最近、相談事があると、リツコさんの研究室に行く。
職員はみんな個室をもっていて、他の人は周囲にいないから
相談がしやすいのが利点。
「リツコさん…相談があるんですけど」
いつものように椅子に腰掛けて、話を切り出す。
「何かしら？」
「父さんの…借金のことなんです」
周囲のコンピュータが微かに発する駆動音がはっきりと
聞えるほどの永すぎる静寂。
「……もう一度、言ってくれる？」
何分経ったかわからなくなってきた頃、リツコさん口を開いた。
…うーん、リツコさんにもショックなことだったみたい。
「父さん、…碇ゲンドウの借金のこと、です」
「…シンリくん、それどこから聞いた話かしら？」
リツコさん、やっぱりショックだったんだ…。
無理に落ち着いた声で話しているけど、いつもと声が微妙に違う。
ボクはできるだけショックを受けないように言葉を選んで
自分の推論を語った。
綾波さんの家に行ったこと
保護者はゲンドウであること
極端に生活費を倹約していること
怪我の治療も途中なのに退院したこと
お金があるならそんな生活を続けるわけがないこと
必要があるのにお金が出せない、つまり借金があるということ
ボクの説明が終わった後も、しばらくの間、リツコさんは何かを考え込んでいる。
やっぱりショックだったのかな…父さんが借金に苦しんでいること。
一波乱起きちゃうかな〜…。
でも仕方ないよね。リツコさんに黙っていた父さんが悪いんだし。
これも避けて通れない道だもん。
雨降って地固まる、ともいうし…大丈夫…だよね…
「…シンリくん、このことは私に任せてくれるかしら？」
よかったぁ…リツコさんの表情からみても
修羅場だけは避けられそう…。
「あの…お願いします。それと綾波さんと一緒に
住みたいんですけど」
「…理由を教えてくれる？」
「一緒に生活したほうが生活費を節約できますから。
ボクと綾波さん、同じ保護者ってことは家族ですし。
それに、綾波さんの住んでるマンションより
安い住居って…多分、ないと思うんです」
「…わかったわ。でも、シンリくんはいま、治療中なのよ。
当分、ジオフロントの病院で生活を続ける必要があるの。
それは、いい？」
「それじゃ…食事、綾波さんと一緒でいいですか？
料理を作るの、一人分って難しいし、簡易食料より安くて
ちゃんとしたもの、作れますから」
「それは好きにすればいいわ」
「はい。それじゃ、よろしくお願いします。
ボク、これで病院に戻ります。
あの…父さんも言えない理由があったと思うんです。
だから…許してあげてくださいね」
「わかったわ」
よかった…ちょっと固い感じがしたけど、ちゃんと
リツコさん微笑んでくれたから。
――＊――
プシュー
シンリくんが部屋の外に出て行き…しばらくして
少しずつ、心が落ち着いていくのを待った。
…さっきのシンリくんの姿、一生懸命だったわね。
保護者が同じだからレイは家族…。
理由はどうあれ、他人に興味を持つように
なってきているのはいい傾向ね。
それにしても、碇司令が借金苦…か。
「否定はできないわね…言えない事が多過ぎる…」
自分が関係している極秘プロジェクトについて考えてみる。
…どれひとつとして言えるものではないし、説明してもレイに対する仕打ちを
シンリくんが納得するとも思えない。
ディスプレイに映る内容を見る。
そこには、「Ａ．Ｔ．フィールドと精神の関係に関する考察」、
「シンクロによるダメージと軽減について」、
「碇シンリの記憶障害と身体異常の関係に関する考察」…
サキエル戦以降、調査・分析された報告書の数々が表示されていた。
「ん？ この状況は…」
シンリに秘匿情報を与えることなくレイのことを納得させて、尚且つ
エヴァ操縦に関する問題点をクリアする…
あらゆる条件を満たしているわね…この状況を利用しない手はないわ。
ゲンドウさん、どんな顔をするのかしら？
借金苦を一人抱える孤高の碇司令…面白いかも。
くすっ
思わず、笑みが零れる。
その表情はまるで悪戯が成功したときの子供のよう。
「母さん、協力してもらうわよ」
リツコが呟き、ＭＡＧＩに怒涛の勢いで指示を送る。
刻々と変化するＣＰＵ使用率。
リツコの指示したシミュレーションが極めて高い優先度で処理され始めた。
――＊――
…連日の激務でハイになっていたのだろう。
最近、二人で会う時間が取れなくて不満が溜まっていたこともあるだろう。
個室に一人きりでいるというのも理由の一つだろう。
MAGIという強大な支援を受けて、着々と進むリツコの暴走。
唯一、それを止めるべきリツコの理性は、とうの昔にＫＯされている。
ゲンドウが被る問題など、すっかり忘却の彼方にすっとばし、
新たなシナリオが反論の余地を全て潰して生まれつつあった。
――＊――
１日ぶりの病室。
一人きりの部屋はやっぱり寂しさに包まれている。
これならコンクリートが剥き出しの綾波さんの
部屋のほうが心が落ち着く気がする…。
今日の予定は…
一日中、初号機を使ったシミュレーション。
綾波さんは怪我が治ってないから今日もお休み。
食材、どこで買おうかな〜。
ジオフロント内でもお店くらいあるよね。
これだけ広くて沢山の人が過ごしているんだもの。
ん？ アスカからメールが届いてる。
色々、書いてあったけど、返答に困った話が一つある。
レーダー、ソナーに関係なく弐号機を認識したコツを教えなさい。
