第０５話「レイ、心の向こうに」Ｅパート

　ネルフ本部・第３実験場
　前回の起動実験で零号機の手で破壊された第２実験場の代わりに選ばれた
　施設であり、この場が選択されたのは初号機のＡ．Ｔ．フィールド
　展開実験を行う第８実験場とメインシャフトの中間にあることによる。

　壁面の拘束具に肩を固定された零号機の首筋にエントリープラグが
　挿入され、起動試験が開始された。

『第一時接続開始』
『主電源、コンタクト』
『稼動電圧、臨界点を突破』
『了解』
『フォーマットをフェイズ２へ移行』

『パイロット、零号機と接続開始』
『回線開きます』
『パルス及びハーモニクス正常』
『シンクロ問題なし』

　主モニターに目を閉じたレイの姿が映し出される。
　その姿は、自分自身の心に語り掛けているかのようであり、
　刻々と変化し、精神へと影響を与えるシンクロの行為も
　その心を乱すことはない。

『オールナーブ・リンク終了。中枢神経素子に異常なし』
『再計算、誤差修正なし』
『チェック２５９０までリスト、クリア』
『絶対境界線まであと

　２．５

　１．７

　１．２

　１．０

　０．８

　０．６

　０．５

　０．４

　０．３

　０．２

　０．１

　突破！　』

『ボーダーライン、クリア』

「零号機、起動しました。シンクロ率３６．４％、ハーモニクス誤差２８％です」

　これまでのレイのシンクロ率を大幅に上回るシンクロ率と、
　ハーモニクスの少ない誤差。
　いつもならば、ここで関係者がほっと一息つくところだろう。
　だが、今日は発令所メンバーの表情はいつになく厳しい。

「零号機、機体動作の誤差は？」

　　エヴァはコアとチルドレンの間の誤差修正はもちろん、コアと機体の間の
　　データのやり取りにもチューニングが必要なのである。
　　ここで言う機体動作の誤差は、コアと機体の間のチューニングを指す。

「現在、３２．７１％、戦闘行動は不可能です」

　エヴァとコアとチルドレン。３者をリンクさせるコアの調整には
　長い時間が必要であり、通常であれば少しずつ微調整を行いながら
　最適な状態を模索するのだが、今回はその時間的余裕はない。

「予定誤差まで収束させるわ。誤差修正プログラム起動開始！」

「起動開始します」

　これはコアから出る信号を直接変換することで、コアの修正をせずに
　機体起動時の誤差を埋める目的で開発されたプログラムである。
　当然、正規の運用ではこのようなことは想定しておらず、今回も
　緊急時の特例として適用されている。
　このプログラムの稼働中は、射撃のような精密さが求められる作業は
　できないためエヴァによる行動は基本的に白兵戦レベルに留まる。
　以前、弐号機を使ってこのテストが行われた際にも、「身体の動きに
　邪魔が入ってものすごく嫌」とアスカに一言で切り捨てられて、
　お蔵入りになっていたものであった。

「機体動作の誤差、１．５％にまで収束しました」

　これで白兵戦限定ながら、零号機は運用可能なレベルとなり、
　作戦部の要求を満たす状態へと辿りついた。

「これより初号機を使ったＡ．Ｔ．フィールド展開実験を
　実施します…碇司令…よろしいですね」

「反対する理由はない…やりたまえ、赤木博士、葛城一尉」

「「はい」」





　第一発令所のメンバー達が忙しく働いているのを見下ろしながら、
　冬月が、一見、腕組みをしたまま前方を見据えるだけのゲンドウに
　小声で話し掛ける。

「碇…リリスが一瞬、目覚めたというのは本当なのか？」

「ああ…今はレイの意識下で眠っている。
　Ａ．Ｔ．フィールドはセンサー検出レベル以下だ。
　問題ない。今回は単なる事故で片付けられる」

「危惧していた事態は避けられた、ということか」

「今はレイの意志を信じるしかない。
　どちらにせよもはや我々の制御下にはない…
　こうなることはレイへの特例措置を解除した時点でわかっていたことだ。
　後は、どれだけ委員会に悟られずにいられるか…
　冬月先生…期待していますよ」

「お前がそう言う時はいつもろくなことがないな。
　ところで、加持リョウジだがどうする？
　委員会対策を考えると、チルドレンのガードを彼に任せるのは
　不安が残るが」

