第０２話「知らない天井」Ａパート

　ミーンミンミンミンミーン

　…蝉の声が聞こえる。

　身体が鉛のように重い…。

　　でも起きなくちゃ。

　　　起きる？

　　　　なんの為に？

　それでも、目を開けてみる。

　　…ここは？

「知らない天井…」

　見たことのない天井。
　ボクはどこかの部屋に寝ているみたい。
　ここはドコ？　なぜ、ボクはここに寝ているの？

　余りにも広く何もない部屋。天井と床にはセフィロトの樹の図案が記されている。
　それと、奥には巨大な机、その隣には簡単な応接セットがある。
　応接セットで本を読みながら詰め将棋を思案している初老の男。
　ロマンスグレーの髪が似合うＮＥＲＶの副司令、冬月が送られてきたばかりの
　報告書を見ながら語り掛けた。

「碇。シンリくんが意識を取り戻したそうだ」

「…そうか」

　腕を顔の前で組んだまま、視線だけを応接セットに座る冬月に向ける。
　赤いサングラスが表情を見せないためゲンドウが何を考えているのかはわからない。

「診療の結果、衰弱が激しいそうだ。お前と、赤木君に会いたいと言っているらしい。
　医師も治療上、患者の不安を取り除くことは必要と言っているが」

「…病院に行く」

「見舞いかね？」

「…委員会への報告のためだ。ドイツのセカンドチルドレンを呼び寄せるためにも
　現状は正確に把握しておく必要がある」

「そうだな。委員会への報告時間には遅れないようにな」

「…あぁ」

　ゲンドウが立ち上がり、部屋を後にした。

　　素直に見舞いに行くと言えばいいものを。
　　…不器用な男だな。

　冬月は報告書の山を見ながら溜息をついた。
　サキエル撃退から既に三日。
　作戦部、技術部、広報部など、関連各署からの報告、申請が山のように届いている。
　今日まで委員会への報告が延期されていたのはその情報を整理するためであり、
　緊急対応すべき内容が多岐に渡っていたせいでもある。
　強権を発動して調達した様々な資源に対する他機関からの苦情が殺到し、
　その対応に追われていたのも痛かった。
　他機関との調整はすべてゲンドウ、それと冬月に課せられていたからである。
　調達はゲンドウ、調整は冬月が行っていたわけだが…。

　　思い出してくるとだんだん腹が立ってきた。

「面倒なことは全て押し付けおって」

　ゲンドウに調整を任せたら、まとまるものでも破綻させてしまう。
　教授時代に培って来たノウハウ、生来の人柄を活かして、
　冬月がその任に当たるのは適材適所と言えるだろう。
　だが、いかに冬月とはいえ、度重なる他機関との調整には嫌気が差してきていた。

　　ぱちーん

　だから今は趣味の将棋をしている。
　仕事は一段落ついているのだ…誰も文句は言えまい。

　　プシュー

　扉の開く音が聞こえる。
　ゆっくりと歩いてくる音。

　　…誰かな？

　長身の男がベットの左隣に立った。

　赤いサングラス、口髭、他を寄せ付けない威圧感。

　　…父さんだ

「…痛むのか」

　少し表情が硬い。

　　ボクのせいなのかな…

「大丈夫。しばらく休んでいれば治るって医師の人が言ってた」

「…」

　　聞いておかなくちゃ…

「父さん…」

「なんだ」

「また、人と違うところが増えちゃった。
　…ボクのこと、嫌いになった？」

　先ほど、診察した際に鏡を見せられた。
　鏡に映った姿はどこか他人のよう。

　白い肌…確かに白いほうがいいなって思ったことはあったけど。
　白金の髪…金髪もいいなって思ったこともあったけど。
　紅い瞳…綾波さんの目を見て、綺麗って思ったけど。

