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紙の束が山積みにされている机。
座っている主の姿が見えないが、書類の山は全部、抗議文。
サハクィエル迎撃戦で被害を受けた地域からの苦情である。
だが、机の主であるミサトは、読まなくても判る内容でもあり、
作戦部で手分けして対応も終えている、と知ってもいるので、
目の前の紙の山など、気にしていない。
ただ、苦情の多さを実感してウンザリしていただけだ。
戦闘が終わってから既に１０日間。
現状の惨状を復旧し、今後、現れるであろう使徒との戦いを
行うための準備、手配などに追われて、あっという間に過ぎてしまった。
シンリ達は意識を取り戻してから一週間が経過し、酷い全身筋肉痛で
集中治療を受けていたアスカも今日、やっと日常生活を送る許可が下りる。
葛城家の全員が一緒にコンフォマートマンションに戻る時刻までは
まだ、すこし、間がある。
何かするには短い時間…。
忙しいことを理由に意識から意図的に外していた疑問。
戦闘前に子供達と一緒に行ったパーティの後に、シンリと
ベランダで話をした時のことを思い出した。
それは、特に深い意味はなかったはずの問い。
ミサトの独白が終わった後、シンリがふ、と思いついた疑問を口にした。
「そういえば、ミサトさんは何のお仕事で南極に行ったんですか？」
「え？ 仕事？」
それは予想だにしてなかった問いだった。
「南極って、お仕事を持っている人か探検家くらいしか行かない場所だった、って
授業で習ったんですけど…」
あの時は適当に誤魔化して、話を終えた。
でも…落ち着いて考えてみると、確かに妙な話だった。
葛城調査隊の中に中学生は…子供は自分一人だけ。
観光地でもないのに、子供を連れて行く必然性などあるはずがない。
隊長の子供である、というだけの理由で連れて行けるほど、南極という場所は
住み易い環境でもなかったのだから。
思えば、これほど落ち着いた心で過去を振り返ったことなど今までなかった。
理解したくない、愛情と憎悪の対象である父、世界を崩壊させた光の巨人アダム。
何年も治療が続いた胸の傷。セカンドインパクト以降の混乱…この世の地獄。
明日もわからない戦場暮らし、血と硝煙に浸かった生活。
…考える余裕なんてどこにもなかった。
けれど、今ならわかる。
落ち着いて心と向かい合える今なら…。
「…記憶操作…それとも自己防衛本能…？」
南極に行くまでの記憶は残ってる。
なんにもない極寒の荒涼とした南極大陸での退屈な日々も。
けれど、次の記憶は、血塗れの父が救命ポッドに自分を押し込めようとする姿。
衝撃が収まった後に、海上を揺られながら仰ぎ見た光の巨人。
意識を保てなくなるほどの胸の激痛。
薄れていく意識。
なぜ、自分が怪我を負い、救命ポッドに父の手で運ばれることになったのか。
あの時の最後の記憶を詳細に思い出そうとするが、
鮮明に思い出されるのは、胸の痛みと触ろうとした時の服の感触。
内側から染み出す血の滑りだけ。
服？
あの時…痛みに、反射的に胸に手を当てて…。
「…あの時、私は防寒服をちゃんと着てた…それは間違いない。
でも…それって…変だわ」
胸に残る傷跡から考えるとどう見ても重傷。
医師はいた。医療室があったことも憶えてる。
外傷なら…服が大きく傷ついていなくてはおかしい。
怪我をした子供に丁寧に防寒服を着せてから救命ポッドに運ぶ？
そんなわけがない。
重傷者がベットに休んでいて急いで運び出すなら、毛布で
身体を包んで運ぶ…私ならそうする。
ゆっくり着替えさせる手間などかけない。
着ている服に傷つけることなく体だけを傷つける…？
そんな仮定は無意味だ。…普通なら。
でも、私は、それを起こした実例を知っている。
シンクロ時の−
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ
