第０１話「使徒、襲来」Ｃパート

　リツコさんと一緒にちょっと喫茶室で休憩。

「シンリくん、紅茶でよかったわよね？」

「はい」

　ボクの好み、ちゃんと憶えていてくれたんだ。
　入れたばかりの紅茶はとっても熱いから、両手で持って、
　しばらくは息を吹きかけているだけ。

「相変わらず、熱いのは駄目なようね」

「あんまり熱いと口の中、火傷しちゃうんです」

　猫舌なのは昔から。前に、同じような会話をしていた
　ことを思い出して、つい顔が綻ぶ。

「楽しそうね」

「そうですか…そう…そうかもしれない」


　何気ない話題をしながらのんびり過ごす穏やかな時間。
　そうこうしているうちに、やっと冷たくなっていた体温も
　戻ってきたみたい。

　時計を見てみると、もう３０分ほど寛いでいた。

「リツコさん」

「あら、もうそんな時間なのね。もう平気？」

「はい」

　暖かい紅茶を飲んで、静かにしていたから、
　心も身体も、もう落ち着いていた。

　長い廊下を歩きながら、リツコさんは話し始めた。

「それじゃ、エヴァンゲリオンの操縦システムについて説明するわね」

「はい」

「エヴァとは心をシンクロすることで、自分の身体と同じように動かすことができるの。
　考えるだけで動くから、機体を動かすだけなら特に覚えることはないわ」

「あんなに大きな機体がボクの身体と同じように動くんですか？」

　アニメや特撮で見る巨大ロボットは、ゆっくりとしか動かない。
　そんな先入観があったから、驚いた。

「いい質問ね。エヴァンゲリオンはあの大きさには合わない俊敏な動きができるけど、
　人のフットワークと完全に一緒ってわけじゃない。
　それに、シンクロ率によっても反応率も変わるの。
　理論上はシンクロ率１００％で本人と完全に一致した動きをするわ」

「他のパイロットの方ってどれくらいのシンクロ率なんですか？」

　エヴァが零号機、初号機と複数あるのだから、パイロットも複数だろうと考えた。
　そうなれば、自然と気になるもので。

「ファーストは３０％くらい、セカンドは７０％くらいね」

「二人しかいないんですか？」

「そう。シンリくんで３人目。あなたも含めて全員１４歳よ」

「他の方と話をしたいんですけど…いいでしょうか？」

「あら、興味ある？」

「経験者の意見って重要だと思うんです。他の人達では動かせないんでしょう？
　そういう意味では、その方々の話ってとっても役立つと思うんです」

　父さんの「ほかの人間には無理だからだ」という言葉。
　見たことも聞いたこともないものでも、ボクに乗れ、と言うしかない。
　…エヴァはたぶん、とっても人見知りをするんだと思った。

「そう…ドイツは今、早朝だから多分、まだ寝てるわね。
　ファーストチルドレンなら会わせられるわ。
　怪我をしているからあまり長時間は面会できないけど、いい？」

「はい」

　ボクには優しいリツコさん。
　なのに、同じパイロットの子のことを”ファーストチルドレン”と
　役職で呼ぶ態度は、なにか引っ掛かるものを感じた…。

　到着したのは、ジオフロント内にある病院。
　途中、ミサトさんにテストの開始時間を遅らせる連絡をしてた。

「ここよ」

　　プシュー

　病室の入り口には”綾波レイ”と表記されている。
　セキュリティカードを通すと、エアーの抜ける音がして扉が開いた。
　広い病室の中にはベットがひとつだけ。
　お見舞いの品も私物の類も一切なし。
　…なんだか、寒い感じがする。


「レイ、そのままでいいわ。この子はサード・チルドレンの碇シンリくん。
　エヴァの操縦について経験者の話が聞きたいっていうの」

「…碇？」

「碇司令の子よ」

「…」

　瞬きひとつせずにボクをじっと見つめる不思議な子。
　綾波レイと呼ばれた子は、セカンドインパクト以降に多いアルビノ。
　白い肌と紅玉の瞳、空色の髪って目立つ外見。
　でも、そんな外見なんて気にならないほど、疑問なのは表情がないこと。
　顔立ちが整っていて無表情なせいで出来のいい人形のようにも見える。
　どことなく現実味がなくって、目を離したら消えてしまう。
　そんな気分にさせられる不思議な子。

