焦りから、顔を真っ青にしていたのだ。
「そうそう、使徒は惣流達がやっつけてくれるさ」
ケンスケもわざと軽い調子で声をかける。
「うん、ありがとう」
不安から逃げることはできないが、それでも気を遣ってくれる友人達に、カスミは微笑んだ。

弐号機の放つ劣化ウラニウム弾は次々と使徒の体に吸い込まれていく。それでも使徒は何ごともないように進撃を続けた。
「ＡＴフィールドは中和してる筈なのに！！」
アスカの表情に焦りが浮かぶ。パレット・ライフルの弾が尽きると、今度はバズーカを両手に持って発射させた。それも使徒には効いてる様子はなかった。
「なんでヤラれないのよっ！！」
ふと、使徒の短い腕が伸びる。どうやら、薄い板のような腕が折り畳まれていただけ
らしい。何をするのかと、アスカは予断なく使徒を見つめる。しかし使徒の攻撃は、アスカが反応する暇さえない程素早いものだった。
「きゃああぁぁぁっっ！！」
使徒の腕は、弐号機の両肩に突然、襲いかかり、その両腕を完全に付け根から切断していた。
『アスカっ！！』
発令所ではミサト達が目を見開いている。ビーム以外にそれ程強力な武器を持っていたとは。
弐号機のエントリー・プラグの中では、アスカが自分の両肩を抱き締めて、シンクロの激痛と闘っていた。
「くぅっ……ううぅっ……」
そして冷静さを失ったアスカは暴走する。
「こんちくしょ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ！！」
両腕を失ったＥＶＡを使徒に向かって走らせた。完全な自殺行為である。
『アスカっ！！　弐号機のシンクロをカットしてっ！！』
『はいっ！！』
マヤがその作業を行った次の瞬間、弐号機の頭部は使徒に切断され、どこかへ飛んで行った。

「「「きゃああああぁぁぁっ！！」」」
カスミのいるシェルターに大きな衝撃が襲った。あちこちで悲鳴があがる。
「何！？　何が起こったの！？」
カスミが顔を上げると、そこには弐号機の顔があった。使徒に切断された弐号機の頭部は、カスミのいるシェルターに直撃したのだ。
「そ、惣流さん……」
「嘘。アスカ……」
「そんな……。嘘だろ……」
カスミ、ヒカリ、ケンスケは蒼白になっていた。

シンクロが解けて真っ暗になったエントリー・プラグの中、アスカの嗚咽が響き渡っていた。
「チクショウ……また勝てなかった。……また勝てなかったなんてぇ……」
微かな振動を感じる。動かなくなった弐号機の脇を、悠々と使徒が進攻していった。
「ゴメン、カスミ……」
アスカは悔しそうに唇を噛むことしかできなかった。

「アスカ……」
ミサトは爪が掌に食い込みそうなほど手を握り締めている。発令所は敗色濃厚といった感じだ。
「まだ初号機は起動できないの！？」
「ダメです！　再びダミー・プラグがイジェクトされました！」
「くっ！」
発令所の最上段では、ゲンドウが腰を浮かしていた。
「冬月、後を頼む」
「どうするつもりだ？」
「私はケージへ行く。もう一度ダミーで起動させる」
（お前が行っても状況は変わらんと思うがな……）
そう考えながらもコウゾウは何も言わなかった。
オペレーター達は作業をしながらも、心の中でゲンドウに呪いの言葉をかけていた。
（カスミちゃんをパイロットから降ろしたりするからこんなことになるんだ！）
（カスミちゃん……もう逢えないかもしれないっす。ああ〜、逝くときはカスミちゃんの膝の上って決めてたのに………）
（髭メガネめぇ〜〜〜っ。カスミちゃんを傷付けたバツだわっ。……って、私達までドキドキするほど大ピンチじゃないっ！！　ああっ、カスミちゃん〜〜〜っ！！）

