第０７話「人の造りしモノ」Ａパート

　薄暗い司令室で、冬月が電話を片手に話をしている。

「また君に借りができたな」

「いずれ返してもらいますよ、個人的に」

　電話の相手は、落ち着いた低い声の男である。
　雰囲気からすると、ゲンドウと同じくらいの年齢のようだ。

「君の”個人的に”は高くつくのが痛いが」

「ご冗談を。
　彼らが情報公開法をタテに迫っていた資料ですが、ダミーを混ぜて
　適当にあしらっておきました。
　政府は裏で法的準備を進めていますが近日中に頓挫する予定です。
　で、どうです？　例の計画ですが、こっちで保険をかけておきましょうか？」

「いや、君の資料を見る限り問題ないだろう。
　部長二名を欠いた状態での作戦遂行能力も見ておきたいし、な」

　冬月の手元には、”極秘”と判の押された日本重工グループが総力を挙げて
　制作している巨大人型決戦用ロボット”Ｊ・Ａ（ジェットアロン）”の概要設計書が置かれている。
　また、その隣には、プロジェクトの責任者に抜擢されている時田博士の写真もある。

「…では、全てはシナリオ通りに」

「よろしく頼むよ、山岸君。　ところで、新居のほうはどうだったかね？」

「先日、娘と見てきました。…が、せっかく用意して頂いたのに申し訳ないのですが
　ペットを飼える住居に変更することにしました」

「ふむ。確か、家を空けることが多いからペットは飼わないと、言っていたと
　思ったのだが」

「実は、猫を飼うことになりました。住居を見た帰りの道端で
　マユミが拾った子猫を」

「…そうか。よいきっかけになってくれればいいな」

「…気長にいきますよ…では、失礼します」

　電話の音が途切れ、指令室に静寂が戻る。

「手駒が多くて困ることはない…。
　碇、お前がやらないでこの件は正解だよ」

　冬月は小さな愚痴を、司令の席に向けて放った。
　だが、その席の主たる男はなく、彼の愚痴を聞く者はいなかった。





　ラミエルの加粒子砲による砲撃を楯で防いだ初号機であったが、
　楯が熔けきるほどの高温に晒され続けた結果、排熱が追いつかず、
　エントリープラグ内のＬＣＬ温度は、シンリが救出された時点で
　６０℃を突破していた。
　医療ポッドの中で治療を一週間続けることで、昨晩、帰宅し、
　今日からは、無理のない範囲で日常生活に戻ることになった。

　連絡できない状態が続き、アスカからは色々と文句を言われたようだ。

「シンちゃん、どこも違和感とかない？」

「…たぶん、平気です。ちょっと力が入りにくいですけど、
　寝過ぎてたから仕方がないです」

　今朝も、多少、時間がかかったものの、朝食の支度も問題なくこなし、
　料理を手伝っていたレイも、食事が終わるころには、不安げな表情を
　浮かべることはなくなり、一見、穏やかな日常が戻ってきたようにも見える。

「…碇くん、行きましょう」

「うん」

　ドアを開けて、しばらく歩いてエレベーターに乗る。
　いつもの行動のはずだが、今日は違っていた。

　廊下に一人の少年が廊下の手摺りに寄り掛かりながら、第九を口ずさんで
　いたからである。銀色の髪、色素のない白い肌、意志の強そうな少し吊り目な
　紅い目が印象的な線の細い少年。

「歌はいいね。傷ついた心を癒してくれる。そうは思わないかい？
　碇シンリくん」

　笑顔のまま、唄うように問い掛ける少年を見て、
　シンリの表情が一瞬、固くなる。

「あの…どうしてボクの名前を？」

「失礼だが、君は自分が有名であることを自覚したほうがいい。
　ＮＥＲＶ関係者で君を知らぬ者などいない。
　既に３体の使徒を屠っているサードチルドレン。
　ＮＥＲＶアラスカ支部でも、君のことは話題によく出ていたよ」