子供達を迎えに行く時間を、アラームが告げたことで思考が中断された。
「…ま、後でゆっくり考えることにしましょ。
それにしても、アスカもなんで、食べる場所、秘密なのかしら？」
とりあえず、今はこれからみんなで食事に出かけること、その費用は
全部、自分持ちだ、ということのほうが重要だ。
せめてこれからの時間くらいは仕事も、悩みも忘れたい。
「…お金、足りるわよね…」
財布を取り出し、お札に描かれている福沢諭吉さんを数えて一枚、二枚…。
羽を生やして飛んでいく姿を想像して、ちょっとだけブルーな気分になった。
＊
レイが意識の広域展開を始めてから、アスカの罵声を聞くまでの僅かな時間。
ＮＥＲＶ職員は元より収容していた市民に至るまで、全員の記憶が欠けていた。
まるで切り取ったかのように、何が起きたか憶えがない。
…これ以上ないほど異常だった。
その時間の状況を記録したＭＡＧＩのレコーダーを全て調査させてみた。
しかし、映っていたのは、虚空を見つめたまま、うわ言のように
言葉を発している人々…自分も含めた映像のみ。
記録されていた言葉と本人の関係を全て調査させてみたが、その者に深い関係の
ある死者の名、愛称を呟いていたり、驚きの声をあげているだけだ。
リツコ自身の映像を見ると、「母さん…」と呟いている。
しかし、もちろん、レコーダーには人々以外に何も映ってはいない。
膨大なデータの中で、けれど、一つだけ、気になるものがあった。
トウジ達、予備パイロットの部屋のデータである。
その中で、マナが「綾波さん」と、その場にいない人物の名を口にしたこと。
カヲルが鋭い声で「消えろ！」と叫んだこと。
もっとも、映像を見る限りでは、トウジ、ケンスケ、マナの３人が
うわ言のように呟いた後、放心状態…にしか見えない状態に陥り、
カヲルの顔色がどんどん悪くなっていき、最後には崩れるように
倒れてしまった…ということしか判らない。
ＭＡＧＩに推論させてみても、コード６０１でお手上げ、と匙を投げてしまう。
だが、リツコは現状からある程度の予想は立てていた。
証明する方法はないが、ジオフロントの被害が予想よりも軽かったこと、
あらゆる生物…が、あの時間に影響を受けたことから想像しうるのはただ一つ。
恒常展開されたＡ．Ｔ．フィールドの影響圏内にジオフロント内部までもが
含まれていた、ということ。
そして、それが意味するところは…。
リツコは暗い表情のまま、意識を失って眠り続けるシンリ、レイ、アスカの
３人が収容されている病室の映像を眺め…思考の海へと沈んでいった。
漠然とした不安の答えを求めて。
＊
連日の復旧作業によって、多くの障害を抱えていた第三新東京市の機能も
僅かずつではあるが回復し始めており、第一発令所でも、機能不能を示す
赤い警告画面の割合も少しずつ減少してきていた。
「ふぅ〜、やっと動き始めてきたって感じだなぁ」
青葉は、伸びをしながら、仕事の手を休めて、傍らの同僚に話し掛ける。
今回の戦いでは、人類が保有していた数少ないＮ２弾頭搭載型航空爆雷を
全て投入し、更に戦自、ＵＮ軍を人員輸送、その後の治安維持、物資輸送に
動かし続けたために、組織間の調整、指示でこの１０日間は寝る間もないほどの
忙しさだった。
それでも、弐号機が動けず、零号機も恒常展開されたＡ．Ｔ．フィールドの広域化を
すぐに終えることができない…サハクィエルの遺骸迎撃時、死を覚悟したことを思えば、
こうして会話をしていられることは僥倖と言える。
「比較すればそうかもしれないが、交通網、通信網は迎撃時の地震で壊滅、
一昨日まで、陸の孤島状態だったんだぜ？
歪んだジオフロントを補強する物資だって、ぽつぽつ届き始めた状態だし、
倒壊したビルも、サハクィエルの馬鹿デカイ遺骸も放置したまま。
やっと、ライフラインが仮復旧しただけ。
当分、使徒には来て欲しくないね、俺は」
使徒迎撃の任務を担う日向は、眼下に広がるメインスクリーンを見て
