第０５話「レイ、心の向こうに」Ｇパート

　Ｐｉ　Ｐｉ　Ｐｉ　Ｐｉ

「…二号機パイロット？」

　以前にも使っていた病室で、今は静かに碇くんは眠っている。
　規則正しく微かに呼吸するのが聞こえると、心が穏やかになる。
　実験前に寝ていた部屋と違って、この部屋には生命維持装置の類は
　置かれていない。
　先ほどまでの地を震わせ、施設を破壊し、全てを灰燼へと返す炎が
　ジオフロントで荒れ狂っていたとは思えないほど、この病室の空気は穏やかだった。

　携帯端末を操作すると、いつもと雰囲気の違う二号機パイロットが
　映っている。思わず本人か確認してしまうほど、勢いが感じられない。

『ファースト…シンリは…』

「碇くんは寝てるわ」

『…治ったのね？』

　こくん、と頷く。

『…姿…見せてくれる…？』

　黙って、携帯端末のカメラをベットに向けて碇くんを映す。

　動きが止まったように画面を見ていた二号機パイロットの目から
　一筋、涙が零れ落ちる。

「…」

　悲しい…いえ…嬉しいのね

『…』

　見ている間にも、ポロポロと流れた涙が頬を流れる。

「…」

　　綺麗…そう感じる

『…な、何よ！』

　まるで悪戯しているところを見つかったミサトさんのように
　態度と表情がバラバラなまま、慌てている。

「…二号機パイロットも泣くことがあるのね」

　感じたことは正直に伝える、それは二号機パイロットに教えてもらったこと。

『わ！…私だって…涙くらい流すわよ！　それとも何！？
　ファーストは、私のこと、感情がないとでも思ってたわけ！？』

　いつも何でも知ってて、いろいろ教えてくれる頼りになる人なのに、
　画面の向こうで頬を膨らませて怒っているのを見ていると、
　小さな子のように見えてくる。
　前に碇くんと買い物に行った時に、母親に連れられて歩いていた
　小さな女の子が、怒った表情に似てる。

「…碇くん、喜ぶと思うわ」

　相手から大切と言ってもらえる、それはとても嬉しいこと。

　ぽんっ

　いきなり顔の色が赤くかわって、慌ててハンカチで涙を拭っている。

『ファ、ファースト、絶対、絶対、ぜっっったい、シンリに
　私が泣いたなんて、言っちゃ駄目！　駄目なんだから！』

　なぜかとても慌ててる。

「…なぜ？」

　自分の無事を二号機パイロットが喜んでいた、と知れば
　碇くんは微笑むと思う。

『とにかく駄目なの！　約束するの！　いいわね！』

「…なぜ？」

『あんただって、言いたくないこと、知って欲しくないことくらいあるでしょう！
　こういうときは黙って、”わかったわ”っていうの！』

　言いたくないこと…知って欲しくないこと…

　その言葉を聞いて、私は言えないこと、知らせたくないことが頭に浮かんだ。

　水槽に浮かぶ沢山の「私」。

　予備のある「私」。

　器に過ぎない「私」。

　二人目の「私」。

　人とは違う「私」。

　…伝えたくないこと、知って欲しくないこと。

「…私…言わない」

　私を見て、二号機パイロットが落ち着きを取り戻す。

『…？　あんた、勘違いしていないわよね？』

「何を？」

『…私は別に悲しいとか辛いとか嫌だからって理由で秘密にして、って
　言ったわけじゃないの。そこ、勘違いしちゃ駄目よ』

　　時々、二号機パイロットはこういう言い方をする。
　　なぜ？

「…知られると心が痛い…だから秘密…違うの？」

　　私の言葉を聞いて、とってもオーバーに溜息をついて見せる。
　　何度か見たことがある仕草。

『…本当は言いたくないけど、言わないと勘違いが直らないから
　言ってあげる…いい？…知られると恥ずかしいの…
　だから言って欲しくないの！　わかった？』

「碇くんを見て二号機パイロットはとても嬉しかった…
　嬉しい、という気持ちを知られることは恥ずかしいこと？」

　なぜ、そう思うのかとても不思議。

『だ・か・ら、どーしてそういうみょうちくりんな解釈に…』

　突然、通信回線が切れて、携帯端末の画面には「回線異常」の
　メッセージだけが表示される。
　静けさの戻った病室。
　ベットで穏やかな表情で眠る碇くん。防音効果の高い窓にはブラインドが
　降りていて、外の景色は見えない。
　外から差し込む日差しの動きは、何も変わらない。
　けれど、休息の時間は終わった、と気がついた。