「係員の指示に従って！　落ち着いて行動して下さい！」
カスミのいたシェルターでは、ＮＥＲＶ職員が誘導して、市民を別なシェルターに避難させていた。
外に出るとそこはジオフロントの中だった。両腕と頭部を失ってうずくまっている弐号機が見える。カスミは言葉を詰まらせたまま、その場に立ち尽くしてしまった。
「おいっ、碇こっちだ！　何してるんだよ！？」
「碇さん、早く逃げましょう！　まだ怪物がいるのよ！？」
ヒカリの言葉通り、弐号機の向こうにＮＥＲＶ本部へ向かって進攻を続ける使徒が見えた。
「ゴメンね。私、行かなきゃ」
「おいっ、碇！？」
「碇さん！！」
ヒカリとケンスケが叫ぶのも構わず、カスミはＮＥＲＶに向かって走り出した。
（初号機が出てない。何故？　綾波さんは？　ダミーは使えなかったの？）
弐号機が佇んだままの、なだらかな丘を駆け下りる。そこでカスミは意外な人物と出会った。
「加持さんっ！？」
「よう、カスミちゃん」
呑気にスイカ畑に水を撒くリョウジ。何だかカスミは現実感を失いそうだった。
「この畑、加持さんのだったんですね……」
「おや、ここに畑があるのを知ってたのかい？　内緒なんだ。みんなには黙っててくれよ」
「加持さん、なにもこんなときに水撒きなんかしなくても……」
カスミの言葉に、リョウジは苦笑した。
「アルバイトが公になったのでね、戦闘中のＮＥＲＶに俺の居場所はないのさ。だから、ここで水を撒いてる」
「アルバイト………加持さん、そういう人だったんですか……」
「軽蔑したかい？」
「いえ……。それより早く逃げてください。ここは危険です！」
「その危険な場所に、カスミちゃんは何故いるのかな？」
リョウジの言葉に俯いてしまったカスミだが、やがてゆっくりと意志を秘めた顔を上げた。
「……私には、やっぱりＥＶＡしかないから……」
「そうか。なら、これを持って行くといい。ケージまでは行ける筈だ」
そう言ってリョウジは、懐からセキュリティー・カードを取り出した。カスミの顔が輝く。
「悔いのないようにな」
「ありがとう、加持さん！」

そんなジオフロントに、ＥＶＡが射出された音が響いた。カスミはとっさに初号機かと思ったが、それは零号機だった。
「綾波さん！　無茶だよっ！！」
零号機は、先の戦闘で左腕を失ったままなのだ。その機体でどうやって戦うというのか？　カスミは零号機が抱えているものを見て、瞬時に青ざめた。

「私が死んでも、替わりはいるもの……」
レイの心には絶望があった。ゲンドウの野辺山での指揮ぶりや、その後のカスミへの対応を見て、レイはゲンドウが何ひとつ変わってないと感じていた。
レイが用済になれば、ゲンドウは躊躇なくレイを『処分』するかもしれない。もしそうなら、カスミと自分が再会することは叶わないだろう。レイはそう考えていた。
零号機が脇に抱えているものを見て、発令所にも動揺が走った。Ｎ２爆雷である。レイはそれで使徒に特攻しようというのか？
『レイ！　死ぬ気！？』
『やめなさい、レイ！！』
すでにレイには、ミサトの声もリツコの声も、遠い世界の出来事のように感じられていた。
Ｎ２爆雷を抱えたまま使徒に突っ込む零号機。
「ＡＴフィールド、全開」
レイの行動は淡々としている。カスミが自分を見ているとも知らずに。
零号機と使徒のＡＴフィールドは干渉し合い、肉眼でも確認できるほどの朱金の壁を作り上げた。レイはその壁にＮ２爆雷をねじ込み、使徒のコアに叩き付ける。しかし爆発が起こる瞬間、使徒のコアはカバーで覆われてしまった。

「綾波さあああぁぁぁぁんっ！！」
心臓を鷲掴みにされたような恐怖がカスミを襲う。その瞳は涙で滲み始めていた。
「綾波さん！！」
爆発の中から、使徒と零号機が姿を現した。零号機は両腕を失っていたが、使徒は無傷のままだった。

「零号機のシンクロをカットしてっ！　早く！」
ミサトの指示とともに、使徒の畳まれていた腕が降ろされる。そしてそれを零号機の顔面に叩き付けた。
「みんな無茶ばかりしてっ！」
ミサトが絶叫する。戦闘中でなければ、なりふり構わず泣きたいところだ。
顔面を割られた零号機がそのまま倒れ込む。中のレイは気を失っているようだ。再び使徒の進攻が始まった。

