第０７話「人の造りしモノ」Ｂパート

「あの、ミサトさん、これ、お願いしてもいいですか？」
「…進路相談」

　シンリとレイが、朝食が終わった後の一時に、昨日、学校でもらった進路相談の
　保護者への通知書類をミサトに見せる。
　本来であれば、そろそろ行われるはずだったが、今回は通知のみ。
　実際の実施は一ヵ月後、ということになる。
　度重なる使徒の襲来と、その影響のため、NERVに勤務している保護者がほぼ全員と
　いう状態では、予定通りの実施は不可能だったためである。

「あら、もうそんな時期なのね、もちろん、OKよ」

　ミサトは、最初に２人が書類を見せに来たことを純粋に喜んで
　満面の笑みで即答する。

「ところで、シンちゃんは具体的に進路について考えているの？
　たとえば、将来の夢とか、行ってみたい場所とか？」

「…まだ、ぜんぜん、考えてないです」

「レイは、どう？」

「…よく、わかりません」

　シンリもレイも明確な展望は持ててないのか、応えもちょっと元気がない。

「今は、NERVで対使徒戦要員ってことで、チルドレンをやってもらっているけど、それも
　いつまで続ける必要があるのか、わからないんだし、これを機会に、少し、考えてみると
　いいわ。まだ、時間もあるんだし、ゆっくり、ね」

「「…はい」」

　ぴーん、ぽーん

「「碇、綾波、おはよー」」「おはよう、シンリくん、綾波さん」

　今日も、トウジ、ケンスケ、カヲルの３人が迎えにきた。
　シンリはタンクトップに短パン、というラフな格好で露出度の高いミサトを見て、
　少しだけ、心配そうに問いかける。

「ミサトさん、男の子の前にその格好ででちゃ駄目ですよ」

「はいはい、わかってるって」

　ヒラヒラ、と手を振って応えるのを見て、玄関に向かうが、レイが不思議そうな
　表情をしているのを見て、「どうしたの？」と聞いてみる。

「なぜ、ミサトさんがみんなの前に出てはいけないの？」

「男の子って、肌を見ると、性格、変わるから」

「？」

「…なんでもない。行こ」

「えぇ」

　シンリの答えに少し疑問を持ったが、レイもそれ以上、質問はせずに玄関に向かう。

　プシュー

「「ミッサトさん、おはようございます」」

「はい、いつもありがとーね、行ってらっしゃい」

　姿を見せずにミサトが挨拶するのを、トウジとケンスケは残念そうに
　玄関に身を乗り出しながら眺めて、少しだけ残念そうな表情を見せた。

「…早く行こ、トウジくんも、ケンスケくんも。あ、カヲルくん、おはよう」

「朝から元気だね、２人は。おはよう、シンリくん」

「…行きましょう」

　挨拶を交わすと、雑談をしながら学校へと向かう。

「碇と綾波はいいよなぁ、あんな美人で作戦部長をしているような正に才色兼備の
　ミサトさんと同居できるなんて」

「ほんまや」

　男子のチルドレンの直接の教育指導は、保安諜報部の猛者達が作戦部の
　依頼した内容にしたがって行い、ミサトは、直接的には教育に関与せず、
　昨日のように、ときたま練習風景を査察し、会話を行う程度に留めている。
　そのためか、地獄の特訓の合間に現れるミサトは、彼らにとって、憧れの対象と
　なっているようなのである。

「うん、そうだね」
「…そう？」

　シンリは素直に肯くが、レイは「才色兼備」がいまいち実感として掴めないようで
　返答も曖昧な感じである。
　そんな４人のやり取りを楽しげに笑顔でカヲルが眺めているのを、トウジが気がついた。

