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全天を覆い尽くす極色彩のオーロラ、吹き荒れるブリザード。
２０世紀最後の年に起きたセカンドインパクト。
葛城調査隊の唯一の生き残り、１４歳の少女。
服が傷ついていないにも関わらず胸についた深い傷。
まるで槍に貫かれたかのような痕…体組織の一定量が
壊死する、という不可解なモノ…。
「…お父…さん…」
最後に見たのは救命カプセルのハッチを閉めようとする
父が見せた微かな笑みだけ。
…父は何も答えず、ハッチを閉めた。
自ら傷ついていながら、ミサトを抱え運んだ葛城博士。
その姿がカプセルに被さるように倒れこんだ時、ソレは咆哮をあげた。
直立し広げた光の翼は２対４枚。半ばエネルギー体と化した
ソレが立ち上がった姿は、成層圏を貫くほど巨大。
…だがソレはその身が持つ力のほとんどを内側に向けて放ち、
ほんの少しだけ力を周囲に漏らして、この世界から去った。
地軸を揺るがし、南極を蒸発させ、世界中の大気を打ち震わせ、
高さ数キロに及ぶ絶望的な津波で海に面した地域を全て消した出来事。
…セカンドインパクトと呼ばれる事件だった。
揺れが我慢できる程度に収まり、外を覗いてみた時に、ソレが
この世界から消え行く姿が見えた。
空を貫く強大な光の巨人。…しかし、その時のことを
思い出してみても、不思議と、その姿自体は憎しみの感情を
引き起こすことはなかった。
ミサトは鏡に映った自分の身体…心臓を貫くように残っている
あの時に受けた傷跡を見て、表情を引き締める。
ピカッ ゴロゴロゴロ
救出された後に受けた有形、無形の様々な仕打ち。
傷跡を見ることでそれを思い出し、心の奥底に暗い火が
燈るのを自覚し、思わず自嘲気味に笑う。
急に降り始めた猛烈な雨と雷の轟音。
それはまるでミサトの心を表しているかのようだった。
＊
突然降り始めた土砂降りの雨。
ケンスケとトウジが持っていた折り畳み式の傘など
何の役にも立たないと判った時点で、最寄の葛城家で
勢いが収まるのを待つことにしたのである。
「すまんな、碇、雨宿りさせてもろーて」
髪に沢山の水滴を纏わり付かせたトウジが床が
濡れるのを気にしながら詫びる。
「ん、気にしないで」
一緒に帰宅したシンリはといえば、防水加工のついた服や帽子の
おかげで、ほとんど濡れてない。歩く時の僅かな振れで水滴がどんどん
流れ落ちたため、本当に豪雨の中を歩いてきたのか疑問に
思うほどである。
「ミサトさんは？」
ケンスケもやはりトウジと同様の濡鼠状態である。
「多分、まだ寝てると思う。このところ、いつも徹夜明けで忙しいから」
「あぁ、大変な仕事やからなぁ」
「ミサトさんを起こさないように静かにしてようぜ」
シィィィィィ
二人して口に指を当ててジェスチャーをする姿はどこか芝居掛かってる。
シャッ
「お帰りシンリっっってぇ、あんた達、何でいるのよ！」
脱衣所のカーテンから覗き込むように笑顔で迎えたアスカだが、
怪奇濡鼠男２人の姿を見て、なんともいえないイヤそうな
表情を浮かべる。
「なにって雨宿り」
「おう」
ひょこん
「碇くん、お帰りなさい」
脱衣所のカーテンから頭だけ出していたアスカの上から
レイも頭を出すと、なにより先に出迎えの言葉を口にする。
「ただいま、綾波さん」
シンリの返事に、レイは控えめに笑みを浮かべた。
自然とトウジとケンスケも会話相手のほうに視線が向くが
下のアスカにしてみれば、男２人が脱衣所のほうを
全身ずぶ濡れ状態の姿で見る態度は、容認できる
限度を越えていたらしい。
「…着替えてんだから、見たらコロスわよ！」
目を細めてトウジ達を睨むが、上にいるレイの表情が
緊張感を思いっきり薄めているのに気がついては
いないようだ。