　巨大なクレーターの中ほど、先ほどまでＮＥＲＶアラスカ支部の
　ジオ深度研究施設と呼ばれていた場所…今は超高温、超低圧
　即死レベルの電磁場の嵐が吹き荒れる極限の空間と化し、あらゆる
　物質がその形質を維持できない中、まるではめ込み合成をしたかのように、
　まったく影響を受けずに紅い相転移空間の結晶が存在している。

　その中には悲しみの色を湛えた紅い瞳、銀色の髪をもつ線の細い
　少年が佇んでいた。

「…僕がリリンではない、と認識した途端にこれ…か」

　ほんの少し前まで彼の周囲は研究施設の一室であり、たくさんの
　研究者達が期待と不安に入り交じった気持ちで見ていた。

　だが、そのリリンの欠片達も、数秒前に襲ったＮ２爆弾の多重爆発で
　光となって消えた。自らの身に起きた出来事を理解する間もなく。





『全域監視システム、緊急停止。
　過負荷のために安全装置が作動したものと予想されます。
　ＭＡＧＩは使徒の出現と推論。
　測定限界を越えるＡ．Ｔ．フィールドが発生しました。
　全センサーの停止時刻から逆算したところ、出現位置は
　北米大陸と予想されます』

　何の前触れもなく、突然、発生したシステムダウン。
　あらゆる広域センサーからの反応がなくなり、有線を除く全ての
　無線通信が断絶してしまった。

「北米…、ＮＥＲＶアメリカ支部とアラスカ支部に連絡！
　状況の調査、報告を指示して！」

「了解…ＮＥＲＶアメリカ支部、受諾。
　…変です！？　ＮＥＲＶアラスカ支部と通信できません！」

『通信ログ解析結果からＭＡＧＩが推測。
　９９％以上の確率で、ＮＥＲＶアラスカ支部は壊滅。
　ただし自爆によるものか、使徒の攻撃によるものかは判断を保留
　しています』

「…リツコ…」

「基地とのリンク回線が全て断線することは理論上あり得ない。
　人為的に通信設備を破壊されたか…或いは全ての回線が
　同時に破壊されるほどの被害を受けたのか。
　広域監視システムが復活すれば結果はわかるわ。
　施設が残っていれば前者、残ってなければ後者…よ」

「ＯＫ。総員、第一種戦闘配置！　偵察機、急いで！」

『了解』

　広域監視システムがダウンしている以上、近距離監視網…
　世界各地に設置されている光学監視システム群による
　水平線位置までの監視が限界である。

　そのため、原始的だがたくさんの偵察機を発進させて
　対象をできるだけ遠距離で発見する必要があった。





「碇…何があったと見る？」

「老人達が何かした、と見るのが妥当だ。
　例え、サキエル、シャムシエルクラスの使徒が降臨したとしても、
　支部を瞬時に沈黙させることはできん。
　恐らく、地下に設置されたＮ２爆雷による支部の強制破棄を
　行ったのだろう」

「だが、あの支部ではエヴァは建造していないぞ？
　支部の破棄をするほどの事態は考えられんが？」

「極秘裏にエヴァを建造することはできない以上、
　ゼーレが研究している極秘プロジェクト…
　ダミーシステム絡みだ」

「人為的にチルドレンを作り出すというアレか。
　だが使徒の廃棄細胞を移植した人間が検出限界を超えた
　Ａ．Ｔ．フィールドを展開させる…そんなことが可能なのか？」

「…リリンの欠片に過ぎない存在に生命の実を与えたところで、
　それは不可能だ…」

「まさか…レイと同じなのか…？」

「…」

　　ゲンドウはその問いには答えず、沈黙を守った。





「やったのか」
「Ｎ２爆雷２０発の至近距離同時爆発を受けたのだ。
　存在できるはずがない」
「だが、支部消滅の瞬間にＡ．Ｔ．フィールドを検出している」
「モニターはまだ復活せんのか！」

　立体映像の老人達が仮想会議室で騒然としている。
　ＮＥＲＶアラスカ支部はゼーレと呼ばれる彼らの一存で
　職員の脱出をする暇すらなく、自爆させられた。
　事態がゼーレのコントロールを離れた、と認識した途端に。

『外部モニター、回復。目標を光学観測にて確認』

　超遠距離からの光学ズームでカメラが対象…紅い相転移空間の
　結晶構造を捉えた瞬間、中に佇んでいた銀髪の少年の視線がカメラを
　射抜いた。

「ば、馬鹿な！　この距離で気がついただと？」
「たまたま視線が一致しただけだ」
「左様、この距離では…」

　ホログラム会議を行っている仮想空間に何の前触れもなく揺らぎが発生し
　彼らが遠距離カメラ越しに認識したはずの少年が出現する。

「…君達が中枢の一つか」

　不機嫌そうな声が出席者の心に響く。
　鋭い視線が無造作に老人達の瞳を射抜き、魂を締め上げる。

「なぜ、ここに…」

「　先ほど、君達から道を開けてくれたからね。
　道が在れば、その上を歩くのは容易いことなのさ」

　ゼーレの老人達の間に動揺が走る。
　自分達は安全な場所から命令をする立場だったはずなのだ。
　それがいきなり目前で対峙させられることになるとは。
　仮想空間上で対峙しているだけで危険はない、と理性が告げる。
　だが、物理的な接点のない完全閉鎖型システムであるはずの
　ゼーレの通信網に平然と己が身を投影する相手に対して、
　それが何の意味を持つのか…。