「なんや、カヲルは、ミサトさんと同居したいって思わんのか？」

「花は美しいが手入れは大変だよ。僕も、帰る家、ホームがあるということは
　幸せに繋がるとは思うけどね」

「そういえば、渚って一人暮らしだったよな？　誰かと同居する、って話はなかったのか？」

　ケンスケが素直に疑問をぶつける。
　カヲルと一週間という短い時間だが、共に訓練や学校で話を交わして、あまり日常生活に
　関する知識がないことや、家事自体、ほとんどやったことがないことは見切っていた。
　それだけに、中学生のカヲルが一人住まいしていることに違和感を感じていたのである。

「ここに来るまで、常に誰かと一緒にいるような生活をしていたからね。
　今は憧れだった一人暮らしを満喫中なのさ」

「ま、そういうもんかもしれないな。
　暇になったら俺んとこにでも遊びにこいよ、いつでも歓迎するから」

「嬉しいよ、ケンスケくん」

　常に笑顔を絶やさないカヲルから少し距離を離した位置にシンリが、２人の間にレイが
　歩き、様々な話題を話しながら、５人は学校についた。





　午後の授業が終わり、今日は５人とも、初のシミュレーション合同訓練を行うために
　シンリが初号機、レイが零号機、トウジ、ケンスケ、カヲルの３人が新型コアを使った
　模擬体を使ってエントリーを実施し、仮想空間上の第三新東京市に降り立った。

　ちなみに、今回の訓練は、以前からアスカの提案で実施する予定となっていたもので、
　太平洋艦隊と共に移動中のアスカと弐号機も、この訓練に参加している。

　５人の目の前に４つの瞳を持つ実戦配備用エヴァンゲエリオン、つまり
　アスカの操る弐号機が出現した。

「みんないいかしら？　今回の戦闘シミュレーションはエヴァ同士の模擬戦を行うことで
　互いの技量を把握し、連携作戦をスムーズに行うためのコミュニケーションを図ることが
　目的です。エヴァはそれぞれのシンクロ率に従って能力が変動しているから、基本性能は
　それほど違いはなくても、実際の戦闘能力には大きなバラツキがあるわ。
　いいわね？」

『あの、リツコさん、具体的に何をするんですか？』

「詳しくはアスカに聞いて頂戴」

　リツコが促すと、全員のモニターに喜色満面のアスカが表示された。

『そっちの３人組は一昨日、話したと思うけど、この訓練は私が一番、長くやってるから
　慣れる意味からも、１ｖｓ１で私と総当たりで対戦する…それでいい？』

『わいは、それでかまわんで。死にもの狂いでやったとはいえ、わいもケンスケも
　所詮、基礎訓練も終わっとらん素人やからな』

　トウジの発言に残りのメンバーが肯くのを確認して、対戦を開始した。

　ブン、ブン、ブン、ブン、バシッ、ドゴッ、ドゴォォォン

『センスはあるけど攻撃が単発で繋がりがないのが辛いわね』

　手技、足技を絡めた近距離打撃戦をし掛けたトウジであったが、放った攻撃を
　全て寸前で回避され、体勢を崩され、足払いを食らって転倒させられてしまった。
　置きあがる前に、顔面に打ち降ろしの拳打を食らい、頭部全損。
　シミュレートシステムの再起動処理が行われ、その間は動作が停止する。

　ケンスケはハンドガンを使って、障害物を利用した近距離射撃戦をし掛けるが、
　動きのパターンを見切られてしまい、弾切れの瞬間に、踵落としを
　食らって轟沈。

　カヲルは、プログレッシブナイフを使った近距離戦を挑むが、アスカの
　動きを見て次の動きを捉えるまでの反応は早いものの、その後の
　エヴァの機動運動が酷いために、弐号機のナイフ攻撃を回避できず
　首を飛ばされ撃破された。

　レイはスナイパーライフルを使った遠距離戦をしかけ、その距離ではほぼ
　互角の射撃戦を行えたものの、中距離、近距離でのパレットガン等を
　撃ち合う高速機動戦では、後手に回り続けて、そのまま削り倒された。

