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心をできるだけ静かにして、そっと周囲に意識を広げる。
途中で姿を消して光学観測でも発見できないサハクィエル。
意識を集中するまでは不安だったけど、少し探しただけで
すぐに見つかった。
漕
今までの使徒の中で一番、大きな、とても大きな意志。
それは、星空で天頂の満月を見つけるくらい簡単だった。
…だったんだけど、何してるの？
団扇を仰いで船を進めようとでもするような感じ…？
気力も尽きて、横になりながら惰性でやってるような
変な気配。
眺
どう判断すればいいのか悩んでいるボクに気付いた途端に
それまでの気持ちをぽい、と捨てて、意識をぜんぶ、
ボクのほうに向けてくれた。
『サハクィエル出現！ 現在、太平洋上空高度１００ｋｍです』
とにかく、何回も落とされたサハクィエルから見れば汗の一滴程度の
破片で地表に大穴が空いてとっても困る、止めてほしい、という
ことだけを感じてもらおうと集中する。
視
…ボクが第三新東京市の上から心を触れ合わせている、って
認識してくれたみたいだけど、ボクのことがよく見えてないみたい。
大きな体全体で痛くなるほどの熱意で下を見ている…見る、というのが
正しいのか、あの大きく描かれてる目が「見るための目」なのかは
わからないけど、人なら「見る」というだろう行為に没頭してる。
拭
急に思いついたって感じの気配。
だけど、同時に伝わってきたイメージを見て、気分は真っ青。
ぱぁ〜っと欠片を落として地面に届く前にぽん、と破裂させて
邪魔なもの…空気を払っちゃおう、って感じだったから。
”駄目！！！ そんなことしないで！！！”
懸命になってとっても困る、って気持ちと、初号機とボクの
イメージを伝えて、見たい光景ならボクが代わりに見て
伝えるから、と、それだけを送った。
興
サハクィエルから比べれば小猫みたいに小さいのがエヴァ。
そしてエヴァと比較したら、羽虫くらいなのがボク。
…そんな小さな、小さな存在が自分のように意志を示してる、と
いうことが判ったのがよかったのかもしれない。
さっきまで考えてた「見る」って行為はすっかり頭から消し去って
ボクのことを知ろうという雰囲気は持ってくれたから。
…でも…興味は持ってくれたのは嬉しいけど…
なんだか凄く…疲れる…。
『どうしたの！ シンリくん、応答して！』
集中力が僅かに鈍った時に、ミサトさんの声を聞いた気がして、
意識を戻してみると、…ディスプレイにかなり厳しい表情の
ミサトさんが映ってた。
”えっと、…どうしたんですか？”
ボクの声に、発令所の皆がなぜか盛大に溜息をついた。
『サハクィエルの体表から例の欠片が数えたくなくなるほど
落ちてきそうになったと思ったら、シンちゃんが”駄目”って
叫んだじゃない！？ …何があったのか心配になったのよ』
今の映像はボクが見た時と同じだけど、再生してくれた少し前の姿は
冷えたペットボトルの表面についた水滴のように、いち、にぃ、沢山、って
感じに、一斉に滴り落ちようとしてたみたい。
…ミサトさんが慌てるのも無理ないと思う。
”その、とりあえず、もう、その気は無いみたいですから。”
『それでどんな奴？ …説得できそう？』
”こう…掴みどころがなくてどこにいくかわからなくて、
でもとっても大きくて…雲みたいなイメージ…ですね。
ボクに興味を持ってくれたから、なんとかなりそうです。
ただ、玩具売り場で目移りする子供みたいにかなり移り気で…”
そこまで言って、ボクはなぜかありありと、さっき興味を
持ったのと同じくらい呆気なく、別のことに気持ちを移して
すっかりボクのことをサハクィエルが忘れてたりして…。
…そんな未来をイメージしてしまった。
”あの、ミサトさん！ ボク、説得に戻りますから！”
まだ何か聞きたそうな感じだったけど、とにかく空にいる
サハクィエルに意識を戻す。できるだけ急いで。
和