「シンリくん、この子がファーストチルドレン。
　つまり最初の適格者である綾波レイ、１４歳の女の子よ。
　今は、零号機の起動実験で怪我をしているから治療中なの」

「ケージにあった大きな手ですね？」

「その通りよ。それじゃ、レイ、シンリくんの質問に答えてあげて」

「それは命令ですか？」

「そうよ」

　感情を捨てたような肯定の言葉。
　ボクと綾波さんに向ける態度の落差に、なんだか悲しくなった。




　リツコさんはボクに「しばらくしたら迎えにくる」と耳打ちして
　病室の外にでていってしまった。
　ボクの視線から逃げるような…素っ気無い振る舞い。
　都合が悪くなると、素っ気無くなるのがリツコさんの癖。

　…気持ちを切り替えて、綾波さんのほうに振り返った。

　しーん、と静まり返った室内。
　綾波さんはボクのほうをジッと見ている。
　その仕種がなんだか子猫みたい。




「綾波さん、エヴァンゲリオンとシンクロするってどんな感じ？」

「…心を開いて一つになること」

　心を開く？

　…抽象的でよくわかんない。




「心を開くって、具体的にどうすればいいの？」

「相手のことを受け入れること」

　相手？




「相手ってエヴァンゲリオンのこと？」

「そう」



　池に石を投げ込むと広がる波紋のように
　ボクの問いに、簡潔な答えが返り、すぐに静寂が戻る。




「…心がある…エヴァって普段、何を考えているの？」

「うまく言えない。エヴァの心には言葉がないから」

　うにゅぅぅぅ、なんだかぜんぜんわかんない。
　でも、綾波さんははぐらかしている訳ではなかった。




「もう少し、わかりやすく言ってくれる？」

「…あなた、チルドレンなんでしょう？」

「う、うん。そう言われた」

「なら、シンクロしてみればわかるわ」

　世界で３人しかいない、というエヴァのパイロット。
　感覚のようなものでしか伝えられない何かがあるのかもしれない。





「うーん…それじゃ、シンクロの時、注意することってある？」

「水の心をもつこと」

　み、水？

　もー、訳わかんない。

　それでも…綾波さんは、真面目にボクの問いに答えてくれていたことは判る。
　心に浮かんだイメージ…それに一番近いのが「水」だったんだと…
　そんな気がした。




「えっと、最後に失敗した時のこと教えてほしいんだけど。
　成功した時と何か違ったことってない？」

　ボクが質問したら、目を閉じて考え込んじゃった。
　答えにくい話だったのかな。

「…わからない」

　わからない、確かにそうかもしれない。シンクロって心を
　一つにすることだっていうけど、自分の心なんて、
　誰だってそんなに注意して意識しているわけじゃない。
　でもそんなに心の動きで起動できなくなるんじゃ扱い、難しそう。
　…っていうか、扱うって考えが間違っているのかな？
　エヴァとシンクロすると自分と同じように動かせる…
　ということは、エヴァと心を一つにしても意識はパイロットのほうが上位。

　　気弱じゃ駄目なのかもしれない。

　　　高飛車じゃ嫌われるかもしれない。

　　　　下手に出たら、甘く見られたりして？

　なんだか、考えれば考えるほど考えがまとまらない。
　いつのまにか綾波さんがじっとボクを見てた。




「何？」

「…何を考えていたの？」

「エヴァと仲良くするにはどうしたらいいのかなって。
　考えたんだけど、よくわからない」

「…そう」

　一言、呟いて綾波さんは目を閉じる。
　疲れちゃったのかな…。




「綾波さん、色々教えてくれてありがと。
　また、ここに来てもいい？」

「…なぜ？」

　この部屋ってなんだか寒い感じがして嫌。
　一人っきりでいたら寂しいと思う。
　それに…綾波さんから怖さは感じなかった。




「なんとなく、また来たいって思ったから。駄目？」

「…いい」

　綾波さんが小さく答える。
　戸惑っているように感じられたのは…気のせい？

「それじゃ、またくるね」

　小声でそう告げると、ボクは病室を出た。

　廊下を見ると、携帯端末を見ていたリツコさんが
　それを白衣の中に収めながら歩いてきた。

「どう？　参考になる話は聞けたかしら？」

「なんとなく…ですね。抽象的な話が多かったですし。
　でも、ちょっとだけ安心しました」

「そう。それじゃこれからシンクロテストを行うわ。
　これを髪の毛に留めて…そう両側に一個ずつ。
　それと控え室でこの服に着替えて」

　渡された髪留めのような機械を左右に留める。
　着替えの服は不思議な素材でできた潜水服みたいに
　身体の線がばっちり出ちゃう白い服。
　ところどころに機械がついてて、変な感じ。
　ロゴに”１ｓｔ”って書いてあるけど。