『ファーストはまぁまぁ、ね。これで、私の次の動きを予測した上で戦えれば
　射撃戦はSランクがもらえると思う。
　…さ、最後はシンリよ。いい、本気でやるのよ、意味分かる？』

『？』

『シンリは、私の…弐号機の意識を感じ取れるんでしょ？』

『うん』

『だから、弐号機の意識を感じながら戦うのよ。使徒と戦った時と同じように』

『…わかった』

　初号機が盾を構え、右手にソニックグレイブを持って、ビル群を足場に
　立体的な機動戦で攻撃を開始する。
　それぞれの攻撃は、アスカから見て、まぁ、新兵レベル程度の鋭さしか
　ないのだが、次々に弐号機の機動に迫り、少しずつアスカの表情が
　驚愕のモノに変わっていく。

　カン、カン、カン、カン

　アスカが放ったハンドガンの射撃を盾で防ぎつつ、そのまま距離を詰めて
　ソニックグレイブが凪ぎ払われると、兵装ビルごと弐号機がそれまで居た
　位置を両断する。

『なるほど、こりゃ手強いわね、フェイントも効かない、ハメようとしても
　意図が読まれて回避される、新兵程度の動きなのに私の動きを
　捉えるなんて、データを閲覧したって、やっぱ、体験しなくちゃ、
　信じられないわよね』

　間断なく行われる攻防の中、アスカは笑みすら浮かべて、
　状況を冷静に評価する。

　初号機の動きは自分達と大差がないのに、弐号機とほぼ互角の
　戦いをしている様に、他のチルドレン達は瞬きすら忘れて、
　やり取りを注視し続けている。

　パパパパパパパパ、パパパパパパパパパ

　パレットガンの連射で少しずつ距離を空けたアスカが喜びに
　声を震わせながら、シンリに話しかける。

『使徒戦を生き残ったのはシンリの実力だった、と認める。
　…これだけの動きを見せてくれたお礼に私の本気を見せるわ』

　それまで何も語らず、意識の半分を別の方向に集中していた感のあったシンリが
　不安と喜びが混じった表情でモニター上のアスカを見た。

『…アスカって優しいね』

　シンリの一言で、モニター上のアスカが「ぽんっ」と音を立てて、顔を赤くした。

『だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、それ以上、言っちゃ駄目！！！』

　一瞬の操作で秘匿通信に切り替えたモニターでアスカが小声で問いかける。

『シンリ！　わ、私の意識、どこまで知ったのよ！　言いなさい！』

　口早に話しかけるアスカにシンリは透き通った笑みで答える。

『えっと、不安、喜び、期待、心配…って感じだと思う。
　その…アスカの…ね、意識がボクを包み込んでポカポカ気持ちが良くて…』

『そこまででいい！　それ以上、言わなくていい！
　…もぅ、ほとんどバレバレってことじゃない…』

『あの、アスカ？』

「会話はこれで終わり！
　…全神経を集中して生き残って。
　私の全力連携攻撃を防ぎ切ったのは、加持さんとミサトだけ！
　耐えてSランクの実力があることを見せてちょうだい！』

　斬

　右手にソニックグレイブを無造作に構えた瞬間、一瞬にして音速の壁を超え、
　斬りこみ、慣性をエヴァの怪力でねじ伏せ、間を置かずに切り上げ、
　初号機が辛うじて後退し身を守るために構えていた盾の両端を両断。
　斬り飛ばされた盾が宙を舞う。

　蹴

　距離が僅かに離れた初号機に体裁きで近づき腹部に蹴りを放ち、
　ガードにまわした盾ごと初号機を上空へ蹴りあげる。
　残像を残して機動する弐号機の動きがあまりにも早いせいで、
　まだ、斬り飛ばされた盾は落下を開始したばかりである。

