ホー、ホー
「梟…本物なの？」
思わず呟いてしまう。
ボクと綾波さんでジオフロントの森を散歩し始めて１０分。
微風に揺れる木々、時折聞こえる鳥の鳴き声。
静かな森の中、二人の歩く音が心地よいリズムを奏でる。
「…どうしたの？」
「ここって本物の森なんだね」
「…人工林よ」
「ん、そういう意味じゃなくて、木々も草花も動物も虫もみんな生きてるでしょ？
そういう意味で本物っていったの」
「…そうね」
「生きてる森って気持ちいいね」
「…そう？ わからない」
第二東京市では成長する樹木が標識を見えなくしてしまったり、
電線にぶつかってショートしたりするせいで、成長遺伝子を
抑制された常緑樹に植え替えられている。
鳥は泣き声が五月蝿いとか、糞害が酷いという理由で駆除された。
世代を経るごとに致死率が急激に高まり、その種を絶滅に追いやる
遺伝子破壊剤の利用により、都市に住み着く鼠も一掃された。
そして、人間以外の生き物は第二東京市にはほとんどいなくなった。
おかげで、森はいつも青々としていて、指向性スピーカーが
死角から流す音が限られたエリアにだけ自然を演出する。
川のせせらぎさえあるかのように錯覚させる技術。
必要な時、必要な場所にだけ現れる自然。
だけど、そこには生命の鼓動は存在しない。
それに比べてここは本当の意味で生きてる。
静寂の中にも生き物の息吹が感じられる。
耳を澄ますだけで、心まで静かになっていく。
ガサガサ
「…？」
急に横の茂みが揺れて中から大きな荷物を背負った男の人がでてきた。
思わず後ずさりしてしまう。
「おや？ 碇シンリちゃんとレイちゃんじゃないか？
どうしたんだい、こんな時間に」
え？ ボクのこと知ってるの…？
「素敵な森なのでちょっと見学してました」
そう答えて、小声で問い掛ける。
「綾波さん、この方は？」
「青葉シゲル。ネルフ本部中央作戦室所属オペレーター。
通信、情報分析担当」
いつもながら、綾波さんのコメントってどこかのデータを
読み上げてるように聞こえる。
「そういえば、シンリちゃんに直接、会うのは初めてだったね。
いま、レイちゃんが言ってたけど、改めて。
青葉シゲルだ。これから色々と仕事で一緒に働くことに
なるとは思うがよろしく」
青葉さんが手を差し出してきた。
握手…だよね。
「よろしくお願いします」
手を握るが、青葉さんの表情が曇った。
「ずいぶん、冷たい手だね。まだ体調が良くないんじゃないかい？
ほどほどに切り上げて帰ったほうがいいな」
震える手を慌てて後ろに隠す。
「…そうします」
答えながら少し距離を離した。これくらい間があれば平気…。
「あの…青葉さんはこんなところで何をしているんですか？」
冬山登山にいくような大きな背負い袋を背負っている。
その割には、服装は内部勤務の時のものに見えるから
会ったときから気になってた。
「あぁ、これかい？ この前、戦闘時に通信機に問題があってね。
今は改良版通信機の実地テスト中なのさ」
そういって青葉さんが笑う。ボクも愛想笑いを返すけど
ちょっとぎこちないかも。
「それじゃ、俺は仕事があるからこれで失礼するけど、
早めに帰るんだぞ？」
「はい」
「レイちゃんもいいね？」
コクンと頷く綾波さん。
ボク達の返事を聞いて、別の茂みを掻き分けて奥へと
歩いて青葉さんは去っていった。
「帰る？」
「…えぇ」
ボクたち以外に人がいるって思った途端に、森の暗さが
不気味に感じられてきて、足早に病院に戻ってしまった。
「…碇くん、顔が蒼白いわ」
綾波さんがボクの顔を覗き込んで問い掛ける。
綺麗な瞳…見ていても怖くならない瞳。
少しだけ落ち着いてきたみたい。
「大丈夫…少し休めばよくなるから」
「…そう…無理、しないでね」
「うん」
布団に包まって、心を落ち着ける。
この部屋には誰もいない…大丈夫…
ボクは落ち着いてる…
――＊――
コンコン
「どうぞ」
カチャ
朝になって、綾波さんが携帯端末を持ってやってきた。
久しぶりに意識を失わずに迎えた朝。
少しずつだけど体力が戻ってきているみたい。
「…朝食」
やっぱり、簡易食品。
なんだか見たくない気分だけど、我慢、我慢。
「ありがと」
パクパク
あっという間に食べ終える。
