１日目
長い長い咆哮の後、初号機は満足したように活動を終えた。

第１４使徒が残した爪痕は、あまりに大きなものだった。ジオフロントの天井に穴が開き、ＮＥＲＶ本部は半壊。地上都市にも相当な被害が出たことだろう。ＥＶＡ２体が、ほとんどオーバーホールを必要とするぐらい大破し、チルドレン達は未だエントリー・プラグに閉じ込められたままである。
「まず回収班を出動させて。チルドレンの保護を最優先に」
「待って」
ミサトの指示を引き止めたのはリツコだった。
「初号機だけは手を着けないで」
「？　まだ危険なの？」
「いえ、そういうわけではないの」
不思議そうなミサトの代わりに、リツコが指示を出す。
「レイとアスカには回収班を回して。カスミは初号機の機体ごと本部のケージへ回収」
職員が動き出すのを見届けてから、リツコはミサトに振り向いた。
「私達も帰るわよ。山ほど仕事が残ってるわ。……もう、第１発令所は使えないわね」
「え、ええ。……これからが長そうね」
「ホント……」
そう答えるリツコの目は、何かを覚悟しているように見えた。


「碇カスミの戦い」第弐拾話「心のかたち　人のかたち」
　　　　　　　　　　　　　　　　作・スニフ


「初号機の覚醒と解放……。御老人方にどう説明されるおつもりです？」
司令執務室。ここではリョウジがゲンドウ達と対峙していた。一介の士官である筈のリョウジの、この飄々とした態度には、バックの組織の強大さが関係していた。
アルバイト……リョウジはＮＥＲＶと日本政府に籍を置くダブル・スパイというだけではなく、ゼーレにもその身を置くトリプル・スパイだった。
「初号機のコントロールはこちらから離れていた。これはイレギュラーな事態だよ」
そう答えるゲンドウは、相変わらず何の感情も伺わせなかった。
「老人方がそれで納得しますか？」
「委員会の別命があるまでは初号機を凍結する」
「なる程。しかし、御息女を取り込まれたままですか……」
この言葉にも、ゲンドウは何も反応してないように見えた。あくまでも表面上は……。
「ところで司令」
「何だ？」
「体、洗った方がいいのでは？」
「ああ」
ゲンドウは、まだ血塗れのままだった。

ＮＥＲＶ本部第２発令所。
ここではオペレーターを中心に、関係職員が総出でシステムの立ち上げを急いでいた。
その傍ら、マコト、マヤ、ロンゲのメイン・オペレーターはＥＶＡ回収の作業にあたっていた。
「初号機プラグ内のモニター、回復しました」
マヤがミサト達を振り返る。カスミの安否のみを気にしている彼女は、リツコの表情が冴えないのに気付かなかった。
「出して」
ミサトが指示すると、初号機のエントリー・プラグの映像がモニターに出された。
「何よ、これ……」
ミサトが呆然と呟く。そこにカスミはいなかった。ＬＣＬの中に、壱中の制服が漂っているだけであった。
「これがシンクロ率４００％の正体よ」
リツコがすかさず説明する。その表情は堅いままだ。
「シンクロ率は１００％が最高ではないの。あくまでＥＶＡを起動させる目安でしかないわ。シンクロ率１００％だとＥＶＡを完全に自分の手足のように感じることができる。……でも、それを超えると自我境界線が曖昧になってしまって……ついにはＥＶＡと同化、つまり一体となってしまうの」
「酷い……」
ミサトは思わず自分の口元を押さえた。あまりの衝撃に、体が震えてしまう。
「カスミは……カスミは私達を助けるために戻ってきたのよ！？　何であの娘がこんな目に遭わなきゃならないのよっ！！」
「落ち着いてミサト！　カスミはまだ生きてるわ！」
そう言われて、ミサトは再びエントリー・プラグの映像を見た。だがやはりその映像は、ミサトに絶望しかもたらさなかった。
「どこに……どこにカスミがいるって言うのよ？」
「カスミを構成していた粒子と、カスミの自我と呼べるものは、まだあの中に漂ってるわ」
「だったら助けなさいよ！　アンタ科学者なんでしょっ！？」
「助けるわよっ！！」
自分の怒鳴り声より大きな声で叫び返され、ミサトは少し怯んでしまった。
「助けるわよ………絶対、カスミはサルベージしてみせるわ……」
まるで自分に言い聞かせるようにリツコは決心を口にする。ミサトは呆然としてしまった。最近、リツコがカスミに対して好意を見せ始めたことには気付いていたが、これほどまでとは。
「わかったわ……。アンタを信じる……」
「あの……」
２人の言い合いを遠巻きに眺めていたマコトが、おずおずと声をかけた。
「何？」
「はいっ。ファースト、及びセカンド・チルドレンの回収が終わりました。２人とも病院で手当てを受けています。ファースト・チルドレンは意識を失ったままらしいですが……」
「そう……」
安堵したように嘆息を漏らしたミサトは少し考え込み、
「ちょっとアスカに会ってくるわ。後、よろしく」
そう言って発令所を後にした。