今度は月のほうを眺めて、地球の陰に入って欠けていくのを観察してる…みたい。
嫌な予感の通り、ボクのことなんてすっかり意識から落ちてた。
ボクは自分のイメージを送って、待たせたことを謝る。
興
やっぱり、呆気なく意識を向けてくれたけど…
なんだか前途多難な感じで心が一杯になった。
＊
”…大丈夫そう…ね。”
零号機だけに向けた秘匿回線でレイに話し掛けた。
『…えぇ』
少しだけこちらに意識を向けて画面の向こうのレイがポツリ、と呟いた。
その視線はすぐ前に立つ初号機の様子を窺ってる。
限界近くまで張り詰めていた緊張を解して体から力を抜く。
…今回も大丈夫だった。
自分の心に刻むように口に出さずにその言葉をイメージする。
サンダルフォン戦の時から常にエヴァが３機同時に運用される理由。
シンリには黙ってなくちゃいけない、わたしとレイだけができる大切な任務。
…今回は大丈夫だった。
たった１文字しか違わない冷たい言葉。
それはシンリが直接、使徒と心を接することで得られる可能性とそのための対価。
今回の使徒はどちらかと言えば好感が持てそうな相手だから良かった。
でも、わたしは忘れない…忘れられない。
海上で死闘を演じた使徒ガギエル。
あの時、同時エントリーしていたことで感じた負の感情、恐怖、嫌悪…。
いつ、そうなってもおかしくない、それでも頼らなくてはならない現実。
初号機と常に零号機、弐号機が同時に出撃するのは最悪の事態に備えるため。
少なくとも、シンリがガギエル戦の記憶を自分から思い出すまでは
決して明かされることのない秘密。
…心が重かった。
＊
Ｐｉ，Ｐｉ，Ｐｉ
『２人とも聞いてちょうだい。
シンちゃんのさっきの話からすると交渉の余地はありそうだけど、
私達は失敗した場合に備えなくちゃいけない。
…リニアカタパルトで、地上ゲート直前地点までエンジェルバスター装備一式を
上げておくわ』
ミサトが私達だけに回線を開いて静かに作戦準備を告げる。
別のウィンドウに溶かされてしまったメインシャフトの次に大型の
リニアカタパルトの位置が表示された。
”…使うことも考えとけってこと？”
準備されている映像を見ると、試射時はライフルのような様相だったけど、
今度はベルト給弾仕様に変わっていて、機関銃のような雰囲気に変わっている。
液体酸素と液体装薬が入ったタンクもかなり大型化してる。
サイズは弐号機の海上輸送時につけてたウォータージェットと並ぶくらい…ね。
『そう。できれば使わないで済ませたいところ。
初号機の暴走はないと予想されるから、弐号機はエンジェルバスターの位置へ、
零号機は第三新東京市中心位置ポイントゼロに移動して待機。
エンジェルバスター使用時には、レイの零号機が、恒常展開フィールドの
広域化を実施、弐号機は合図と同時にエンジェルバスターを全力射撃し、
その後、サハクィエルの直撃コースから退避。最後に着陸した使徒に接近攻撃。
…いい？』
暴走…指揮をする時のミサトが選ぶ単語は的確で簡潔。
”ちょっと！ レイの試験、失敗だったのに、やって平気なの？”
『その点は心配ないわ。市民、職員は全員、ジオフロント内に退避しているから。
マトリエルの恒常展開されたＡ．Ｔ．フィールドは地面の下まで届いてなかった。
だから、零号機がフィールドを広げても問題ないのよ』
リツコが安心させるように説明する。その表情はいつものように
落ち着いていて、料理のレシピを伝えるように自然な感じだった。
『…私はどこまでフィールドを広げればいいんですか？』
『とりあえず海まで、ね。
距離で指示しても多分、制御できないから、海のイメージに
触れたと感じたらそこで止めること』
『（こくん。）』
『じゃ、わたしはレイのフィールド広域化後に射撃すれば−』
『違うわ。射撃タイミングになったら広域化ができていようといまいと
射撃は始めなくちゃ駄目。エンジェルバスターの火力でどれだけ
サハクィエルの降下速度を減速できるのかがこの作戦の鍵よ。
大丈夫、エンジェルバスターの連射速度は毎分５００発！