　射

　蹴りあげた脚を降ろすのと同時に肩のウェポンラックから６発の
　単分子合金製の錐を撃ちだし、上半身を盾ごと貫くが、
　僅かに身を捻って初号機は致命傷だけはなんとか避ける。
　錐を撃ちだしたカートリッジが強制排出されて、拘束具の破片と共に
　次々を落ち始める。だが、普通に落下するそれらがまるで、
　スローモーションのように見えるほど、弐号機の動きは常識を超えて
　加速を続ける。

　貫

　ソニックグレイブが大気を切り裂いて振り上げられるが初号機は
　増設バッテリを貫かれながらも、ソニックグレイブ自体に蹴りを
　いれることで、辛うじて串刺しを免れる。
　大気に生まれた真空波が周囲を破壊し、ビルが倒壊を始める。

　落

　避けて体勢が崩れた初号機を回し蹴りが地面に叩き落とし、
　受身を取れずに装甲強化された地面にめり込み、衝撃に耐えきれずに
　いたるところの拘束具が割れ破片が飛び散って、傷ついた初号機から
　体液が飛び散り、周囲を赤く染める。

　潰

　叩きつけられた衝撃から立ち直れない初号機の顔面に全力の体重移動から
　拳打が叩きこまれ…僅かに顔を捻った初号機の顔部拘束具をえぐりとった。

　ゴン、ゴローン、ゴゴォォォォン

　今まで落下することを遠慮していたのか、と誤解するほどの
　刹那の時間の後で、斬り飛ばされていた盾や、薬莢、破片等が地に落ちて
　轟音のハーモニーを奏でた。

『…防いだ…私の攻撃が終わっても生きてる…はは…』

　初号機の目から光が失われていないのを見て、本人も意識しないうちに
　ポツリ、ポツリ、と言葉が漏れる。

『…はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…』

　辛うじて致命的な攻撃を全て回避したものの、身動きできないほどに疲弊した
　シンリが肩で息をしている。

『…今日はシンリと私が互角に戦えるとわかっただけで十分よ。
　エントリーを解除して、後は私達の訓練を見学してて』

　他のチルドレンと比べて、相手の意思を捉える、ということを行うせいか、シンリの
　シンクロ可能時間は、かなり短い。　アスカは僅か数分のやり取りでシンリが極度の
　疲労に陥っていることを見切っていた。

『…う…ん…』

　シンリが辛うじて答え、仮想空間から初号機の姿が消えたのを確認すると、
　アスカは、常識を超えた超絶機動を見てしまったショックから抜けきれない
　チルドレン達を見て、笑顔のまま、なんでもないことのように訓練の再開を告げる。

『さ、これで互いの実力はだいたい分かったと思うわ。
　幸い、現実世界の訓練と違って、何度、エヴァが破壊されようが復活できる。
　怪我を心配して手加減する必要も、訓練だからって攻撃を寸止めする必要もない。
　ふっ、ふっ、ふっ、遠慮はいらないわよ♪
　エヴァに乗ってれば体格差も性別差も関係ないんだから』

　舌舐めずりしそうな雰囲気のまま、笑って残ったチルドレン達に攻撃を促す。

『…洒落にならんで…』

『凄い、凄い、凄い、凄い、惣流のあの無駄のない動き、常識を超えた速度、
　同じ人間とは思えないよ…』

『弐号機の赤は血の色だったんだねぇ』

　トウジ達が好き勝手なことを言っているのを、額に青筋を浮かべながらも
　なんとか笑顔を崩さずにアスカは耐えた。

『…葛城一尉に似てる…』

　しかし、ポツリ、とレイが呟いたのを聞いて、アスカが笑顔で凍りついたまま、
　ギギギギギと音を立てて、零号機のほうに向き直る。

『ファースト』

　地獄の底から聞こえてきたかのような猫撫声で語りかける。

『…何？』

　表情を変えずに返答できたのは、アスカの反応が意図したものと
　違ったゆえにか？　レイとしては褒めたつもりだったらしいのだが。

『気が変わったわ…もう、遠慮なんてやめ、やめ。
　あんたたち、全員でかかってきなさい！
　リツコ！　こいつらのエヴァが撃破されたら、すぐに再エントリーを
　行ってちょうだい！』

