薄暗い室内…
両手を後ろで縛られ、椅子にくくりつけられたままグッタリしている
カズアキとシズカ。
特に外傷はないが、疲労しきった雰囲気から以前の図太さは感じられない。
ミサトは部屋の隅に置いてあったバケツに水を注ぎ込むと
二人を縛り付けていたロープを手際よく切り裂いて、
正面から水をぶちまけた。
バシャ
「ん…あ…？」
言葉にならない呻き声をあげてカズアキが意識を取り戻した。
隣のシズカも声は出していないが身体が震えたところをみると
起きたようである。
「二人ともお目覚めかしら？ 私が誰かわかる？」
口元だけ笑みを浮かべた表情のまま、ミサトがゆっくりと告げる。
焦点の合わない目で見ていた二人だったが、しばらくして
カズアキが答えた。
「…葛…城…ミサ…ト…」
「よくできたわね。今、わたし、感謝の気持ちで一杯なのよ。
だから、二人にお礼がしたくて、ね。
手、動かせるでしょ、しばらく私の話に付き合ってちょうだい」
ミサトに言われて、身体が動かせることに初めて気がついたのか
困惑した表情のまま、二人は戒めを解いていく。
「ほんと、あなた達には感謝してもし足りないくらいなの。
最初は作戦部長としてのお礼。
死者もなく現在のセキュリティシステムの問題点が明確になって
凍結されてた保安システムのための予算が降りたわ。
これで、これからの対人警護、機密保全の体制はほぼ万全、
安心して対使徒戦に専念できる…ほんとありがたいわ。
あんた達の計画に協力していた者達も、そのほとんどが
計画の内容を知らず、ただ利用されていただけだった、と
いうのも後腐れがなくてよかった。
次にＮＥＲＶ本部を取り巻く状況を我々ＮＥＲＶ職員、全員が
自覚するきっかけを与えてくれたこと。
いくら非公開組織とはいえ、人知を越えた存在である使徒と
命を懸けて戦う自分達が、まさか恨まれているなんて、ほとんどの
職員は考えてもいなかったわ。
胸を張って自分の子供達に”私はお前達のために命を懸けて戦う”って
言えるだけの立派な役割を担っている、って信じてたから。
でも、そんな自分の立場も、常にアピールし続けなくちゃいけない
脆い足場の上に築かれた自信だった、と気がつかせてくれた。
広報部は今までにない事態をこれ以上ないくらいＮＥＲＶの
立場を好転させるために利用しようと、最大限、努力してるわ。
いままで、横の繋がりが少し薄かったＮＥＲＶ内部も一致団結して
そのために準備をしている。
あなた達のとった行動は些細なことだったけど、それによって
得られた成果は、素晴らしいモノだった。
だから、まず最初のお礼よ。これ、広報部で作られた最新記事。
明日から世界中のマスメディアを使って報道されるから」
ミサトは懐から折り畳まれた記事の束を取り出して、二人の
足下に投げ捨てる。
それは、カズアキとシズカの実名とその友人関係、仕事関係の
人名リストとその交友関係、そしてそれら全員が指名手配対象となり
懸賞金までかけられている手配書の数々と、巧妙に捏造された
チルドレン暗殺計画と、それを推測できる細切れにされた記事の山。
それらを集め、分析する能力のある者であれば、暗殺計画を
漠然と把握することが可能であり、しかし真相には決して
辿り着くことのできない情報操作の粋を集めた闇の芸術品だった。
「・・き、貴様ら、何様のつもりだ！！！！」
それまで衰弱していたとは思えないほどの瞬発力で、怒りの形相を
浮かべたカズアキがミサトに掴みかかる。
…が
ミサトは最小の体裁きでカズアキの掴みかかってきた手を逆手に
極めたまま、肩口に蹴りを叩き込んで関節を折り、そのまま受け身の
取れない状態で顔面から床面に叩き付けた。
タン、タン、タン、タン
更に一挙動で抜き出した愛銃で、躊躇なくカズアキの手足に１発ずつ
弾丸を叩き込み、流れるような操作で安全装置をロックして
愛銃をしまい込む。
「が・・あ・あ…」
一瞬にして、顔面、肩、手足を破壊されたカズアキが激痛に
のたうつのを、ミサトは張り付けた笑顔のまま、見下ろす。
「ごめんね、ついいつもの癖で身を守っちゃったわ。
でも、貴方が悪いのよ。狭い密室の中、２ｖｓ１の状態、
武器を構えていたわけでもない私が、相手に襲われたら
身を守るのは当然だもの。正当防衛って奴よね。
…止血してあげたら？ そのままだと…彼、死ぬわよ」
一瞬の惨劇に身を震わせているシズカに、ミサトが淡々と告げる。