「誰がそないなもん見たいなんてゆーか！」
「自意識過剰な奴」
雨に濡れて寒い〜としか考えていなかった二人は露骨に
顔を顰めて、辛辣な言葉で応酬する。
「なにを見るの？」
ぽつり、と紡がれたレイの疑問。
シャッ
脱衣所のカーテンを締め切ると、ちょっとだけ声を
顰めて、いつものようにアスカの講義が始まった。
「何をって、私のナイスバディに決まってんじゃない！」
「…なぜ？ 水着の時と大差はないわ」
「…そーいう問題じゃなくてぇ」
「どういう問題？」
どんどん小声で話をしていくアスカとレイ。
カーテンの向こうで何が話し合われているのかは大きな謎だが
あいにく、キッチンにいる者にはその内容はわからない。
「はい、これで拭いてね」
パタパタと廊下を歩いてきたシンリが二人に大きめの
バスタオルを手渡した。
「済まんのぉ、あ、こら、ケンスケ、そないに
引っ張るんやない！」
「早い者勝ちさ！」
ワシャ、ワシャ
あいにく２枚はなかったのでその分を補うように
大きなものを準備したのに、濡れた体から水気を取るのは
やはり気持ちがいいらしい。
トウジとケンスケは争うように自分の身体を拭き、
手が届きにくい背中などは互いにゴシゴシととにかく
手早く拭いていった。
その争いにも似た喧騒を眺めていたシンリは
拭くためのタオルの追加はいらない、とわかると
パタパタとスリッパの音を立てながら、廊下の
奥へと去っていった。
濡れてないのだからその騒動に加わる必要など
ないのは確かなのだが、トウジは一人、自室に
手荷物を置きに戻るシンリの姿に、なぜか
寂しさのような雰囲気を感じた。
「そういえば碇がこないにしてるの見たことないな」
自分達が一緒に使っていたバスタオルを掴んで見せ、
視線で脱衣所のほうを向き、中でなんだかんだ、と
レイの世話焼きに忙しいアスカの賑やかな雰囲気を示す。
「…男同士、女同士って訳にはいかないからね」
ケンスケもやはりそれを感じ取っていたのか、
言葉を選んで、手短に思いを伝える。
「中性なら伊瀬だってそーやな −」
クラスにいる一人の名を口にする。
シンリと同じもう一人の中性の子…けれど、トウジも
思い出したが、外見はまったく普通の女生徒と変わらない。
むしろ綺麗なほうに入るくらいだ。
本人も、自分は女の子だから、と公言しているくらいで
トウジも知識としての記憶と、普段、目にする姿のズレを
自覚して、言葉が途中で途切れた。
「ひと括りにできる話じゃない…だろ。
…あ、ミサトさん、お邪魔してます」
いつのまにか脱衣所の中の話し声が消えていたのに気がついた
ケンスケは、視界に入ってきたミサトの姿を見て、思考を
フル回転させると、無難に場を取り繕った。
「あら、二人ともいらっしゃい」
「アスカ、レイ、今夜はハーモニクステストがあるから
遅れないようにね」
「はあーい」「はい」
「シンちゃんもいいわね」
「はい」
制服をピシッと着たミサトは、波が引くように騒々しい雰囲気が
消えていったリビングの空気に気付かなかったかのように、
にこやかに挨拶をすると、ぽんぽんと背中を押すように
子供達に声をかけていって場が動くように仕向ける。
手袋と帽子、それにジャケットを脱いできたシンリが戻ってきて
俄かにリビングの人口密度が上がった。
「ん！？ あぁぁぁぁぁ、こ、この度はご昇進おめでとうございます」
やはりいつもの観察眼の為せる技だろうか。
ミサトの襟元を飾る章の微妙な差異に気付いたケンスケが
少しオーバー気味に背筋を伸ばして模範のような礼をしてみせる。
「お、おめでとうございます」
友人の突然の態度に慌ててトウジも礼をする。
シンリはそんな男の子達の勢いにちょっと後ろに下がり、
ミサトも不意打ちと大仰な態度に表情が笑顔のまま固まった。
「あ、ありがと」