深い溜息をついた。
機能が仮復旧したことを示す黄色い表示が大半であり、それもライフライン…
電気、水道、電話、交通、それとセキュリティ機能が優先されているのがわかる。
そして、日向達、作戦部が戦闘時に使用する迎撃設備、エヴァの支援設備は
後回しになっていてほとんど機能していない。
…別に好きで後回しにしているのではなく、そうなってしまう理由があるからだ。
第三新東京市は陸の都市であり、物資輸送は陸路に限られる。
空路も存在するが、空路は、陸路と比べて効率が悪く、軽く重要な物資を
運ぶことを優先していた。
しかし、空路で兵装ビルや装甲ビルの再建に使う何千万トンという重金属建材を
運べるはずもない。…だが、地震で崩壊した道路網は、連日の作業によって
少しずつ物資が運べる程度には開通しているが、本格的復旧には程遠い。
また、ジェット・アロンを攻撃する際にも使用した地下の大型リニアトレインのトンネルも
大規模な落盤と出水によって、壊滅しており復旧の目処は未だ、見えない。
超重量物の輸送は主にこのルートを使っていただけに、作戦部にとって、ここの崩壊が
一番、痛かったのである。
「マトリエルの解体もやっと終わりそうだったのに、今度は全幅１．２ｋｍの大きな山でしょ。
しかも、それが第三新東京市の中心に落ちちゃって、片付け作業も始まるどころの話じゃない。
技術部も総出でがんばってるけど、ジオフロント自体の復旧が最優先で
そっちまで手が回らないから、これからが大変なのよね」
マヤもゆっくり肩を叩いて、体を伸ばす。
第三新東京市は言わば、風船の上に乗っているようなモノ。
ジオフロントの内部空間が維持できなくなれば、都市も全てが崩壊してしまう。
しかも、サハクィエルの遺骸、という超々重量物が、エンジェルバスターの連続砲撃で
ガタガタになっているところに上乗せされたのである。
本来ならば兵装ビル等の復旧に使うはずだった単分子合金製建築建材を
全てジオフロントの外殻の補強に使うことで、なんとか圧壊は防ぐことができた。
しかし、予想よりも砲撃時の被害が少なかった…という原因不明の現象があったからこそ、
というのが正直なところだった。
あれほどの大規模地震でありながら、ジオフロント自体はそれほど被害を受けず、
シンリ達が訓練にも使用しているジオフロントの森や湖は、そのまま残っている。
それはそれで嬉しい誤算だったが、原因究明は将来への重い宿題として残っている。
「そういえば、発掘した零号機と、先に戻しておいた初号機はともかく、
弐号機はなんとかなりそうなのかい？」
零号機は覆い被さったサハクィエルの遺骸の目玉があった中央部分の凹みに
嵌りこむように下敷きになってしまっていたため、２０時間近くかけて『発掘』作業を
行い、パイロットを最優先で救出、その後、３日ほどかけて機体も掘り出したのである。
「予算なんかぜんぜん残ってないけど、アメリカ支部から三号機、四号機用の
予備パーツを回して貰ってなんとか修理はできそう。
でも、当分、戦闘行動は無理ね。
エンジェルバスターも、砲身寿命が尽きたから、また何ヶ月かは使えないの」
「…まさに満身創痍。
マトリエルと戦った時ももう壊れるところはないって思ったけど、今回、まさか
こんなに壊れるなんて…まぁ、なんというか…これ以上、壊れるところは
ないって思えば、気は楽かな」
ジオフロントと地上を繋ぐリニアカタパルトで使用可能なのは僅かに１本。
エスカレーター、移動通路、エレベーターのうち、４割が機能喪失中。
また、３基の核融合炉についても、激しい振動の影響で２基が緊急停止。
未だに再起動できていない。
回線網も、断線箇所が多く、システムの冗長性はほとんど失われている。
地上の迎撃設備の僅かに残っていて復旧中だったものも、
残っていたビル群も今回の迎撃戦で壊れて稼動可能なものはない。
エヴァに電気を供給するポイントすら稼動する箇所は２箇所。