カズアキは４肢から血を流して呻いているのを見て、強ばった
表情のまま、シズカが持っていたハンカチを切り裂いて、
カズアキの手足を縛って止血していく。
「貴女は残酷な人だわ…」
シズカが怯えながらも非難の声をあげる。
…がミサトは笑顔のまま見下ろし、それに答えない。
「次は家族としてのお礼。
いままで一緒に住んでてそれなりに仲良くやってこれたと
思ってたけど、今回の事件で私もレイも…いえ、
シンちゃんに関わった誰もが自覚したことがあるのよ。
シンちゃんを失うことの恐怖を。
シンちゃんがくるまでのＮＥＲＶはどこか追い詰められた狂気が
見え隠れする組織だったわ。でも当然よね、そうなるのも。
見たことも聞いたこともない、人知を越えた圧倒的に強い存在である使徒。
それと戦わなくてはならない人類。その尖兵たる自分達。
ＮＥＲＶに所属して働いているうちに、誰もが自分達の中に潜む
恐怖に耐えるために、理性を凍らせていったわ。
そんななか、シンちゃんは現れた。
何も知らないただの中学生として。
シンちゃんと触れて、私たちは思いだしたのよ。
”日常”って奴を。
ジオフロントに潜って、鉄の壁の中に閉じ籠もって、武器の山に
囲まれて生きているのも、ごく普通に人として過ごしていくための
”日常”を護るためにやっていたんだ、って当たり前のことを。
どっか自分が普通に生きる人々の一員だってことを忘れてた上層部…
私も含めてだけど、物事に対する考え方も、少しだけ余裕が持てるように
なったわ。
明日を考えた思考、ＮＥＲＶだけじゃない日常も考えた行動。
シンちゃんはある意味、みんなにとっての”日常”の象徴みたいな
ものだったのよ。あの子って、いくら訓練しても、ぜんぜん
生活感が抜けないし。
…そんな中、起きた今回の事件。
私もまさかここまで自分が情に厚いとは自覚してなかったわ。
私とシンちゃんとレイとペンペン。
家族ゴッコと人は言うでしょうけど、私たちにとって、それは
紛れもない”家族”そのものだったのよ。
関係者一同、ほんと感謝するわ。
で、これはその代表たる赤木リツコ博士からのお礼。
伝言もあるわ。
”この手で殺したいくらい感謝しているけど、今は手が離せない。
だからプレゼントを用意したわ…消えてちょうだい”」
タン、タン、タン、タン、タン、タン、タン、タン
ミサトが愛銃を取り出し、カズアキとシズカの手足に１発ずつ
丁寧に撃ち込んでいく。わざわざカズアキに撃ち込んだ位置は
止血したところ、という念の入れようである。
「実はね、さっきから使ってる弾は、全部、リツコの用意した
ものなのよ。弾頭に十字の傷が入っている特注品。
あんた達にあげるのに相応しい魔を払う刻印付きって奴。
本当はね、あんた達は公開処刑すべきだ、って意見もあったのよ。
だけど、その案は残念だけど却下されたわ。
そんなの放映したらＮＥＲＶのイメージが悪くなるから。
だからあんた達には消えてもらうわ。
何の痕跡も残さず、この世にいた証拠すら全て消滅させて。
最後のお礼は私からの分。
…私も小さい時、あんた達に随分、世話になったわ。
南極を調査していた葛城小隊の唯一の生き残り、なんて言われて。
おかげで、何年も失語症に陥って、心を閉ざすしかなかった…」
そう告げたミサトの瞳には冷徹な輝きが宿っていた。
「でもね、そんなことはこの際、どうでもいいわ。
あんた達が生きていると、レイが…私の可愛い妹の
心が壊れてしまう…それだけはなんとしても防ぎたいの。
…だから、死んでちょうだい。
あ、安心して。
痛みを感じる間もなく死ねるように特注の爆裂焼夷弾をチョイス
しておいたから」
話しながら、愛銃の弾倉を交換し、チャンバーに特注の弾丸を
送り込む。
「私の長話に付き合ってくれて礼を言うわ。
…思い残すことはないわね？
じゃ、サ・ヨ・ナ・ラ」
バーン
ミサトが死の使いを解き放とうとした瞬間、部屋の鍵が一瞬にして
破壊され、通路の照明を背に長身の老人が部屋に入ってきた。
「…冬月副司令…このような所にわざわざいらっしゃるとは
思いませんでした」
最後の瞬間を邪魔されたせいか、ミサトの表情は冷たい。
「私はこう見えても暇なものでな…たまには散歩をしてみる
こともある。…君に伝えたいことがあって、な」
「伝えたいこと…ですか？」
「赤木博士が今、シンリくんを助けるための方法を準備中だ。