「いえ！ どう致しまして」
ケンスケに向けたミサトの口調にもちょっとだけ慌てた
雰囲気が混ざっているが、それに対してもやはりどこか
作ったような態度でキッチリと返答を返した。
「じゃ、行ってくるわね」
「「「「「行ってらっしゃい」」」」」
「あの、どうしたの？ ミサトさん。昇進って？」
ミサトが外出した後、最初に疑問を口にしたのはシンリだった。
脱衣所から着替え終わったレイとアスカも出てくるがやはり、
表情は疑問で一杯。この場で訳知り顔でいるのはケンスケだけ。
トウジも、ケンスケを見て答えが明かされるのを待った。
「ミサトさんの襟章だよ。線が二本になってる。
一尉から三佐に昇進したんだ」
「知らなかったね」
「（こくん。）」
「あのミサトがねぇ…」
３者３様のコメントで葛城家の子供達はミサトから
知らされていないことを明らかにした。
「マジで言うとるんけ。情けないやっちゃな」
「あぁ、君達には人を思いやる気持ちはないんだろうか。
あの若さで中学生３人を預かるなんてそりゃー大変なことだぞ」
「ワシらだけやなぁ、人の心を持っとるのは」
２人はシンリ達のほうに、表情を普段の１５０％増しぐらいに
変化させながら落胆と嘆息の態度をして見せた。
それは、まるで観客の反応を見ながら即興で芸を
繰り出す漫才コンビのよう。
「はん！ アンタだって最初は気付かなかった癖に
偉そーなこと、言ってんじゃないわよ！」
「（ぐぇ）」
「しっかりしろトウジ！ 傷は深いぞ！」
お約束のようにトウジに対してアスカが凸ピン攻撃で
突込みを入れると、仰け反ったトウジを労るように
…でも、露骨にポーズと判る態度で、ケンスケが
漫才にオチをつけた。
「…でも、ミサトなら、昇進して給料が増えたなら
真っ先にそのこと、自慢しそーなのに変ね」
昔はともかく、同居するようになってからのミサトはといえば
できるだけ自分のことで話せることは子供達に、自分から
率先して伝えていた。
仕事の不満とか、同僚達の態度だとか、感じたこと、思っていることを
それはもう、ぱ〜っ、と気前良く。
聞いたときの子供達の反応を半ば愉しんでいるようにすら見える。
それだけに確かに不思議だった。
「…もしかしてミサトさん、ボク達に遠慮してるのかも」
アスカの問いにシンリが考えをポツリ、と呟いた。
「…遠慮？」
レイの言葉に、子供たちの疑問を含んだ視線がシンリに集まる。
葛城ミサトの豪放とも言える普段の印象からすると、やはり
違和感を感じる単語だったらしい。
「ほら…子供を前線で戦わせるなんて大人失格よね、って
前に言ってたから。
…だからミサトさん、素直に喜べなかった…。
多分、そうだと思う」
変な状況、いま知っている情報と、ミサトの性格、そういった
ものから最も違和感のない結論へと進む思索。
特に強く主張しているわけではないが、シンリが自分の考えが
上手く説明がつくことを自覚していることも説得力を増すことに繋がり、
聞いている子供達もまるでそれが真実であるかのように感じていった。
「…なるほど。
くぅぅぅぅぅぅ、やっぱ、ミサトさんて素敵だよなぁ〜」
「あぁ、ミサトさん♪」
２人の少年は日頃の憬れの想いが後押ししたのか、先ほどの
ミサトの「昇進」絡みの淡白な態度も、好意的に解釈して
自分達の中でのミサトの株価をぐーんと引き上げた。
「…あのミサトがねぇ〜」
口調こそ疑問を含んでいるようにも見えるが、アスカにしても
同居しているミサトがなんだかんだと気を使ってくれていること
ぐらいは、口にはしないが知ってはいるので、その結論を
妥当なモノとして受け入れたらしい。
「よし！ オレに名案がある！ みんな、聞いてくれ」
ケンスケはオーバーな態度で全員の注目を集めると、自分の計画を
語り始めた。どーも、こういう企画モノとなると、がぜん