「…我々の契約書にサインをするなら、奴の自由にさせる。
　場合によっては、”ソロモンの指輪”を渡してもいい」

「契約しないなら…それもまた彼の意志ということか」

「…」

　ゲンドウはそれには応えず前方を凝視している。
　いつものように腕を前に組み、口元を隠す姿勢からは彼の真意は
　掴めない。

「それにしても…親子揃ってギブスで身体中を雁字搦めか。
　こういうことも似ている、と言うと思うかね？」

「病院で寝ているのも、ここで座っているのも大差はない」

　ゲンドウは強がっているが、レイの意識に弾き飛ばされ壁との
　間でサンドウィッチになった際の全身打撲で、本来ならば起きているのも
　困難な状態である。
　現在は、赤木リツコ謹製の極薄ギブスを器用に着込み、外見からは
　いつもとの違いは感じられない。
　普段、腕を組んだポーズのままでいることも多いため、ほとんど
　身動きしないままのゲンドウに対して不審に思う者もいない。

　…お前のそういうところを、リツコ君は不器用と言う。
　それはわかる。
　…だが、ユイ君は可愛い、と言っていたな。
　私には未だにわからんよ…ユイ君。

　直立不動の姿勢のまま、そんなことを冬月がそんなことを
　考えているとは知らず、脂汗を流しながらゲンドウは
　いつものポーズを崩すことなく前方を凝視し続けていた。





『第３新東京市に非常警報が発令されました。
　市民の皆様は指定のシェルターへの待避を行ってください』

　ジオフロント全域ならびに第三新東京市に使徒侵入時と同等の
　非常警報が発令される。

　シンリの事故後、チルドレンとその関係者のうち、移動可能な者は
　全員、ジオフロント内に移動させられていた。
　トウジの妹、ナツミもジオフロント内の病院に移ってきている。

「お兄ちゃん…また、使徒が来たの？」

「いや、そうやあらへん。初号機を使った実験をするんや」

　ナツミがジオフロントの病院にきてからというもの、トウジは
　訓練の合間に、たびたび、この場を訪れていた。

「初号機…シンリさんが？」

「そや」

「シンリさん、また来てくれるよね？」

　実験という言葉からは感じられないはずの不安。
　それを振り払おうとする心が、約束の言葉を確認させる。

「…当たり前やないか。碇は嘘は言わん。
　お、花瓶の水が代えてないやないか？　今、代えてくるわ」

　トウジが今、気がついたと言わんばかりに花瓶を抱え、
　そそくさ、と病室を後にする。
　その表情がどこか作り物めいた感があったのに本人は
　気がついているのか？

「…今まで花瓶の水なんて気にしたこともないのに。
　相変わらず嘘が下手なんだから。
　シンリさん…」

　ナツミが扉に向けて呟いた言葉。
　非常警報の通報が鳴り響き、普段の静けさがなくなった病院。
　騒然とした雰囲気がナツミの心を不安にさせていた。





「シンリくん、気分はどう？」

　”…悪くはないです”

　思考波を検出して音声化するため、エントリープラグ内にいる
　シンリからの声は普段と同じように聞こえる。
　だが、必要最低限とはいえ、身体中をギブスで固定されたまま、
　シートに座っている姿はとても痛々しい。

　普段とは異なり、今回、初号機は第８実験場と呼ばれる耐爆耐熱の
　実験場中心に仮設置された拘束具に機体全体を固定されている。

「第１から第１２８までの安全装置を機能停止」

　シミュレーション時にチルドレンへのフィードバックを行う際には
　過剰とも言える安全装置を経由して行われる。
　訓練でチルドレンの神経組織に損傷を与えるような事態は避けなくては
　ならないからである。
　だが、今回はその機能は全て停止される。
　サキエル戦の再現、それは生命を危険に晒す賭であった。

「機能停止します」

「シンリくん、これからサキエル戦の時に起きた出来事を完全に再現するわ。
…実験開始と同時に通信はできなくなるからそのつもりで」

　”…はい。”

「これより状況を開始！　全コントロールをＭＡＧＩの制御下に」

「了解、これより状況を開始します」

　オペレータの操作で、あらゆるコンソールの制御機能が停止され、
　初号機に対する外部カメラ、機体各所の神経組織への刺激等、全ての
　センサーに対する操作がＭＡＧＩの制御下に置かれた。

　　ＭＡＧＩの制御のもとで、淡々とサキエル戦の再現が行われていく。
　　あらゆるセンサーがサキエル戦同様の刺激を加えられていく。

「サード並びに初号機、左腕損傷。
　生命維持装置、起動開始しました」

　　本番時とまったく変わらない刺激が行われ、シンリと初号機が
　怪我をした、と認識した瞬間、左腕から激しくエヴァの体液が
　噴出する。

「サード、脳波が激しく乱れています。現在、レベルＤ２０。
　シンクロ率の変動が起こっています」

　前方のモニターに表示されているグラフ。
　サキエル戦で観測された情報と、現在、センサーから検出されている
　状況のラインが完全に一致した状態で、波形が乱れてきている。