アスカはプラグ・スーツのまま病院の長椅子に座っていた。複雑な感情に溜め息をつく。
「アイツ……帰ってきたんだ……」
プラグの中で、悔しさに身悶えしていたアスカだったが、使徒がカスミの乗った初号機に殲滅されたことを知ると、顔を輝かせてしまった。
「前なら……カスミに負けたとか言って、喚き散らしてたんだろうな……」
思わず苦笑する。しかし、悪い気分ではなかった。
不意に廊下に靴音が響き渡った。ミサトが来たのだ。
「ああ、ミサト……」
アスカは呑気に挨拶しようとしたが、ミサトは物凄い形相でアスカに近付き、そのまま平手を飛ばした。病院の廊下に乾いた音が鳴り響く。
「なっ、何すんのよっ！？」
「……何であんな無茶したの……」
ミサトの声は、静かな怒りに満ちていた。
「なっ、何よっ！　使徒はミサトのパパの仇なんでしょっ！？　それをやっつけようとしたのに、何で怒られなきゃなんないのよ！？」
「今、そんな話はしてないわ……」
初めて見るミサトの本気の怒りに体が強張ったが、それでもこの勝ち気な少女は言い返すのをやめようとはしなかった。
「そっ………っ！？」
しかしミサトの頬に涙が流れるのを見て、アスカは完全に言葉に詰まってしまった。
ミサトはそんなアスカの体を抱き締めると、嗚咽を漏らし始めた。
「うっ……ううっ……ふぅっ……」
「な……何よ……」
そんなアスカの目も滲み始めた。『泣かない』と決めたあの幼い日、大人になれば人は泣かなくなるのだと本気で信じていた。だって、大人の涙なんか見たことがなかったから……。
「アスカに何かあったら……私はどうしたらいいのよっ……」
アスカの体に衝撃が走った。今までのアスカには、自分の行動が誰かを傷つけることなど、考える余裕すらなかったから。
震えるミサトの体を、アスカも抱き締め返した。アスカの蒼い瞳からも涙がこぼれる。
「ゴメン……ゴメンね？　ミサト……」
「ふっ……ううっ……アスカ……よかった……」
ミサトが涙に濡れた顔を上げる。そしてアスカの姿を視界に入れると、柔らかく微笑んだ。
「アスカ………ちゃんと腕はあるわね？」
「あ、当たり前でしょうが！」
可愛らしく唇を尖らせるアスカを見て、ミサトは一層深い笑顔になった。
「弐号機はアンタのママなんだから、もっと大事に扱いなさい」
「わ、わかってる。…………ゴメン」
慣れていないためだろう、頬を染めて謝罪する少女に満足して、ミサトは安堵の溜め息をついた。

２日目

「これがカスミのサルベージの計画表よ」
リツコの研究室。そう言ってリツコは、ミサトに簡単な冊子を差し出した。
「ずいぶんと速かったわね」
「基本的なプログラムは、１０年前に完成していたの。私はそれを焼き直したに過ぎないわ」
そう言うリツコの目の下には隈ができていた。相当、無理をしたのだろう。
（１０年前……ユイさんの事件ね……）
「後は完全なプログラムの作成と必要な機器の製作。………サルベージは１ヶ月後になると思うわ」
「私に手伝えることは？」
「残念ながら無いわね。あなたはアスカやレイのケアを頼むわ。あの娘達もきっと参ってる筈だから」
「レイの容態はどうなの？」
「まだ眠ってるわ。神経にかなり負荷がかかったと思うけど、今日明日中には目を醒ますんじゃないかしら」
昨日のレイの行動を思い出して、２人は同時に溜め息を漏らしてしまった。
「レイ………なんであんな無茶を……」
「きっとカスミがここを出て行くんで、自暴自棄になったんだわ……。２人は親友なんですもの……」
「親友………か…」
ミサトの脳裏に、カスミとレイのキスシーンがよぎる。
「？　親友でしょ？」
「そそそ、そうねっ！」
「？　おかしな人ねぇ。何を焦ってるの？」
「べべべ、別にっ！　……なはは」
笑って誤魔化すミサトを見ながら、自分の親友はちょっと困った人間らしい、とリツコは思わずにはいられなかった。
「さっ。そろそろ作業を始めるわ。ミサト、行ってちょうだい」
「はいはい。じゃ、頑張ってね。期待してるわ」

その頃、ＮＥＲＶの病院では、レイが目を醒ましていた。
「私……まだ、生きてる……」
（使徒は？）
レイが首を捻って窓に視線を移すと、そこには平和なジオフロントの光景があった。
（ダミーを使ったのね……）
カスミが戻ったことを知らないレイはそう結論付けた。
シンクロの負荷と、極限にまで達した精神的疲労のため、体中が痺れる。しかしレイの心に重くのしかかるのは、あまりに大きな喪失感だった。
（碇さん………もう、前の家に帰ったのだろうか……）
レイは天井を見上げながら、もう２度と逢えないかもしれない、自分の恋人の姿を思い浮かべる。と、天井がグニャリと歪んだ。鼻の奥がツンと痛い。
（これ……涙。私……哀しいのね……）
「碇さん……」
声に出して、愛しい人の名前を呼んでみる。しかしそれは、レイの孤独感を一層煽るだけだった。頬に涙が流れ落ちる。レイは、いつの間にか嗚咽を漏らしていた。
「ふっ……ううっ……いかり、さん……」
自分はなんて弱くなったんだろうと呆れながらも、レイは泣くのをやめられなかった。
（あなたのいないこの世界で……私はどうやって生きていけばいいの……？）