「ふっ……くぅっ……ふっ」
カスミは走った。涙が流れるまま、しゃくりをあげながら、ただひたすらにケージを目指して走り続けた。

ダミー・プラグがまたもやイジェクトされる。初号機は未だ起動していなかった。
「もう一度だ」
ケージにゲンドウの指示が飛ぶ。作業員達は無駄だと知りつつ、作業を続行しようとする。そのとき……
「私を乗せてくださいっ！！」
カスミだった。アンビリカル・ブリッジに立ち、コンソール・ルームにいるゲンドウを睨み付けている。もう涙は乾いていた。その構図は奇しくも、カスミが初めてＮＥＲＶに呼ばれたときと同じだ。ゲンドウはその意志に満ちたカスミに驚きながらも、表情を変えようとはしなかった。
「何故ここにいる？」
「私は……」
カスミの凛とした声が、ケージに響き渡る。
「私は、エヴァンゲリオン初号機パイロット、碇カスミですっ！！」

「目標、メイン・シャフトに侵入しましたっ！」
「まずい！　ここに来るわ！　総員、退避！」
しかしミサトの指示は間に合わなかった。轟音とともに、壁を吹き飛ばして発令所に侵入する使徒。あちこちで悲鳴が上がる。
（くっ、ここまでか……）
使徒の目が光り出すのを見て、全員が死を覚悟する。ミサトは父の形見の十字架のペンダントを握り締めながら、自分を殺そうとする相手を睨み付けた。
（カスミちゃんに逢えないまま死ぬなんて……）
（カスミちゃん！　もう一度君の笑顔を見たかったっす！）
（カスミちゃんの柔肌を触ることなく死ぬのは嫌ぁぁ〜〜〜〜っ！！）
オペレーター達もそれぞれに覚悟を決める。

と、巨大な腕が壁から突き出て、使徒を殴り飛ばした。
「ＥＶＡ初号機！！　カスミ！？」
カスミは横目で発令所の面々が無事なのを確かめると、そのまま使徒を殴り続け、発令所から追い出した。
戦場をケージに移す。このまま使徒を後退させれば、射出口に出られる筈だ。
「このぉぉ〜〜〜〜っ！！」
使徒の目が光って、殴りつけようとする初号機の左腕を吹き飛ばした。カスミに激痛が走る。それでもカスミは攻撃の手を緩めようとはしなかった。
吹き飛ばされた初号機の腕は、ゲンドウのいる近くの壁にぶつかった。ゲンドウはＥＶＡの血に塗れながらも、自分の娘の戦いから目を離そうとはしない。
「わあああぁぁぁぁ〜〜〜〜っ！！」
使徒を蹴りとパンチで後退させる。そして無理矢理ＥＶＡの射出台の上に乗せた。
「ミサトさんっ！！」
『急いで射出してっ！！』
カスミの思惑を感じ取ったミサトが急いで指示を出す。使徒と初号機を乗せたリニア式の射出台が発射された。
使徒の背後の壁がもの凄い勢いで移動していく。カスミは使徒を、その壁に押し付ける。火花が散って、使徒の体が削れていった。
使徒と初号機は、そのままの体勢でジオフロントに飛び出した。カスミはそのまま使徒をマウント・ポジションで押さえると、滅茶苦茶に殴りつけた。
「わああああぁぁぁぁぁ〜〜〜〜っ！！」
殴る。殴る。殴る。
そこにはあの泣いてばかりだった気弱な少女はいない。まるで戦いの女神のような激しさを持った少女がいるだけだった。
銃器も爆弾さえ効かなかった使徒だが、初号機による直接攻撃は効いてるようだ。ぐったりと弱っていく。
カスミは使徒の顔を掴んで引っ張った。ぶちぶちと嫌な音をさせて、使徒の顔が引っ張られる。しかしすでに第１４使徒は抵抗する力さえないようだ。カスミが勝利を確信したそのとき……
「！？」
不意にプラグ内が真っ暗になった。シンクロが解けたのだ。

その頃、発令所の面々はエレベーターでジオフロントを目指していた。ノート型の端末を見ていたマヤが悲鳴をあげる。
「初号機、活動限界の筈です！！」
「くっ」
ミサトが唇を噛んだ。

彼等がジオフロントに出ると、初号機が使徒に一方的に嬲られているところだった。
使徒は執拗に初号機の胸を攻撃する。使徒がビームを放つと、初号機の胸に爆発が起こり、コアが剥き出しになった。
「あれは！？」
「コアよ……」
「ＥＶＡにもあったのね……」
使徒はそのコアに腕を使って攻撃を始めた。