「まだあなたの服はないの。レイの替えのスーツだけど、
　サイズは問題ないはずよ」

　ボク、あんなに細身じゃないですよぉ。

　ボクの恨みがましい視線は白衣に跳ね返される。


「この服、なんていうんです？」

「プラグスーツよ。シンクロ率を高める様々な工夫がされているものなの。
　身体を通したら、右手のボタンを押してね。
　余分な空気が抜けて身体に密着するから」

　　えぇぇぇぇぇぇ…身体の線が出ちゃう。



「我慢してね。余分なものはできるだけ排除した結果なの」

「…はい」

　エヴァに乗るって決めたんだし…文句は言わない…言えない。

「そうそう、あと更衣室だけど、今あるのは男性用、女性用の二箇所だけ。
　本部にいるチルドレンは、レイとシンリくんだけだから、当分の間は男性用を
　使って頂戴。男の子のチルドレンが選抜されたら、そのとき、部屋分けを
　改めてするから」

　よかった…。やっぱり別の部屋があるならそのほうがいいもん。

「はい」


　エヴァの操縦席って筒型のカプセル状になってて、その中に入ってる。
　エントリープラグって言われてるんだけど、パイロットが乗りこむと、
　エヴァンゲリオンの首筋から背骨のあたりを通るように挿入される。

　プラグスーツは座るとシートにロックされるようになってる。
　シートベルトがないから変だな、って思ったけど、
　こういう仕組みになってるんだ。よくできてる。

『シンクロテストを開始します。シンリくん、リラックスしてね』

「はい」

　ごぼごぼごぼごぼ

　へ？　足元から水が湧き出てきているんですけど…
　見た目は立派だけど手抜き作業してるとか？

「リ、リツコさん、浸水しちゃってるんですけど」

『それはＬＣＬっていうシンクロに必要な液体なの。
　エントリープラグ内をそれで満たさないと、エヴァと
　シンクロできないのよ』

「だ、だって溺れちゃいますよぉ」

『大丈夫、肺の中に入ればちゃんと酸素を供給してくれるわ』

「どーして事前に言ってくれないんです！」

『言ったら乗るの、嫌がるでしょう？』

　リツコさんが微笑みながら言う。目がちょっと怖い。
　さっき水漏れなんて言ったから怒ってるのかな？

「それはそうですけどぉ…」

　そういっている間にも水位は上がり、あっという間にボクは
　頭の先まで水没してしまう。

『ほらほら、無駄な努力をしてないで、肺から空気を出しなさい』

「そ…ごぼごぼ…」

　文句を言おうとして口から空気がたくさんでちゃう。
　く…苦しい…。

　ごぼごぼ…こぽ

　最後の空気もぜんぶ出ちゃって、肺の中がＬＣＬで満たされる。
　苦しくない…けど、気持ち悪い。

『はいはい、ちゃんとできたみたいね』

”喉が痛い”

　ぱくぱく

　水中で話すことなんてできるわけがなく、ボクの口はパクパクするだけ。
　だけど、リツコさんにはちゃんとボクの声が聞こえているみたい。
　どーして？

『頭につけたヘッドセットがシンリくんの思考を検出して
　言葉として通信できるように補助してくれるから、
　無理に口を動かさなくても大丈夫よ』

”いってくれればいいのにぃ”

『思考変換も問題なくいってるみたいでよかったわ。
　…考えてることは筒抜けだから注意したほうがいいわよ』

”…”

『そうそう、かなり明確な思考じゃないと検出できないの。
　言葉として相手に伝えようとしない限り、こっちからは
　わからないから、気をつけて』

　…そうなんだ。ちょっとだけ安心。
　リツコさんを見ると、ボクが焦ったのをみて、悪戯が成功した
　時のように微笑んでる。

”リツコさん、楽しんでるでしょ”

　ちょっとだけ不機嫌そうな顔をしちゃったけど…いいよね？

『それだけ言えれば大丈夫ね。それじゃシンクロをスタートさせるわ』

”…はい”