追って君には、零号機の起動実験並びに、暴走する初号機を
ジオフロント内で捕縛するための作戦の立案並びに指揮を
命じられることになる」
「…」
「…レイの心を護る、それもまた重要なことだ。
だが、それらも全て、碇シンリと呼ばれる人物が生きてこそ
成り立つ話であることを忘れてはいかん。
そして、今回の作戦では、シンリくんが現実にどれだけ執着しうるか、
ということが最重要要件になる。
シンリくんをこの世界に繋ぎ止めるための鎖、それを作り出せるのは
他でもない、君だけだ」
「私だけ…？」
「現実世界に留まろうとする強い意志、それは淡い想いや
漠然とした想いではなく、もっと現実に根を生やした堅実な想いで
なくてはいかん。
現実の礎、シンリくんにとってそれは葛城家であり、君はその
要たる家長に他ならんのだ。
皆の心をまとめあげ、一つにすることこそが、必要なことであり
…君は今、ここにいるべきではない。
他にできること、やらなくてはいけないことがあるはずだ。
…違うかね？」
冬月の静かな口調と、穏やかな雰囲気に、ミサトも急速に
冬月の告げた新たな状況を把握していく。
その表情には、先ほどまでの雰囲気はなく、希望を見つけ、
それを掴み取ろうとする不敵ないつものモノに戻っていった。
「…わかりました。
私も、今できる最大限の努力をします」
「頼んだぞ…。尋問は保安諜報部の仕事だ。
今回の件は越権行為だが、不問にしておく」
ミサトは略式の礼をすると冬月の隣を抜けて部屋を出ていく。
冬月の後ろに控えていた装甲強化保安員６人の重装備な姿を見て
晴れやかな作り笑いで話し掛けた。
「あーら、扶桑さんとそのお仲間の皆さんじゃない？
こんなか弱い女一人に大仰な装備ね」
カラカラと笑いながら、彼らの肩を叩き、隣を歩き去っていく。
だが、彼らは装備品であるスタングレネードを持った手が、
捕縛用シールドを持った手が凍り付き、ミサトの姿が見えなくなるまで、
身動きすることができなかった。
「…あれが…闇姫…か」
扶桑と呼ばれた男が絞り出すように言葉を漏らす。
「…そうだ。本当にか弱い女性なら、ＮＥＲＶはそんな者を
作戦部長の座に据えたりはせん…そういうことだ」
冬月は淡々と事実を告げて、携帯端末の呼び出しボタンを押す。
「ああ、こちらはカタがついた。…ギリギリだったが、な。
ところで、コレの処分はどうする？ やはり予定通りに…
…そうか。お前がそう言うなら私は何も言うまい」
冬月はまるで違法投棄されたゴミを見るかのように、室内の
光景を確認し、小声で背後の装甲強化保安員達に指示を出した。
その表情からは普段の温厚さは微塵もなくなり、ＮＥＲＶのＮｏ．２たる
闇の気を身に纏う地獄の住人に相応しいモノに変わっていた。
「溢れる広告、淀んだ空気…ほんと、管理人さんが
ボヤくのも無理ないわ」
久しぶりに自室に戻ってきたマヤは、新聞受けから溢れていた
新聞や広告の束を抱えて、部屋に座り込んだ。
「それにしても、碇司令までそんな話を知ってるなんてショック。
もしかして、変な噂が流れてるのかしら…？」
少しズレた心配をしながら、律儀に紙の束に目を通していく。
その中に几帳面な字で、「分析依頼」と書かれ、「極秘」の
ハンコが押してある封筒が目についた。
「差出人は…碇司令！？
どうして、司令が私なんかに…」
不愛想に碇ゲンドウとだけ署名されたデータディスクを
取り出し、不審に思いながらも、自分の携帯端末で
その内容を確認してみる。
そこに含まれていたデータはごくありきたりの交通事故のもの。
時速６０ｋｍで移動中のトラックが突然の飛び出しに急ブレーキを
かけたが間に合わず、子供を轢いてしまった、というデータ。
含まれていたのはトラックの走行データと路面に残るブレーキング跡と
散乱していた物…塗装の破片や血痕などの位置がｍｍ単位で
事細かに記録されていた。
それと、轢かれた子供の外傷に関する詳細な情報。
…つまり、碇シンリの事故に関する詳細な情報であった。
そして、資料には「分析依頼」の一言。
「もー、何をすればいいんですか？ 碇司令…」
マヤはあまりにも簡潔な依頼内容に頭を痛めた。
とりあえず、極秘ということなので、外部接続されていない
室内のコンピュータ…リツコの率いる技術部謹製のものを
使って、データのシミュレートを行ってみた。