兵器といっても、もう残っているのはエヴァの手持ち武器だけ。
それに火力の大きい武器は全部、修理中で使えない。
今後のことを考えると…何ヶ月か先までの復旧計画…その現実を
知っているだけに頭が痛かった。
＊
サハクィエルが還ってから３日後のこと。
ペチッ
とても軽く…触れるようにリツコさんの手がボクの頬を叩いた。
悔しい、悲しい、寂しい、…そんな表情で。
痛かったわけじゃない。
でも、サハクィエルを還したことを誉めて貰えた後だったから、
なぜ、そうされたのか、わからなかった。
「２人も憶えておいてちょうだい」
そう切り出して、ベットに身を起こしたアスカと綾波さんにも
聞こえるように、プラグスーツに備え付けられている生命維持装置の
取り扱いについて、落ち着いた声で話し始めた。
それがどれだけ幅広い状況に対応できるように作られていて、
…心臓が停止しちゃうような場合にも命を繋ぎとめられるように…
そんな作った人達の想いが込められたモノなのか、を。
特に意識覚醒から心臓の再起動まで使える電気ショックの部分は
丁寧に…誤解がないように話してくれた。
誤った使い方をすれば、命を守るはずの機能が、命を殺めることすら
引き起こす…ということも。
「シンリくん…あんな真似は二度としないと約束して」
説明が終わった後、リツコさんは静かな声でそう…告げた。
強い口調で言われた訳じゃない。
でも、その時のリツコさんの悲しい眼差しは、何にも増して
ボクにとっては辛かった。
…心が痛かった。
ボクの言葉を待つアスカと綾波さんの悲しさを含んだ表情に
気がついて、心の痛みが増した。
「もうしません…ごめんなさい」
傷つけたのは自分の身体だけじゃなかった。
ボクのことを「見て」くれる人の想いまで一緒に傷つけてた。
そのあと、ギュッってリツコさんに抱きしめられて
なんだかとっても安心した。
言葉だけでは伝わらない暖かさに触れて心地好かった。
でも、心が安らいだ分だけ…リツコさんに叩かれた頬が痛くなった。
＊
「…ところで、アスカ。今回の作戦、無茶をさせて済まなかったわ。
準備が整ったから、これから最新の治療法で、”これまでにない”速さで
治してあげるわね」
シンリに背を向けたまま、リツコが俯き加減で嬉しそうな笑みを
浮かべたまま、眼鏡をキラーンと輝かせて有無を言わせぬ態度を見せた。
「…え、遠慮するわ…痛…」
声を出すだけで全身を走る痛みにアスカの表情が強張る。
だが、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ、という怪しげな効果音付きで
迫るようなリツコの気配に、この上なく危機感を覚えていた。
「あら、遠慮なんて、アスカらしくない。
安心なさい。これまでにない”画期的”な方法だけど、ちゃんと
臨床試験数もそろそろ二桁台になるくらいだから」
リツコが唄うように、アスカの逃げ道を塞ぐ。
「そんな無理しなくても普通の治療法で−、あ、ミサト！
ちょうどいいところに来たわ。
ミサトからも言って…よ…ぉ…」
リツコの決意を変えようと努力していたアスカだったが、室内に
入ってきた人物がミサトとわかり、助けを求めようとした。
しかし、ミサトの目を見た途端、声が尻すぼみになる。
その目はどこか怪しい雰囲気を湛えていたから。
「ちょうど良かったわ、今から始めるから、
運ぶの手伝ってくれない、ミサト」
リツコがごく自然にそう切り出すと、ミサトも頼まれることが
わかってたかのように、ピッタリの返事を返してきた。
「いいわよ。私も戦場暮らしで覚えた整体術で
アスカのために、体の歪みを直してあげるわ♪
かなり効くわよ♪」
やけに強い力で、アスカの細い肩を”ガシッ”と掴んだ。
全身筋肉痛のアスカにはその束縛から逃れる術はない。
目の前の２人がグルらしい、と悟ったアスカは最後の
望みを賭けて、シンリとレイに視線で助けを求めた。
…が
「良かったね、アスカ。