「わ、わかったわ、でも…」

『疲労限界を超える前に訓練は中止する！　でしょ！』

「わかってればいいのよ」

　なぜか、リツコは、暴走状態のミサトのことを思いだして気圧されていた。
　YES以外の言葉は発してはいけない、そう理性が警告を発する。

『さぁ！　戦闘開始！』

『戦闘やなくて訓練や、ごあっ！！！』

　トウジの乗る量産型エヴァの顔面をソニックグレイブが貫き、死のダンスが始まった。

『鈴原トウジ、量産型エヴァTYPE１、D１００。
　精神安定性、まだ許容範囲です。システム、再起動します』

　オペレーターの無慈悲な声が聞こえ、トウジは再び仮想空間に引きずり出される。
　安全装置のおかげで、即死レベルの衝撃を受けても、機体を再エントリーすれば
　何もなかったことになる、という生き地獄。

「先輩、この訓練が必要なことは理解はしていますし、自分の仕事はします。
　でも、納得はできません」

　仮想空間で殺されるたびに、機体を復元され戻されるチルドレン達の
　ゾンビのように生気のない表情をみて、マヤが震える声で上申する。

「…マヤ」

「…な、なんですか？」

　疲れた声で答えるリツコの雰囲気にマヤは蛇に睨まれた蛙のように身動き
　できないままに応える。

「博愛主義は辛いわよ。あなたも、踏んだときにわかるわ。
　野獣の尻尾を踏んでしまった者に相応しい末路がどんなものか」

　リツコがジト目で横でコソコソと逃げ出そうとしているミサトに過去の怨念を込めて
　言葉を叩きつける。

「…野…野獣…？」

　マヤはヘラヘラと愛想笑いをするミサトと、冷えたジト目で見るリツコを交互に見て
　首を傾げた。

　モニターでは、相変わらず、返り血を浴びて体を血で赤く染めた弐号機の
　一方的な惨殺が続いている。
　結局、彼らは心身疲労でドクターストップがかけられるまで、開放されることは
　なかったらしい。





　アスカとのシミュレーション戦闘訓練が終わった後、シンリはレイを誘ったのだが、
　疲れた表情で先に帰宅したい、と言われたので、今は一人だけで歩いている。
　トウジ、ケンスケ、カヲルの３人は訓練が終わった後、奇妙な連帯感をもって、
　近寄りがたい雰囲気を出していたので、声をかけるのは遠慮することにした。
　エントリー解除をした後、精神的な疲労が酷かったのか、意識を失ってしまい、
　実は、シンリはその後の”訓練”風景は見学していなかった。

