ＮＥＲＶ本部、司令執務室。
ゲンドウ、コウゾウ、リツコの３人が定例の会議を開いていた。
「リリスの件ですが、レイの証言だとやはり槍を抜いた瞬間にＬＣＬに還元したようです」
「原因はわからんのかね？」
コウゾウの問いに、リツコは静かに首を振る。
「ターミナル・ドグマにはリリスの残骸は残されていませんでした。完全に消滅してしまったようです。原因を調べようにも……」
「うむ。リリスが消滅してくれたことは、処理をする手間が省けてありがたいんだがな……」
コウゾウがそっと嘆息する。科学者としての好奇心を捨てられない彼としては、理由のわからない事件は不快に感じるのだろう。
「だが、推測することはできる」
その沈黙を破ったのはゲンドウだった。
「何かね？」
「……初号機、そして数多くのレイの肉体。我々はリリスの組織からそれらの人間を生み出したが、魂が宿ったのはレイ１人だけだった……」
「ええ。ガフの部屋はすでに空でしたわ」
「しかし……レイの魂もまた、我々が生み出したものでないとしたら？」
「レイの魂が、リリスのものだったと言うのか？」
コウゾウが目を見開いた。
「そうだ」
「で、では、レイがヒトとして生きることを選択したために、リリスはレゾンデートルを失って消えたと…？」
「すべては仮説に過ぎないが、私はそう考えている」
「何と言うことだ。リリスを封印している筈の槍が、逆にその存在をつなぎ止める役割を果たしていたのか……」
「だがこれは、我々にとって朗報と言える。ＥＶＡ四号機の事件以来、裏死海文書に反した事象が起こり始めているのだ」
「うむ。リリスの肉体が失われたことを老人達が知れば、さぞかし悔しがるだろうな」
「我々の戦いが無謀なものではなくなった、ということでしょうね」
「ああ」
リツコの言葉に、ゲンドウの隠したままの口元がニヤリと笑った。

「碇カスミの戦い」第弐拾参話　涙
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　作・スニフ


会議は本題、対ゼーレに議題が移った。
「加持一尉から最新の報告書が届いています。量産型のＥＶＡには、やはりＳ２機関が内蔵されているようです。後、未確認ですが、装備にはロンギヌスの槍のコピーが使われるそうです」
「馬鹿なっ。何かの間違いではないのかね？」
槍のコピーの存在に、コウゾウは驚きを隠せなかった。
「老人達は裏死海文書のオリジナルを手にしている。考えられることだよ」
「むぅ。やはり、直接対決は避けたいものだな……」
「ああ。それで、もうひとつの調査は進んでいるか？」
「いえ、委員会のメンバーも周到です。なかなか居場所を突き止めるのには苦労をしているようです」
「だろうな……」

ゲンドウ達のシナリオは、全部で４つあった。
１つは最悪の状況を想定したもので、ＮＥＲＶ本部に量産型ＥＶＡを中心とした国連軍が攻めて来るというものだ。
サード・インパクトを引き起こすためにはリリスとアダムを融合させるか、あるいは１２体のＥＶＡを使った『儀式』を行う必要があるためだ。
戦力の差を考えると、この未来図は何としてでも避けたかった。
次に、人類補完委員会のメンバーの物理的排除。つまり、暗殺である。
人類補完委員会のメンバーの居場所を現在リョウジが内偵してるが、残念ながら成果はあがっていなかった。委員会のメンバーはずいぶんと用心深いらしく、なかなか尻尾を掴ませなかった。
その次は、全ＮＥＲＶ支部と全国連加盟国と共に、ゼーレに対して叛旗を翻すというもの。
世界を裏から牛耳っていると言っても、実際の活動部隊は主要各国の政府構成員なのだ。これが実現すれば、ゼーレが手も足も出せなくなるのは目に見えていた。
このシナリオに関しては、ゲンドウとコウゾウが秘密裏に政治工作を行っていたが、結果は芳しくなかった。今やＮＥＲＶ本部に対して耳を貸すものはいなくなっているのだ。
「今まで強権を嵩に好き勝手やって来たツケだな」
とはコウゾウの弁である。
最後は、ゼーレとサード・インパクトの真相を世界中に流す、というものだ。実際にはこれが１番現実的な案だった。
民衆が蜂起すれば、各国政府は動かざるを得なくなる。情報の開示は、何よりもゼーレを押さえる力になるだろう。
この作業はリツコが請け負っていた。すべての使徒を倒した暁には、ＭＡＧＩを使って世界中のネット上に情報をばらまくべく、準備が整えられている。
実は情報戦はゼーレによってすでに始められていた。ＮＥＲＶこそがサード・インパクトを起こそうと企んでいると、各国政府に偽りの情報を流しているのだ。だが、ＮＥＲＶがこの情報戦に加われば、ゼーレに勝ち目はなくなるだろう。実際に真実を隠ぺいしているのはゼーレ側なのだから。
だからリツコは、情報を流す先を各国政府やネット上だけでなく、学校や研究機関も対象に入れている。