ミサトさんと、リツコさんの言うことを聞いて早く元気になってね」
心底、嬉しそうに、信頼の眼差しでシンリはアスカを送り出した。
「私もアスカに元気になって欲しい。
”治る”のは間違いない…だから我侭は駄目」
どこか悟ったような眼差しで、レイも別れの言葉を告げる。
…どっちもアスカの希望を叶えてはくれなかった。
「さ、行きましょう、アスカ」
「久しぶりよねぇ、整体術やんのも」
かくして、リツコとミサトはまるで、セカンドインパクト前の時代、
アメリカ政府に捕獲された、として流布された宇宙人”グレイ”の写真の如く、
アスカの両脇をがっちり捕まえると、アスカが動けないのといいことに
有無を言わさず、病室の外へと連れて行ってしまった。
「ふ、２人ともまだ根に持ってんでしょ！ ぅ…痛っ…！」
「やぁねぇ、そんな”ビヤ樽”なんて言葉、気にするわけないじゃない♪」
「”マッド”なんて言いがかりをいちいち訂正するなんて
面倒なこと、私はしないわよ」
「嘘！ 正気に戻れぇ！ エヴァの正規パイロットに−」
「「治療するのは当然の義務！」」
扉の向こうにそれはそれは賑やかな声を響かせながら
３人は遠い彼方へと去っていった。
…それから一週間。
アスカは「秘密」の治療のため、帰ってこなかった。
＊
それから数日後。
たん、とん、たん、とん
シンリは膝の上にペンペンを抱えてているレイの肩を
時折、どのあたりがいいか聞きながら肩叩きをしていた。
「…（ポッ）」
その光景を見ているナツミも、ひさしぶりにペンペンを膝の上に乗せて
嬉しそうに目を閉じているレイの姿を見て、ときどき会話に加わるように
しながら、穏やかな時間を一緒に楽しんでいた。
ペンペンは、”偶然”、近くを通った加持がジオフロントに
運んでいたため、今はＮＥＲＶ食堂も利用している巨大冷蔵庫の中を
仮住まいにしていて、広くて涼しい倉庫の中を走り回って、楽しんでるらしい。
コン、コン、カチャ
「あ、山岸さん、洞木さん、いらっしゃい」
「ニャ♪」
しばらくして、肩に子猫のライを乗せたマユミと、ヒカリが一緒に
病室に訪れ、思ったよりも元気そうな様子を見てホッ、とした表情を浮かべた。
「？ 碇さん、アスカは？」
表に書かれている患者のネームプレートには、ちゃんとアスカの
名前もあったのに、アスカの分と思われるベットは綺麗に整えられたままで
そこに誰かがいる…という感じではなかった。
「アスカは赤木博士と葛城三佐に連れられて秘密の治療なの。
明日には、自分で歩いて帰れるくらいには元気になっている…。
…赤木博士が言っていたわ」
さきほど、ナツミにも説明したようにレイが、どこか遠い視線のまま説明を繰り返す。
ヒカリはなぜか、「ワタシ、あすか、ヨロシクネ」などと不気味なイントネーションと
固まった笑顔で話し掛ける姿を想像してぶん、ぶんと頭を横に振った。
「あ、っと、ペンペン、元気してた？」
「クェ♪」
久しぶりに会ったペンペンを見てヒカリが強引に話題を切り替えて、
それからしばらく、学校が再開するのはあと一週間くらい後になる、とか
ビルより高くて山のように大きなサハクィエルの遺骸を街に入ってきた時に
撮った写真を見せてもらったり、街が復旧作業で２４時間、煩いとか、
そんなことを話した。
スリスリ
「？ あの…山岸さん？ なんだかずいぶん、ライくんが
気を引こうとしているみたいだけど…何かあったの？」
身体を摺り寄せてみたり、ゴロゴロと軽く喉を鳴らしてみたりと
愛想を普段の１０倍くらい大判振る舞いしている子猫の様子を見て
不思議に思ったシンリが疑問を口にした。
「それが−」
コンコン、ガチャ
「碇、綾波、惣流、調子はどないや？」
「久しぶりだね、シンリくん♪」
「あれ？ 惣流は検査にでも行ってるのか？」
「シンリくん、調子はどう！？」
トウジ、ケンスケ、カヲル、マナの４人が入ってくるなり賑やかに
話し掛けてきたこともあってマユミも、返事をちょっと中断する。