「あらマヤちゃん」
「あ、葛城さん」
自分の執務室へ帰る途中、ミサトは廊下でマヤと出会った。マヤはノート型の端末を小脇に抱えている。
「これからリツコのところ？」
「はいっ。カスミちゃんを１日でも早く元に戻してあげないと！」
「そう。頑張ってね」
「当たり前です！　だって私、カスミちゃんとまだ何もしてないんですよ！？」
（な、何をするつもりなのかしら……）
ミサトは怖くて訊けなかった。
「それじゃ！」
「え、ええ」
大股で元気に歩いていくマヤを、ミサトは引き攣った笑顔で見送ることしかできなかった。

３日目

「よぉ、惣流やないか。久しぶりやな」
トウジの元気そうな姿を見て、アスカはほっと一息ついた。
あの参号機の事件以来、アスカがここに来たのは初めてだった。カスミが苦しんでるときに何もできなかった自分が惨めで、すべてのことから逃げ出してしまっていたのだ。
「元気そうね、鈴原」
「ああ、お前もな」
２人の間に、穏やかな空気が流れた。顔を見ればケンカばかりしていたのが信じられないほどだ。
「イインチョに聞いたで。お前、大変だったそうやないか」
「まあね。でも、カスミが仇を討ってくれたから……」
そう言うアスカの眉は、複雑そうに寄せられた。
「碇……前の家に帰ってもうたんやってなぁ」
「ええ。……最後に強敵を倒してから去っていくなんて、ヒーローみたいなヤツよね」
「はは。そらええ」

カスミが初号機に取り込まれてしまったことをアスカが聞いたのは、昨日のことだった。
『何でカスミがそんな目に遭わなくちゃいけないのよっ！？』
アスカは喚き散らしたが、すぐに言葉を失った。ミサトとリツコも辛そうな顔をしていたからだ。外部の人間には、予定通りカスミは前の家に帰らされたと発表された。

「元気出せや、惣流。お前がそんなんやと、碇のヤツも心配するで」
すっかり俯いてしまったアスカに、トウジは優しく声をかける。アスカはらしくないケンカ友達の優しさに、つい慌ててしまった。
「馬鹿。何言ってんのよっ」
そして誤魔化すように立ち上がる。
「アタシ、もう帰るわ。アタシも明日から学校だから」
「ああ。みんなによろしゅうな。わしも再来週には退院できるらしいで」
帰ろうとしたアスカだったが、一旦ドアのところで立ち止まった。そして小さな声で呟く。
「アンタだったら………許せるかもね、ヒカリのこと……」
「んあ？」
「何でもないわよ、馬鹿っ！」
赤い顔で慌てて出ていったアスカに、トウジは首を捻るだけだった。

５日目

ミサトが帰宅すると、アスカはカップ・ラーメンを片手にテレビを観ているところだった。
（しょうがないわねぇ……）
ミサトは嘆息するが、自分も家事が苦手なため、文句は言えない。
ふと見渡すと、カスミがいなくなったせいで部屋が汚れ始めていた。思わず顔をしかめてしまう。カスミが来る前はもっと酷かった筈なのだが、ミサトはそのことを綺麗に忘却の彼方へ追いやってしまっていた。
「ま、いっか」
取り敢えず気にしないことにしたミサトだった。
「あ、ミサトお帰り」
「ただいま。……何とも寂しい夕食ねぇ」
「しょうがないじゃない！　カスミがいないんだから！」
「この機会に、アスカもお料理覚えれば？」
「嫌よ、メンド臭い」
「ったくぅ。お嫁に行けなくなっても知らないわよ？」
「そう言うミサトは出来るわけぇ？」
ミサトをジト目で睨むアスカ。
「料理？　私は出来るわよ？」
「嘘っ！？」
「って、何マジに驚いてんのよっ！？」
「だってミサトが料理できるなんて……マジで驚いた」
嘘のつけないアスカに、ミサトの頬が膨らんだ。
「じゃあ明日の夕食、私が作ってあげるわ。ミサトの特製カレーをご馳走してあげる。美味しくてほっぺたが落っこちても知らないから♪」
「ほんとぉ〜？」
「マジマジ。絶対びっくりさせてあげるわっ！」
「うん♪　期待してるわねっ」
アスカは確かにびっくりすることになるのだが、それは後の話である。

７日目

（ここはどこ？）
エントリー・プラグの中、ＬＣＬに漂っている自分の制服が見えた。
（……何でこんなところにいるの……？　私、パイロットを降ろされたのに……）
何も感じることができない。音さえ聞こえなかった。
（敵………そうだ。敵が現れて、だから私、戦ったんだ……）
それは意識の欠片。カスミは夢の中にいるような浮遊感と、まとまりのない思考の波にさらわれていった。
（何だろう、このカンジ……とても気持ちいい……）
自分が自分でなくなる感じ。自分がどこまでかわからなくなる感じ。自分が溶けていく感じ。曖昧さが、とても心地よかった。