「…なぜ、ここに来たの」

　少し冷たい感じの声でレイが問い掛ける。

「昨日、トウジ君とケンスケ君から住所を聞いたからね。
　それにボクも同じチルドレンなんだし、早めに挨拶しておいても
　問題ないだろう？」

「綾波さん、この人のこと知ってるの？」

「渚カヲル、１４歳。
　第５使徒撃退の翌日に配属されてきた５ｔｈチルドレン。
　生年月日はセカンドインパクトと同じ日。
　それ以外の個人情報は全て抹消済み」

　相変わらず、何か読み上げているようなレイの説明である。

「…そう、じゃ、これからよろしくね、渚くん」

「カヲルでいいよ、シンリくん」

「うん」

　３人がエレベータで下りていくと、遠くからトウジとケンスケが歩いて
　来るのが見えた。

「なんや、ずいぶん早く出るんやな。
　もう少し遅かったらすれ違ごうとるところや」

「なんだ、渚ももう来てたのか」

「僕の想いは誰にも止めることはできないのさ」

　３人ともこの一週間で慣れたのか、打ち解けた雰囲気である。

「碇、もう怪我のほうはいいのか？」

「大丈夫、普通に生活する分には問題ないって、診察も受けたから」

　シンリが笑顔で答える。

「なら、時間が空いた時にでもナツミのところに
　行ってもらえんか？　最近、煩くて適わんのや」

「うん」

　通学路を歩いていると、撤去が終わっていないねじ曲がった看板や
　壊れた鉢植えなどが所々に散乱したままになっていて、ラミエル撃破の
　際に起きた衝撃波の影響から町並みが完全に復旧していない光景が
　目につく。

「…まだ片付いていないね」

「これでも片付いたほうさ。俺達がジオフロントから出た時なんて、
　ひっくり返った車両とか、倒壊したビルとかがそこら中にあって
　夜中の間も、撤去作業のための明かりがつきっぱなしで
　眩しくて眠れないくらいだったんだ。
　後で見るかい？　珍しい雰囲気だったから映しておいたんだ」

「後で見せてもらうね」

　登校しながら話される雑談。それは普段と変わらないように見える。
　だが、どことなく硬い感じの表情で話すシンリを見て、レイの
　表情は曇った。





　茹だるような暑さのなか、女子は水泳、男子は校庭でサッカーをやっている。
　…やっているはずなのだが、教師が急用で席を外しているためか、
　真面目にサッカーに興じている者はほとんどいない。

「…いないね」

　プールを熱心に見ていたカヲルであったが、誰にともなく呟くと見るのをやめた。
　その態度が珍しいものだったのか、振り返ると、何故か頬を赤らめたトウジ、
　冷静な視線で見るケンスケと目が合った。

「何だい？」

「カヲル〜、誰を見てんのや？　山城か？　それとも陸奥か？　もしかして綾波か？」

「いや、全部外れさ」

「じゃ、誰なんだ？　ずいぶん、熱心に捜していたじゃないか」

「シンリくんだよ。捜したんだが見つからなくてね」

「碇？　ならたぶん…やっぱりそうだ。ほら、保健室にいる」

　ケンスケが促した方向を見ると、保健室に小さな人影が見える。
　距離は遠いが、この学校に白っぽい色の髪をしている生徒はそれほど多くない。

「…確かにシンリくんだね、先生と何か話をしているみたいだ」

「よー見えるなぁ、カヲルの視力はいくつなんや？」

「さぁ？　計ったことがないからねぇ」

　話しながらも視線を外さないカヲルに、ケンスケが疑問を投げかける。

「何か気になることでもあるのか？」

「大したことじゃないよ。シンリくんと一緒に運動したら
　楽しかっただろう、と思ってみただけ、さ」

「…俺達が代わりに出撃できれば碇の怪我も減るんだろうけどなぁ。
　頼みの綱だった渚も、まさか運動音痴だったとは意外だったよ」

　トウジとケンスケは揃えたように一緒にわざとらしく溜息をついた。

「ご希望に添えなくて悪いとは思うよ。
　身体を動かすことに慣れてなくてね、でも少しずつだけど実力は
　上がってきているだろう？」

「少しは上がってくれんと、付き合ってるわいらが保たんわ」

　相手の攻撃の意思を感じ取り、素早く対応する組み手は、チルドレン…特に
　トウジとケンスケが重点的にやらされている訓練であり、カヲルを相手に
　連日、猛訓練をしているのだ。

「ほんと、渚って持久力だけはあるんだよな。
　いくら運動しても息が上がるのすら見たことがないんだから」

「いや、まぁ、それは…ほら、毎日、コーンフレークを
　山盛り２杯ずつ食べてるからだよ」

　冷や汗を流しつつ、カヲルが答えるが、ちょうどそのとき、プールのほうから
　女子の可愛らしい声が聞こえてきたために、トウジとケンスケの意識が逸れる。

「「「渚くーん♪」」」

　何人かで手を振って女子がアピールしているのに応えて、カヲルも
　手を振り返す。そんなクラスメイト達の行為が珍しかったのか、
　レイがそのやり取りを見ていたが、カヲルと目が合うと、見るのを
　止めて背を向けてしまった。