　　進路相談だけど、やっぱり、お父さんと、リツコさんにも相談しよう、と思う。
　　やっぱりいずれリツコさんはボクの保護者になるわけだし。

　　そこまで考えたら、ちょっと頬が緩んで自然と笑顔になっていた。
　　そんなわけで、今日はこれからリツコさん、お父さんと相談。

　コン、コン

「開いているわ」

「お邪魔します、リツコさん」

「いらっしゃい」

　紅茶を煎れて、しばらく雑談をした後に、リツコがふっ、と
　思い出したように問い掛けた。

「ところでシンリくん、何か用事があったんじゃない？」

「あ、はい。あの、進路相談が来月、あるんです」

「もうそんな時期なのね」

　シンリが差し出した保護者への通達書類をざっと見てみる。

「それで、学校にはミサトさんに来て貰うんですけど、リツコさんと
　父さんにも相談しておいたほうがいい、と思ったんです」

「シンリくんは何になりたいとか、希望はあるの？」

　リツコの問いに、静かに目を閉じて考え込む。
　心の声に耳を傾けるのは、時折、シンリが行う仕草の一つ。

「…よくわかりません」

「やりたいことがないのかしら？　それとも在り過ぎて困る？」

「…イメージが湧かないんです…」

　リツコは静かに続き話すように促す。

「…大人になった自分…もっと近い意味で言えば、
　成長した自分…」

　シンリの言葉に、リツコは慎重に言葉を選んで話し始めた。

「それは難しい問題ね。ゆっくり心に問い掛けるしかないと思うわ。
…ただ、職業、という意味なら、その問題に触れなくても
　考えられるはずよ…どうかしら？」

「職業？」

「そう」

「考えてみます。あと一ヶ月はありますし。
　…ところでリツコさん、お父さんがどこにいるか知りません？
　上に行ったんですけど、いなかったんです」

「今、奥の部屋にいるから、会っていけば？」

「はい」

　シンリが素直に頷いて、奥の部屋へ行くのをリツコはごく自然に
　見送った。表情を見られないように注意しながら。



　様々な機器が置かれている奥の小部屋。
　室内から淡い室内灯の明かりが洩れているが、機械のファンの音
　だけが聞こえるだけで、辺りはとても静かである。

「あの、お父さん、進路…！？」

　狭い室内には、手前にベットがあって、男の人が腰掛けている。
　大きな身体、髭に覆われた顔はお父さんのはずなんだけど…。

　　思ってたより厚い胸板。

　　引き締まった腹筋。

　　逞しい腕。

　俯いて、膝の上で手を組んで下を見ているせいで表情は見えない。
　普段の周囲の空気を張り詰めさせる独特の雰囲気は、今はない。
　贅肉のない無駄が殺ぎ落とされた引き締まった肉体。

　…えっと…あの…どうして…どうして、裸なの？

　物音に気がついてゆっくりと顔を上げるのを見て、弾かれたように
　部屋の外に飛び出した。

　　どっくん、どっくん、どっくん

　…自分の心臓の音だけしか聞こえない。
　意味もなく、床を見るけど、さっき見た室内の光景が頭から離れない。

「あら、シンリくん、用事は済んだの？」

　リツコさんがボクのほうを見て、不思議そうな顔をしている。

「あ、そ・・えっと…あ、後にします、お邪魔しました」

　ボクはリツコさんの返事を待たずに外に飛び出した。
　気がついたら、家の前にいたけど、途中、どんな道を
　通って来たのか全然、記憶に残ってなかった。





　首筋まで真っ赤になったシンリが飛び出して行くのを笑顔で
　見送ってから、リツコは奥の部屋へと入っていった。

「ゲンドウさん、気分はいかがですか？」

「…問題ない。特に痛むところもない」

　リツコはゲンドウが自分を認識したのを確認しながら、いつもより
　若干、遅めに会話を進める。

「先ほど、スキャンしてみましたが、全身の打撲、骨折については
　ほぼ完治しています。ただ、医療ポッドを使った影響で、二週間
　程度は、怠さが残るかもしれません」

「…そうか」

　レイの意識に弾き飛ばされ、全身打撲を負っていたゲンドウだったが
　対外的には、極薄のギブスで身体を固定することで、見た目だけは
　健康的に見せて、業務を前倒しに行い、シンリが火傷の治療で入院
　していた時期に重なるように、自身も医療ポッドで治療を受けていたのだ。
　この件はＮＥＲＶ内でも極秘とされ、リツコ以外にこのことを知るのは、
　冬月だけであり、治療もリツコの研究室を使うことで、
　外部にその情報が漏れる事を極力、避けるように配慮されていた。

　リツコは、落ちていた進路相談の書類を拾うと、ゲンドウに差し出した。

「…これは？」

「シンリくんが持ってきた書類です」

「…なぜ、この部屋の床に落ちていた？」

「あら、シンリくんとお話されなかったんですか？
　先ほど、ここに来たんですけど」

　新陳代謝を加速した治療の影響で、医療ポッドから出てしばらくの間は、
　意識が混濁した状態になってしまう。だから、もちろん、ゲンドウは
　”先ほど”と言われても、まったく記憶になかった。