１０日目

「碇さん……」
ＮＥＲＶ本部、第７ケージ。そこには初号機が拘束されていた。装甲が剥がされたまま、体中に包帯を巻き付けられている。剥き出しになっている右目と口が、酷く無気味だった。
「碇さん……」
目醒めて以来、ここを訪れるのがレイの日課となっていた。自我の消えてしまったカスミを感じることはできないが、それでも寂しさを埋めるため、レイは毎日ここにやって来る。
「ファースト」
レイが振り向くと、アスカがアンビリカル・ブリッジを歩いてくるところだった。アスカはレイの隣に並ぶと、レイと一緒に初号機を見上げた。しばし沈黙が流れる。
「あなたも……寂しいの？」
「そっ……っ！」
顔を赤くして言い返そうとしたアスカは、途中でやめてしまった。そして嘆息してから言葉を紡ぐ。
「そうよ……今まで３人で戦ってきたのに……」
素直なアスカに、レイは流石に目を丸くした。
「アイツ……戻って来ても、やっぱり前の家に帰されちゃうのかな……」
「………」
そのまま２人で初号機を眺める。アスカは深々と溜め息をつくと、重い空気を吹き飛ばすように大袈裟な仕種でレイに向き直った。
「ところでアンタ、カスミに料理、習ってたわよね？」
「ええ」
「じゃ、ウチにご飯作りに来てよ」
「何故？」
「ミサトの料理を食べたくないからよっ」
「……？」
「だってあれは……毒だもの！」
吐き捨てるように言うアスカ。
「そう……。でもダメ。私、肉料理は作れないから……」
「野菜ばっかでも文句言わないからっ！　お願いだから作りに来てっ！」
手を合わせて必死に拝むアスカ。レイは内心、アスカが怯える姿に驚いていた。こんな姿を見るのは初めてのことだ。
「……わかったわ」
「ありがとう、ファースト！」
しかし輝くようなアスカの笑顔を見ながらも、レイは秘かに動揺していた。
（何故………？　この人がこんなに怯えてるのに……私、葛城三佐の料理を食べてみたいと思っている……。そう………これが、好奇心なのね……）
そして、また人らしい心が自分の中に育っていることに感動する。それがどんなに自身を滅ぼすことかも知らずに……。

１２日目

その日、レイが初号機のケージへ行くと、アンビリカル・ブリッジに先客がいた。
（赤木博士……？）
レイは思わず、物陰に隠れてしまった。

「カスミ……」
リツコは初号機に語りかける。その心中は複雑だった。カスミのサルベージのための作業を続けながらも、ひょっとしてカスミは還ってこないのではと考えてしまっている自分がいるのだ。
大人達によって傷付けられ続けたカスミ。この世界はあの少女にとって、あまりにも辛い場所なのではないだろうか？　その少女は、今、母親の温もりに包まれているのだ。再びこの世界に戻ることを、カスミが望んでくれるだろうか？
そのカスミを傷付けた大人の中に、自分が含まれていることを自覚しているリツコは辛かった。
「ユイさん……お願い」
だからリツコは、ユイに縋ってしまう。
「ユイさん、カスミを返して……。今度はみんなであの娘に優しくするから……。だからお願い、カスミを返して！」
そう言ってリツコは、アンビリカル・ブリッジの上に泣き崩れた。
（赤木博士……）

１４日目

………夢。
夢を見ていた。
長い長い夢。
醒めることのない夢。

『この子の名前、考えてくれました？』
『ああ。男の子だったらシンジ。女の子だったらレイ、もしくはカスミと名付けよう』
『碇シンジ……碇レイ……碇カスミ……。ねえ、ゲンドウさん、「碇レイ」では、イカのリレーみたいだわ』
『そ、そうか。き、気付かなかったよ』
『ふふっ。ゲンドウさんったら』
『は、ははははは』

（これは誰？　………お父さん………お母さん……）

『じゃ、男の子ならシンジ。女の子ならカスミね』
『ああ』

（お母さん……………





…………イカのリレーって、何？）

１５日目

レイのいる台所から美味しそうな匂いが漂ってきた。カレーの匂いだ。しかしカレーに何故かトラウマのできてしまったアスカは真っ青になった。
「ファースト！」
「何？」
いきなりキッチンに飛び込んできたアスカに、レイは驚いているようだった。
「もしかして………カレー？」
「そうよ。シーフード・カレーだけど……」
「だ、大丈夫なんでしょうね！？」
「？」
「べ、別にアンタを信じてないわけじゃないのよっ。今まで作ってくれたご飯、美味しかったしっ。で、でもアタシ、ミサトのカレーを食べてから、カレーが怖いのよっ！！」
（そ、そんなに……）
レイはそっと喉を鳴らした。
「なら、試食してみる？」
「う、うん」
レイの差し出した小皿を恐る恐る受け取るアスカ。だがカレーのルーを味見すると、途端に笑顔になった。
「美味しい！　そうよっ！　カレーってこうよねっ！？　ファースト、ありがとう！」
嬉しそうに涙を流すアスカを見ながら、レイはまた自身の中に好奇心が湧き上がるのをとめられなかった。
（恐ろしいことだとわかってるのに、私は葛城三佐のカレーを食べたいと願っている……。好奇心って、身を滅ぼすものなのね……）
好奇心というものの恐ろしさに、レイが秘かに戦慄していると、玄関のドアが開く音が響いた。
「たっだいまぁ〜。あらぁ、美味しそうな匂いねぇ〜」
「あ、お帰りミサトぉ〜」
「……お邪魔してます……」
「あらぁ、レイ、またご飯作りに来てくれたの？　悪いわねぇ。でも今日は遅くなっちゃったんじゃない？」
「買い物とかしていたので……」
「そう。なら、今日は泊まっていきなさい。カスミの部屋が空いてるから」
「碇さんの部屋……」
すっと頬に朱を差すレイ。ミサトは思わず笑顔を引き攣らせてしまった。

