第０５話「レイ、心の向こうに」Aパート

『現在、第三新東京市には戒厳令が施行されています。外出には許可が必要です。
　必要の際には近くのＮＥＲＶ保安部職員まで申し出てください。
　なお、外出した者は警告なく処分される場合があります。
　また、ＮＥＲＶ保安部職員から身分証の提示を指示された場合は
　速やかに従ってください。ご協力をお願い致します』

　シンリが事故に遭った時点から非常事態宣言が発令され、第三新東京市は既に３日間、
　戒厳令下に置かれている。
　全ての設備が対使徒戦時の状態に移行しており、職員、民間人はシェルター又は
　ジオフロントに移動させられており、その行動は大幅に制限を受けている。
　一人として動くもののない街…そんな中、慌ただしく移動する集団がいた。
　ＮＥＲＶ保安諜報部である。

「Ａ１０シェルター群について収容人員の確認が終了しました」

「いたのか？」

「はい。３人、発見しました。そのうち二人が記録したメモリーカードを
　別の場所に隠蔽していましたが、そのカードも発見しています」

「これで、６３人目か」

「計画を知らずに情報の提供、伝達をしていた者が大多数です。
　念のために裏を取ってみましたが間違い有りません」

「ネット上でだけ成立する交渉関係…。
　第二東京市のサーバへのハッキングが成功しなければ
　とても追いきれたもんじゃなかったな」

「第二のほうの調査はどこまで完了している？」

「オフライン状態の保存データについて２５％まで強制徴収を終えています。
　オンライン状態のサーバについては全てハッキングし、吸い上げたデータは
　他支部のＭＡＧＩを利用して解析中です」

「いつまでに終わる？」

「今日一杯、明日朝までには確実に完了します」

「今回の非常事態宣言中に日本の情報網は完全に把握しろ！
　二度と舐めた真似ができんように潰す気でやれ！」

「「「了解」」」

　ＮＥＲＶは今回の事件を重く受け止め、日本政府に対して今回の暗殺に関連する
　組織、人員の完全な調査を指示したが、余りにも対応が遅く関係省庁間の調整だけで
　何日も経過してしまうことが予想できた段階で、日本政府を経由した状況の収拾を断念。
　独自の諜報活動とは別に国連の関係各国に支援を要請した。
　当然、日本政府はこれに猛反発したが、事態の迅速な収拾を独力で行うことができない
　事態を変えられるわけでもなく、３日間の期間限定ながら、各国の諜報機関に対して、
　日本国内での捜査行動に対する権限を認めざるを得なかった。

　異例とも言える各国諜報部の精力的な活動により多方面からの同時アタックを
　受けることとなった日本政府、日本企業は彼我の圧倒的な物量差の前に敗退。
　一部、物理的に外界との接触を断ち、防御に成功した企業を除いて、
　ほとんどの政府関連組織、企業は情報を守ることができなかった。





　「マヤ、北米大陸の調査結果を教えて」

　刻々と変化する５台のディスプレイから目を離さずに、リツコが問い掛ける。
　それぞれのディスプレイがMAGIの活動状況を表示している。
　１台は現在の技術による治療方法のシミュレート、１台はエヴァ系技術を応用した治療のシミュレート、
　残り３台がそれぞれアメリカ大陸、ユーラシア大陸、アフリカ大陸に存在するサーバに対する
　ハッキングとその結果の解析を担当しており、リツコは得られた情報を元に、MAGI達に
　活動の指針と目的の決定を行い、指示しているのである。

「米軍による使徒遺伝子情報をベースとした人体実験の結果について、
　情報を入手しました。被験者の追跡調査結果に手間取りましたが、
　…結果が判明しました。全員、遺伝子の置き換えが完了した時点で
　細胞の壊死が発生し、死亡しています。
　原因についてMAGIに推論させましたが、情報不足のため結論はでませんでした」