初弾が大気の層を突き破って生み出した稀薄な大気の回廊を
次弾以降は通過するから、ほぼ、減速なしに残りを叩き込めるわ』
薬室を１／３だけ使った試射でも厳しかったのに
今度は全ての薬室を使って、しかも１分間で５００発！？
『…先ほどの説明ではそれでも勝てないと…』
Ｎ２弾の破壊力換算で…とだけミサトは言ってたのを思い出した。
全方向への爆発と、エンジェルバスターの単一方向に集束した破壊力。
単純比較はできない…かもしれないけど…。
『確かに第三新東京市は壊滅的被害を受ける、それは事実よ。
でも、初期出現時ならともかく、今の高度なら、消え去るほどは酷くはない。
まぁ、サハクィエルは空間移動能力が低くコアを破壊し活動停止した後の骸は
出現時の高度のまま周回軌道を維持する、なんてＭＡＧＩが示した中でも
一番、楽観的な見解は、これでハズレ。
シャムシェルがコアにプログレッシブナイフを刺されてから
活動停止するまでに暴れたのは３０秒間。
コアをスナイパーポジトロンライフルで撃ち抜かれたラミエルですら
ゆっくり落下し完全停止したのは１０秒後。
それだけの時間あれば、余裕で軌道を落下コースに変更できるだけの移動能力を
有していることは立証された訳だから。
期待してなかったけど、ね。
…エンジェルバスターの全力斉射は、サハクィエルが丸ごと落下して
きた場合の最後の手段と思っていて。さっきみたいなのは論外としても、
小さな欠片が２、３個ずつ落ちてくるだけなら、零号機のスナイパーライフルで
迎撃できるから』
さっき、シンリと一緒にいる時に言ったことも事実。 多分、最悪の事態を指しての話。
今回言っていることも事実。 交渉するシンリが人類側の情報を全て知ってたら、
使徒に全て筒抜けになって「最悪の事態」に対処できない。
心を直接、触れ合わせるのに嘘はつけるはずもないから。
事実だけど全ては語ってなかったってこと…か。
いつものように。
『…はい』
『アスカ。シンクロ率は出来うる限り引き上げなさい。
反動は試射の時の比ではないわ。最低８０％、それを切ったら
弐号機の力を持ってしても、エンジェルバスターの全力射撃体勢を
維持する可能性はゼロに落ちる…このことを忘れないで』
リツコがあくまでも淡々と注意事項程度に指示を告げる。
…ったく簡単に言ってくれちゃって…。
それに、「消え去るほど酷くはない」か。
嘘を言わない態度は上出来だけど、その言葉が意味する内容は寒い。
わたし達はＡ．Ｔ．フィールドで護られてるけどミサト達は…。
でも…後で皆で食事するって約束したんだから。
”わかったわ。”
今、できるのは銃を構えて撃つことだけ。
最大火力を正確に叩き込むのが、わたしと弐号機の限界。
でも、ヘマをしたらそれすらできない。
悩むのは終わった後よ！
わたしは強引に雑念を心の中から追い出した。
＊
「ニャ」
とある一軒家の屋根の上で空の彼方を眺める小猫が一匹。
青白い毛並み、赤い瞳という特徴が珍しいマユミの飼い猫であるライだった。
何に興味を持っているのか、何を聞いているのか、見ているのか。
時折、前足で顔を洗うような仕草をしたりと緊張感が薄い。
誰もいない第三新東京市。
たまに思い出したように初号機のほうを眺めているが、
何をするでもなく、また空を眺め始める。
もし、注意深く小猫が見ている方向を計ることができたなら、その先に
見えるはずのない高度に位置するサハクィエルが存在することが
わかったかもしれない。
小猫はどこまでもマイペースなようだった。
＊
「リツコ、コアの位置、まだ特定できない？」
「…焦る気持ちはわかるけど、落ち着きなさい、ミサト。
慌てる乞食は貰いが少ないわよ」
第三新東京市直上で長時間、停止状態にあったラミエルの場合と比較すると
彼我の距離が開き過ぎていて調査条件は余りにも過酷だった。
遠距離を詳細に調べようとすればするほどセンサーの有効範囲は狭まる。
１００ｍほど離れた野鳥を観察する様を想像してみるといい。