「美味しいっ！」
カレーをひとくち食べたアスカが、早速顔を輝かせた。
「ホント美味しいわ。カスミのカレーや私のカレーに並ぶわね」
ミサトもしきりに頷く。
（アンタの味覚はどうなってんのよっ！？）
アスカは思わず心の中でツッコミを入れた。
一方、手放しの賛辞をもらったレイは、少し照れているようだった。
「そう言えば、カスミのパイロット抹消、取り消しになったわ。今日、正式な辞令が下りたの」
「へぇ、よかったじゃん」
「碇さん……」
ミサトがそっと伺うと、レイは頬を染めてうっとりとしていた。
（２人が幸せなら……私は何も言えないわね）
カスミ達の応援をする決意をしたミサトだった。

その夜、レイはカスミのベッドで、カスミの匂いに包まれながら眠りに就いた。その寝顔には、幸福そうな笑みが浮かんでいた。

１８日目

「ほんま、スマンなイインチョ」
「何言ってるのよ。鈴原は怪我人なんだから、そんなこと気にしないで」
朝の通学路。松葉杖をついたトウジが、ヒカリとともに壱中に向かっていた。久し振りの登校だ。松葉杖をつくトウジの代わりに、ヒカリに鞄を持たせている。
「ほんま、久しぶりやなぁ。みんな元気にしとるんか？」
「ええ」
トウジの隣を歩きながら、ヒカリはずっと頬を染めたままだった。トウジと一緒に道を歩けるのが嬉しかったし、少し恥ずかしくもあったのだ。

「よぉっ！　みんな、おはようさん！」
トウジが教室に入ると、クラスメートが一斉に彼を取り囲んだ。
「トウジ、久しぶり！」
「鈴原君、退院おめでとう！」
「鈴原！　大変だったんだってなぁ」
クラスメートと一緒にトウジのもとへ駆け寄ったアスカは、不思議そうに周りを見渡した。
「ちょっと待って。せっかく鈴原が来たってーのに、ヒカリはどこにいるのよ？」
するとトウジの陰から、トウジの鞄を持ったヒカリが姿を現した。クラスメートが一斉に囃し立てる。
「あっらぁ〜〜？　ヒカリちゃん、なかなか学校に来ないと思ったら♪」
「熱いよっ！　お２人さぁ〜〜ん！！」
「委員長の家って、トウジの家から遠くなかったか？」
「ヒカリぃ〜、妬ける妬ける！」
２人はもう、真っ赤である。
「お、お前等、ええ加減にせんとパチキかますでっ！」
「鈴原っ！　暴力はダメよっ！」
「す、スマン、イインチョ」
そこでクラスは爆笑に包まれた。

「毎度〜」
壱中の休み時間、校舎裏では、ケンスケがいつものように商売をしていた。クラスの美少女達を撮影した写真を売り捌いているのだ。
「おっ、ケンスケ。相変わらず儲けとんのぉ〜」
「よっ。トウジか」
トウジは松葉杖を校舎に立て掛けて、ケンスケの隣にどっかと腰を下ろした。
「相変わらず稼ぎ頭は惣流なんか？」
「いや、今は碇の写真が１番売れてるよ」
そう言ってケンスケは寂しそうな笑顔になった。トウジも眉をひそめる。
「ほうか。みんなアイツがいなくなって寂しいんやなぁ」
「ああ。アイツってムード・メーカーっていうか、ほっとさせてくれるトコあっただろ？　派手に目立つヤツじゃなかったけど、いつの間にかクラスにはいなくちゃいけない存在になってたんだな」
「そうやな。………元気にしとるんかなぁ……」
ふと、トウジとケンスケの前に誰かが立っていた。２人が見上げると、それはレイだった。
「「ヤバっ！」」
２人は一気に青ざめた。ケンスケはレイの写真も無断で売り捌いてるのだ。レイが無表情でいることに、トウジもケンスケも血の引くような思いがした。
「碇さんの写真……」
レイは別に怒っているわけではない。ただ、カスミの写真を一心に見つめているので、無表情に見えただけだった。レイは不意にしゃがむと、カスミの写真を手に取った。いつ写したのだろう、レイに笑顔を向けている写真だった。その他にも体育の授業中のものや、弁当を食べているところ、スクール水着の写真まであった。
「これ、売ってるの？」
レイはケンスケを一瞥する。
「ご、ごめんなさい！」
ケンスケが慌てて頭を下げる。しかしレイは気にせずに、ポケットからサイフを取り出した。
「カードで、買える？」
ＮＥＲＶのカードを見せる。ＮＥＲＶのＩＤカードは、そのままクレジット・カードとしても使えるのだ。
「いや、カードでは買えないんだ……」
「そう……」
ケンスケが引き攣ったまま答えると、レイは哀しそうに俯いてしまった。しかしそれでもレイは諦めようとはしなかった。
「明日も売ってる？　お金、持って来るから」
「あ、綾波は、碇の写真が欲しいんか？」
トウジの問いに、レイは頬を染めてコクリと頷いた。
「ちょっ、ちょっと待ってろ！」
それを見たケンスケが、慌てて売り物の中からカスミの写っている写真を、全種類集めてレイに渡した。
「？」
「や、やる！　これ、やるからっ、惣流達には黙っててくれないか？　俺達殺されちゃうよっ！」
「頼む！　綾波！」
頭を下げるトウジとケンスケを不思議そうに見ていたレイだったが、手元の写真の束に目を移すと、嬉しそうな笑顔になった。
「わかったわ……。誰にも言わなければいいのね？」
「ああ！　サンキュー、綾波！」
「私も……写真、ありがとう」
透き通るような笑顔を残して、レイは去っていった。崩れるように座り込むトウジとケンスケ。
「こ、殺されるかと思った……」
「……わしも、病院に逆戻りかと思うたわ」
そんな２人は、去っていくレイがスキップを踏んでいることには気付かなかった。