　　…そう

　ボクの身体から色素がなくなってた。
　エヴァに乗ったことによる影響かもしれない、ってお医者さんは言ってた。

　完全になくなったわけじゃないから髪の毛は薄いけど色は残ってる。
　今の肌の色も、髪の色も、瞳の色も嫌いってわけじゃない。

　アルビノは、最近はそれほど珍しくもない。

　だけど、自分の子供が突然、脱色しちゃったら普通、親の人はビックリする。
　それまでと違う雰囲気に戸惑うとも思う。
　もしかしたら…嫌いになるかもしれない。

　　…だから聞いてみる。

　答えは聞きたくない気もするけど先送りにしてもいいことなんてないし。



「…私は人を外見で判断したりはしない」

　父さんは、ゆっくりと答えた。

　　…嘘は言ってないみたい。

「安心した。
　ボク、元気になったらエヴァに乗るから。
　使徒と戦うから」

　だからボクを…

「今は身体を治せ。今後のことはリツコ君に任せてある。
　後で相談するといい」

「うん。あの…」

「…なんだ」

「お見舞い、きてくれてありがと」

　一瞬、表情が揺らぐ。
　ちょっと焦っているように見えた。

　　もしかして父さん、照れてる…とか？

「…司令室に戻る」

　素っ気無い口調を残して父さんは帰った。
　
　　ほんの少しだけ交わされた言葉。

　だけど、心が軽くなった気がした。

　　プシュー

　病室の外にはリツコが立っていた。
　疲労しているのを隠すためにちょっとキツ目の化粧。

「もう、よろしいのですか？」

　シンプルな問い掛け。
　一瞬、ゲンドウとリツコの視線が絡む。

「…後は頼む」

　ゲンドウは短く告げるとそのまま、エレベーターに乗んだ。
　後ろ姿からは普段との違いは何も感じられない。

「…はい」

　　短い会話。

　他人が聞いても何を話しているのかはわからない。
　静かな病院の廊下でのほんの一時。

　蝉の鳴声だけがやけに耳についた。

　　カタカタカタカタカタカタ

　暴力的にさえ聞こえる猛烈な打鍵音だけが部屋中に響く。

　リツコは、目の前に４つのディスプレイを表示させて、複数の作業を並列でこなしている。
　温くなったコーヒーはほとんど手がつけられていない。

　　コンコン

「何のよう？」

　　まったく、リツコったら振り返りもしない。

「あんた、いい加減、そろそろ休みなさいよ。
　ただでさえ２４時間フル稼働中のなのに、指揮する立場の
　人間が倒れちゃ仕事になんないわ」

「まだ、問題ないわ」

「鏡見た？　ひっどいわよ。そんな顔見たら、シンちゃん心配するわ」

　　ピー

　指示ミスを意味する警告音が響き、打鍵音が途切れる。

「さっき、面会してきたわ」

　リツコの声が堅い。

「どうだった？」

「報告書の通りよ。遺伝子変化、記憶の混乱、身体機能異常。
　どれをとっても酷いものだわ」

「何かシンちゃん、言ってた？」

「外見が変わったけど嫌わないか聞かれたわ」

「…あの子にとっては、それが一番、重要なことなのね」

「…」

　リツコはその言葉には答えなかった。
　それが大切なのではなく、それくらししか気にかけることが残ってない。

　　報告書に書かれている過去…。

　　　胸の奥で鈍い痛みが疼く。

「リツコしかできないことが多いんだからギリギリまでがんばるのは
　かまわないけど、倒れちゃ駄目よ。
　作戦部と技術部の意見調整もしなくちゃいけないし」

「あと２日だけ待ってちょうだい」

　　あと二日でシンちゃんの遺伝子解析を完了させる…か。

　他支部のＭＡＧＩ　６台のＣＰＵ使用権をＮＥＲＶ本部の強権で奪い取って既に３日。
　本部のＭＡＧＩは全ての仕事を他支部のＭＡＧＩに任せて、
　碇シンリの遺伝子解析にその処理を費やしている。
　単純なスキャンで判明した遺伝子異常。

　　９９．８９％。

　碇シンリと人の遺伝子の一致率。
　外見の変化。単純なアルビノ化では説明できない違い。
　これまでヒト・ゲノムプロジェクトの流れで培って来たヒトの遺伝子に対する膨大な知識。
　だが、僅か０．１１％の違いは、その知識の範疇外。
　あらゆる生物、物質との関連性が調査対象になる。
　天文学的な調査事項、その組み合わせが生み出すシミュレート。
　それらの計算にはエヴァのノウハウをもつ本部のＭＡＧＩの全能力を投入しても、
　なお２日の時間が必要だった。