　リツコの隣で、やはり複数のコンピュータ群に対して処理をしながら、マヤが答える。
　何度も繰り返された問いと答え。
　サード・チルドレン”碇シンリ”の反応をベースとした遺伝子解析と機能の分析結果に基づいて
　ＮＥＲＶの治療は行われ、それは確実に成果を上げていた。
　だが、ＮＥＲＶ内の情報だけでは治療方法に限界があるため、非常事態宣言の発動と同時に
　世界中のネットワークに接続されたサーバ群に対してＭＡＧＩを複数台使ってハッキングを敢行。
　それによって、得られた数々の非公式情報はどれもリツコ達を困惑させるものであった。

『使徒の遺伝子配列に変化させた人間は必ず死亡する』

　使徒の情報を得た人類が行った数々の人体実験の情報は、”碇シンリ”が生きている事実と
　明らかに矛盾している。
　何か、情報が決定的に足りない…それだけはわかっている。
　だがそれが何かはわからず…そして刻は止まることはない。

　ピースの欠けたジグソーパズル…いくら組み上げても、そのパターンを変えても完成しない。

　それでもリツコはＭＡＧＩ達を操る手を休めない。

「ダミー１７体の個体差を考慮した上で脳移植のパターンを再調査して」

「…はい」

　砂時計に存在する砂は、こうしている間にも減っているのだから。





　集中治療室の中、乱立する医療機器に囲まれたベットにギブスで身体を固定された
　シンリが横たわっている。
　トラックとの衝突時に、シンリの着ていた制服は、設計通りに急激な変形に対して
　それを防ぐために硬化し、衝撃を面に分散させた。
　結果として、全身にほぼ均等に衝撃を受けることとなったが、全身をほぼ隈なく
　覆っていた制服がガードできない部位…頚部に衝撃が集中することになった。
　迅速な治療により即死は免れたものの、頚部は完全に複雑骨折し、通常であれば
　血流の停止によって速やかに死に至る事態であった。
　また、衝撃を全身に受けたことで、治癒の兆しを見せていた内臓系の傷も悪化。
　周囲に存在する医療機器がその機能を代行し、何とか容態を安定させているが、
　いつ悪化しても不思議ではなかった。

　容態がひとまず安定し、医師達の常時監視状態が一時解除された時から
　レイが傍らにある席に座り、冷たいシンリの手を握っている。

　瞬きすら忘れたかのように目を閉じたシンリを見つめるレイ。
　その表情からは、シンリと生活するようになってから見られるようになった
　感情がなくなり血の気の失せた色はまるで人形のような印象に戻っていた。





「碇、此度のサード・チルドレンの負傷、この失態は問題だぞ」

「左様。予想を遥かに越えた使徒の強さに対して唯一、対抗する手段たるエヴァ。
　その起動に欠かすことのできないチルドレン。
　予備すらない状況に対して、認識が甘過ぎたのではないかね？」

「セカンド･チルドレンと弐号機の到着もまだ壱ヶ月は先だ。その間、
　稼動するエヴァがないまま、使徒が出現した場合、迎撃は困難と言える」

「この事態、どう収拾するのかね？」

　ホログラフィを利用した会議。
　薄暗い部屋の中、席に存在するかのように見える老人達は実際にはこの場にはいない。
　ゼーレ…それが老人達の組織の名前であり、独立した活動を許されるＮＥＲＶの
　唯一の上部組織にあたる。

「サードの警護失敗については、以前から報告していたように、対人設備費用の
　削減による悪影響によるものであり、当初の予定通り、予算配分が行われて
　いれば防げた事態です。

　対使徒戦に備えて、現在、零号機の起動準備中であり、サキエル、シャムシェルに
　対する戦闘のシミュレート結果についても報告通り、１．５８％の勝率があります」

　まったく感情の感じられない声でゲンドウが反論する。
　いつものように手を前に組み、前を見つめる姿からは感情の動きは感じられない。

「現状ではＡ．Ｔ．フィールドの効果的な行使すらできず、予定した戦闘能力を
　発揮できていないが、それについてどうするつもりだ？
　Ｎ２爆雷を使った攻撃だけでは芸が無さ過ぎる」