やる気がでてくるらしかった。
＊
最近、訪問者が増えてきたリツコの個室。
今日もミサトはコーヒーを飲むためにここに立ち寄っていた。
「今度、ちょっち零号機を使って実験したいんだけど」
「やりたいなら正規ルートで依頼すればいいじゃない」
「それがねぇ、荒唐無稽な話かもしんないから、とりあえず、
申請する前に相談して置こうと思ってね」
「…それで今度は何がしたいのかしら？」
「ほら、前回、マトリエルが恒常展開されたＡ．Ｔ．フィールドの
領域を広げていたじゃない。体表じゃなくて足の先までの空間全部に。
あれを零号機にやらせてみたいのよ。
多分、感覚的には、仙道でいうところの”大周天”みたいに
意識を広げていけばできるかなぁ、って思うのよね」
「…意識を広げる…？」
仙道等は専門外であるためミサトの言葉がすぐにはわからずＭＡＧＩに
情報検索を指示し、関連情報を複数のモニターに表示し、斜め読みをして
その内容を頭に叩き込みだす。
「エヴァの最強装備である”エンジェルバスター”だけど、地上で
地球引力圏脱出速度で弾を撃つせいで、周り中が更地になっちゃうじゃない。
だから、せっかく強い武器なのに、今のままじゃ使えないのよね。
それを防ぐ手段として考えられるのは今のところ、エヴァのＡ．Ｔ．フィールドだけ。
それも外部展開するんじゃなくて、前回のマトリエルみたいに街中を
恒常展開フィールドで覆う…それなら衝撃波で街が壊れることもないわ」
「…」
ミサトの言うことはわかる。
作戦面だけでいえば、確かにそういう結論になるとも思う。
だが、リツコは目の前に表示された”大周天”という言葉が示す内容が
語る意味を零号機…そしてレイに当てはめて、一瞬、思考が停止した。
「リツコがいう３人のシンクロパターンの違いを考慮すると、
自分の身体保存に有利に物理法則を歪める恒常展開型Ａ．Ｔ．フィールドで
周囲まで守るには、”同化”の特性があるレイが最適でしょ。
確かに射撃武器だからレイが使うのが有利に思えるけど、そもそも最大火力で
撃つ際の反動に耐えられるのは高シンクロ率時の弐号機だけ。
シンちゃんがタイミングを捉え、アスカがエンジェルバスターを撃ち、
レイが周囲を護る…これがベストだと思うの。
でね、そもそもそんなことが可能なのかなぁ、というところで
リツコの考えを伺っておきたいわけ。
…ねぇ、聞いてる？」
「…え、えぇ、もちろん」
大周天とは、意識を周囲と一体化させることで世界と自分を
同一化させる、という仙道におけるそれなりに高度な技である。
確かにエヴァ零号機が周囲の空間をも”自分自身”として認識すれば
その意志の影響下に置かれた場所も、零号機が放った弾丸の如く、
恒常展開されたＡ．Ｔ．フィールドの影響を受ける…。
それは予想できる。
けれどもう一つの可能性がある。
レイが「もう一人の私」と呼ぶ存在。それが周囲と自分を「同化」させたら？
人間の哀れで小さな自我、自己の存在を保つ認識など一瞬で消えるかもしれない。
物理現象すら曲げる強過ぎる意志。その前には人の心など塵以下の強さしかない。
人間はどれだけ努力しようと人間である限り、意志力で世界に干渉することは
可能でも、世界を従えることなどできないのだ。
レイにとって、「同化」のシンクロとはすなわち、零号機、レイ、「もう一人の私」、
この３者が同じ想いを共有することをも意味する。
誰の意志が最終的に反映するのか、で全てが決まる。
それに広がり始めた意識がちゃんと制御されて止まるだろうか。
…シンリの他の使徒、エヴァを認識する距離は別の世界にすら達するのだ。
地球全域にまで広がる、という想像すら杞憂と笑える話ではない。
「…リツコ！？」
「あ、そ、そうね。でも、危険だわ。
ミサトの案だと、恒常展開フィールド内に人々が巻き込まれることになる。