「ところで、あの男を取り込めたのは幸いだったな」
コウゾウがポツリと呟いた。約束の日が近付いて来たことにより、ＮＥＲＶとゼーレの諜報合戦は激しさを増して来ている。リョウジを取り込んだことで、ゲンドウ達はこの戦いにおいて、ゼーレをかなりリードすることができた。
また、約束の日の前に日本政府を取り込めたのもゲンドウ達には大きかったが、それもリョウジの力によるものだった。
「だがあの男にも限界はあるだろう。……委員会のメンバーの居場所については、無理をしないよう伝えておいてくれ」
「はい」
こうして今回の会議は幕を閉じた。

「ときに赤木博士……」
その場を辞そうとしていたリツコを、ゲンドウが呼び止めた。
「はい？」
「カスミとレイの件だが………何とかならんかね？」
「何とかとは？」
きょとんとした顔をするリツコ。
「女同士で愛し合うなど、健全ではあるまい。増してや、あの２人は同居しているのだ」
「では司令は、せっかくあの２人が掴んだ幸せを奪おうと…？」
「む、むぅ…」
「残念ですが、司令。私はこの件に関しては、あの２人を応援するつもりでいます」
リツコのきっぱりとした言い方に、ゲンドウは言葉を失った。
「それに司令、１度父親の義務を放棄した人間に、発言権があるとは思えませんが？」
そう言ってリツコはイタズラっぽい視線をゲンドウに向けた。
「ぬ、ぬぅ…」
「では失礼します」
こうしてゲンドウの願いをすげなく断ったリツコはキビキビと退室して行った。思わず嘆息するゲンドウとコウゾウ。しかしその意味合いは違っていた。
「碇……私も肚を括ることに決めたよ」
「冬月っ！？」
「赤木博士の言う通りだな。彼女達の幸福を奪う権利は、我々にはなかろう」
「………」
「それにカスミ君がどこの馬の骨とも知らんような男に獲られるよりはマシだとは思わんのかね？」
「ふむ……」
「今回のことは、ある意味チャンスだ。ここで寛大な態度を見せることで、彼女達の信用を勝ち取ることができるだろう」
意外に策士なコウゾウだった。
「カスミ君たちの花嫁姿を見たければ、いつでも着てもらえる。但し、彼女達と良好な関係を築くのが前提条件だがな」
コウゾウの言葉を聞いて、ゲンドウの頭にウェディング・ドレスを着て並ぶカスミとレイの姿がよぎった。
「ふっ、なるほどな」
いつものニヤリ笑いをするゲンドウ。何故かその頬は赤く染まっていた。