　Ｄ２０。それはダメージレベル２０％の意味。
　Ｄ１００でその個体は完全な死を迎えたことを意味する。

「現在、フェーズ３に移行。弾道弾攻撃開始、初号機、サキエルに
　攻撃を開始します」

　第８実験場の中に佇む初号機を監視するカメラからは、実験開始時との
　大きな違いは感じられない。
　唯一の違いは、初号機左腕から体液が流れ落ちていることだけである。

「初号機、攻撃後に転倒。アンビリカルケーブル断線状態に推移。
　サードの脳波、異常状態に推移。
　ＭＡＧＩが実験中止を申請しました。賛成１、反対２、否決。
　心拍数異常、このままでは…」

　　ズゥゥゥゥゥゥン

　発令所の主モニターが大きく揺れるほどの振動が突然起こり、
　オペレータの報告中に初号機の現在の状況を伝えていたディスプレイが
　全て、断線状態を告げる表示に変わる。

「Ａ．Ｔ．フィールド…」

　誰ともなくその言葉が漏れる。

　第８実験場の初号機を中心に紅い光の膜が広がり、周囲に存在していた
　あらゆる機材を、拘束具を、床を排斥している。
　初号機に電源を供給していたアンビリカルケーブルが切断され、
　内蔵電源へと切り替わる。
　同時に、あらゆる通信機能が途絶し、初号機の状態を把握するための
　手段が消失した。

「初号機を中心にＡ．Ｔ．フィールドの展開を確認。
　出力はサキエル戦の際のおよそ６０％です」

「リツコ！」

　予定よりもかなり低い値に、ミサトが顔色を変える。

「シンリくんの命が消えようとしているからよ…
　…モニターの状態をシミュレートモードに変更」

　答えるリツコの声は無理矢理、平静にしているためか
　抑揚が欠落している。

「…了解」

　エントリープラグ内に設置してある機材が、外部とのリンクがきれた際には
　初号機とシンリへの刺激を継続させることになっている。
　その状況がタイムスケジュールに合わせて表示されていく。

「Ａ．Ｔ．フィールド表面に波紋の発生を検出。
　プラグ内機材の動作、継続中と思われます」

　展開されているＡ．Ｔ．フィールドの表面に波紋が走る。
　それは、サキエルの加粒子砲が、光の槍が衝突したことを示す痕跡。
　過去の出来事を、現実のものとして追体験していることの証である。

「Ａ．Ｔ．フィールド消失。
　頭部拘束具への圧力上昇、光槍による打撃、開始されました」

　光槍が頭部にＨＩＴするたびに、シンリの脳波が激しく乱れ、生命活動が
　大幅に影響を受けていることを示している。
　しかしその状況はあくまでも過去の出来事である。
　監視カメラからは、Ａ．Ｔ．フィールドが消えたこと以外の違いは
　検出できていない。

　　バシュゥゥゥゥゥゥゥ

　初号機の右目から激しく体液が噴出する。
　頭部拘束具の間からも紅い体液が溢れだし、その身を紅く染める。

「光槍、頭部を貫通！
　サード、生命レベルＤ９０を突破、心音、停止します」

　モニターを睨みつけるリツコの口元から血が滴り落ちる。
　あまりにも強く噛み締めているために、奥歯が耐えられず
　割れたのである。

「加粒子砲の乱射、以後４０秒間、継続します」

　正確さよりも手数を重視した容赦ない加粒子砲の連続砲撃。
　休みなく叩き付けられる衝撃で初号機の全身を覆う拘束具が
　歪み、ひび割れ、初号機の身体を痛めつける。

　それは過去に起きた出来事。
　追体験させている現状では、拘束具が破損することはない。
　だが、初号機の拘束具の隙間から漏れていく体液が、初号機と
　シンリが衝撃の嵐に翻弄され傷ついていることを物語っていた。

　タイムスケジュール通りに行われる残酷な試験。
　その流れもあと１分ほどで終わる。

　刻々と変化していくグラフがシンリの生命レベルが限りなく
　Ｄ１００へと近付いていくことを示していく。

　そして、時の流れが止まることはない。

「初号機完黙。全センサー、反応停止しました」

　外部からのセンサーによる調査と、シミュレートが示す状況のラインが
　完全に一致する。
　全員が息をするのさえ忘れ、モニターに映る初号機を凝視している。


　　物音一つ聞こえない。


　　精神を削る静寂。


　　タイムカウンターがゼロからプラスに転じ、サキエル戦では
　　初号機が暴走を始めた時刻になっても、まったく動きはない。


　　クレーターの中心に膝をつく初号機は停止したまま。


　　内蔵電源の量を示すディスプレイがゼロに変わる。


　　発令所の誰もが失敗を覚悟する。


　　変化のない状況の中、それはなんの前触れもなく起きた。



　小さな想い。
　湖面に広がる波紋のように静かに、初号機を見守っていた人々の
　心を過ぎ去っていった声。
　それは空耳では？　と理性が告げる。
　だが初号機を見ていた者達はその声を聞いたと感じた。