おおよその場所なら裸眼で判るが鳥の詳細はわからない。
逆に何十倍という拡大機能を持つ望遠鏡で見ると、鳥はよく見えるが
鳥がほんの少し飛んだだけでもその動きを追尾するのは至難だ。
観測対象との距離、というのはそれくらい重要と言える。
なのに、サハクィエルは超遠距離にいながら、光学発見を阻止したまま、
宇宙空間を移動する能力を保有している。
神ではない人の身では、これで詳細分析しろ、と言われても無理だった。
接近調査しようにも第六サーチ衛星群は初期接近時に粉々にされ機能喪失。
同じ轍を踏むわけにはいかない。
そのため、リツコ達、技術部が人類の保有する全調査機器を駆使しても、
あの巨体の中央、直径１００ｍ範囲内としか現時点では絞り込めてない。
僅か推定直径５ｍのコアが、その中にある…と言われても、
なんの足しにもならなかった。
「…なんかその例え、やーね。
ま、表面にコアが露出しているわけでもなし、ラミエルみたいに
すぐ近くで静止したまま観測させるほどサービス精神旺盛でもなし。
”コアを狙撃すればいいじゃん”って言うのは簡単だけど、
やるのは至難ね、やっぱ。
あそこまで届いて有効打撃を与えられる光学兵器もない、
質量兵器は着弾までどんなに早くても何秒かかかるから、黙って
撃たれてくれる、とも限らない。
オマケに相手は動いて位置取りは自由自在。
なのにこっちは、第三新東京市を担いで逃げるわけにもいかない、と」
お茶らけた口調で指折り数えて状況を口にするが内容はめちゃくちゃ寒い。
それでも、マヤ達が淡々と与えられた自らの仕事をこなしていられるのは
ミサトの…そんな状況でも、普段と変わらない雰囲気のおかげだった。
選択肢としては、狙撃というオプションも捨ててはいない。
しかし、成功確率はマトリエル戦より酷い。つまり実質ゼロ。
それでも指揮官として、「打つ手はありません。このまま嬲り殺しに
されるだけです」などと言えるわけもない。言う利点もない。
机上の空論、というだけならエヴァで近接攻撃、などということも言えるが、
エヴァをあの高度まで運ぶ手段もないし、回収する手段もない。
内蔵電源の活動時間内で倒せるかわからない。近接戦闘距離まで接近できる保証もない。
エヴァを無重力下で運用する訓練もさせたことはない。
例えるなら、空を飛来するＢ２９爆撃機を竹槍片手に地上から睨みあげて
「届けば倒せる可能性が…」などと言う無力な旧大日本帝国の軍人みたいなもの。
…そんな意見は妄想と大差が無かった。
効くかもしれないから攻撃、などという発想も論外だ。
不用意に傷つけたり、経験させるだけで自己進化する使徒相手に攻撃のオプションを
選択する、ということは、その時点で完全殲滅させることは同義なのだから。
自己進化の恐ろしさは、イスラフェル、マトリエルで痛感させられていた。
「…結局、未だシンちゃん頼み、か」
ミサトがエヴァ、パイロットの状態表示をしているモニターを見る。
…既に接触を始めて３０分。
シンリの精神状態は極度の疲労によって悪化の一途を辿っていた。
＊
次々に移って行くサハクィエルの興味を向ける対象。
まるで連想ゲームのように、変化する心に合わせて、
ボクは想いを言葉にする過程を捨ててイメージだけを送った。
「向こう側」に還って欲しいイメージに伴って、お客様、失礼、詫びる、
残念、って感情や記憶が同時に伝わる。
それに対して、軽蔑、客という概念への疑問、言葉を使うことの意味、
矛盾する感情を持つボクへの興味、そんなものが混ざった
イメージが返ってくる。
そんな、言葉にしたら何分もかかるような想いが全て同時にやり取りされる不思議な感覚。
細かな心の動き、記憶の繋がりといったものが互いに全て見える触れ合い。
言葉にするのが難しいイメージや概念、そういったものすら
それに伴う感情や経験したことまで、みんな一緒に渡せるから
僅かな時間の間に、とっても多くの事柄を伝えることができた。
同時に判ったこと。
それはサハクィエルがずっと独りだったこと。