「はぅぅ〜〜」
ＮＥＲＶ本部に向かう途中、カスミが赤い顔で呻いた。
「ＮＥＲＶに行きたくない……」
もうこの言葉を何回言ったことだろう。この前の一件でレイとの関係がバレてしまった。何だかカスミは、ＮＥＲＶ中から笑われているような気がしてならなかった。
「もう知られちゃったんだから、しょうがないでしょっ！」
アスカがイライラしたように言う。
「だ、だってぇ…」
実際、彼女にとって保守的な日本の社会はどこか窮屈に感じていたため、人目を気にするカスミが気に入らなかった。堂々と人目も気にせずにレイとの愛を貫くようなら、アスカはカスミを見直したことだろうが、そこまでをカスミに求めるのは酷というものだろう。
「もう、穴があったら入りたい気分だよぉ」
カスミは疲れたような溜め息をついた。
「じゃ、アタシが穴を掘ってあげましょうか？」
「ふぇ？」
「ほら、ジオフロントにスイカ畑作ってた馬鹿がいたじゃん。あの畑に穴掘ってあげるわよ。そこに潜って、スイカと一緒に頭並べたら？」
意地悪そうにニヤニヤ笑って言うアスカ。しかし今回は、カスミも反撃の手段を持っていた。
「……あの畑、加持さんのだったよ？」
「嘘っ！？」
ボソリとカスミが呟くと、アスカは目を大きく見開いた。自分が散々暴言を吐いた相手が憧れの人物だったとは。背筋に冷たい汗が伝う。そしてアチコチに視線をさまよわせながら、アスカは必死で思考を巡らせた。
「……や、やっぱりねぇ。あんなトコに畑作るなんて、きっと緑を愛する心優しい人なんじゃないかって思ってたのよ！」
「あの……さっきと話が全然違うんですケド……」
「う、うっさい！　カスミの癖に生意気よっ！！」
「はぅぅ〜〜」
レイはそんな２人のやりとりを楽しげに眺めていた。無口な彼女はカスミとアスカの言い合いにあまり参加することはないが、それでもその場の雰囲気を楽しんでいるようだった。
「綾波さんは、気にしないの？」
カスミが怖ず怖ずと尋ねる。
「……私が碇さんとの関係を隠したかったのは、碇司令にバレると別れさせられると思っていたから…。こうなった以上、私は何があっても碇さんの側を離れないわ」
人目を気にすることに慣れてないレイは、すでに度胸を決めているようだった。
「そっかぁ。そういうことも考えなきゃいけないんだぁ。私達、これから色んなことと闘っていかなきゃならないんだね」
カスミが感慨深く、ポツリと呟いた。
「大丈夫。碇さんは、私が守るもの」
そう言うとレイは、カスミの手を力強く握り締めた。
「綾波さん……」
頬を染めて見つめ合う２人……
「だからって、こんなトコでイチャイチャするんじゃないっ！！」
「イチャイチャって……」
カスミは我に帰ってさらに顔を赤らめた。
本音を言えば、この２人の関係はアスカにとってあまり面白くなかった。
２人が遠くへ行ってしまったように感じたし、アスカにもその関係を隠されていたことも気に入らない。何よりも、自分よりも幼いと感じていたカスミとレイが、自分よりもそれなりの経験を済ませていたことが癪に障っていた。アスカはファースト・キスもまだなのだ。
「ほらっ。さっさとＮＥＲＶに行くわよっ」
何故か機嫌の悪くなってしまったアスカを先頭に、３人はＮＥＲＶに向かって歩みを速めた。

「今日は複数の敵を想定した訓練を行います」
今日は戦術シミュレーションの日だった。今回初めて、複数の敵を想定したシミュレーションが行われようとしていた。
使徒は常に１体でしか現われない。今回は、最悪のシナリオに備えるため、複数のＥＶＡを相手にした場合の戦闘訓練が準備されたのだ。
事前の打ち合わせは長く、濃いものになることだろう。ブリーフィング・ルームには、ミサトとリツコの他に、オペレーターの３人も詰めていた。ミサトはオペレーターの３人がレイを恨めしげな目で眺めていることに頭痛を覚えつつも、チルドレン達に軍事的なノウハウを説明していった。

と、そのとき警報が鳴り響き、使徒の襲来を告げた。

輝くリング状の第１６使徒は、大涌谷の上空で定点回転をしていた。その構造はまるで遺伝子のように２重らせん状になっている。
３体のＥＶＡは、その周囲を取り囲むように配備された。零号機がスナイパー・ライフル、初号機がパレット・ライフル、弐号機がソニック・グレイブを、それぞれ装備している。
「みんな、こちらで使徒の分析を進めてるから、あなた達は目標に変化があるまでそこで待機していてちょうだい」
『いえ、来るわ』
ミサトの指示を遮るようにレイが呟いた。そしてその言葉を聞いていたかのように、使徒に変化が現れた。１本の輝くヒモに姿を変えると、突如零号機に襲いかかった。
レイがＡＴフィールドで使徒の進攻を阻もうとしたが、あっさりそれを突き破り、使徒は零号機の腹部にその身を突き刺した。
『綾波さんっ！！』
「レイ！」
「零号機、生体部品に侵食を受けてますっ！」
マヤの報告にリツコは目を見開いた。
「使徒がＥＶＡに物理的接触をはかろうとしてるのっ！？」
使徒の突き刺さった部分から、体中に葉脈のような筋が広がる零号機。レイがそのヒモ状の使徒を掴み、ライフルで零距離射撃を試みるが、効果はなかった。

