カチャ
面会謝絶の札のかかった病室のドアを開けて中に入る。
医療機器に囲まれたベットに横たわり、意識が戻らないシンちゃん。
折れた首を保持するためにギブスで固定され、激しく打ち付けられた頭部の
治療で、包帯が巻かれ、髪の毛はほとんど見えない。
毛布に包まれた体も治療に必要な箇所以外は包帯かギブスに覆われている。
…なぜ、シンちゃんがこんな目に遭わなくちゃいけないのか
この部屋にくるたびに打ちのめされた気分になる。
だけど、今は自分の気持ちの整理より前にレイを休ませるほうが先だと
自分に言い聞かせる。
レイはずっと、シンちゃんの手を握ったまま、一睡もせずに
起きるのを待っている。
「…レイ、少し、休みなさい。
このままじゃ、レイまで倒れてしまうわ」
私の言葉に、初めていることに気がついたのか、ゆっくりと
レイが私のほうを見た。
人としての感情をどこかに忘れてきたかのような紅い瞳。
見ているだけで心臓を鷲掴みにされているかのような冷たい雰囲気。
その場から逃げ出したくなる感情を抑えるのが辛い。
…そう、それは紛れもない恐怖の感情。
私がレイに恐怖を覚えた？ まさか？
「…葛城一尉…碇くんを殺そうとした人間はどこですか」
ゴミ捨て場はどこですか、と聞くかのような簡単な問い掛け。
表情の欠けたレイがそれを告げるだけで、背筋が凍り付く。
「まだ、尋問中なのよ。尋問は保安諜報部の―」
「…どこにいるんですか？」
レイの瞳に初めて感情の色が現れる。
それは凍てつく想いに囚われた明確な殺意。
今、レイをこの場から離してはいけない！
「レイ…そのことは私に任せて、レイはここにいて
シンちゃんを見守っていてちょうだい」
「葛城一尉に任せる？」
私の申し出にレイの瞳が僅かに揺れたのを見て、
私はこの方向でいい、と確信する。
「一緒に住んでる家族の葛城ミサトに、よ。
起きた時、近くにレイがいればシンちゃんも喜ぶと思うわ。
…だから、ここにいて。私の分まで」
「ミサトさん…に？」
レイの問いに頷くと、静かにレイはシンリの手を握り直した。
先ほどまでの冷たい雰囲気が少しだけ和らいだのが判る。
握ってあげるなら綺麗な手のほうがいい。
私には…復讐のほうが似合ってるわ。
「じゃね、レイ。また後で来るわ」
静かにドアと閉じると、携帯端末で尋問状況を確認する。
全ての尋問が終了し、後は処分待ちになっていることを
確認して思わず言葉が漏れた。
「いいタイミングね」
ユッサ、ユッサ
何よ…もう少し眠らせて…
ぺち、ぺち
顔を小さな手が叩く。
「もぉ…起きる時間までまだあるでしょ」
アスカが目を開けると、ベットの隣に小さな女の子が立って私の顔を
覗き込んでいた。
猿の縫いぐるみを大事そうに抱えて、腰まで伸びた
綺麗な赤い髪の小さな女の子。
蒼い瞳が人懐っこい印象を与えている。
「おはよう、お姉ちゃん」
誰だっけ、この子。どこかで見た気がする…
「この子、お姉ちゃんのお友達？ 名前、なんていうの？」
小さな女の子が指し示したのは、大きなペンギンの縫いぐるみ。
「ペンペンよ。シンリん家に住んでる温泉ペンギン」
何が気に入ったのか、嬉しそうな顔でペンギンを抱え込んで
更なる獲物を見つけて所狭しと動き回る。
「ね、こっちの服は？」
「いっつもシンリが着てる制服でしょ。外にいるときはそれを
着てないと困るらしいわ」
「こっちの本の山は？ お姉ちゃんが読んでるの？」
「それはファーストがなんにも知らないから、私が教えてあげる
のに使ってる参考書よ」
参考書？ そんなの持ってたっけ？
「ふーん。これ、お姉ちゃんが飲んでるの？」
小さな女の子が指し示したのは”えびちゅ”ビールの缶の山。