なんだか栄養補給って言葉がぴったりくる感じ。
食べ終えて携帯端末を使って勉強をしていると、
扉をノックする音が聞こえる。
…誰？
「どうぞ」
「やっほー、元気してた？」
なんだかやけにハイテンションなミサトさんが入ってきた。
「これ、差し入れ。簡易食品ばっかで飽きたでしょ？」
そういって、お菓子の袋を投げてよこす。
ぽふっ
キャッチし損ねて、顔で受け止めてしまう。
うーん、ちょっと痛い。
「やっぱり見えない？」
右側で言われると聞き取りにくいから、体を起こして
扉側に向きをかえる。
「もともと、運動、得意じゃないですから。
大丈夫、見えないわけじゃないんだし、すぐに慣れます」
さっき投げられたお菓子の袋、取ろうとして大きく空振り。
遮る物もなく、袋は放物線を描いてボクの顔にＨＩＴ。
サキエル戦のあと、右目が見えなくて、右耳は聞こえない。
左目と左耳は問題ないから、日常生活では支障はない。
今みたいに遠近感を必要とする場合でなければ。
左腕は戦闘時に出血した覚えがあるんだけど、目と耳は理由がわからない。
お医者さんの話だと、左腕同様、戦闘時のショックによる
一時的なものかもしれないって言うけど…。
右目と右耳、怪我した覚えはないし…どうしてだろ？
「…ごめんなさいね。こんな怪我をさせてしまって。
エヴァに乗ってこんな影響がでるなんて、今まで経験したことがなかったのよ。
今、リツコ達が原因を調査しているから、もう少しだけ我慢してね」
ぎゅぅぅぅぅぅぅ
ミサトさんがボクの頭を抱えて大きな胸に抱き寄せたせいで、
顔中、胸に圧迫されちゃって…
い、息が…苦しい…
「…駄目」
「あら、レイ、どうしたの？」
「…碇くん、苦しんでる」
綾波さんの声に抱擁を止めてくれた。
…し、死ぬかと思った。
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ
息を整えるだけで精一杯。
「ごめんね〜。苦しかった？」
「…は…い」
「これからはもうちょっと気をつけて抱き締めるから、ね？」
「抱き締めなくてもいいですって」
思わず苦笑を浮かべる。
不思議と、ミサトさんに抱きしめられても怖くはなかった…。
「人って距離が離れるほど熱意が伝わりにくいものなのよ。
ま、それはそれとして、今日は嬉しいニュースを持ってきたわ」
「…嬉しいニュース？」
「明日から、食事制限はなし。それと一般病棟のほうに
移れるからね」
「料理してもいいんですか？」
声がちょっと踊ってる。
「あら、シンちゃん、料理できるの？」
「結構、自信ありますよ。それと一般病棟って今と何が違うんですか？」
「私物の持込ＯＫなのと、テレビ、ラジオの類が設置されていることね。
あと、消灯時間が延長されていることが違うわね。
キッチンはついてないから部屋で料理ってわけにはいかないけど、
厨房を借りて自炊するのはＯＫよ」
「楽しみですね」
「そういってもらえると助かるわ。ところで、レイ、教育の進み具合は？」
「…予定通りです」
「じゃ、明日は、簡単なシンクロテストをやるだけだと思うわ。
徐々に慣らしていかないと、ね？」
「はい」
まだアレに乗れる…父さんとの約束を果たせる…
「っと忘れるところだったわ。シンちゃんが普段、着る制服だけど、
紫外線対策の関係で、冬服をベースに作るつもりなのよ。
男の子の制服と女の子の制服、どっちをベースにしたらいい？」
「ミサトさん、どっちが似合うと思います？」
「女の子の方でしょうね。初めて会ったときの服、似合ってたわよ？
…まぁ、華奢な美少年って選択肢でもいいとは思うけど」
「…ボクも女顔だってことぐらい自覚してますから。
女の子の制服をベースにしてください」
「ＯＫ。実際に設計するのはマヤちゃんだから、後でイメージデータを
見せるように伝えておくわ。事前に知りたいでしょ？」
「はい」
「それじゃ、勉強、がんばってね」
ミサトさんが扉の外へと去っていった。
暴風が吹き荒れたような感じ。
部屋の中の静かな空気がどこかにいっちゃった。
「…碇くん、始めましょう」
「うん」
マウスのクリック音、たまにボクが綾波さんに質問。
昨日と同じ光景。
ブラインド越しの日差しが暖かくて、眠くなりそう…。