「くっ」
レイはエントリー・プラグの中で、苦悶しながらうっすらと頬を染めていた。何ものかに侵される感覚は、苦痛と快楽を伴っていた。レイの体にもまた、零号機と同じような筋が広がっている。
『綾波さんっ！！』
『レイっ！！』
そのレイの目に、初号機と弐号機が駆け寄ってくる姿が見えた。
「！？」
ヒモ状の使徒のもう一方の端が、初号機を目指して襲いかかる。それを見たレイは何かを悟った。
「これは私の心……。碇さんとひとつになりたい……」
『きゃああっ！』
初号機はすんでのところで使徒の攻撃をかわしたが、パレット・ライフルを破壊されてしまった。レイの脳裏に、カスミを失う恐怖が襲う。
「ダメ……」

「ＡＴフィールド、反転！」
マヤが叫ぶ。
「使徒を押さえようとしてるの……？」
『待って！』
引き潮のように零号機に吸い込まれていく使徒の体を、初号機が無理矢理掴んだ。初号機に掴まれた途端、初号機にも侵食を始める使徒。カスミとレイは、使徒を通じてひとつにつながった。カスミの中にレイの意識が流れ込んで来る。
『やめてええええぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜っっっっ！！！』
「カスミっ！？」
いきなり絶叫したカスミに、発令所の面々は顔を見合わせた。
『使徒を取り込んで零号機を自爆させようなんて、そんなのダメだよっ！！』
「何ですってっ！！」
カスミが使徒を通じてレイの意識を読んだことを察した。その考えに全員が慌てる。
「レイっ！　やめなさいっ！」
「レイ！　零号機を捨てて脱出しろ」
『ダメ………私がいなくなったら、ＡＴフィールドが消えてしまう……』
『何でそんなに簡単に諦めちゃうの？　自分の命を……心を……そんなのやめてよっ！』
カスミの頬にはすでに涙が流れている。
『私……』
レイの頬にも、涙が流れ始めた。
『私だって死ぬのは嫌。あなたと一緒にいたい……。でも、あなたを失うのはもっと嫌！』
レイの感情の爆発に、大人達は驚かされる。この少女がここまで豊かに感情を表現できることは誰も知らなかった。
『そんなの私だって同じだよっ！！』
「初号機もＡＴフィールドを反転させました！」
マヤがオロオロと報告した。使徒を掴んでいるカスミの右手にも、葉脈のような筋が体中に広がり始める。
『綾波さんのいない世界で、私はどうやって生きていけばいいの？』
『碇さん……』
『愛を語ってる場合かあああああぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜っっっ！！』
２人の会話に、アスカの絶叫が割り込んだ。
『こいつぅっ！！』
弐号機は使徒の体を掴むと、プログ・ナイフで切断しようと試みる。弐号機に対する侵食は、少し鈍いようだ。アスカがナイフを突き刺すと、使徒の体から血のような体液が勢いよく吹き出した。
『『きゃああああああぁぁぁぁ〜〜〜〜っっっ！！』』
『えっ！？』
カスミとレイが同時に叫び声をあげたのに驚かされ、アスカは慌てて使徒の体を離した。
「生体部品が侵食を受けているから、感覚まで同化してるんだわ……」
リツコが呆然と呟いた。
『ちょっとミサトっ、どうすんのよっ！？　このままじゃ、２人ともやられちゃうわよっ！！』
アスカはすでに涙目だ。
自分達が単なる傍観者にしかなれないことに、発令所の面々は唇を噛み締めた。
『誰？　あなた、誰？』
「カスミ？」
「カスミ、誰と話してるの？」
『あなたは使徒、私達が使徒と呼んでる人達……』
レイの言葉に発令所はパニックになった。
「何ですってっ！？」
「あの娘達、使徒の意識と触れ合っているというの？」