２０日目

「で、話って何？」
その日の午後、ミサトはリツコに呼び出されていた。
「実はね……レイのマンションが取り壊されることに決まったの」
「へぇ。で、引っ越し先は決まったの？」
「ええ。あなたの部屋の隣。そこでレイとカスミを同居させようと思ってるのよ」
「ええっ！？　それは流石にまずいんじゃ……」
「何で？」
「え、あ、あはははは……」
（２人は恋人同士だからなんて言えるかっ！）
笑って誤魔化すミサトだった。
レイのマンションが取り壊し、というのは嘘である。再開発予定地区に指定されたまま、忘れられた場所なのだ。カスミとレイの同居は、ゲンドウとリツコによる罪滅ぼしだった。
それにリツコは、カスミとの同居により、レイの再教育と、レイの無茶な行動を押さえる効果も期待していた。それを考えたとき、何故今まで思い付かなかったのかと歯噛みしたほどだ。
「あなた、もしかしてカスミに家事を全部押し付けてたんじゃないでしょうね？　だからそんなに反対するのね」
「ままま、まさかっ！」
途端にミサトは蒼くなった。家事はカスミから申し出たことなので、一応、嘘ではない。
「そう？　ならいいけど」
そう言いながらも、もちろん、リツコは信用などしていなかったが。
「今度の休みでも、レイの引っ越しを手伝ってあげて。それまでには手続きを済ませておくわ」
「はぁ、わかったわ……」
心中、穏やかでないミサトだったが、カスミ達の恋を応援すると決めた以上、素直にそれに従うことにした。

２１日目

レイがいつものように初号機を眺めていると、リツコがやって来た。
「レイ、やはりここにいたのね。あなたに話があるの。ちょっとセントラル・ドグマまで来てくれないかしら？」
「……はい」

セントラル・ドグマの１番奥の部屋に２人はいた。ＬＣＬの水槽にはレイと同じ形をした、レイの『替わりの体』が無数に漂っている。それを見つめるレイの紅い瞳は、冷たく乾いていた。
「レイ……」
「はい……」
リツコも感情を消した声で話し出した。
「私達は勝手にあなたを生み出して、勝手にあなたを利用して、勝手にあなたの命を弄んで来たわ………」
「はい……」
「だから今度も、勝手に命令するわね」
そう言うとリツコは、手にしていたリモコンのボタンを押した。すると水槽の中のレイの体がぐずぐずと崩れていった。
「！？」
レイが目を見開く。驚愕の表情でリツコを振り返った。
「赤木博士……」
「レイ………人として生きなさい」
「え……？」
「私達はダミー・システムを廃棄することにしたの……。散々、今まであなたをいいように扱ってきておいて本当に勝手だとわかってる。でも、これ以上あなたの命を利用し続けることは、私達も辛いのよ」
「………」
「それに、これ以上カスミに嫌われるのも辛いしね……」
そう言ってリツコは自嘲的な笑みを浮かべた。
「碇さん……」
「ええ。あの娘は、あなたが人として生きることを望んでる……。それに応えてあげて欲しいの」
レイは一度俯いてから、リツコに真摯な表情を向けた。
「私は……あの人と出逢ってから、人として生きることを望んでいました……」
「そう。……ありがとう、レイ」
リツコは安堵したような笑みを漏らした。生命を弄ぶことの罪悪感を消せはしないが、それでも重く心にのしかかる苦しみは和らげたような気がした。
「それと、もう一つ」
「はい」
「あなたの住む場所が変更になるわ」
「はい」
「ミサトのマンションよ。部屋はミサトの隣。そこであなたとカスミに同居してもらうつもりなの」
「！！　碇さんと同居……」
レイの目が丸くなる。２人がいるのは暗い部屋なので、リツコはレイの頬が桜色に染まっていることに気付かなかった。
「ええ。……私達があなたを道具としてしか見てこなかったせいで、あなたを人らしい常識の疎い人間にしてしまったわ。だから、カスミに色々教わって欲しいの。あの娘は事情をすべて知りながらあなたを受け入れたんですもの。きっと協力してくれるわ」
「碇さんと同居……」
もはやレイは完全に夢心地である。
「ありがとう、赤木博士」
「！！　そう……、喜んでくれるの」
レイがリツコに微笑みを贈る。リツコはレイの笑顔を見ることなど初めてだったので、少なからず感動してしまっていた。
「碇さんと同居……」
そしてレイは、まさに至福の中にいた。

２４日目

「レイ……こんなところに住んでたなんて……」
レイのマンションの前、ミサトは声を失っていた。廃棄寸前のマンション。まさかこんな場所で中学生の少女が生活してるとは思わなかった。
「こりゃ、確かに少しでも早く引っ越しさせるべきだったわね……」
今までレイの実情を知らなかったことで、ミサトは罪悪感が湧き上がるのを押さえられなかった。