「…」

「首筋まで真っ赤にしてシンリくん、飛び出して行ったんですけど、
　そんなに驚くような事って、何があったんでしょうね？」

　くすっ、と微笑むリツコを見て、ゲンドウの頭が急速に回転を始める。
　彼の目には、一瞬、リツコが尻尾を生やしているように見えた。

学校でのイベント「進路相談」の前振りが終わりました。
あと、アスカの同僚の実力把握のための行動も終了。
途中から、手段と目的が摩り替わっちゃいましたけど。（笑）

トウジ、ケンスケ、カヲルも連帯感が強まったようで、良かった、良かった。

　ぱっ、こーん

「痛たた…なんだ、３人組の男の子達、どしたの？」

「どしたのじゃない、どないしてくれんのや！？
　今回だけで、わいは頭、かち割られて、首筋から真っ二つにされて
　心臓、鷲掴みにされたんやで…ほんま、死んじまうかと思ったで」

「トウジも酷かったけど、俺だって似たようなもんさ。
　身体を引きちぎられたり、３枚おろしにされたり、手足をバラバラに
　されたんだぜ、俺なんて」

「ふっ、僕なんか首ちょんぱさ。
　ころころ、転がる頭を、音速を超えて降ろされた脚に潰されるのを
　最後の瞬間まで見させられたのは、できれば遠慮したかったね」

　３人の少年達は、口々に訓練の時の経験を語り、相手の発言を
　聞いては、それに同情し、暑苦しいまでの態度で友情を確認している。

「あれは、鬼や、鬼」

「いや、どっちかと言うと修羅ってほうが正解だと思うな。
　まさに殺し合いのために生まれてきた、って思えるくらい
　すっごい戦闘技術だっただろ？　な？　な？」

「イメージは死を運ぶ戦乙女ってところなんだがねぇ〜。
　笑顔のまま、ターゲットを殲滅するところをシンリくんは見なかった
　ようだが、残念だよ」

「へぇ、シンリは見てなかったんだ？」

「そや。あんな残酷なシーンは見なくて正解や。
　わいだって、忘れられるなら忘れたいんやで」

「俺、今晩、夢に見そうだよ」

「夢、それは希望と同義の言葉、と認識したのは誤りだったかもしれない」

「己の屍を超えて希望を掴み取る、いい経験じゃない」

「あんな経験、しとうなかったわ…ってぇぇぇぇ、惣流、いつから
　いたんやぁぁぁぁぁぁ！」

「”鬼”、”修羅”、”戦乙女”ってところから」

　アスカが笑顔のまま、パチンッと指を鳴らす。

　ガシッ、ガシッ、ガシッ

　黒服の男達がいつのまにか現れ、３人をズルズルと引き摺り、
　エントリープラグに放り込む。なぜか、リツコがシミュレーションの
　指揮までしている。

「リツコはん、なぜや、なぜなんや！？」

「…人は誰もが我が身が可愛いものなのよ」

　普段、見たことがない疲れた笑みを見せるリツコ。

「そうです先輩。科学の進歩のためには多少の犠牲は憑物」

　…マヤちゃん、字が間違ってるって。

「つきもの→付き物ってことで、…御免なさいね」

　ぽちっ、と妖しげな赤いボタンを押す。

「…また第三新東京市や」

「俺、写真が撮りたいな、弐号機の動きは絵になるよ、な。…はははははは」

「わかっているのに避けられない…これが恐怖なのかい、シンリくん」

　絶望の気持ちを視線だけで確かめ合う３人の前に赤い魔神が降臨する。

「さ、戦闘開始♪」

「だから、戦闘やないって、うがぁ！」

　双剣で瞬時に分断され、トウジのエヴァが四散したのを合図に
　再び、地獄が現れた。