――＊――
プシュー
「おはようございます…葛城さん、その跡、どうしたんですか？」
発令所に入ってくるなり、心配そうな顔をする日向。
「わかっちゃう？」
「それはもう。くっきりしてますから」
「シンちゃんにはバレなかったんだけどね〜」
手鏡を取り出して頬についた手形を眺める。
さっき、抱きしめたのは謝罪の気持ちからではあるが、
たぶん、気恥ずかしくなって、シンリがまともに視線を向けなくなる…
ということも計算していた。
「ベットに寝てる人は動きませんからね。で、どうしたんです？」
「リツコにやられたのよ」
「赤木博士が？ 意外ですね」
「…そのおかげではっきりしたわ。初号機暴走の件、
技術部はシロよ」
「碇司令の独断によるものだったわけですか」
「そういうことね」
「あの時、発現した超現象ですが、それについては何と？」
「暴走は零号機暴走時の戦闘行動を期待したもの。
Ａ．Ｔ．フィールドの行使、機体損傷の自己修復、
パイロットへのダメージ、怪我の治癒については
まったく想定外のことだって」
「使徒撃破時の動きは明らかに零号機暴走時とは異なる
高度な状況判断能力が確認されたじゃないですか！？
それを暴走？ そんな嘘、子供だって納得しませんよ」
「まぁね。で、その意見で納得する代わりに、作戦部の
行動について口出しするのは止めさせたから」
「随分、譲歩を引き出しましたね」
「私達の代わりなんていない。世界中探したってベストな選択だって
わかってるからね。多少、強気に出たってなんとかなるのよ。
所詮、司令も副司令も事務職一筋。
戦闘指揮なんてできないんだから」
「確かにそうですが。無理したんじゃありませんか？」
「…内心、冷や汗ものだったわよ。
二度はやりたくないわね。
リツコには叩かれるし、司令、副司令には睨まれるし。
こんなに苦労してるのに、部下からは恨み事言われるし。
給料はさほど高くないし、ビールの税金は高いし。
中間管理職の悲哀よねぇ、これって」
「同情しますよ、本当に。できることがあったら、
何でも言ってくださいね。作戦部のメンバーも
葛城さんのそういうところ、わかってますから」
ちょっと納得しがたい部分はあったものの、とりあえず
フォローを入れる日向だが…
その言葉を聞いてミサトの目が輝く。
「そーいってもらえると助かるわ。
それじゃ、これとこれとこれに作戦の概要、入れといたから。
シミュレートと修正、よろしくね♪
作戦部のみんなの代替案も一人ひとつずつ併記すること。
とりあえず、概算だけ今日中にお願い。
私はちょっち休憩してるから」
晴れやかな笑顔とともに資料をどさっと渡して、
休憩室へと消えていった。
ぱらぱらぱら
「…これを今日中に？
葛城さんもこっちができるギリギリ限界のことまで
きっちり仕事させるから厳しいよな〜。
できないことを言わないだけ性質が悪いかもしれない。
…俺達って恵まれているのか不幸なのか…？」
ミサトの笑顔と引き換えに渡された書類が急に重みを
増してきたように感じて溜息ばかりの日向であった。
Ver2.00 2004/4/7 YOKO
次回はやっとサキエル戦以降、初めてのエヴァ再起動実験です。
青葉君の出番もこなしたので大人たちの描写はそろそろ減少です。
そういえばマヤさんの出番がちょっと少なめかな。
いっぱいお仕事しているんですけど、ね。
それを言ったら激務に追われていない人なんていませんけど。
素人で戦闘技術なんて欠片もないシンリをどうやって
短期間のうちに一流のパイロットに仕立て上げるか？
そんな都合のいい話があれば、アスカもレイも苦労はしません。
だからいっぱい端折るわけです。できたらいいと思われるような
ことはぜーんぶ、ばっさりとカット。
最低限、これができなきゃパイロットじゃないってところだけ
教育していくことになります。
それでも、原作と違って教育内容は盛り沢山です。
使徒の高いジャミング能力は嫌というほど身に染みましたから。
ま、このあたりの教育も、さらっと流すことにします。
ひとつ、ひとつ挙げていたら冗長になってしまうので。
原作だと、「よく乗る気になったわね、彼」とか、ほんの
少しだけ語って終わるシーンなんですけどね…。