「どいつもこいつも、渚、渚、渚、か」

「…見た目だけに惹かれる奴は多いっちゅうことや」

　トウジとケンスケが大げさなアクションを加えて、カヲルをジト目で見る。

「言葉は風にかき消され伝わってこない…不便だねぇ」

　カヲルは校庭を見て何か話をしている女子達を見ながら呟いた。
　その表情は普段と変わらず笑みをたたえたものだが、可笑しさを
　堪えているような雰囲気すら持っていた。



　プールサイドで校庭を見て賑やかな雰囲気で話をしている女生徒達。
　男子達を指差しながら、実は、なにやら品定めの最中である。

「渚くんの隣にいるの、鈴原と相田でしょ」

「そうそう、最近、あの二人っていい感じよね〜」

「なんか他の男子達と雰囲気違うし。馬鹿やってる感じがするけど、
　どっか一足先に大人になられちゃった、っていうのかな、
　落ち着いてる気がするのよねぇ。
　そう思わない？　洞木さん」

「わ、私は鈴原のことなんて何とも思ってないんだから」

「誰も”鈴原”なんて特定してないけどぉ〜♪」

「そうそう、好きだけど告白するだけの勇気がない〜」

「そんなんじゃないってば！」

「ほんとに？　知らないかもしれないけど、鈴原って最近、人気があるのよ。
　注意しないと他の子に取られちゃうわよ？　真面目な話」

「え、嘘…」

「ほんと。それに、明日のことなんて誰もわからないじゃない。
　その証拠に、ほら、街の真ん中にある使徒の残骸なんて、１０日前には
　なかったんだから」

　クラスメイト達の視線の先には、コアを貫通されて墜落した
　第５使徒”ラミエル”の巨大な残骸がある。
　推定重量数十万トンもある巨大物体がある日、突然、出現する。
　それは、多感な少女達に少なからず影響を与えていた。

「…」

「だ・か・ら、告白しちゃいなさい♪　今なら誰も邪魔しないから」

「（鈴原…）」

　ヒカリが熱い視線に気がついて、思考の海から帰ってきてみると、
　周囲にいるクラスメイト達の目が爛々と輝いている。

「「「「「（ゴクッ）」」」」」

　笑顔のまま、周囲をみるヒカリに、嫌な予感を覚えた少女達が
　ゆっくりと後退る。

「人のことからかって…遊んでるんじゃないのー！！！！！」

　叩き付けるような怒声が少女達を追い払い、「応援しているわ〜」
　などと捨て台詞はもらったものの、なんとか、恋に恋するクラスメイト
　達から逃れることに成功する。

「…」

　ふ、と隣をみると、レイがヒカリのことを静かに見ている。

「な、何？　綾波さん」

　ちょっと考え込むような仕草をしたレイがそっと告げる。

「想いは言葉にしなくては伝わらないわ」

「え？」

　レイは、泳ぐ順番が来たので、そのまま他の生徒達と同様、
　プールへと入り、プールサイドにはヒカリだけが残っていた。
　よほど、想定外の出来事があったのか、教師に声をかけられるまで
　ヒカリは思考の海から帰ってこなかったらしい。





　午後の授業も終わり、チルドレンのメンバーは全員、ＮＥＲＶへ向かった。
　今日はトウジ、ケンスケ、カヲルの３人は基礎訓練を、シンリとレイは
　シンクロテストの後に、３人の訓練を見学している。

「いいか！　諦めが人を殺すんだ。
　絶対絶命のピンチの時に諦めたら、そいつはそこで終わる。
　諦めない奴だけが、僅かしかない生きる権利を掴み取るんだ！
　おら、渚！　もっと早く、もっと高く、さっさと動かんか！」