初めから自分だけで、周りに何もないから…「向こう側」には
空間も時間もないから、何も感じることはなかった。
身体は何もしなくてもいつまででも機能が劣化しないでいるから
そこから何か感じることもなかった。
だから、いつまでたっても何も変わらなかった。
ボク達と違って、自分だけで何でも完結してて何も不自由しなくて
感じることも何もないから、心もいつまでも変化しなかった。
どれだけの時間が流れたのか。
ふ、と感じた気配。 初めて感じた変化。
最初に生じたのはワクワクするような気持ちだったみたい。
気配、というものの「位置」が生まれたことでそこへの「距離」が生まれた。
距離を縮めようとすることで、それに必要な「時間」が生まれた。
気配を生む存在を認識したことで、「比較」の概念が生まれた。
次々に心に生まれていく「モノ」は心地よかったらしい。
遠足に行って経験してきたことを親に話す幼子のように、
ボクに自分の記憶を、想いを教えてくれるのがとても嬉しかった。
いつまでも、いつまでも続けていたくなる心の触れ合い。
でも、想いを言葉にしないで直接、触れ合わせ続けることは
思っていた以上にボクの気力を削り取っていってたらしい。
ボクとサハクィエルの時間は終わりが近づいていた。
＊
「シンリくん！ 返事をしなさい！」
これまでにない速さで疲弊していくシンリにリツコが
切羽詰った声で何度も、何度も呼びかけた。
『…ぁ…』
ゆっくりと目を開けたシンリだったが、こちら側に意識が戻った途端、
精神の疲労に合わせるように身体まで、まるで何日も徹夜をしたかのように
大きなストレスを受けて、生命維持装置の活動レベルが高まった。
「シンリくん！！！」
リツコの強い呼びかけには答えず、たどたどしい手付きのまま、
シンリは、ゆっくり左手でプラグスーツの胸元にある生命維持装置のスイッチを
感触だけで操作した。
その表情は起きているのか、気絶しているのか判断に苦しむほど危うい。
びくん
体が一瞬、跳ね上がり、閉じようとしていた目が激痛に大きく見開かれた。
「な、何をしてるの！！！」
『…ぅ…思…ったより…痛い…で…。
でも、今ので…目は覚め…丈夫…。
サ…エル、自分の体が大きくて、ボク達と…見る…不便って
…興味…から…』
目元から涙を溢したまま俯いてシンリは発令所から視線を外した。
「精神波は覚醒状態ですが、波形不良のため一部、音声化が失敗してます。
身体状態、先ほどの電気刺激で不整脈が発生しましたが、
生命維持装置がカバーしました」
マヤの報告に、発令所のメンバーの視線がミサトに集まった。
リツコは先ほどのシンリの想定外の操作に驚き、表情を強張らせている。
「…全員、現状維持」
押し殺した声でミサトが命令を発し、
何か言いたそうな表情のマヤを視線で制した。
「意識が途絶しても必要があれば強制覚醒させるしかない。
だから、さっきの操作は本人の自由裁量範囲内よ。
自分の限界が近いことはわかる、他のエヴァが稼動中なのも知ってる。
その上で、シンちゃんは精神接触の継続を選択した。
…なら、私達はその判断を信じてあげなくちゃいけないのよ」
殊更、感情を排した雰囲気にマヤ、日向、青葉の３人は
追従の意志を示すしかなく、オペレーション作業へと戻る。
そのままミサトは近くにいるリツコにだけ聞こえるように
小声で話し掛けた。
「…あとで生命維持装置の操作方法、もう一度教え直して。
目覚まし代わりに出力最大で動かしてたら負担が大き過ぎるわ」
特に電気ショックは極めて慎重な運用が必要とされるのだ。
停止した心臓を再活動させるほどの刺激を、活動中の心臓が受ければ
先ほどのように脈動が狂うのは当然だから。
「帰ってきたら叱ってあげるわ。…二度と間違えないように」
沸々と内面で暴れる葛藤を抑えこんで、リツコは
自分自身に刻み込むように、ゆっくりと約束を告げた。
＊
たくさんの心のやり取りの中で、ボクが示した小さいけど、同じモノは