「…サードの意識が戻り次第、兼ねてから懸案となっていたＡ．Ｔ．フィールドの
　展開実験を行います」

　ゲンドウの発言に老人達の表情が変わる。

「精神に対して多大な影響が出る、と言って延期していた実験を行うというのかね？」

「現状のままサードが実験を行えば、死は免れない、とあるがそれを考慮した上での
　発言なのか？」

「今、サードを失うことは得策ではないぞ」

「その実験によって良い成果が得られるとは限らないのであろう？」

　老人達の珍しく感情の入った意見を聞いても微動だにしない。

「駒は使えるうちは使います。それに使えなくなってからでは意味がありません。
　サードの治療法がない以上、使える間に情報を収集する必要があります」

　ゲンドウの発言に、一瞬、場を静寂が支配する。

「…この件については碇の案通りに進めることとしよう。
　だが、駒に替えがないことにもう少し配慮したまえ。
　対人設備の予算については一考しよう」

「後は我々の仕事だ。職務に戻り給え」

「はい」

　ＮＥＲＶ本部との通信が切断され、ゲンドウと冬月のホログラフィが消える。



「碇は駒を軽く扱い過ぎるのではないか？」

「自分の子もあ奴にとってはただの駒か」

「だが、現世に未練なく、自他に対し冷徹に判断しうる有能な人材は他にない」

「左様。現時点での人事に問題はない」

「対人設備の費用削減が予定外の結果を招いてしまった」

「来るべき事態に備え、ＮＥＲＶの対人類戦能力は落とすという判断だったが、
　それが裏目に出たと言える」

「…予算はどうする？」

「日本政府に出させる。かの国を擁護する国家など存在せん。次の会議で
　この件については十分、採択可能だよ」

「セカンド･インパクト後の復興だけに全力を注ぎ、他国との関係強化、国内の
　統制にまったく国力を注がなかったツケが如何に高いか教えなくてはなるまい」

「あの国は所詮、外圧がなければ何もしないのだ」

「対人設備費用の穴埋めは今回の失態を補う意味でも日本一国に負担させる。
　よいな？」

「これでかの国も、役に立たない戦略自衛隊への投資を中断せざるをえまい」

「陸上巡洋艦とか言う玩具だな。無駄なことに資金を投入するのは信じられんよ」

「うむ。民間企業でも対使徒戦用戦闘兵器の開発をしている、とある。
　やはり、現時点で楔を打ち込む必要がある」



「サード・チルドレンの予定外のロスト…この修正、どう行うか？」

「…ただの人間では今後、激化する使徒戦を生き残ることは難しい。
　それに新たなチルドレンを発見し、予備としても経験に裏打ちされた戦闘技術を
　引き継ぐことはできない」

「では、やはり我々の手で？」

「そうだ。予定を大幅に前倒しにし、新たなるチルドレンを我らの手で産み出す」

「問題はないのか？　制御面での調整が完全ではない、と聞いているが」

「使徒の体組織を使う以上、対策は万全を期してなくてはいかん」

「だが、ただの人間ではシンクロ率、傷害への耐性、どちらの面でも問題がある」

「それに現状のままではいずれＮＥＲＶ本部の防御は破綻する」

「新たなチルドレンの出現は不可避なのだよ」

「…最悪の事態に備えて準備はしてある」

「左様。その時は支部を破棄し、全てを無に還すのだ」

　彼らの手元にあるコンソールにＬＣＬに満たされた培養ポッドの映像が映る。
　目を閉じた少年が浮かんでいるその器には、「ＫＡＷＯＲＵ」と記されていた。

　やっと第５話スタートです。
　今回、やっとゼーレの老人達が登場しました。
　色々と画策している彼ら、そしてゲンドウ達。
　
　そして失われつつある刻。
　事態は急速に予定から外れて行くことになります。

　次回は、アスカのお話、それとリツコとゲンドウの衝突です。