「わ、我々に何をするつもりだ…こ、殺すのか？」

　恐怖に顔を歪ませ怯える老人に、侮蔑の視線を送ると
　少年は答えを告げる。

「…茶番に付き合ってあげよう、リリンの欠片達」

　酷薄な笑みを浮かべたまま銀髪の少年は唄う。

「ちゃ、茶番だと！？」

「僕を予定通り、フィフスチルドレンとして登録するといい」

　輝きを増す紅い瞳が無言のプレッシャーを与え、老人達の
　凍りついた心にヒビを入れる。

「我々にその要求を飲めというのか…」

　それはＮＥＲＶ本部内に迎撃システムの洗礼を受けずに入ることの
　できるフリーパスを与えることに等しい。

「君達にも、利点はなくはない。
　僕はフィフスチルドレンとしての役割を終えるまでは、
　アダムとの接触はしないつもりだから、ね。
　困るんだろう？　僕達が先に接触すると」

　少年は淡々と事実を告げる。それは一方的な契約の要求。
　だが、ゼーレの老人達には持ち札は１枚もない。
　少なくとも現時点では…。

「…その提案、飲もう」
「議長！？」
「我々に選択の余地はない…そうだな」

　重苦しい雰囲気を破って、バイザーを付けた男…キール議長が
　受諾の意志を示す。

「…では、僕はこれからフィフスチルドレン…渚カヲル、として行動しよう。
　迎えを寄越してくれるかい？　先ほどの爆発で空間が軋んでいてね。
　跳躍すると壊れてしまいそうだ。脆いものだね、この世界は」

「…最寄の基地から救助班を向かわせよう」

「それから、親切ついでに教えてあげるよ。
　自分達の設計図を弄るのもいいが、リリンならともかく、その欠片では
　生命の実は荷が重過ぎる…分相応なところで止めておくのが
　知恵の実を持つモノの賢い行動だよ。
　それと、兄姉達を更に呼び込みたい、というのでなければ
　器を生み出すのは止めたほうがいい。
　先文明のモノ達が、黒の月、白の月を作り出した意味…
　それすら判らぬまま悪戯に生命の実は弄ぶのは愚かだ。
　これ以上、僕を失望させないで欲しいね。
　リリンの欠片達」

　一方的に告げると、そのまま仮想空間から姿を消す。
　外部展開していた相転移空間の赤い結晶を消して、クレーター状の
　大地へ降りたつ。
　そして、自分の姿を見て、先ほどまでの超然とした表情が嘘のように
　落胆した表情のまま呟いた。

「服はリリンが生み出した最高の発明だよ…。
　リリンの欠片のために、心の壁の役割を担ってくれる。
　欠片同士の交流には不可欠のアイテムだ、特に初対面ならば。
　シンリくん、せっかく君に会うためにこの世界に来たのに。
　…服の一つくらい着る時間をくれてもよかっただろう？
　ゼーレの老人達も気が利かないね」

　　この時期のアラスカの風は冷たい。
　　培養ポッドから出た後、周囲を探るために微弱なＡ．Ｔ．フィールドを
　　展開した途端に、体内に仕掛けられた細胞自壊物質の満載された
　　カプセル群が同時破裂し、首に埋め込まれたセムテック爆薬が爆発した。
　　Ａ．Ｔ．フィールド圏内でなければ、体が壊れていたところだ、と思う。
　　彼らは想定した結果（体の物理的な破壊）が得られなかったと判断すると同時に
　　Ｎ２爆弾の同時爆発を敢行…結局、身を守ることしかできず
　　自分を構成する物質以外は全て光と熱になって消えてしまった。
　　人としての知識を手に入れた状態では、恒常展開のＡ．Ｔ．フィールドが
　　身を守っているとは言っても、服を纏ってなくては心許ない。

　カヲルの今、最大の関心事は、救出班に対して服を纏っていない
　状況をどう説明するか、であった。





『全域監視システム、再起動。
　ただし、センサー感度は通常の１％に固定。
　Ａ．Ｔ．フィールド、検出されません。
　１分おきにセンサー感度を１％ずつ回復させていきます。
　アラスカ支部、映像で確認。
　支部位置に巨大なクレーターを確認しました。
　周囲の気温・湿度・気圧の変化、クレーター形状から、ＭＡＧＩは支部が
　Ｎ２兵器の使用により消滅したものと推測しています』