「動いて、動いて、動いてよっ！」
初号機のプラグでは、カスミが抵抗のなくなったインダクション・レバーをガチャガチャと乱暴に操作していた。
「動いて、動いて、動いて！！」
しかし内部電源の切れてしまったＥＶＡは、まったく反応しなかった。
「今動いてくれなきゃ意味がないのっ！　このままじゃみんな死んじゃうのっ！　誰かが傷付くなんて、もうそんなの嫌なの！　だからお願い！　動いてよっ！！」
プラグには使徒の攻撃の衝撃が伝わっている。焦る気持ちだけが募っていった。じわりとカスミの目が滲む。
「お願いっ！！　お母さああぁぁ〜〜〜ん！！」

突然、初号機の目が光った。
鋭利な刃物になっている使徒の腕に掌を伸ばした。しかし火花を散らして千切れたのは、使徒の腕の方だった。
「初号機、再起動……」
マヤが強張った声で報告した。そして驚愕する。
「シンクロ率……４００％！？」
その驚くほど高いシンクロ率に皆唖然とするが、その意味を知るリツコだけが哀しげに目を伏せた。
初号機はそのまま掌で、空間を薙いでみせた。その指の先からＡＴフィールドが伸び、使徒を空間ごと切り刻んだ。
一瞬遅れて使徒がＡＴフィールドを展開するが、そのフィールドさえ切り刻まれていて、自らの血を飛び散らせないようにする役目しか果たさなかった。
初号機はボロボロになった使徒の腕を掴んだまま、その体を蹴り飛ばした。使徒の腕が千切れ、体は地面に叩き付けられる。
初号機はその腕を自分の失った左腕にくっつける。すると使徒の肉体だったものは、初号機の新たな腕として再生してしまった。
「左腕、復元！」
マヤの報告を聞きながら、発令所の面々は初号機の圧倒的な強さに言葉を失っていた。
初号機が雄叫びをあげる。まるで野生動物のようだ。そのまま獣のような４足歩行で、ぐったりと横たわる使徒に近付いて行った。使徒の止めを刺すのかと思われた次の瞬間、初号機は使徒の体に食らい付いていた。
「使徒を……喰ってる……」
ミサトが呆然と呟く。信じられない光景だった。
「自らＳ２機関を取り込んでるんだわ」
リツコがそれを説明した。その姿に、マヤは嘔吐感を催し、口元を押さえる。
使徒を喰らう初号機の装甲が弾け飛んだ。新たな筋肉が盛り上がったのだ。
「拘束具が……」
「拘束具？」
リツコの呟きをミサトが聞きとがめる。リツコに説明を促した。
「そう、あれは装甲ではないの。ＥＶＡ本来の力を押さえるための拘束具なのよ。もうああなっては、誰にも彼女はとめられないわ……」
（彼女………ユイさんのことね……）
食事に満足したのか、初号機は再び雄叫びをあげた。その姿はまさに恐怖、そのものであった。
（ユイさん………あなたは自分の娘の敵になろうと言うの？　教えて……）
ミサトは自分の知識があまりに少ないことを再確認し、悔しさに歯ぎしりすることしかできなかった。

「初号機の覚醒と解放……ゼーレが黙っちゃいませんな」
その様子をスイカ畑から眺めていたリョウジは、呑気にポツリと呟いた。

「始まってしまったな……」
「ああ……」
そして司令執務室の２人も、その様子を苦い表情で眺めていた。
「イレギュラーな出来事だが、初号機は強大な力を手にした。これからゼーレに対抗するためには有益かもしれん」
「そうだな」
そう言いながらも、ゲンドウ達の表情が冴えることはなかった。
（ユイ………カスミを見守ってくれ……）
「ところで碇……」
「何だ？」
「いい加減、体を洗え。血塗れだぞ」
「ああ」
ゲンドウはケージで初号機の血を浴びて以来、そのままだったのだ。

「ぐおおおぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜〜っっ！！」
人々の様々な想いを受ける中、初号機の雄叫びは、深く、強く、ジオフロントに響き渡った。

（つづく）

後半です。
戦闘シーン、迫力出たでしょうか？
アスカですが、本編と戦う理由は変わりましたけど、やってることは同じですね（＾＾；
本編でレイがあんな行動に出たのは、シンジがＮＥＲＶを辞めたんで自暴自棄になってたのかな、と解釈してます。

ところで参号機のコアについては独自の設定を設けました。
本編で参号機のコアにいたのは、やっぱりトウジの妹なんでしょうか？
だとしたら残酷な話ですねぇ。

そんでやっぱりカスミ、初号機に取り込まれちゃいましたね。
んで、男の子になって戻ってくる、なんてことはないので安心してください（？）

感謝の言葉：

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