…鈴原くんや相田くんはチルドレンとしての特性があったからともかく、
一般人でそれを試した記録はないのよ。
それに広げた場合、体表に展開されるときよりも影響力が強いかもしれない。
…リスクが大き過ぎるわ」
実際には一般人…死刑囚を使った試験結果もＭＡＧＩの中に記録されている。
よくて発狂、悪ければ身体を構成する細胞全てが同時に自己崩壊を起こして、
一瞬でＬＣＬ化するという信じられないような現象を起こした…とある。
リツコも自分の目でソレを見たわけではないが、データは捏造されたもので
ないことはわかっていた。
「それでもやりたいの。私が聞きたいのは出来る可能性があるのか。
もし可能性があるなら、それを実現する手段は何があるのか、よ」
碇司令、冬月副司令は今、ここにはいない。
だから現時点では、ミサトが最高責任者、私はそれを補佐する立場でもある。
使徒迎撃…前回のマトリエル戦を考えると、確かに常時、スナイパー
ポジトロンライフル、グングニルの槍、エンジェルバスターといった
人類の持つ最高火力を使える状態にしておきたい、というのはわかる。
危険だから、と実行を延期できるのならブラックボックスの塊である
エヴァなど運用するはずもない。
人類は、既に危険な橋は渡り続けているのだ。
…実現するための方法を考える。
それが私に求められていること…。
「…可能性はある。ただ、暴走の可能性もあるわ。
それと、拡大していく零号機の意志に巻き込まれて人々が
自我を保てない可能性もある。
最悪の場合、初号機、弐号機による零号機の強制活動停止を
ミサトが選択肢として考えるのなら…実験する方向で技術部を動かすわ。
今、言った意味を考えた上で…判断してちょうだい。
私には今、そこまで無理をする必要があるのかわからないから」
「…実験準備を進めてちょうだい。
今、第三新東京市の戦闘能力はほぼゼロ。
エヴァ３機の武装も半減、大火力兵器ですぐに使えるのは
エンジェルバスターだけ。でも撃ったらココが余波で壊滅するから
実際には、使いたくても使えない。
手駒がなくちゃ作戦の立案をしようがないわ。
もちろん、ある分で我慢するしかないけど、僅かでも増やせるなら
…試してみるしかないのよ」
「…いいのね？」
「現在の責任者は私よ。使徒迎撃は私の仕事だから…。
できることはできるだけやっておきたいのよ」
「その判断、私怨は含んでいないと誓える？」
静かな視線がミサトの目を射抜いた。
「…葛城家の家長の名にかけて誓うわ」
何にかけて誓うのか。ミサトが思案した末で選んだのは
ＮＥＲＶ作戦部長としてではなく、小さな家族の長としての立場。
でも、それがもっとも自分の心情を表しているように思えたから。
「いいわ。ミサトのわがままに付合いましょう」
もし、ミサトが僅かでも、過去に囚われて判断を鈍らせているなら、
後で処分されようと、ただでさえ危険な試験を行うつもりはなかった。
しかし、リツコが見たミサトの表情に迷いはなかった。
だから…リツコもまた覚悟を決めることにしたのである。
＊
シンリは、ＮＥＲＶに到着するとすぐにリツコの研究室へと
訪れてミサトの昇進祝いとして「焼き肉パーティ」を開くので
ぜひ、参加して欲しい…と誘った。
シンリが知る限り、ミサトの友人と言える人はこの都市では
リツコと加持だけだったから。
加持のほうは、アスカが誘いに行っている。
でも、リツコの表情は冴えない。
セカンドインパクト世代にとって、「肉」は嗜好品のＴＯＰクラスに
なっているはずなのに不可解な反応だった。
「ちゃんと、リツコさんが好きなレアな焼き方でも大丈夫なように
新鮮なお肉を買ってきますよ？」
リツコ曰く、血は味に彩りを加える調味料なのよ…なのだ。
好みは軽く炙っただけの血が滴るようなレア焼き。
