第１５話「嘘と沈黙」Ｃパート

　ＭＡＧＩに制御された自家用車が駐車場に到着し、中から
　ほろ酔い気分な感じの一組の男女…加持とミサトが降り立った。

　まだ、別れるには名残惜しいようで、植え込みの縁に並んで腰掛ける。

「こうして、２人っきりで飲んで、深夜のご帰宅。
　昔はよくこうしてたわね」

「…そういえば、そんなこともあったな。
　もっとも、葛城はいつも飲み過ぎて、俺はもっぱら介抱役だったが」

　大学時代との違いはといえば、ミサトがほろ酔い気分であって、
　深酒をしていない、というところだろうか。
　或いは、飲んでも酔えない…そんな精神状態なのかもしれない。

　昔話にノッてきたのを受けて、ミサトは昔、聞けなかったこと…
　今は少し距離を置いて振り返ることができる古傷に触れることにした。

「ねぇ…私にフラれた時…ショックだった？」

「もちろんさ。でも、ま、俺が悪いのか。
　浮気ばっかしてたし、な」

　おどけてみせるが、それを眺めるミサトの視線はちょっとだけ冷たい。

「ワザと嫌われるようなことしたんじゃない？
　あなたはどこのコに対しても本気じゃなかった。…私にもね。
　いつも、いつも、もっと他のものを見てた。
　…このままどこまでいっても本気で愛されないじゃないか、と思ったら、
　凄く怖くなった」

「…」

　ミサトの独白に加持は沈黙するしかない。
　取り繕う言葉は心に浮かぶ。だが、それを口にすることは誠実さに欠ける。
　それだけはしたくなかった。　　

「加持くん…、少し、私の父に似てるわ」

　同棲してた頃にミサトから、父親がどんな人物だったのかは聞いていた。
　加持は、応えの代わりに、ミサトの頬に右手を添えると、そっと顔をひきあげる。

　　今だけは昔のように…。

　そんな想いがあったのかもしれない。
　月明かりに照らされる中、二つの影はそっと一つに重なった。

「クェ」

　…重なろうとしていたのだが、突然の声に２人は驚き、
　声の主を探ろうと、目を開いて周囲を探る。

「駄目、ペンペン、黙って」

　少し離れたところから、手に抱えていた温泉ペンギンに小声で、
　注意をして蒼い髪の少女…レイは、２人がキスシーンを
　中断したことに、少しだけ不満の色を見せた。

　まったく気付かなかっただけに、加持とミサトは、自分たちが
　周囲の状況に気付かないほど没頭していたかどうか自問自答し、
　…注意を怠ってなかったことを確認して、内心、焦る。

　　似たもの同士なのかもしれない。

「…お邪魔しました」

　紅い瞳の少女は、少しだけ植え込みに姿を隠すように
　場所を移し、熱の篭った視線を向けた。

　しかし、あからさまに怪しい態度を見て、はいそうですか、と
　納得できるはずもない。加持とミサトは背中に回していた手を
　解いた。

「…気にしないで」

　さぁ、どうぞ、とでも言わんばかりに、コソコソと更に少しだけ、
　姿を隠して、ジ〜〜〜っと、興味津々な目を向けた。

「って言っても…ねぇ」

「俺に話を振るなよ」

　遠慮する心と、興味を持つ心の妥協点が、隠れて見る、という結論に
　達したのだろうが、それがズレを含んでいる、とどう話すべきか。
　…流石に自分を題材に話をする気にもなれず、逃げの一手を打とうとするが、
　こんな状況で話を振られても、困るのは加持とて一緒。

　状況脱出の手立てもないまま、無意味に時間だけが過ぎていった。

　穏やかに流れていたリビングの空気が私の言葉で立ち止まった。

「…え…？」

　わたしの言葉に驚いたのか、反射的にシンリが聞き返してくる。

「キスよ、キス。したこと、ないんでしょ？」

　　放った矢は戻らない。

　とにかく努めて自然に聞こえるように、精一杯、
　なんでもないことのように応えを返す。

　　ドックン、ドックン、ドックン

　けれど、胸の鼓動は耳を塞ぎたくなるほど五月蝿くて、
　極度の緊張に口の中がカラカラに乾く。

　　シンリとキスする…

　ガギエルとの戦いの時、２人で一緒にエントリーしてて感じた互いの心。
　自分だけを見てくれる…そう確信できた、あの嬉しさと、心を満たす
　意識の高まりを思い出して、一層、渇望する心が煽られる。