　　測定限界を超えたＡ．Ｔ．フィールドを通常レベルで検出すると
　　センサーが破損しかねない。
　　そのため、検出限界を超えた場合は、センサー感度を鈍くすることで
　　超出力のＡ．Ｔ．フィールドに対応できるように設計されていた。

「青葉君、センサー群の自己診断結果はどう？」

　今、最優先にすべきは驚異的な出力のＡ．Ｔ．フィールドを展開した
　使徒の確認である、と気持ちを切り換えてミサトが指示を飛ばす。

「北米大陸、特にアラスカ支部周辺はほぼ壊滅です。
　回路が焼き切れてしまっているため、復旧は最速でも１、２日は
　かかります」

「復旧は後回しでいいわ。偵察機からの観測情報も合わせて
　地球全域の情報を投影して」

「了解」

　主モニターに、地球全域の地図が表示され、色分けされた観測情報が
　追加表示されていく。
　世界主要基地からスクランブル発進した偵察機からの情報が円上に
　広がっていくが、地球全域から見ればそれは僅かな面積に過ぎない。

「救護班、サードの容態は！？」

『シンクロは可能ですが、最大でも５分程度しか意識は持ちません。
　今は出来る限り、回復に努める必要があります』

「…厳しいわね…リツコ、零号機起動準備をよろしく」

「…」

　リツコがゲンドウへと視線を移す。いつものゲンドウポーズを
　しているため、その意志は伺い知ることはできない。

「リツコ！？」

「…ミサト、技術部は魔法は使えない。
　だから、どちらか選択してちょうだい。
　初号機を停止させた際の機体被害を修理するか、
　すぐに起動できるように準備するか、を。
　現状の被害状況から推測すると、応急修理には約３時間は必要よ」

　修理するなら零号機を分解整備しなくてはならない。
　当然だがその間は零号機は起動不能状態に陥る。

「…修理をお願いするわ」

「いいのね？」

「相手はアラスカにいるのよ？　だったら全速力で来たって
　３時間以内に交戦開始エリアまで侵入してくることはないわ。
　…そういえば、初号機のほうの修理状況は？」

「エントリープラグ上の拘束具、及びその周辺のユニットを
　交換するだけだから、最速で１時間。
　だけど、零号機と初号機の修理は同時実行できないわ。
　悪いけどこれが技術部の限界よ」

「零号機の修理を最優先、次に初号機。
　作戦部はこれからミーティングをやるから全員、１０分後に
　第一会議室に集合」

「了解」

「マヤ、技術部メンバーに指示をだして。
　私達は全員、ケイジに行くわよ。
　…青葉君、後はお願いね」

「は、はい！」

　リツコに声をかけられるとは思ってなかったのか、少し間の
　抜けた返事をして周囲を見回す青葉。
　日向はミサトと共に会議室に向かい、マヤはリツコと共に
　ケイジへと行ってしまった。
　上を見上げてみると、いつのまにかゲンドウと冬月もいない。

「…俺だけっすか？」

　第一種戦闘配置のはずだが、ターゲットの位置はアラスカ。
　これまでの使徒出現位置と比べてあまりにも遠い。
　接触推定時間まで余裕があることから、それぞれができることを
　始めていた。

　第一発令所の下層オペレーションルームではたくさんの部下達が
　広域監視を続けているが、上司も同僚もいない、というのは
　極めて珍しい状態である。

「…ふぅ」

　信頼の証とも取れる状況なのだが、初めての閑散とした
　職場に、溜息をもらす青葉だった。





　太平洋…青い空、白い雲。
　穏やかな風が流れ、平和を謳歌していた海原。
　だが何の前触れもなく上空に存在していた空間が悲鳴をあげて粉々に砕け散り
　異なる世界と繋がった路から、ゆっくりと巨大な物体がその身を現す。
　鏡のように周囲の光景をその身に映す蒼い宝石、巨大な正８面体。
　第５使徒”ラミエル”と呼ばれることになる存在の降臨。

　だが自ら感度を下げている広域監視システムは
　ラミエル出現時の空間異常を感知することはなかった。

やっと、第５話が終わりました。
ＴＶ版と違って、ちょっと寂しいラミエル君。
出迎えもなく、そっと舞台に降り立っただけで今回はお終いです。

それにしても寝てばかりのシンリ。
第６話ではちゃんとＡパートから働きますのでご安心を。

次のお話は前半最大の山場である「決戦、第３新東京市」です。
空飛ぶブルーウォーター”ラミエル”。
Ａパートから、全力活動開始です。（＾＾；）