カスミとレイは、ＬＣＬの海の上に、向かい合うような形で浮いていた。レイは腹部から、カスミは右手から、それぞれ葉脈のような筋に侵されていた。その間に下半身をＬＣＬに浸した人物が俯いて立っている。それはカスミにはカスミに見え、レイにはレイに見えていた。
（あなた達はひとつになりたいの？）
「……好きな人と一緒になりたいと願うのは、当然のことだわ」
躊躇なく答えるレイに、カスミは頬を染めた。
（なら、私がひとつにしてあげる。みんなでひとつに溶け合いましょう？）
「私達が言ってる『ひとつになりたい』って、そう言う意味じゃないよ？」
「そう。唇を重ねたり、言葉を交わしたり、共に時間を過ごすこと……」
（そんなこと、意味ないわ。そんなことしても、あなた達の哀しみは永遠に消えない）
「何故？」
「どうして？」
（だって、あなた達の心は隙間だらけじゃない。哀しみに満ち満ちてるじゃない。だから、お互いがひとつになって、欠けたものを補うの）
「哀しい？　…いえ、違うわ」
「この気持ちは寂しいって言うんだよ」
（寂しい？　わからない…）
「１人でいるのが嫌なのね。それを寂しいと言うの」
「いつも何かが足りないような気持ちになるんだよね」
（でも、みんなでひとつになれば、欠けたものを埋めることができる。心の隙間を埋めることができる。だから、ひとつになりましょう）
「嫌だよ」
「私も嫌」
２人のきっぱりとした言い方に、その空間が動揺で揺らいだ。
（何故？　あなた達は不完全な自分達に哀しんでいる筈……）
「私は確かに寂しがり屋だけど、だから綾波さんを求めようとするの。それは寂しさを忘れることじゃなくて、私の喜びだから。それが私の永遠なの」
「私達は欠けた存在だから、誰かを求めようとする。それはとてもとても嬉しいこと。私達の欠けたものが埋まってしまったら、私達は何も求めなくなる。それは私達の喜びを捨てること」
（何故？　何故？）
空間に動揺が広がる。
「本当に寂しいのは、あなたなんだね……」
「あなたは、誰ともひとつになれないから…」
「私達は、欠けた部分も含めて私達なんだよ？」
「だから私達は、生きることに喜びを覚えることができるの…」
（…………………）
空間に哀しみが満ちていく。カスミとレイは、どこかに押し流されるような感覚を味わった。

「カスミっ！　レイっ！　無事なのっ！？」
『『はっ』』
ミサトの呼び掛けに、モニターの中のカスミとレイは、同時に正気を取り戻したように見えた。その頬にはいつの間にか涙が流れている。
『これ、涙……』
『あなたも、寂しかったんだね……』
『あなた達も、欠けた魂を持っていたのね……』
「零号機、初号機、共に侵食率が下がっていきますっ！」
マヤの報告とともに、使徒の体がズルズルと２体のＥＶＡから引き摺り出されていった。カスミもレイも、体にできた葉脈のような筋が消えていく。やがて使徒は、逃げるように２体のＥＶＡから飛び出した。
『こんのぉぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜っ！！』
アスカが再び使徒に攻撃しようと、ソニック・グレイブを上段に構える。

ぱしゃ。

『えっ！？』
「何ですってっ！」
「も、目標、消滅しました…」
使徒の殲滅を告げるロンゲの報告の後も、発令所には動揺が広がったままだった。それはあまりにも信じがたい光景だったから。第１６使徒は、突如ＬＣＬに還元して消えたのだ。
「さ、３人とも戻って。使徒は殲滅したわ…」
『『はい』』
『んもう〜〜っ、何がどうなってんのよっ！？』
アスカの納得できないような絶叫は、ＮＥＲＶの面々の気持ちを代弁していた。
「何だか……カスミとレイが、使徒を説得したみたいに見えるんだけど……」
「というより、あの２人の絆の強さを見て、使徒が自分の存在に絶望したんだわ」
カスミとレイが使徒と交わした会話は、発令所にもモニターされていた。もちろん、使徒の言葉は聞こえることはなかったが、カスミとレイの会話から、内容は推察できる。
「先の第１５使徒がカスミの心を覗こうとしたことと、何か関係があるのかしら？」
ミサトが顎に手を当てて考え込む。
「使徒が次の使徒へ情報を伝えているように見えるのは、何度か考えられたことよ。……第１２使徒が初号機と弐号機を取り込んだとき、カスミとアスカの心に触れた……。だから第１３使徒はパイロットを狙った。第１５使徒はパイロットの心を知ろうとし、第１６使徒はパイロットの心の弱さに付け込もうとしたんだわ……」
「それが叶わなかったから、自ら消えてしまった……？」
「そうね」
「それじゃ最後の使徒は、どんな姿でやってくるのかしら……」
「…………」
リツコはその問いに沈黙で応えた。その疑問に応える術を持っていなかったから。ただ、使徒を殲滅したばかりだというのに、ミサトもリツコも不吉な予感だけを感じていた。