「二日…ね」

　前回の戦闘の後、技術部の要員は研究室に閉じこもり出てこない。
　他支部のＭＡＧＩを使ってエヴァ初号機の解析、戦闘結果の分析など
　やるべきことをこなしているが、あまりにもその量は膨大で緊急性の高いものばかり。
　リツコの陣頭指揮の元、一致団結して動く彼ら。
　その様子は鬼気迫るものがあった。

　リツコの私室を後にして、廊下に出たミサトは
　腰に手を当てて、首を振ってコキコキと鳴らした。

「さて、と。作戦部もちょっちがんばろっか」


　崩壊した第三新東京市。
　サキエルとの戦闘で市の中心に位置していた兵装ビル、装甲ビルはほぼ壊滅。
　地下シェルターの被害が少なかったことは唯一、明るい材料といえる。
　だが、それは直接、加粒子砲の攻撃を受けなかったという理由によるものであり、
　強固な装甲化が図られていたはずの射出口は原型を留めないほど
　破壊されてしまっている。
　現在、第三新東京市の稼働率は１５％。
　戦闘時ということとなれば、効率的な運用は不可能。

「人類の総力を結集して作った要塞のはずだったんだけど…。
　またゼロからやり直し。辛いわね〜」

　ボヤいているミサトの表情はそれほど悲観的ではない。
　役に立たないことが判明した施設の処分の手間が
　省けたという考え方だってできる。
　実戦データ皆無の手探り状態から、実績に基づいた計画の
　遂行が可能となったというのも大きな前進には違いない。
　
　基本的にミサトはいかなる時でも希望を捨てない主義であった。

　　プシュー

　ヤケに軽い足音が聞こえる。誰？

　左腕にギブス、右目に眼帯、その外にも身体中に包帯を巻いていて
　歩くことすら辛そうな外見。

　空色の髪、紅い瞳、白い肌…綾波さんだ。

「怪我、大丈夫なの？」

　ベットから身体を起こすのも苦労するボクが言っても説得力ないかも。

「…問題ないわ」

　ジッと紅い瞳がボクを見つめる。



「あの、何かついてる？」

「…いいえ」

　綾波さんは持っていたバックから携帯端末を取り出してボクに差し出す。



「…これは？」

「しばらくの間、私が碇くんの教育、担当することになったから」

　綾波さんの言葉を理解するまで、ちょっと時間がかかった。



「教育？」

「そう。これはそのための機材」

　　差し出された携帯端末。

　ボクがそれを開くと、綾波さんがベットの左隣に備え付けられた
　椅子に腰掛けた。

　…綾波さんがジッ〜とボクを見つめる。

　　何か…そう…何か言わなくちゃ。



「あの…何をするの？」

「…それで必要な知識を覚えて」

　視線が、携帯端末を指し示した。



「これで？」

「そう」

　…綾波さんがジッ〜とボクを見つめる。
　
　病室を静寂が支配する。

　…間が持たない〜。



「どうやるの？」

　ちょっと首をかしげて考え込んでいたけど、
　バックから取扱説明書を取り出して、差し出してきた。



「読んで」

　渡された取扱説明書を見てみる…。



「これを？」

「そう」

　綾波さんはボクをジッと見ている。

　…あの…ボク…どうすればいいの？




　取扱説明書と携帯端末を抱えているボクとそれを見ている綾波さん。
　そのまま、静寂の時が過ぎていく。

　　…静かに。

　　綾波レイ。

　人に教える、ということを始めて実践。
　だが、その道程は遠く険しいようである。

サキエル戦が終わり、関係者は戦後処理に大忙し。
あらゆる資源がＮＥＲＶの名の元に調達されていく。
冬月さんも苦労が絶えません。
ＮＥＲＶを一人、支える男。
地味だけどいなくなったらＮＥＲＶは崩壊ですね〜。

で、大人達は忙しくて忙しくて忙しくて、手が足りない。
ぜーんぜん足りない。
怪我人のレイまで引っ張り出して、教育をさせようとするなんて。

がんばれレイちゃん。何事も経験だ♪

次回、Ｂパートではセカンドチルドレン登場。
ビジフォンでの出演ですけど、ね。