　突然、目の前に幾何学模様が浮かび上がり、ボクの周囲を飛び交う。
　その不思議な動きは、まるで輝く蝶が乱舞するようで幻想的。
　
『Ａ１０神経接続異常なし。初期コンタクト、全て異常なし』

『双方向回線開きます』

　さっきまで動いていた映像が消えていき、身体中…そう、自分の
　身体が二つあるかのような不思議な感覚が湧き上がってくる。

　同時に澄んでいて雲一つない、そんな雰囲気なのに
　春の日差しのように暖かな感じがしてくる。
　漠然とした感じ…これ、初号機の心？
　なんだか気持ちいい、安心できる感じ。
　自分の心が広がっていくみたい。
　見える限りの場所がみんな一緒になってるみたい。

　捜

”何？”

『シンリくん、どうしたの？』

　惑

”遠い…キミ…誰なの？”

『シンリくん、返事をしなさい！　マヤ、シンクロデータは？』

『シンクロ率４２．１％、ハーモニクス誤差３％、変化ありません』

　降

”降りてくる…同じ場所なのに…近づいてる？”

『マヤ、シンクロカット、急いで！』

　悦

”何が、嬉しいの？”

　突然、目の前が真っ暗になって、遠いところに感じていた感覚が消えていってしまう。
　一体感を感じていたエヴァの感覚が消えて、自分の身体だけの感覚に戻る。
　さっきの心・・

　キミ…誰なの？

『シンリくん！　返事をして』

　あれ？　リツコさんが呼んでる。なんだか真剣な表情。

”…あの、テスト終わりですか？”

『…はぁ』

　なんで？　どーしてみんな、溜息ついてるの？

『シンリくん。お願いだから話し掛けたら返事をしてちょうだい』

　リ、リツコさん、目が据わってるんですけど…
　ミサトさん、隣で笑ってないで助けてくださいよぉ。

”はい。でも聞こえなかったですよ？”

『ところでシンちゃん』

”ミサトさん、そのシンちゃんって何？”

『親しみを込めてよん♪　ところでさっき、何を感じたか教えてくれる？』

”さっき…ですか？　なんて言ったらいいのか”

『感じたままでいいから言ってちょうだい』

”遠くに心、意志を感じたんです。シンクロしているエヴァの心と同じようなものが
　とっても遠く、だけどちゃんと感じられたんです。”

『降りてくるって言ったの覚えてる？』

”えっと、距離は変わらない感じなのに近づいてるようでした。
　変ですね、それって。”

『他に何か感じた？』

”ボクのほうを見て喜んでいるようでしたね、そういえば。”

『…』

　あれ？　みんな黙ってる。
　どうしたの？

『シンリくん、とりあえず今日はこれでテスト終了でいいわ。
　シャワールームでＬＣＬを洗い流したら、後でミーティングルームに
　きてちょうだい』

”何分後？”

『３０分後には来てね』

”はい。”

　通信回線が切れて、ＬＣＬが排出される。
　胸の辺りが気持ち悪い…。

　エントリープラグが排出されたら、作業員のお兄さんがきて
　ＬＣＬの吐き出すコツなんかを隣で説明してくれてる。
　肺の中からＬＣＬを全部出すのって、肺をＬＣＬで満たすのと
　同じかそれ以上に気持ち悪い。

　血の匂いがするし、これ、好きになれそうもない。

「シャワールームは場所、わかるかい？」

”はい”

　なぜかな？　不思議そうな顔をしている。

「ＬＣＬは乾く前に洗い流すんだよ。
　そうしないと匂いが取れないからね」

”わかりました。”

　やっぱり、不思議そうな顔のまま。

　　…なぜ？

　時間がないから、お辞儀だけしてシャワールームに向かう。

「はぁ」

　ＬＣＬを洗い流していて、落ち着いたのか溜息がでた。

　　…あっ

　さっきの人が変に思ってた理由を発見。
　ボク、エントリープラグ内と同じように言葉を考えるだけで
　声を出してなかったんだ。

　　話し掛けても応えないんじゃ不思議がるのも当然だよね。


　…変な子だって思われちゃったかも。

やっとレイが登場しました。
ついでに、不思議な意志との接触も果たしちゃいました。
次回はキビキビと訓練です。時間はありませんけど。