　教官の叱咤の声が響く中、様々な障害物を乗り越え、潜り抜け、走り抜き、
　トウジ、ケンスケ、カヲルの３人は懸命にゴールを目指して動き続ける。

「鈴原！　少し余裕があるようだな！　こっちにこい！
　俺から、プレゼントをやろう！」

「そんな殺生な…」

「なんか文句があんのか？」

　ぶん、ぶんと首を横に大きく振るうトウジ。
　教官は笑顔を張り付けたまま、トウジが持っていたハンドガンを受け取り、
　代わりに人間サイズのパレットガンを渡す。

「次の週からは、ターゲットを見つけたら撃破しろ。
　パーフェクトを出すまで訓練を続けさせてやるからな」

「は、はい！」

　小銃を受け取ったトウジは専用のゴーグルを付けると、いつ遭遇するとも
　しれない仮想敵に対して、シミュレーションの中だけで飛び交う銃撃戦を
　行いつつ、障害物をこれまで同様、踏破し始めた。

「し、死ぬかもしれへんな、今度こそ」

　そうぼやきながらも、現れたターゲットに瞬時に弾丸を叩き込むあたり、
　相当の地獄を見てきたに違いない。

　周回遅れのケンスケは、右手にハンドガンをもって、やはり同様に射撃を
　行いつつ、障害物を乗り越え、鉄条網を潜り抜けている。

　何周遅れているかわからないカヲルは、何も持たずに、周回タイムの
　ノルマをこなすために、ひたすら走り続けている。

　ダーン、ダーン

「渚！　そこは姿勢を低くしろと言ったろ！　今ので貴様はまた死亡だ。
　ノルマ１周追加！　とっとと走れ！」

「厳しいものだね、この訓練は」

　カヲルは息切れこそしていないものの、どこか、疲れた雰囲気を漂わせている。
　それでも、自分よりたくさんの荷物を持ち、武器で戦いながらも、自分よりも
　早く走り続けるトウジとケンスケに追いつこうと、再び走り始めた。



　専用訓練施設を見下ろす展望室で、見学することになったシンリもレイも
　自分達とはあまりに雰囲気の異なる訓練に、一言も話すことなく、その
　様子を見続けている。
　同じ展望室で、走り続ける少年達の身体データが表示されるディスプレイを
　見ながら、ミサトは２人を横目で様子を確認し、内心、満足そうな笑みを浮かべた。

「どう？　レイは、彼らの訓練を見て得るものはあったかしら？」

「…よく、わかりません」

「ん、何がわからないの？」

「とても辛そうなのに、悲しい感じがしないです」

「そうね。それはやっぱり、男の子達が自分達から望んで、この訓練を
　やっているから…そういうことだと思うわ」

「…辛いことが好き？」

「レ〜イ、それじゃあの子達が変態になっちゃうわよ。
　辛い目にあっても、それが自分の血肉となって、大切な人達を守るための
　力になると知っている。だから、辛くてもがんばれるのよ」

「辛い訓練でないと実力はつかない？」

「そんなことはない、ない。　ちゃ〜んと、私達は一人一人に合った再適な訓練を
　やってもらっているから、その点は信用して欲しいわ」

「…はい」

「シンちゃんはどう思った？」

「みんな、一生懸命ですね」

「大切な訓練だから、ね。それに、教官があれほど一生懸命なのは
　ちゃんと理由があるのよ？」

「？」

「どんなに本人が望んでも、教官は自分では戦えない。エヴァの操縦ができないから。
　だから、できるだけ自分の技術を、知識を、経験を教えようとしているのよ。
　それしか、あなた達にしてあげられることがないから」

「…少しでも生き残る可能性を高めるために」

「そういうこと」

　相変わらず、罵声が響く中、少年達が必死に走っているのを見ているシンリだが
　その表情はどことなく固さが残っている。
　ミサトもレイもそれに気がついたが、緩やかに拒絶する雰囲気に、何も言うことが
　できなかった。

　帰宅後の夕食も、一見、何事もない普段の食事の光景だが、何を話し掛けても
　シンリの答えは短く、会話が続かない。　ペンペンもどことなく漂う違和感に、
　しきりにキョロキョロと皆の顔を見るが状況は改善されず、食事をする音だけが
　イヤに耳に障った。