「おや？ ライくん、黒猫は止めたのかい？」
カヲルが今、気がついた、とでもいうように、ちょっとわざとらしく
マユミの肩に乗っている子猫に楽しげに話し掛けた。
ヒヤ…
子猫のライは急に自分が乗っている人物から冷気を感じて首を竦めると
恨めしそうに「ニャ〜ォ」と不満の声で鳴いた。
「黒猫？」
今のライは普段と同じで、少し青みかかった白い毛並みで
黒猫、などという言葉が合うような雰囲気など微塵もない。
「そうなんです。ライったら、この前、使徒が空から降ってきた騒ぎの後に、
全身、真っ黒の煤だらけになって帰ってきたんですよ。
どこで何をしてたのか…」
口調こそ静かだが、マユミが肩の上に乗って遠慮がちに様子を
伺っているライに向けた視線はアラスカの風のように冷たい。
「…にゃぅ…」
小さな、小さな声でライは鳴いて、マユミの様子を伺った。
その様子がとっても遠慮していて、でもどこか可愛らしい仕草だったせいで、
みんなは、その様子を見て、苦笑を浮かべた。
そんな周囲の態度に、マユミも何か思い出したようで冷たい雰囲気を
霧散させて、ライを抱えると手で撫でながら話を続けた。
「それから、この子、ずっと、こんな感じなんです。
変ですよね。 私も、もう怒ってないのに」
マユミがそう、可笑しそうに言ったことで室内の空気が和み、
入ってきた子供達はそれから、めいめい、いろんな話題を話して
互いの状況を伝え合った。
そんな中、カヲルがサハクィエル落下時に気絶してた、という
ことが話題となった。
「そうなんや。膝枕してもらうなんて−」
「「この裏切りもん！」」
トウジとケンスケが声を合わせて、カヲルを非難した。
もちろん、その時、二人そろって妙なポーズをとることも忘れない。
言われたカヲルも、どう言い返すべきか悩んでいるようで
照れたような、困ったような普段見せない表情をしてる。
「…膝枕してあげたかったの？」
ポツリ、とレイが問い掛けたことで病室の空気が一瞬、凍りついた。
「な、そないなわけないやろ！」
「鈴原君が膝枕したかったかどうかは別にして、
誰にでも苦手なモノの一つくらいあるよ！？」
マナが困っているカヲルを庇うように、でも、からかうネタができたと
楽しげにからかいの言葉を送った。
「クェ♪」
そんなマナの言葉に応えるように、それはもう元気よく、
ヒカリに抱えられていたペンペンが鳴いた。
その声があまりにも、実感を伴っていてどこか疲れたような、諦めたような
音色を含んでいたこともあって、…その声が温泉ペンギンのペンペンの
ものだったこともあって、誰からともなく、笑いが広がっていった。
＊
「それにしても、再接触、空振りだったのは残念だったわね」
アスカの声にシンリは過去に向いていた意識を戻した。
既に退院のための準備も終わり、今はこうしてアスカ、レイと一緒に
ミサトが迎えにくるのを待っていたのである。
サハクィエル戦終了後、１０日間の生活の場ともなった３人用の大きな病室。
いろんなことがあって、なんだか賑やかな雰囲気のまま、あっという間に
退院の時を迎えた気がして、不思議な感じがしていた。
「うん。でも、何年か後にはたぶん、また逢えるってリツコさんも
言っていたから、ちょっと楽しみ」
昨日、シンリの回復を待って行われたサハクィエルとの接触試験は
空振りに終わった。どれだけ意識を遠くへ伸ばしても、あの時の
巨大で移り気な意志は感じられなかったのである。
どういうことなのか、検討が行われた。
結局、出た結論は証明はできないが説得力はある仮説だった。
シンリは、再会できる時期を、太陽が何回か回った後と伝えた。
その時の意識の基点は地球であって、太陽はその周りを回るわけだ。
本来、太陽の周りを地球が回る、というのが物理的には正しいが、
人間の感覚的には、やはり太陽が動いている、というほうが判りやすい。
誰も、地球の自転を体感できてはいないのだから。
…だから、その感覚を丸ごと渡されたサハクィエルは、同様に