だけど、当分、「血肉」は見たくなかった。
「言いにくいけど、この前の停電でエヴァの生体部品が
腐敗する騒ぎがあって…ちょっと今は肉は遠慮したいの」
心底、見たくない、という表情を露にするリツコ。
その言葉は正確ではないが、表した感情に偽りはない。
「…綾波さんに合わせて野菜は沢山、用意しますけど
それなら平気ですか？」
焼肉パーティで「焼肉」が嫌い、と言われたらやはりショックらしい。
それでも、妥協案を出して「参加」を求めるあたり、どーしても
リツコには来て欲しいようである。
「そうね、それならいいわ。悪いわね、気を使わせちゃって」
「いえ、参加してくれて嬉しいです。
あと、すみませんが日程調整、お願いします」
シンリはそう言って参加者リストを渡す。
リツコが参加するのが本当に嬉しいようで、ほっ、とした感じで
笑みを浮かべている。
「…ミサト、加持くん、私、それに子供達一同…あとナツミちゃんね？
シンリくん達には調整できない部分なんだから気にすることはないわ。
後で連絡、入れておくわね」
自分が行かないと、大人はミサトと加持の二人だけになる…。
そのリストを見て内心、リツコは苦笑していた。
なぜ自分の参加に拘ったのか謎が解けた気がしたから。
「はい」
その後、シンリは訓練があるから、と時間通りに席を離れた。
全員のスケジュールリストを表示し、もっとも影響が少ない
時間帯を選択して、その情報を通知する。
焼肉…
ミサトのように、思考と食欲が分離できるか試してみようと
自分の好きな軽く炙った焼肉を想像してみる。
「…駄目…ね」
喉元を込み上げて来る独特の感覚に思わず口元を抑え
とにかく思考を空っぽにして気を落ち着ける。
自分はもっと冷淡な人間ではなかったのか。
死体くらいセカンドインパクトの騒乱時に嫌になるほど
見たはずなのに…。
リツコはふと、机の上を見て、最近、手をつけていない
タバコの箱を目にして、気分が落ち着くのを感じた。
けほっ、けほっ、
「ご、ごめんなさい、リツコさん…」
３年前、シンリと同居していた時、タバコの煙に
咽て咳き込む姿を見て、禁煙したのを思い出したから。
分煙化が徹底している第ニ東京市出身であり、
周囲に喫煙者もいない、体が丈夫、という訳でもない
小学生にとっては、辛いモノだったらしい。
考えてみれば、ＮＥＲＶに入ってから煙草を覚えて、
禁煙していて平気なのはあの子といる時だけね…。
「…」
コーヒーメーカーからコップに出来立てのコーヒーを注いで
部屋の中に漂う香りに穏やかな笑みを浮かべる。
自分が煙草を吸う時は苛々している精神状態の時だけ。
サキエルが来襲してからの激務。
以前ならヘビースモーカー状態に陥っていたはず。
けれど、実際にはほとんど手をつけていない。
代わりに増えたのは、のんびりお茶を飲んで、子供達が
撮影してきた動物の写真を一緒に眺めて、マユミのペット
である子猫の遊びに付き合う、のんびりした時間。
それでいて作業効率は以前より格段に高い。
「私も変わった…のかしら？」
コーヒーを味わいながら何を着ていこうか考える自分に
気がついて、くすっ、と笑みを零した。
ＭＡＧＩにでも聞けば答えてくれるかもしれない。
シンリが来てからというもの、リツコが笑うことが
格段に増えた、という事実を。
さてさて、始まりました第１２話。
それにしても、この時点でここまで壊れている第三新東京市と
いうのも珍しいかもしれませんね。（＾＾；）
ミサトが頭を痛めるのも当然でしょう。
次回、さくっ、とレイ＆零号機による恒常展開型Ａ．Ｔ．フィールドの
広域化試験が行われることになりますので…お楽しみに♪
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