　結局、食事が終わり、順番にお風呂に入ると、それぞれが就寝の挨拶をして
　自室に戻り、珍しく早い時間に、葛城家の明かりが消えた。



　済みきった星空に浮かぶ月…シンリは寝付けないこともあって、
　静かにベランダに出ると、それを眺め続けていた。

　　カラカラカラ

　降りかえると、窓を開けて、レイがパジャマ姿のまま、そっと
　近づいてきた。なにも言わずに月を眺めていた２人だったが、
　しばらくして、レイが口を開いた。

「泣きたい時は泣いたほうがいいと思う」

「…」

「碇くん、泣いているのに、無理をして笑っているわ」

　驚いた表情のシンリにそっと告げると、ごく自然にレイは言葉を待った。

「…皆、よかった、と言って笑っていたんだ」

　風の流れを肌に感じ始めたころ、ぽつり、と言葉がもれ始めた。

「私は碇くんが助かって嬉しかった」

「ボクも嬉しかった。皆の笑顔をまた見ることができて」

「…」

「だから、泣いちゃいけないと思ったんだ」

「…」

「でも、ほんとは悲しかった」

「…」

「でも、ほんとは寂しかった」

「…」

「でも、ほんとは悔しかった」

「…」

「ラミエルが撃ち抜かれたのを見て…心が痛かった」

「…」

「…ボクは…どうすればよかったのかな」

　小さな…小さな呟きがこぼれる。
　星空を眺めている表情は特に変わらない。
　そんなシンリを見て、レイは心に浮かんだ言葉を告げる。

「…忘れないこと、だと想う」

「忘れないこと？」

「ラミエルから貰った心を忘れない…そうすれば
　それは碇くんの心に力を与えてくれる…そう、想う」

「…」

「それと…泣いて欲しい。悲しんで欲しい。寂しいと感じて欲しい。
　…でも…いつまでもそれだけでいて欲しくない。
　私は、碇くんの笑顔が好きだから。
　…私なら、そう想う」

　レイの心が乗せられた言葉が静かに想いを伝える。
　それは、シンリの心に、ゆっくりと降り積もる。

「…ありがと」

　一言だけの言葉。

　そっと想いを紡ぎ、天空の月を見上げる。
　月明かりに照らされたシンリの頬を一筋の涙が流れ落ちた。
　




　夜風に身体が冷えたことに気がついた２人がリビングに戻ると、
　扉の影で、今にも飛び出さんとしているペンペンを抱えて、
　ミサトが静かに格闘している。

「わたしだって我慢してんだから、あんたも我慢なさい！」

　よほど本人も悔しいのか小さな声で話しているが、言葉の端々からその心情がわかる。

「あの、ミサトさん、何してるんです？」

「何って、邪魔者を……ってぇぇぇぇぇぇ、いつからいたの！？」

「”あんたも我慢なさい”から」

レイもこくん、と頷く。

「…そう…ブッ」

　ミサトの力が抜けた瞬間、ペンペンが飛び上がり、そのまま
　顔面に蹴りを入れて、シンリの胸元に飛び込んでいく。

「クェ」

　ちゃっかり、シンリの腕の中に収まったペンペンが勝利の鳴き声をあげて
　ミサトを露骨に挑発する。

「こんの腐れペンギンンンンンン！」

「…！…ぷっ…はは、く、苦し…」

　ミサトを見た瞬間、シンリが吹き出しそうになり懸命にそれを堪える…が、
　どうしても我慢できないようで、声が震えている。

「ミサトさん、ほっぺに足形がついてる」

　レイが静かに引導を渡す。

「ぷっ、はははははははは、ご、ごめんなさい、ははは」

　いきなり笑い始めたシンリにキョトンとするミサト。

「へ？　嘘ぉ！？ちょっと、笑い事じゃないわよ！　明日、仕事あんのよぉ私！」

「…右にもないとバランスが変？」

　ちょっと首を傾げて、ぽつり、とレイが告げた。

「ははははは、ひっ、はははは、綾波さん、お願いだから勘弁して
　お腹が痛い…はははは」

　お腹を抱えて、苦しそうに笑い、ちらっ、とミサトとレイを見ては
　更に笑う、という困った循環にはまりこんでしまっている。

「まったくもぅ、シンちゃんもそんなに笑わなくたっていいじゃない」

わざとらしく頬を膨らませるミサトを見て、シンリは遂に
耐えられなくなって、ペンペンを抱えたまま、ゴロゴロと
転がって笑い始めてしまう。

それから洗面台から聞こえる絶望の声を聞いては笑い、
レイが包帯を持ち出して、巨大な湿布をミサトの顔に張り付けようと
しているのを見ては笑い…と疲れ果てるまで笑い続けた。