地球を基点として考え、太陽が地球を回る…つまり地球の
自転周期である１日ではなく、公転周期である１年をカウントして
再会時期を捉えた…のではないか。
それがリツコと時田が出した説だった。
シンリは再会できるのを喜んでいるが、アレがまたくる、と思うと
ＮＥＲＶの大人達も、アスカもレイも簡単には同意できなかった。
「…もう、無茶なことはしないで」
シンリの言葉に、レイが僅かに悲しみの音色を乗せて想いを伝える。
「そーよ。いくら私が無敵に強くたって、”向こう側”なんて
手が届かないんだから、無理は絶っっっっっ対に駄目よ！！！」
ちょっと胸を逸らして、なぜか偉そうにアスカはズバ〜ンと言い放った。
その目は、”約束は守りなさいよ！”と念を押している。
「…反省してます…」
申し訳なさそうにシンリは縮こまった。
カチャ
「お待たせぇ、遅れてごめんね、ちょっち、道が混んでで」
ジオフロント内部の通路はところどころ、寸断されているせいで、
方々で、人の流れで集中してしまい、渋滞する…などという
笑えない話があったりする。
「遅ーい！ ま、いいわ。
今日は、ミサトがぜーんぶ奢るんだから、ね！」
「はいはい、大枚卸してきたから、フルコースだって耐えられるわよ」
…給料前だけど。
様々な想いを胸に嬉しそうな子供達を見て喜ぶ自分と、羽を生やして
飛んでいくお札達に未練を持つ自分の葛藤に、ミサトは器用に
顔で笑って、心の奥底でちょっぴり泣いていた。
＊
「…屋台？」
時間が遅いせいか、戻ってきている市民が少ないせいか、シンリ達が
来たとき、ラーメンの屋台には客は誰もいなかったので貸切状態になった。
「そ。レイが食べてみたいって。
それに、ここ、やっぱ、保護者同伴じゃないと中学生が
入るわけにもいかないでしょ」
アスカが拍子抜けしたような表情のミサトに対して、「なんでもお見通しよ」と
いわんばかりの怪しげな表情で、席につくように促した。
「へい、いらっしゃい。
こりゃ別嬪さんばかりだねぇ、珍しい。
おいちゃん、サービスしちゃうよ」
屋台の店主はそれは満面に笑みを浮かべて、たん、とメニューが
書かれているボードを軽く叩いて見せた。
「…いろいろあるのね…ねぇ、シンリ。
どれがいいと思う？」
どれがいいのか…そもそも書かれている漢字で読めないモノが多い
アスカは、同じようにメニューを見て関心しているシンリに問いかける。
「んと…アスカ、まだ体調が万全じゃないし、元気になるようにってことで、
この、薬膳ラーメンがいいんじゃない？」
「ヤクゼンらーめん？」
「目が高いね、お嬢さん。
そいつは、一日１０杯限定、朝鮮人参を始めとした１０種類以上の材料を
漬け込んでエキスがしっかり染み込んでいる自慢のスープに、盛りだくさんの
具を載せた食べ応えがあって健康にいい自慢の一品でね」
「凄い…ですね…」
「ふーん。じゃ、それ頂戴」
店主の口上にふむふむ、と頷いているシンリを見て、とにかく良さそうと
判断したアスカはスパッとメニューを即決した。
「私はニンニクラーメン、チャーシュー抜き」
レイはといえば、そんな会話など気にせず、目にとまったメニューを
さっさと注文している。
「へい」
店主はニンニクにどれだけ拘っているか話そうとしたが、レイが
テキパキと流れるように手際よく注文された品を調理するのを
興味津々な面持ちで注目しているのに気が付いて、野暮な
話などせずに、残り二人に注文を促すに留めた。
「…
シンリは最後に載っている屋台とは思えないメニューに気が付いた。
「最近、いいサイズの奴が入ってきたんでね、在庫がなくなるまでの
限定メニュー。 お勧めだよ」
店主が自信のある笑みを浮かべて見せた。
…しかし、この屋台、お勧めでないメニューはあるのだろうか？
「ふーん、”限定”ってなんか、良さそうよね〜。
シンリもミサトも、決まってないなら、ソレ、頼んだら？」
アスカは期間や数量が限定されているような商品、というと、どこか