レイの荷物はたいしたものがなかったため、引っ越しはあっという間に終わった。その後ミサトの部屋からカスミの私物を移す。アスカも素直に手伝いに来た。
それでもリビングは殺風景なままだった。
「こりゃあ、どうしようもなさそうねぇ……」
ミサトが嘆息する。予算も出てることだし、レイに色々インテリアを買い揃えるように言おうと思ったが、この少女にそんな能力は期待できそうになかった。
「カスミが還って来てから、２人で色々買い揃えていきなさい」
「はい」
引っ越しの間、レイはずっと夢心地の中にいた。ときどき『碇さんと同居、碇さんと同居……』などと呟いて、ミサトの不安を煽っていった。
「レイ……ひとこと言って置くけど……」
アスカが自室へ戻ったところで、ミサトが切り出す。
「はい？」
「まだ２人は若いんだから、節度ある付き合いをするのよ？」
「はい……」
レイは頬を染めてコクリと頷いたが、それが余計にミサトを不安にさせる。
（ま、２人が幸せならこれで…………いいのかしら？）
なんだかんだで、まだ迷いのあるミサトだった。

２６日目

レイが隣に引っ越して来たことにより、葛城家の朝食はレイが作ることになった。アスカは弁当もレイに作らせているため、３食を完全にレイに依存している。
アスカはレイがカスミのエプロンを着けて働き回るのを、頬杖をついて眺めていた。
そんなレイの足下にはペンペンがまとわりついている。カスミに対してといい、（マトモな）餌をくれる人間には簡単に心を開くようだ。レイもペンペンを邪魔にはせず、そのままにさせているのが微笑ましかった。
「ファーストって、なんかお母さんみたいね」
アスカの何気ない呟きに、レイは頬を染めて動揺した。
「な、何を言うのよ……」
「ね、ファースト。これからアンタを『レイ』って呼んでいい？」
「？　別に構わないわ。でも、何故？」
「そうした方がね、カスミが喜ぶような気がすんのよ」
照れくさいのだろう、アスカは顔を赤くしながらそう告げる。アスカにとって、レイを『ファースト』と呼ぶことには特別の意味があった。
何に対しても１番を目指していたアスカにとって、自分が『セカンド』と呼ばれることさえ屈辱だった。今ではなんて下らないことに拘っていたのだろうと思うが、前は確かに切実な問題だったのだ。アスカはずっと昔から、見知らぬ『ファースト・チルドレン』を敵視してきたのだから。
それに肩書きで相手を呼ぶことに、拒絶の意志もこめていた。
だからアスカがレイを名前で呼ぶことは、『仲良くしたい』と言う意思表示であったのだ。
「それはいいことね」
いきなり横から口を挟んだのは、起き出して来たミサトだった。
「ミサトっ」
「葛城三佐………おはようございます」
「あら、ダメよ、レイ。あなたも私達を名前で呼んでくれなきゃ」
そう言ってミサトはいたずらっぽくウィンクをする。ミサトもアスカがレイを『ファースト』と呼ぶのは、拒絶の現れだと気付いていた。
「？　では、『ミサトさん』？」
「そう。よくできました♪」
レイは小首を傾げた。名前の呼び方に意味があることなど、考えもしなかった。カスミに出逢う前、レイが唯一心を開いていたゲンドウでさえ『碇司令』と呼んでいたぐらいなのだ。
それは図らずも、レイがプライベートの時間を持っていなかったことを意味している。
名前を呼ばれて嬉しそうなミサトを見ながら、レイは一応納得することにした。

２７日目

ＮＥＲＶ本部第３ケージ。
アスカはここで、久しぶりに弐号機と対面していた。
「ママ……」
今日はシンクロ・テストだったのだが、修理の終わった弐号機を見るため、アスカはここに足を伸ばしたのだ。
「ゴメンね、ママ。酷い目に遭わせちゃって……」
第１４使徒戦を思い出すと、アスカの胸が軋んだ。
「今度から、もっとママのこと、大切にするわね」
弐号機は何も言わず、そんなアスカを見下ろしているだけだった。

２８日目

夢………。
カスミは、まだ長い夢の中に囚われたままだった。

『この子は、この地獄の中を生きていくのか……』
『あら、生きていればどこだって天国になるわ。だって、生きてるんですもの』

誰かの温もり、よく知っているような気がする温もりに包まれながら、カスミは未だ夢の中を漂い続けている。

２９日目

「明日、サルベージを決行するわ」
リツコの表情には緊張が貼り付いていた。
「カスミ……還って来るかしら……」
ミサトの表情も堅いままだ。
「それは……カスミ次第ね。……あの娘がこの世界に還ってくることを望んでくれれば……」
そう言うリツコは、辛そうに眉を寄せたままだ。自分の無力が恨めしかった。
しかしリツコの知らないところで、ミサトは楽観視していた。
（大丈夫。カスミはレイと愛し合ってる。きっと、レイのために還って来るわ……）

３０日目

「マヤ、デストルドー反応には十分注意して」
「はい」
ＮＥＲＶ本部、第２発令所。まさに今からカスミのサルベージが行われようとしていた。
オペレーター達が忙しく働き回り、リツコの指示が何度も飛ぶ。ゲンドウとコウゾウもいつもの席で作業を見守り、仕事がない筈のミサト、レイ、アスカの３人も心配そうにその場に詰めかけていた。
初号機のプラグはイジェクトされた状態で色々な装置を付けられ、サルベージの開始を待ち受けている。
「サルベージ・スタート！」
リツコの宣言とともに、サルベージが始まった。オペレーター達は、モニターに表示される様々な数値を睨みながら、忙しくコンソールを操作していった。
緊迫した空気が流れる中、人々の祈りが交錯する。
（碇さん……）
（カスミ……還ってきて）
（カスミ、還ってくんのよ）
（ユイさん、私達の願いを聞いて……）
（ユイ君……カスミ君をまた我々に逢わせてくれ）
（………）
（カスミちゃん、還ってきてくれ！）
（カスミちゃん！　お兄さんのもとへ還ってくるっす！）
（カスミちゃん……還ってきて。そして私と色々しましょう！）