「…死ぬかと思った…」

　ペンペンをとん、と床に降ろしてシンリはミサトに背を向けた。
　騒動もやっと収まり、場の空気が落ち着きを取り戻し始める。

「…ミサトさん…」

「…なーに？」

「…もう大丈夫…明日からは普通にできます。
　…それと…ありがと」

「…ん」

「それじゃ…お休みなさい」

「お休み」「お休みなさい」「クェ」

　シンリが自室に戻り、静かに襖が閉ざされ、葛城家の夜はこうして終わりを告げた。
　…はずなのだが。

「…ってぇ、ぜんぜん事態は解決してないじゃないのぉ」

　がさっ、ドボドボドボ

「洗面器に氷水入れて私にどうしろ、っていうのよ！？」

「打撲は冷やさないと駄目。顔をつけて」

「せめて氷嚢くらい使わせて、ってこら、ペンペン、入って
　遊んじゃ駄目でしょー！」

　ジャバ、ジャバ

「クェ、クェェェ」

　結局、明け方までドタバタとしていたようである。

シンリもラミエル戦の後の心の整理も少し、できたみたいです。
なぜか、いないゲンちゃん。さて、どこに行ったんでしょう？
実は…。次回、その謎が明らかになります。（＾＾；）

　おや？　アスカさん、何用です？

「からかいに来たのよ♪　カヲルって、ちょっと特技があるからって偉そうに
　してたけど、運動音痴！？　ったく、とーんだ弱点があったものよね♪
　せいぜい訓練に付き合って上げるわよ〜♪　私ってば優しいわよねぇ」

　ケタケタと笑うその姿のどの辺りから「優しい」という形容が
　出てくるというのであろうか？

「僕は現状を愉しんでいるんだよ。それが判らないのかい？」

「…？　思ったように身体を動かせなくて四苦八苦してんでしょ？
　それが楽しい？　…やっぱり変態…」

「…はぁ…。貧困な思考だねぇ、君は」

「何よ！」

「外部から進入してきた病原菌を撃退する白血球。
　彼らはその役割を終えたとき、喜びに身を震わせるんだろうか？」

「？」

「命令に従って動く筋肉細胞達。
　彼らは自分達の力が収斂されることで巨大な力が生み出されることを
　知って、それに誇りを持っているんだろうか」

「…何、言ってんの？」

「初めて体験している未知の領域。あぁ、なんて素晴らしいんだ。
　リリスもそう思わないかい？」

「知らない、わたし、二人目だもの」

「訳がわかんないこと、言ってんじゃないの！」

「まぁ、僕の今の気持ちはそういうことなのさ」

「…理解しちゃいそうだけど、理解したくないのは気のせいかしら？」

「ふっ、所詮、リリンの欠片には理解しがたい概念だったようだね」

　バキッ

「…痛いじゃないか、アスカくん」

「少しは痛そうにしなさいよ！あんたは！　だいたい、運動しても息が切れない？
　はん、あんた、怪しさ大爆発じゃない！　自覚してんの？」

「それは、ほら、コーンフレークを…」

「誰がそんな言い訳を信用すると思ってんのよ！」

　ベキッ

「…痛いじゃないか、アスカくん」

「…一つ、聞いてもいいかしら」

「なんだい？」

「あんた、痛覚、あんの？」

「失礼な。叩かれれば痛い、当然だろう？」

「…炙られたら熱い、冷やされれば冷たいって？」

「そういうことさ」

　ぴこぴこハンマーを取り出して、アスカが軽くカヲルを叩いた。

　ピコッ

「痛いじゃないか、アスカくん」

「…やっぱり。
　知識だけで言ってんじゃない！　このド変態がぁぁぁぁぁぁ！」

　ズガァァァァァン

　アスカの蹴りをまともに食らって、カヲルは壁に叩きつけられた。
　が、何事もなかったかのように起き上がると、笑顔のまま、去っていく。

「ふ、暴力は何も生まない。そんなこともわからないとはまだまだ子供だね、君は」

　…最強の必殺技、アスカキックが通用しなかったことがショックなのか。
　肩を震わせてカヲルの後姿を見ている。

「…やっぱり、変態は変態だったんだわ。
　ファースト」

「何？」

「あの技教えなさいよ、ほら、髭を壁に叩き付けた奴」

「知らない、私、二人目だから」

「キィィィィィ、なんで私の周りは変態ばっかりなのよぉ！」

　アスカの絶叫を聞く者はいなかった。


　はぁ…シリアスばっかり書いていると、疲れるんですよね。
　今回は、レイとシンリの会話シーンを書くのに苦労しました。
　二人とも「静」の人だから、言葉が少なくて。
　次回は、アスカが遂にリーダーとしての行動開始。
　とりあえずは状況把握から、と言ったところから、です。