「それはミサトが飲んでるのよ。朝から晩までこんなに飲んでて
よく太らないもんだわ」
あれ？ なんで私の部屋にそんなものがあんのよ？
「ね、ね、カレンダーに一杯、書いてる予定ってなんでみーんな遊びなの？」
嘘！？ そんなの部屋のカレンダーには書いてないわ。
「何、言ってんのよ、部屋のカレンダーにそんなこと、書いて…」
見てみると、様々な色のカラーペンで予定がぎっちり。
ジオフロントの森を散歩？ シンリの手料理を食べる？
ファーストの服を揃える？
ど、ど、どーしてこんなことが書いてあんのよ！！！
「なんだか部屋にあるのって最近のモノばっかり。昔のモノはない？
ドイツにいた時のモノとか？」
いつのまにこんなにモノが増えたのかしら、この部屋。
「その辺にアルバムがあるでしょ。そこにファイリングしてあるわ」
何がファイリングされてるっていうの？
「へぇ〜…なんだか、昔の写真って変なのばっかり。
お姉ちゃん、変なお面を付けてるもん」
お面？
「ほら、ね」
覗いてみると、ドイツ支部での日々を撮した写真では
どの絵も私は笑顔の仮面を付けていた。
１枚だけ…加持さんと出かけた時の写真の中で、
１枚だけ、仮面を付けてない写真があった。
その写真…私…泣いてた。
「それに白黒写真ばっかだね〜。加持さんと写ってる写真以外は
みーんな白黒。変なの」
小さな女の子が指し示した写真はどれも色がない。
同じ時期に撮したはずなのに…どうして？
撮した？ いつ？ こんな写真…撮った？
「そういえば、この部屋、窓がついたんだ♪ 前に来たときって
窓がなくて薄暗い部屋だったから感じ、悪かったけど」
そう言って女の子が腰掛けた出窓からは、天井のある森林が見える。
「ジオフロントの森でしょ。天井があって変な気もするけど、
なんか、自然って感じがするのよね。
そこ、シンリとファーストのお気に入りの場所なのよ。
私は行ったことないけど…」
そう、私はまだ行ったことはない。
「こっちの窓は海ばっかり。魚釣りは楽しい？」
「娯楽だもん、楽しいに決まってるわ…って海？
だってここは士官用の高セキュリティルームだから
窓はないはず…」
そういえば、私の部屋、こんなにモノが一杯なわけない。
ペンペンの縫いぐるみ？ 私、そんなの持ってない。
昔の写真？ みんなドイツの家に置いてきたわ。
「…この部屋、変だわ。そういえば、あんたもどこから
来たのよ？ この艦隊に私より小さな子なんていないはずだわ」
こんな子がいたらすぐに気がつくはず。
「この部屋、見覚えないの？ そういえばお姉ちゃん、いっつも
ここに来ると倒れ込んで寝ちゃってたもんね。
寝てる間も、お面付けてて、変な感じがしたもん」
「だから、私がいつお面なんて付けてたのよ！ だいたいさっきの
写真は何よ？ 私、化粧だってほとんどしたことないのよ？」
小さな女の子が”くすっ”と笑った。
「このごろ、付けてないもんね。忘れちゃったの？
自分で作ったのに。…このお面」
机の引き出しから取り出された仮面。それはサーカスでピエロが
付けているような笑顔の仮面。付けていれば、いつでも笑顔。
何…それ…
「あんた…誰よ…それにここはどこ？」
小さな女の子は壁際の扉を開けてちょこんと顔を出して
笑いかけた。
「お姉ちゃん、ずっと忘れてたもんね。
私の名前？ この場所？ お姉ちゃんは知ってる。
でも、忘れてるの。
だから教えてあげない。
自分で思い出して」
持っていたお猿の縫いぐるみの手をもって、バイバイと
手を振らせて去っていった。
あの縫いぐるみ…どこかで見た気がする…
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリーン
五月蠅いわね、今止めるわよ。
いつもの目覚ましの音がして、起きてみればいつものベット。
艦内の士官用として準備されている備え付けの部屋。
机とベットがあるだけの小さな個室。
立ち上がって部屋にかけてあるカレンダーを見てみる。
○、☆といった記号が書かれているけど、それが何を
意味しているのかは私だけの秘密。
「あれは…夢？」
机の上に置いてある携帯端末は、まだ呼び出し処理を
継続実行しているが、成功していない。
今日でもう三日目。
未だに第三新東京市の通信管制は解かれず、連絡は全て遮断
されてしまっている。
駄目で元々、シンリへの呼び出しを続けているが、ずっと
成功していない。
呼び出し相手を示す画面には、笑顔のシンリが表示されている。
「どーせ、なんにもなかった、って言うわよ。
一日一回は、のんびりした声を聞かないと調子が悪いじゃない。
…何してんのよ…シンリ…」
こん、と指でつつかれた画面のシンリは笑顔のまま、何も
答えることはなかった。
仮想会議室とのリンクが切れた席。
「冬月先生…後を頼みます」
「…リツコ君に誤解されないようにな」
ゲンドウはその言葉には応えずに司令室を後にする。
「死すべき運命に抗う老人が生き続けて醜態を晒し、
生きるべき若者が死の淵に追いやられる…
なぜ、私は今、生きているのか…」
冬月の幾度となく行った自分への問い。
答えはユイを失った時から決まっている。
だが、再び、ユイの面影を強く残したシンリを失いつつある
状況に心が強く揺れていた。
ピッ
短い警告音が響き、それが緊急通報だと知ると、素早くコンソールの操作を行う。
ディスプレイに通報先の保安部第一尋問室の監視カメラからの映像が映る。
『どきなさい。尋問を終えた以上、私が礼をしても問題はないはずだわ』
『…葛城さん、あなたは今、ここに入るべきでは』
スチャ
ミサトが一挙動で懐から愛用の銃…Ｈ＆Ｋ ＰＤＷ ケースレスカスタムを
抜き出し、保安部員の顎に付きつける。
『貴方は私に脅されて仕方なく道を譲った…いいわね』
『し、しかし』
『家族に手を出されて、泣き寝入りするほど、人格者じゃないのよ。
もう一度だけ言うわ。…どきなさい』
『…わかりました』
目だけ微笑んだミサトの姿勢が一瞬、軽く沈みこんだ瞬間、
鈍い打撲音が響き、声もなく保安部員が崩れ落ちる。
『…悪く思わないでね』
そのまま、尋問室の奥へと消えて行く。
「早まったことを…」
歩きながら、携帯端末を使って保安部の詰め所に連絡を入れて、
装甲強化保安員のチームに出動指示をする。
『副指令、相手はどこの奴らですか？』
「対人捕縛作戦の準備をしてくれ。場所は保安諜報部の第１尋問室、
ターゲットは、葛城一尉だ」
『葛城一尉？』
「私が話をするが、最悪の場合、君達の手で葛城一尉を止めることになる。
ただし、無傷で、だ。無茶な指示だが君達ならばできるものと信じる」
『…了解』
コン、コン
「空いてるわ」
リツコの余裕のない苛ついた声の応対に一人の男が研究室に
入ってきた。
一緒に働いていたマヤが何気なくその顔を見て、即座に
居住まいを正す。
入ってきたのは、黒ずくめの制服に身を包んだ長身の体躯、
見る者の魂を凍り付かせそうな冷徹な視線をサングラスで
隠した、髭面の男…碇ゲンドウである。
「伊吹君…赤木博士と大事な話がある。席を外してくれるか」
「は、はい」
そそくさと退席しようとするマヤが部屋を出る直前に
ゲンドウが小さく声をかける。
「郵便受けから配達物が溢れそうだ、と管理人がぼやいていた。
今のうちに整理しておいたほうがいいな」