　　でも…


　　…でも…期待に胸を躍らせていたのはわたしだけ。



　　…わたしだけだった。


「…ど…う…して…？」

　背を向けたままのシンリから、…小さな問い掛けが零れ落ちる。



　　冷水を浴びせられたかのように急に感じた寒気。
　　
　いつも、人と話す時には必ず相手のほうを向く…右の耳が聴こえないのを
　補うために…そんないつも見せる自然な振る舞いとまるで違うシンリの態度。

　　どんな表情でいるのか。

　わたしは…キスをする相手のことを考えずに、
　自分のことだけ考えてた。



「そ…それは…」

　キスをする理由、訳、目的…
　”なぜ？”と聞かれた以上、応えなくちゃいけない。

　自分から誘っておいて、その問いに応えられないはずがない。

　　…はずがない。

　ないはずなのに、わたしの今の気持ちを上手く伝える言葉が見つからない。



独りで生きていくから、イラナイ。
わたしは強くなるの。



　そう誓ったわたしの心の中に、今の気持ちを表す言葉はなかった。


　　
自分なりに努力はしてきたつもりだったけど…
どうしても…死別した時に心に刻んだ言葉は消せてはいない。


　だから…わかってはいても…自分の心に向き合えなかった。


「…ごめん。
　何もしないでいるのが嫌だった…んだと思う」

　　伝える時は、簡潔且つ的確に。

　完璧な大人になるの！　…そう言った過去の記憶が重く圧し掛かる。
　ぜんぜん、完璧なんかじゃない。

　今のわたしの気持ちのほんの僅かな部分しか伝えられてない。

　　想いを言葉にできないもどかしさに、胸が締め付けられた。

「いいよ…キス。…しても」

　振り返ったシンリの表情にはいつもの生気がなかった。
　
　イロウル侵入の時に見た恐れと悲しみに染まったモノとは違う。
　…まだ、あの時のほうがマシだった。

　　感情が含まれている分だけ。


　　キス

　それは、心を満たすための行為だったはず。
　けれど、今、それを感じさせる雰囲気はどこにもない。

　　わたしにも、…シンリにも。

　しないか、と誘い、してもいい、と応えられた。
　…望みは叶った…叶うはずなのに、まるでそんな気がしない。



　手を伸ばせば届く距離にいるはずなのに、心がとても遠かった。

　プシュー

「…ただいま」「クェ」

　時間にすれば数分といったところだっただろうか…。
　シンリのアスカの間の痛い沈黙は、帰宅の挨拶によって砕かれた。

「…お帰りなさい。今、お茶煎れるね」

　シンリは、短く、そう告げるとキッチンへと行ってしまった。
　いつもなら感じられない素っ気なさに、アスカにはそれだけで、
　差し出した手を弾かれたように感じてしまう。

　ペタ、ペタ、ペタ

「クェ？」

　涙を流しているわけではないのに、泣いているような雰囲気のアスカを見て、
　ペンペンが疑問の声をかける。

「……ぁ…お帰り」

「………」

　今、やっと気づいたというように、慌てて取り繕う態度を見て、
　レイは何もいわず、リビングのテーブルの近くに座った。

「……」

「座らないの？」

　いつも何ら変わらない、自然にかけられた誘いの言葉。
　けれど、拒むことを選べない、そんな気配がヒシヒシと伝わる。

　ペンペンは、レイの雰囲気に恐れをなしたのか、キッチンのほうに歩いていってしまい、
　この場にはアスカとレイしかいない。

　後ろめたい気持ちがあるせいか、その場にいたくない感情を抑えて、
　アスカは、針のムシロに座るかのように、レイの隣に腰を降ろす。

「…何があったの」

　レイの問いは何の飾り気もなかった。

「…」

「…」

　どう切り出そうか、しばらく迷ったものの、レイの無言の圧力に屈して、
　アスカは、さっきの出来事を、努めて客観的かつ簡潔に話す羽目に陥った。

　　話しながら、アスカは不思議な感覚を覚えていた。
　　自分の話すことを真剣に聞いてくれる同じ目線の相手がいる、という幸せ。
　　
　　落ち着いているレイを見ていると、なぜ、自分がさっき、あれほど、
　　焦燥感に囚われていたのか、わからなくなってくる。