何一つ存在しない地球の表面で生きる多くの生き物の営み。
サハクィエルの感覚からすると、顕微鏡で覗いた微生物の世界…みたいに
ちっちゃなモノのようだったけど、見るモノ、聞くモノ、どれも興味をもっちゃう
サハクィエルにとって、そんな世界があるのに、自分が大き過ぎるせいで
そのほとんどを見たりすることができないのは、とっても、とっても
残念なことだったみたい。
小さい体で現れたら好きなだけ触れたり、見たり、聞いたりできる、という
…ボクがジオフロントの森を歩いている時に感じていることを、ボクの記憶と
一緒に渡してみた。
いくら見てても飽きない生き物に満ちた世界。
触
他のモノに体を接触させる…それはサハクィエルにとって未経験の感覚。
すぐに触れてみたい、というイメージに、ボクは大き過ぎる体に潰されちゃって
みんななくなっちゃう、と伝えて、還って欲しい、と重ねて伝えた。
今度、くるときは小さな体でくればいい、とも。
でも、楽しい印象だけ送ろうとしたけど、考える、という行為だけで
ボクの心はもう、苦しささえ…感じ始めていた。
だから、送ったイメージは痛みが…全体に飛び散った血のように…染み込んで
印象を少し変えてしまった。
焦
大丈夫、…何日かしたら…またお話できるから。
傷つくという概念すら知らないサハクィエルにとって、ボクが送ったイメージは
かなりショックだったみたいだった。相手がいなくなる、ということ自体、
想像の外にあった…そんな…感じ。
問
１日って単位がわからなかったみたいだったから、
朝日が昇りぐるっ、と回って夕日が沈むイメージを何回か
繰り返して送った。
憶
ちょっと太陽のほうを見てたけど、納得してくれた…みたい。
ちょっとだけ、我慢とか、忍耐みたいな印象も混ざってた。
…それだけ楽しみにして…くれてるって…ことだと思いたい。
再会を楽しみにするイメージと、還ってくれることへの
感謝の気持ちを送って、ボクはサハクィエルとの接触を終えた。
＊
「…サ・・トさん…サ…エルは還って…」
全員が固唾を飲んで注目するなか、シンリが僅かに目を開けて
途切れるようにな声でサハクィエル帰還の意志を報告した。
そして、全てを伝え終えると糸が切れた人形のように力なく
シートに沈み込んだ。
「シンちゃん！！！ リツコ、容態は！！！？」
「…かなり酷いけど命に別状は…ないわ」
シンリの精神、身体状態をチェックする生命維持装置からのデータを
元にリツコが慎重に判断を下し、安堵の気持ちと共に告げた。
ＭＡＧＩが医師達の配備を済ませて、戦闘終了の宣言と共に
救出に向かう手筈を整える。
『碇くんの救助を−』
「レイとアスカは現状のまま待機！ まだ終わってないわ！」
意識を失い力なく横たわるシンリを見て使徒から注意が逸れた二人に
ミサトが鋭く指示を出して、全員の視線を天空の存在へと戻した。
メインモニター上に映るサハクィエルの巨体。
発令所にいる誰もが、無論、レイとアスカも「還る」瞬間を心待ちにし、
そのまま…５分ほど過ぎ去り…変化が訪れた。
ビー、ビー、ビー、ビー
「青葉くん！？」
「サ、サハクィエルの周囲に重力異常発生、空間が壊れます！！！」
バリィーン
まるでガラスが割れるようにサハクィエルの周囲にあった空間が歪み、
そして、耐え切れずに粉々に割れた。
ガギエル戦で観測された「この世でない世界」とこの世界の接点…回廊が生じた。
「「「「「…・・」」」」」
ガギエルが出現した時の逆回しのように還るだろう
誰もが口にはせずとも、そう思っていた。
しかし…
フォォォォォォン
サハクィエルの巨体が一瞬、観測機器のメーターを振り切るほど
重力場を増大させ、周囲の空間を波打たせて周囲に波紋のように
歪みを広げると…それまでの活動が嘘のように停止してしまった。
壊れて僅かな間だけ存在していた回廊も、しばらくするとゆっくりと閉じてしまった。
サハクィエルは残ったまま、何も変わってないように見える。
「…Ｓ２機関の出力、検出されません。
通信機能、全帯域で復旧されました。