その結果がディスプレイに表示され、思わず言葉が漏れる…
「何これ…こんなこと…あり得ないわ…」
ディスプレイに映ったシミュレートの結果は、データエラー。
トラックの走行データでは、シンリと衝突した瞬間、大幅な
速度低下が起きているが、シンリとの衝突だけではそれだけの
エネルギーロスはあり得ない。
つまり、別の要素がトラックの走行速度を大幅に引き下げたと
いうことを告げていた。
そして、そんな要素が普通ならば存在しない、という事実が
マヤの心を混乱させていた。
ガチャ
扉を開ける音とともに、ゆっくりと長身の男が室内に入ってきた。
誰？
「…レイ」
碇司令
それは私にとって全てだった人。
私にとって生きるための理由だった人、ただ一人、安心できた人。
「…碇くんはまだ目覚めてくれません」
「…そうか」
碇くんは人類を護ることができるたった３人のパイロットの一人。
失ってはいけない人。
代わりのいない人。
…私と違って。
「…碇くんはアナタ達にとって大切な存在のハズ…」
人類を護る存在を、人が傷つける。
代わりのいない存在を平気で傷つけ失わせようとする。
人類は滅びるための道を自ら歩もうとする。
なのに人は他人を平気で傷つけてでも生に執着する。
「…私は…」
レイの纏う雰囲気が異質のモノに変化していくのを感じ取って
ゲンドウの表情が歪む。
「いかん！！！ レイ！！！」
「…ワタシニハ…アナタ達ガ…ワカラナイ！」
ゴフッ
拒絶の意識が芽生えた瞬間、レイの周囲に存在したモノが全て
はじき飛ばされ、ゲンドウが不可視の壁に押されたかのごとく
凄まじい勢いで壁に飛ばされ、壁面に身体をめり込ませて
吐血する。
…何故、ワタシハ、コンナ存在ヲ護ルタメニ戦ッテイタノカ？
滅ビタイナラ、滅ビレバイイ
誰モソレヲ邪魔ハシナイ
徐々にその心が異質なモノにすり替わっていくことすら自覚しないまま
レイの心が揺れ動き、冷酷な答えに辿り着こうとした時、言葉が響いた。
『君ハソレデイイノカイ、兄姉』
それは何気ない一言。
だが、その一言がレイの心に波紋を広げる。
「…私は…」
瓦礫が落ちる室内に、レイの小さな声が木霊する。
その言葉に、壁際に崩れ落ちていたゲンドウがしゃがれた声で答えた。
「…お前は…綾波…レイだ。
人類を否定するな…お前も…シンリも…
同じ人類なのだから」
私も…？
「でも…私は…彼らを赦せない…」
「人を憎むのはいい…だが人類全てを拒絶するな…
全てにして一つの存在である使徒とは違う…
人類は多様性の中に活路を見出したのだから…な…」
「…碇…司令…？」
大きいはずの碇司令が…私にとって絶対のはずの碇司令が
倒れ込んでいく…この心は何？
起きるはずのない事態にレイの瞳から涙が零れる。
ガン、ガン、ガン、バタン！
歪んだ扉を蹴り開けて、医師団が室内に雪崩れ込み、
惨状に一瞬、動きを止めた。
「…パーソナルディフェンスシステムの誤動作だ…
私は後回しでいい…サードを…」
碇司令の苦しげな声に、医師団が…私が壁際の
ベットに視線を移す。
壁際まではじき飛ばされたベットの上で…医療器具から
延びたチューブが切れ、身動きがとれない状態にあって…
この部屋に運び込まれて以来、開いたことがなかった瞼が開き、
紅い瞳が自分を見ていることに気がついた。
「…碇…く…ん…」
私の問い掛けに…碇くんは静かに微笑んだ。
慌ただしく医師団が碇くんの容態を確認し、治療するために
部屋から運び出していっても、碇司令が運び出されていっても
私はそこから動くことができなかった。
碇くん…何を言いたかったの
私の心の中で響く問いに答える者は、瓦礫に代わった室内には
存在しなかった。
人々の衝突も、次でお終い。
最後の衝突は、アスカｖｓレイ、シンリ、ミサト、です。
それと次のパートからNERVは一大作戦の実行準備にかかります。
零号機の起動と、その後の初号機によるA.T.フィールド展開実験…
そして、目指すのは初号機の暴走…。
恐るべき実力を持つ不可侵の存在たる初号機を止めることが
できるのか？
次回以降、ご期待ください。
最近、更新ペースが遅いせいか、閑古鳥が鳴き始めました。
第５話に入り、皆様からの反応は各パート毎に２通程度。
ちょっと…うーん…かなり、寂しい状態です。
できれば、読んでいるという意志表示だけでも欲しいですね〜。
YOKOの執筆意欲補充のためご協力お願いします、です。