　　帰らなくちゃ…アスカ、泣いていたもの


「…シンリくん？」

　リツコが外部スピーカーの集音率を最大に引き上げる。
　聞こえるハズがない…だが理由はないがそうすることに
　戸惑いはなかった。

　　動くモノのない実験場。


　　ウゥゥゥゥゥ


　　地を震わせる獣の低い唸り声。
　　それは、聞く者の魂を凍り付かせる断罪の音。

　　ガシュゥ…・ガン…ガラ…ン

　初号機の顎部拘束具が壊れ、破片が抉られた実験場の床の上に落ちた。


　モニター上の内蔵電源表示は先ほどからゼロを示している。
　アンビリカルケーブルが断線している以上、動くハズがない。

　　だが…あの時もそうだった。


　　ウゥゥゥゥゥゥゥ

　低い唸り声を上げながら、前傾姿勢にあった初号機が頭を上げる。
　頭部拘束具の奥で血の色に輝く瞳。
　モニター越しであるはずなのに、誰もが自分達が睨まれているのだ、と悟る。

　　ウォォォォオォォォオォォォ

　静寂を打ち破り初号機が雄叫びを上げた瞬間、第３新東京市全域が揺れた。





　損傷した左腕の拘束具が弾け飛び、撃ち抜かれた傷が一瞬にして復活。
　頭部を貫通され、光を失っていた右目の輝きが戻り、鮮血の色に満たされていく。

　　激しい怒り。

　大気を、大地を震わせ、見る者の魂を鷲掴みにする人知を越えた意志。
　指先一つ、瞬きすら赦されず命を刈られる時を待つ罪人達。
　初号機の血の瞳に射抜かれたあらゆる人間が魂そのものからくる恐怖に
　凍り付いた。


　　ただ一人を除いて。


『葛城一尉…救出の指示をしてください』

　正面ディスプレイに零号機のエントリープラグ内映像が表示される。
　レイの声に人々が無意識のうちに視線を移す。
　静かな決意を秘めた紅い瞳を認識した途端に、それまでの呪縛から
　解き放たれ、停止していた空間が軋みをあげて動き始める。

　ディスプレイに映るレイの静かな口調、感情の見えない表情、それは
　いつもと変わらない。
　しかし強い意志の輝きが宿る紅い瞳に、人々は既視感を覚えた。
　それは幾度となく見たシンリの決意の眼差し。
　その記憶が皆の心に動く力を与えた。

　　ふ、と笑みが零れる。

「各員、状況報告！」

　　どこか吹っ切れた表情のミサトの声が第一発令所に響く。

「全装甲隔壁、緊急閉鎖」
「停止信号発信…応答ありません」
「初号機拘束具、各部負荷８０％を突破。
　顎部拘束具は完全に破損しています」
「全トラップ、機能問題なし」
「零号機、シールド、グレネードランチャーの装備完了。
　発進準備完了です」

　ほぼ予測通りの状況を再確認し、主モニター越しに睨みつける
　初号機の視線を真正面から受けとめて、ミサトが叫んだ。

「初号機捕獲作戦開始！！」

アスカ　「ちょっと、ＹＯＫＯ…何よ、今回の話！
　　　　　ぜんぜん、シンリとファーストの描写がないじゃない！！！」
ＹＯＫＯ「過去の追体験なんだし、痛いシーンを何度も書いても
　　　　　　大変なだけなんでパスしたんですよぉ。
　　　　　　アスカだって、痛みに苦しむシンリの悲痛な声とか
　　　　　　聞きたいわけじゃないでしょう？」
アスカ　「そ…それはそうだけど…」
ＹＯＫＯ「あと、シンリの心の描写はちゃんと次のＦパートで
　　　　　やるから、それまで待ってください、ね」
アスカ　「ファーストの分は？」
ＹＯＫＯ「初号機との対決は基本的にレイの視点ですよん」
アスカ　「で、問題なく停止させられるんでしょうね！」
ＹＯＫＯ「暴走エヴァは強いですからね〜。
　　　　　Ａ．Ｔ．フィールドは抉じ開ける、至近距離の加粒子砲を
　　　　　弾き飛ばす、空中で避ける…（注：ＴＶ版の場合）
　　　　　アスカにだってできないことばっかりだし。
　　　　　…これで問題がなかったら嘘ですよ、うん」
アスカ　「はぁ…結局、ミサトに頼るしかないわけ？
　　　　　　なんだか不安…」
ＹＯＫＯ「ミサトさんを含めて、作戦部は精一杯、がんばるから
　　　　　　応援してあげましょう。フレー、フレー、と」
アスカ　「お願いだから、その気の抜けた掛け声、やめて。
　　　　　　余計に不安になるから」
ＹＯＫＯ「はい、はい」