発令所の最上段の席だけが、この状況に安堵の溜め息を漏らしていた。
「欠けた魂こそが我々の喜びか……。ユイ君の言葉を思い出したよ」
「ああ。あの２人は、我々より真理に近い場所にいる」
そう言うゲンドウは、モニターの中のカスミとレイに、眩しそうに目を細めた。


リツコの研究室、今はミサトが顔を出していた。
「それで、あの娘達の様子はどうなの？」
「今のところ、検査で異常は見つかっていないわ。取り敢えず一安心かしら。明日の検査でも何も見つからなかったら、退院できるから」
カスミとレイは、使徒戦の後、検査入院をさせられていた。使徒と融合してしまった影響を調べるためである。２人に深刻な事態がなさそうなのを知り、ミサトは安堵の溜め息を漏らした。
「じゃ、ＥＶＡの機体の方は？」
「こっちは深刻ね。初号機の方は異常なしだけど、零号機の方はかなり生体部品にダメージが残ってるわ。オーバーホールが必要かもしれないわね」
しばらく休日返上になりそうな気配に、リツコは肩をすくめた。
「ねぇ、初号機にダメージないのって……」
「多分、そう。使徒との融合が解けたときに自己修復したんだわ。Ｓ２機関が作動したのね」
「ふ〜ん」
あの、第１４使徒に喰らいつく初号機を思い出したのだろう、ミサトは少し肩を震わせた。

突然、エアーの抜ける音が響いた。ドアが開いたのだ。
「あっ、司令」
ミサトは驚いて立ち上がろうとしたが、ゲンドウはそれを手で制した。
「葛城三佐、丁度よかった」
「私に何か？」
ゲンドウは脇に抱えていた封筒をミサトに差し出した。
「今度、フィフス・チルドレンが送られて来る。これはその資料だ」
「「フィフス？」」
ミサトとリツコの目が訝しげなものに変わる。２人ともマルドゥック機関がダミーであり、実際のチルドレン選抜はＮＥＲＶが行っていたことを知っている。
「しかし、その子が来ても、乗る機体がありませんが……」
「いや、これは我々のシナリオにはない。送ってくるのは老人達だ」
ミサトとリツコが同時に目を見開く。その意味を、２人とも十分に理解できた。
「我々も彼の正体を全力で調べている。そちらでも重々注意してくれ」
「「はい」」
「では、失礼する」
「あ、司令？」
退室しようとしたゲンドウを、リツコが呼び止めた。
「うむ？」
「例のプログラム、完成しました」
「そうか、感謝する」
２人は、退室していくゲンドウの背中をぼーっと眺めていた。
「なんか司令、雰囲気が柔らかくなったわね」
ミサトがポツリと呟いた。
「もう、仮面を被ってる必要がなくなったからでしょ…」
「ふ〜ん、いい傾向ね」
「そう思うの？　……ミサトは、司令を恨んでるんでしょう……？」
笑顔になったミサトに、リツコは怖ず怖ずと訊いた。リツコとゲンドウの関係は、まだこの親友には教えていない。そのことが、リツコの胸に棘のように突き刺さっている。
「ん〜、正直ね、どうでもよくなっちゃったのよ」
そう答えるミサトは、彼女らしい明るい表情を見せた。
「アダムを卵に還元するために、セカンド・インパクトは起きてしまったんですもの。だったら、今さら復讐心に囚われたって、カスミ達を哀しませるだけだわ。……父さんには父さんの考えがあったんだろうし、私も私で前に進むわ」
「ミサト……」
ミサトの言葉に、リツコは多少なりとも癒されたような気がした。
「そんなことより、今はフィフス・チルドレンよ。この子は何者？」
「そうね。あるいは……最後のシ者……」
ミサトとリツコは、いつの間にか厳しい顔つきに変わっていた。

（つづく）

後書き

何でいつもいつも考えなしでＥＶＡを出動させちゃうんだ？
と言うような疑問をよく聞きますが、でもそうしないと話が始まらないんですよね（＾＾；
でも確かに本編のミサトって、ほとんど何もやってないですね。
「いかスミ」のミサトも同じですが、戦闘中の指示や、その後のチルドレンへの対応を人間臭くすることで、敵討ちの妄執に囚われている本編のミサトと一線を画してみました。

感謝の言葉：

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第２４話「最後のシ者」に進む。
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