”特別”なもので、ＧＥＴできるならしたい、と思ってしまうこともあって、
…あと、今日はミサトの全額奢り、ということも念頭にあったので
さらっ、と躊躇なくそんなことを言った。
「…えっと…」
僅かにミサトの表情が凍りついた気がしたシンリが遠慮がちに
ミサトを見て…ミサトは、「やっぱ値段から言っても塩ラーメンかしら？」
などと考えていたことを心の奥底に、コンクリート詰めにして沈めると
内心の葛藤を表に出さないように注意しながら、スパッと
清水の舞台から、紐無しバンジージャンプを敢行した。
「そーね、じゃおじちゃ
「へい」
店主はこれ以上ないっ、という笑みを浮かべて、ミサトの表情に
かすかに浮かんだ躊躇には気付かない振りをした。
しばらくして頼んだラーメンが次々に出されてきた。
アスカの前には、イカ、エビ等の海鮮類、キャベツ、マッシュルーム等の野菜が
たっぷりとのせられ、他のものとはちょっと色の深みが違う、けれど透き通った
スープの薬膳ラーメン。
レイの前には、スライスしたニンニクがたっぷりと載っていて…本来なら
チャーシューがあるべき位置に、変わりに炒めた野菜とゆで卵が入れられた
ニンニクラーメン。
シンリとミサトの前には、器一杯、という形容があうほど大きく形も崩れていない
見
外気の寒さと、ラーメンの暖かさ、そして裸電球に照らされる中、
屋台の小さな場所に座っている状況が独特の雰囲気を醸し出している。
いただきます、と言ってみんな、目の前のラーメンを食べ始めた。
もぐもぐ
なぜか、普段よりも念入りに味わって食べてるように見えるミサトは
よほど美味かったのか、「美味しいわぁ、これって」と何度となく
繰り返したりしてる。
ある程度、食事が進むと、ミサトは忙しくて伝えてなかったことを
子供たちに話すことにした。
「そうそう、言ってなかったけど、碇司令が、今回の作戦、アスカも、レイも
シンちゃんも、よくがんばった、って誉めてたわよん」
「…ふーん、そんなこと言ってたんだ。
なんか、そんなこと言われたの初めてね」
「（こくん。）」
「…父さん…」
食事で身体が温まっていたこともあるのだろうが、ちょっと定まらない視線のまま、
ちょっと頬を染めたりして、シンリは嬉しそうに呟いた。
「…シンリ、そっんなに嬉しいの？ パパに誉めてもらえて」
なぜ、父親…なんかに誉められたと聞いただけで、こんなに嬉しそうにするのか
まるで理解できないアスカが、半ば呆れたような口調で話し掛ける。
「…え？ …そ……うん。
誉めてもらったの…父さんに言われたの…初めてだから」
ゴロゴロと喉を鳴らしそうなほど嬉しそうに、ぽつり、ぽつりと
心の言葉を告げて、それだけで更に嬉しさが増えてくようで、
なんだか、地に足がついてないような雰囲気である。
「…お手軽ね、シンリって」
何を言ってもまともに聞いてなさそうなシンリを見て、
アスカは溜息交じりに、…でも、ちょっと羨ましそうに話を終えた。
どう捉えればいいか悩んでいるレイは二人の会話をする様子を
熱心に見つめている。
父親にがんばったことを誉められた。
ただ、それだけのことが、これだけ別の想いをそれぞれに与える…。
そんな現実を改めて自覚したミサトは、明日からの日常を考えて
…僅かに表情を引き締めた。
ふぅ…やっと、やっと第１２話終了です。（＾＾）
いろんなことがあったけど、先行きはずいぶん、不安だけど、
でも、とにかく今は生きていることを、また日常が始まることを
喜びたい…ですよね。
さて…次は第１３話「使徒、侵入」。
原作と同じ展開だけど、違う展開になる…。
これまでの流れを踏まえた上で、原作のほうの話をベースに
エヴァＩＳだと、どうなってしまうか考えると…
楽しさが増えるかもしれません。
最初は進路相談イベント…いろいろあって先延ばしになっていた
イベントから始まりますのでお楽しみに♪
☆スポンサーにも訪れてくださいね☆