「？…はい」
不審に思いながらも、有無を言わさないゲンドウの雰囲気に
小さく頷くと、マヤは部屋から出ていった。
リツコが空いた席を勧めるが、「それほど永居するわけではない」と
短く応えて、やんわりとそれを断る。
「急いでいらっしゃるんですね。…どのようなご用件ですか？」
「…サードチルドレンの意識が戻り次第、Ａ．Ｔ．
フィールドの展開実験を実施する。準備を始めてくれ」
リツコの表情が凍り付く。
「司令…今、Ａ．Ｔ．フィールドの展開実験…と
言われたように聞こえましたが？」
「そうだ」
一瞬の間をおいて、抜く手も見せずに振りかぶってゲンドウの
頬を打つ音が響き、サングラスが壊れ、部屋の壁に叩き付けられる。
「そんなことをしたら、シンリくんが死んでしまいます！
助からないなら最後まで駒として使おうというんですか！？
今、生きているのだって生命維持装置があるからであって、
外したら１日と持ちませんわ！
それでも、シンリはゲンドウさんに言われれば、拒否しないでしょう。
その理由まで忘れたんですか！？
…人の心を捨ててまで
…ユイさんに会いたいんですか…」
噛みつかんばかりの勢いで、ゲンドウに向かって叫ぶリツコ。
懸命に自分やシンリに心を向けようとした努力が
報われていないのではないか、という絶望感に囚われて
悲しみに視界が歪む。
「もはや、人の手ではシンリは救えん」
ゲンドウの感情を抑えた声に、一瞬、激情に駆られて
白衣のポケットに潜ませてある拳銃に手が伸びる。
だが、ゲンドウの瞳を見て、手の動きがあと一歩の所で止まった。
ゲンドウの瞳の中に悲しみの色を見たからである。
「…ゲンドウ…さん…！？」
「サキエル戦で初号機が見せた怪我の治癒、それに賭ける。
…初号機の暴走…起こすことは可能か？」
「周囲に対する…」
「周囲への影響は考慮しなくていい。…できるか？」
「…やります。必ず起こしてみせますわ」
「必要と思われることがあればあらゆる権利を認める。
実験可能になったら報告してくれ」
ゲンドウは部屋の隅に転がっている壊れたサングラスを拾うと
退出しようとする。
「ゲンドウさん…」
「なんだ」
「なぜ…初めから治療を目的とする、と言って
くれなかったんですか」
「…特に理由はない。ただ…」
「ただ？」
「強いて言えば…誰かに非難して欲しかったのかもしれん」
ゲンドウはそのまま、振り返ることなく部屋を出て行った。
一人きりになり、ゲンドウを叩いた痛みに手を見る。
手加減無しに叩いた手は、赤く腫れ上がっている。
席に座って腫れた手を見つめて呟く。
「…不器用な人…」
そんなわけで、ゲンドウｖｓリツコはお終い。
書いてて思ったけど、やっぱりＹＯＫＯはこの二人がお気に入り
みたいです。
次回は、ミサトの”お礼”と、ゲンドウｖｓレイのお話。
なんだか、ゲンドウの登場シーンが当社比２００％増しって感じですね。（＾＾）
そうそう、ミサトの愛用の銃が変わってます。
Ｈ＆Ｋ社製 ＰＤＷ のケースレスカスタム モデルに。（元になった実銃があります。）
４．６×３０ｍｍ、初速７２０ｍ／ｓ、２００ｍ先のボディアーマーをつけた
兵士相手に銃撃戦を互角以上にできるという小型のサブマシンガンです。
サブマシンガンといいながら、大型拳銃並のサイズしかなく、拳銃同様の取り扱いも可能。
弾のケースレス化と、軽量のためのカスタム化により、重量８００ｇを達成。
エヴァＩＳのミサトが好んで使いそうな自衛武器なわけです。
レーザーポインタ標準装備、シングル、３点バースト、フルオートの３モード対応♪
なんでこんな凶悪な銃に変更したか、というと…全てはＹＯＫＯのシナリオのためです。