「…そう」

　聞き終えたレイは、小さく呟くと、アスカの頬に手をかけた。
　悪いことをした、という自覚が反射的に目を閉じさせる。



　ちゅ


　感じられたのは頬に触れる柔らかな感触。

　　そして、暖かい人の気配。

「…どう？」

　首をちょっと傾げて、返事を求める。

「ど、ど、ど、どうって…」

　淡々と告げるレイに対して、アスカはやっと、頬にキスされたのだ、と悟って、
　事態の展開についていけず、慌てふためいていた。

「キス…して欲しかったんでしょう？」

「ち、違うの！　私がしたかったのは恋人のキス！…」

「！？」

　突然、アスカが大声を出したのに驚いて、リビングにきたシンリだったが、
　いきなりの告白に目を白黒させてる。

　さすがにその姿を見て、アスカは、先ほどの想いのズレの原因を悟った。
　シンリは、さっきの提案に対して、”自分に好意を寄せている”ということなど、
　まるで想像すらしてなかった…のではないか？

　　言葉通り、「暇潰し」がしたかった、と考えたに違いない。

　　…そこまで考えが進み、やっと自分に何が欠けていたのかわかった。

「シンリ、わたしのこと、誤解してんでしょ。
　わたしは！　好きでもない相手に、キスしよう、なんて言わないわ。
　大体、日本人の信条は、察しと思いやりでしょ？
　少しはわたしの純情可憐な乙女心に気がつきなさいよ」

　言わないと伝わらない、とはわかってはいても、気恥ずかしいことこの上ない。
　それでも、一言、一言、シンリの表情を伺いながら伝える姿は真剣そのものだった。

「ぁ…その…ごめん」

「わかればいいの。さっきしてたら、せっかくのファーストキッスも
　台無しになるところだったんだし…」

「手段と目的が入れ替わると、キスの味は甘いものから、苦いものに変わるわ」

　やっと場の雰囲気が和みかけたところに、レイが新たな石を投げ込み、
　波紋を生み出す。　

「キスの…味ぃ？」

　唇を触れ合わせる行為に、味覚が絡んでくる、とは驚きだった。

「２人が、相手をもっと身近に感じたい、と気持ちを共有しているキスは、
　甘い味がして、とても、とても気持ちがいいの。
　でも、気持ちがすれ違ったキスは、苦い味がして、気持ち悪いの」

「…そ、そうなの…詳しいわね、レイ」

「この資料に書いてあるもの」

　レイは携帯端末に、とある人物からことあるごとに極秘提供されてきた資料…
　セカンドインパクト前に大量に出版されていた漫画や小説、映画などを映して見せる。

　繊細な思春期の少女の内面を描いた作品の数々をレイがパラパラと見せると、
　アスカは、次第に食い入るように画面を覗きこみ始めた。

　これまでの人生、エヴァの操縦や軍事訓練に明け暮れてきただけに、
　こういったものにはまったくといっていいほど、免疫がなく…
　レイが見せた資料に、衝撃を覚えたのは必然だったのかもしれない。



　シンリがペンペンと一緒にその場からいなくなるのに気づいても、
　準備不足を補うための時間が得られることに、ほっ、とする。
　出遅れている、という自覚と、挽回したい、という熱意は、
　それほどまでに強かった。

　　　失敗することを…失うことを何よりも怖れていたから…。

　ちゃぽん

　ボクとペンペンはいつものように一緒にお風呂に入った。
　すっかり脱力して身体を預けてくるペンペンの感触が気持ちいい。

「女の子ってよくわかんないね…」

「クェ〜」

　　ある種の羨望と気疲れ…それに嬉しさが言葉に混ざる。

　ころころと変わる表情、見てる者をも元気にさせるような生き生きとした姿。
　悲しい時も、怒ってる時も、笑ってる時も一生懸命…。

　　そんなアスカに対して、友達以上の何かを感じていたのは確か。
　　綾波さんに対するソレと同じような感じではあるけど。

　　　　そのせいかもしれない。

　　アスカが突然、言い出した誘いの言葉に自分でも信じられないくらい…
　　…ショックを受けたのは。



　だから…それがボクの勘違いだとわかって…よかった。



　　それに…


　好き、と言われたことは…とても、とても、嬉しかった。


　　でも…


　ボクは…



　　そんな想いを知って…ボクはどうしたかったのかな…




　…なんども、なんどもさっきの言葉が心の中に木霊して、
　そのたびに背中が痒くなるような嬉しさが満ちてくる。

「…女の子ってよくわかんない…ね？」

「クェ？」

　何回も同じことを話し掛けるボクに、ペンペンが不思議そうな顔をするけど、
　それでも、自分の気持ちを今は、言葉にしておきたかった。

今回はキリがいい、ということでここまで。
ミサトの帰宅イベントその他は、Ｄパートに廻します。

では、…次回をお楽しみに♪