…コツって言っても感じるだけだし。
”エヴァの心を感じ取れるように心を静かにしていたら、
遠くに弐号機の意志を感じました。でも、弐号機には
心はないっていうし、変ですね。”
って返信しておいたけど、納得してくれるか不安。
お昼休みにビジフォンでお話したほうがいいかな…。
文字で伝えるのは難しいことだかあら。
昨日も夜遅かったせいで食材が買えなかった。
残念だけど今日も食堂で朝食。
「ミサトさん、おはようございます」
「あら、シンちゃん、おはよ」
「おはよう、シンリちゃん」
ミサトさんと一緒にいた眼鏡をかけた男の人も挨拶をしてくる。
「あの、ミサトさん、こちらのかたは？」
「あぁ、私の部下で日向マコト君」
「よろしくシンリちゃん。葛城さんの下でオペレータを
やってるから、これから色々なところで会うと思うよ」
「よろしくお願いします」
「さ、堅い挨拶はお終い。ご飯を食べましょ」
みんな、一緒のテーブルに座って朝食を食べる。
あれ？ ミサトさんの頬が赤い…。
シンクロテストの時は薄暗い部屋にいたからわからなかったけど、
ここは明るいからよく見える。
化粧でカバーしているけど…手形だよね。
「ミサトさん、頬、どうしたんです？」
「これ？ ちょっち、リツコとあってね」
リツコさんが…？
「何があったのか知らないですけど、ちゃんと仲直りしました？
そんなに怒らせるような何をしたのか知りませんけど、
リツコさんならちゃんと謝れば許してくれますから、ね？」
「はいはい。その日のうちに仲直りしておいたから
気にしないでいいわよん」
「よかった」
パクパク
うーん。ここの食事っておいしいけど、ちょっと高いよね〜。
…つい、食材のことを考えちゃう。
「ミサトさん、食材を購入したいんですけど、ジオフロントの
どのあたりで売っているんでしょう？」
「食材？」
「はい」
「日向君、知ってる？」
「多分、売ってないんじゃないかな。
定期的に必要なものを申請して一括仕入れをしているから。
もし必要なものがあるなら、俺が申請するけど、どうする？」
これだけ大きな会社で食材一括購入ってことは
食堂の人が仕入れをしているわけで…
当然、安いはずだよね。
「お願いします。食材のリストとかってありますか？」
「あとでシンリちゃんの携帯端末にデータを転送しておくから、
欲しい分だけ教えてくれればいい」
「わかりました。あと、厨房の冷蔵庫も借りたいんですけど」
「どうしてだい？」
「使わない分や、日持ちする料理…スープとかですけど、
そういったものは冷蔵しておかないと痛んじゃうでしょう？
でも、病室にある冷蔵庫って小さくて、あんまり物が
入らないんです。だから借りたいんですけど」
「それは料理長に相談しておくことにするよ」
「ありがとうございます」
さてと、食べ終わったし、ちょっと食材も見ておかなくちゃ。
「それじゃ、ミサトさん、日向さん、お先に失礼しますね」
「はいはい。テストに遅れないようにね」
「わかりました」
ぺこんとお辞儀をしてからボクは部屋に戻った。
――＊――
「シンリちゃん、葛城さんが悪いことをしたから叩かれたって
完全に言い切ってましたね」
「ん、ま、リツコのことをそれだけ信頼してるってことでしょ」
「なんだかシンリちゃんの話を聞いていると、どうしても
違和感があるんですよね…大きな声じゃ言えませんが」
「懐いてるものね〜」
「えぇ、まぁ、そんなところです」
「いい？ 人が見せる面はあくまでもその人物を構成する人格の断面に過ぎない。
職場での顔、家庭での顔、男の前での顔、女の前での顔…
人は様々な局面に合わせた面を見せる…だけど、その一面だけで
その人物を理解したなんて思わないほうがいいわ。
日向君、リツコのプライベートなんて全然、知らないでしょ？」
「確かに。赤木博士とは職場でしか会いませんから」
「しかも技術部ＴＯＰとしての面だけ。
どうしたって固いイメージが多くなってしまうわ。
ま、しばらくしたらシンちゃんが見ている面も見れるように
なると思うから、それを楽しみにしてなさい」
「…今度は何を企んでいるんですか？」
「ん、企んでいるっていうか、確認したいことがあるのよ。
今日のテストで多分、はっきりするはず。
私の勘だけど、シンちゃんの行動パターンには極めて
珍しい特徴がでるはずなの」
一瞬、瞳に冷徹に計算された輝きが混じる。
「珍しい？ どんなですか？」
「それはテストが終わった時のお楽しみよん♪」
そう言ったミサトの表情からは先ほど見せた鋭さは感じられない。
「…はぁ」
ミサトの言葉がいまひとつ理解できていないようで
日向はまだ納得できない表情のままであった。
Ver2.00 2004/4/7 YOKO
ちょっと短いですけど、切りがよかったので今回はここまで。
次回はシンリのシミュレーションテストと、ミサト、リツコの策謀。
さて、ミサトが気が付いたシンリの特徴とは？
それにしても進みが遅いですねぇ。
次回で、チルドレンに対する教育方針が決まり、
その次あたりで、Ａ．Ｔ．フィールドに関する実験の実施。
ラストで、新たな生活基盤の定着…と。
いま、Ｇパートだから、Ｊパートくらいで第２話は終わり、かな？
第２話ラストは、第３使徒戦から３週間が経過し、やっと
使徒迎撃に関する最低限の基盤整備が終わって日常生活が
始まる…ってところになる予定。