現時点でサハクィエルの活動を示すデータは存在しません」
青葉が狐に摘まれたような顔のまま、それでも状況を報告した。
「…消えてないじゃない」
ミサトがポツリ、と呟いた。
周囲にいる誰もが心の中で、その意見に頷く。
「まさか…」
リツコが気付いてしまった、という声を出して
皆の注目を一身に集める。その表情が「聞かないほうがいいわよ」と
いう想いと、「でも説明させて」という想いで揺れてる。
「…リツコ…なんとなく覚悟はできたから、
遠慮せず言ってちょうだい」
ミサトが、そうでなければいいのに、という願望を込めて
発言を促した。
「…つまり…サハクィエルは還ったのよ」
「だって、あそこに−」
「アレはサハクィエル”だった”モノ。今はただの骸に過ぎない。
…還ってくれたのよ…そういう意味で」
リツコの説明もどこか、他人事のように聞こえる。
信じたくない、という想いはやはり持っているのだろう。
Ｓ２機関の活動もないただのサハクィエル”だった”、巨大な骸。
先ほどの重力異常前との見た目は何も変わってないように見える。
誰もが少しだけ拍子抜けしたような気分になっていた。
…が、誰ともなく、右下に表示されていた座標軸の数値が
激しく減リ始めていることに気がついた。
「な、何よ！ あの高度で動力ゼロならしばらく周回軌道を
回るはずでしょ！！！ リツコ！ アレどーいうことよ！！！」
ミサトの噛み付くような勢いに、ちょっとだけ
先ほどの出来事を思い出して、状況を告げた。
「…さっきの重力異常で、サハクィエルの骸と地球の重力バランスが
僅かな間だけど崩れたのよ…。重いモノほど強く惹きつけ合う。
物理法則の基本ね」
「計算、出ました。重力場異常時に周回軌道から大きく外れてます。
このままだと後、３０分前後で地球に激突します！！！」
わざわざＭＡＧＩが大気圏突入後の巨大な骸の落下コースを
地図上に表示した。誤差と、人類がＮ２航空爆雷による衝撃を
与えることで可能な修正エリアもあわせて表示される。
青葉の声が第一発令所の隅々まで響いた。
推定破壊力は当初見積もりの１／３以下。
Ｎ２爆弾換算で５桁あった破壊力が４桁に落ちていた。
これは使徒自身の自爆能力が失せたことが大きい。
このまま落ちれば、何年か後に何割かの人類が食料欠乏で死に、
何割かが人類同士の争いで死ぬ、その程度で被害は済みそうだ。
もっとも、だからどーした、という話もあるが。
「…葛城さん、時間がありません、決断を！」
日向がわざわざＭＡＧＩが逆算表示を始めた時計を指して、
ちょっとズレかけてたミサトの意識を戻した。
ミサトの意識が目の前に迫る過酷な現実へと向けられ、
緩んでいた気配が、指揮官のものに戻る。
「関係各所に連絡、これよりサハクィエル迎撃戦に移行！
ＵＮ軍の騎兵隊にここへのコース変更を指示して！
あいつを第三新東京市で止めるわよ！！！」
「「「了解！」」」
ミサトの号令と共に、全モニターに赤い警告のメッセージが現れ、
それまでの雰囲気が一変し、止まっていた人々が自らの職務を思い出した。
事前に決めていた手順に従い、ＭＡＧＩが次々に指示を飛ばし、
人類の持つあらゆる戦力が有機的に動き始める。
…人類最大の危機は、これからだった。
サハクィエル戦（前編）終了です。（＾＾；）
今回は、多くの方から貴重なご意見を戴けて、当初の予定よりも
様々な面から検討することができました。
シンリを含めたときの説明、レイ＆アスカ限定の説明、
そして、子供たちには伝えない説明。
実際には３種類の現実への切り口があり、ちとわかりづらかったかも
しれませんね。
サハクィエルも当初出現時と、再出現時で位置条件が異なるため、
ミサト達の判断もその都度、より正確になるように方向修正されてますし。
さ、次回はサハクィエル戦（後編）。
レイとアスカの奮闘をご期待ください♪
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