夢………。
それは長い長い夢だった……。

お母さん……。
私、ずっと寂しかった。
お母さんがいなくて、ずっと寂しかったよ。
恨みに思ってたこともあるの。
お父さんに捨てられたと思って、いじけてたこともあるの。
なのにお母さんは、ずっとこんなところにいたんだね……。

お母さん……。
でも、わかった気がする。
お母さんは私に生きていて欲しいんだね。
私に幸せになって欲しいんだね。
お母さん……。

「干渉、始まりました！」
マコトの報告にリツコは一瞥してから、手前のモニターを覗き込んだ。
「マヤ、心理グラフは？」
「大丈夫です、安定してます」
「そう。じゃ、このまま続けて」
「はい！」

誰……？
私に呼びかけるのは誰？
………………綾波さん？

そうだ。
私には綾波さんがいてくれたんだ。
私………幸せだった。
綾波さんに出逢えて、幸せになれたんだ。

お母さん、ゴメンね。
私、女の子のこと好きになっちゃった。
不肖の娘だね。

みんなに知られたらどうなるかな？
軽蔑されちゃうかな。
気持ち悪い、って言われちゃうかな。

でもダメなの。
自分の気持ちに嘘はつけないの。
綾波さんの側にいないと、私は幸せになれないの。

大好きな人の腕の中で、
大好きな人の匂いと温もりに包まれて、
大好きな人の心を近くに感じて、
……私は、そんな時間が欲しいだけなんだ。

綾波さん………
大好きだよ。
また、あなたに逢いたいよ……
綾波さん……

「プラグ内に生命反応！」
「実体化します！」
ロンゲとマコトが、歓喜に満ちた叫びを上げる。発令所が一気にざわめいた。
「碇さん！」
「カスミ！」
プラグ内のモニターが一瞬、輝くと、カスミのぼやけた姿が浮かび上がり、そしてそれは段々とはっきりとした像になっていた。
「自我境界線、完全に固定化されました！　サルベージ成功です！！」
マヤの涙まじりの報告の後、発令所に歓声があがった。涙を流しながら、皆、握手を交わし合い、健闘を讃え合う。モニターの中のカスミは、安らかな寝顔を見せていた。
「救護班、回して！　カスミの様子は？」
ミサトが涙ながらに指示を飛ばす。
「生きてます！　呼吸、鼓動、脳波、すべて正常！」
マコトが振り向きながら報告する。その顔には涙だけでなく、鼻血も流れていた。ミサトが我に返る。サルベージされたばかりのカスミは全裸のままだった。マコトだけでなく、ロンゲもマヤも頬を染めて鼻血を流していた。
「プラグ内のモニターを切れえええぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ！！！」
ざわついた発令所に、ミサトの絶叫がこだました。

３２日目

カスミの病室。
今はレイと２人きりになっていた。カスミはレイの剥いた桃を食べている。
「ありがとう。もういいよ」
「そう。少し、眠る？」
「うん」
カスミがおずおずとシーツから手を伸ばすと、レイは柔らかくそれを握った。互いに、相手の温もりが嬉しかった。
「あなたが還ってきてくれて、本当によかった」
レイが穏やかに微笑む。カスミはそれに応えた後、天井を見上げた。
「私……お母さんに逢ったよ」
「そう」
「あの中では、すべてが曖昧だった。私、自分が自分であることも忘れてたみたい」
「………」
「でもね、綾波さんのこと、思い出したんだ」
そう言ってカスミはレイに笑顔を向けた。２人の頬が桜色に染まる。ジオフロントの穏やかな風に、開けられたままの窓でカーテンが踊った。
「綾波さんがいてくれたから、私は還って来れたんだよ」
「碇さん……」
手から伝わる温もり。心が通う瞬間。
カスミとレイは微笑み合いながら、優しい時間の中に魂を溶かしていった。

（つづく）

後書き

カスミ「ついに登場したね、『ミサト・カレー』……（＾＾；」
レイ「作者のスニフは、ＳＳの中でミサトさんの料理を出したの、今回が初めてらしいわ」
アスカ「ちょっと待ってよっ！！　それじゃあ何？　被害者はアタシ１人だけって事ぉっ！？　冗談じゃないわよっ！！　何でアタシだけがこんな目に遭わなくちゃいけないのよっ！！」
レイ「……私、ダメになってしまいそうだわ……」
カスミ「あ、綾波さん、どうしたの？」
レイ「惣流さんがこんなに怯えてるのに、私はミサトさんの料理を食べてみたいと思ってる。……何故？　壊れてしまったの？　私……」
アスカ「ケケケケ。そうよっ！　喰うのよ、レイ！　アタシだけが被害者なんて、そんなの許せないっ！！」
カスミ「だ、大丈夫だよ、綾波さん。『怖いもの見たさ』って言葉があるくらいだモン。綾波さんの心理は、全然当たり前のことなんだよ？」
レイ「碇さん……」
ミサト「ひ、被害者ぁ？　壊れたぁ？　怖いものぉ？　あ、アンタ等ねぇ………（−−＃」
アスカ「だって事実じゃん」
レイ「事実だもの」
カスミ「……だそうです（＾＾；」
ミサト「しくしく……（；x；」

感謝の言葉：

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第２１話「ネルフ、誕生（前編） 」に進む。
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