第１５話「嘘と沈黙」Ｄパート

　その晩、夜遅く、ミサトが帰宅したのが、その隣には加持の姿があった。
　送ってくれたのに、玄関先で追い返すのも悪い、と言うことらしい。
　少なくとも、ミサトは子供達にそう弁明した。

　予定外の訪問者の出現に、シンリは相手が加持である、というその一点で
　表面的にはともかくも、いまいち歓迎してない様子を見せた。
　アスカはといえば、なかなか会えなかった加持が自分からやってきたのだから、
　嬉しくないはずがない。今日の結婚式について、近況について、
　話を聞いて、喜んでいる。
　レイは、時折、期待するような視線を向けるが基本的に会話に耳を傾けるだけで
　積極的に発言しよう、というわけではない。

　それでも、珍しくレイ、アスカ、シンリの３人を交えた雑談は、
　ミサトが部屋着になって戻ってくるまでは続いた。

　加持は、軽く手をあげて、それを迎える。

　　子供達にはそれは、いつもの挨拶程度に見えただろうが、
　　ミサトは、心配の種が一つ消えたことを知って息をついた。

「さて、と…すっかり話込んでしまったな。
　俺はそろそろ、退散するよ」

「えぇ？　加持さん泊まっていくんじゃないの？」

　予想してなかった、といった感じでアスカは驚きの声をあげた。

「おぃおぃ、この格好で出勤したら笑われちゃうよ」

　加持は白いネクタイとモーニングの服装を示して苦笑する。

「ネクタイ変えれば大丈夫よ、ねぇ加持さんてば…ぁ…」

　　ギ、ギ、ギ、ギィィィィィ

　玄関に向かう加持の手に腕を絡ませて、止めようとしたのだが、
　ほのかに香るラベンダーの匂いと、何より背後から強い視線を感じて
　ゆっくりと振り返った。

「あら？　もうお終い？」

「…」

「…？」

　ミサトはミネラルウォーターをのんびり飲んでる。
　シンリはといえば、アスカと視線を合わせると、すぐに逸らしてしまった。
　レイは…なぜ、突然、それまでの流れを断ち切ってアスカが後ろを
　振り返ったのか、不思議そうな顔をしている。

　　ミサトがつけていた香水の匂いが加持から感じられることの意味。
　　それがわからないほど鈍くはない。

　　それに、抱きついてるのを見ても、まるで動じないミサト、
　　特に気にしていない加持の態度が、殊更に自分を子供のように感じさせる。

　　　わたしを見て！

　　　　そう主張する感情。

　　　でも、とある会話がその想いにブレーキをかける。



「えぇぇぇぇぇぇ、加持さんが幼女趣味！？」

　　…空母オーバー・ザ・レインボウの上でシンリから聞いた誤解。
　　自分が子供だ、と…背伸びしていても、大人ではない、ということを
　　自覚してしまった今となっては、それは絶対に否定すべきことだった。

　　子供の自分のことを、加持が恋愛の対象として見るということは、
　　シンリの疑惑を肯定することに他ならない。

　　それは、認められるわけがなかった。




「こ、これは親しい間柄ではよくあるスキンシップなの！
　誤解しない！　勘違いしない！　いいわね！」

　　興味ない、と言いたげな態度をシンリは見せているが、
　　本当にそうなら、ミサトやレイのように気にせずに
　　眺めてるはず。

　　言ってて少し悲しかったけど、それでも、変に気を廻されてしまうのは
　　もっとイヤだった。

「…何を誤解するの？」

　　皮肉、というわけではなく、本当にレイはアスカが
　　何を心配しているのかわからなかった。
　　だから、きょとん、とした表情を向けるだけ。

「な、何って…」

　　弁明しようとして、更に自分がどうしようもない泥沼に入り込んだ。
　　…そんな想いに囚われてしまった。



　　　それは、昔の言葉。

「どうして、そんな女と結婚するなんて言うの！！！？
　ママのこと忘れちゃったの！？
　わたしのママは、一人だけ！！！　一人だけよ！！！」

　　　再婚する、と言った父。
　　　裏切られた、という気持ちが、激しい糾弾をさせた。

　　　最愛の人…恋愛の対象とする人は一人だけ。
　　　…それは決して変わることのない真実であるはずだった。

「二股かける男なんて最っ低よ！！！」

　　　なんとか拒絶された関係を直そうとする父に叩き付けた言葉。
　　　…それっきり、言葉を交わしたこともない。




　　でも、今の状況はまさにそれと酷似していた。
　　…しているように思えた。

　　　　加持の恋人になりたい、と言った過去の自分。
　　　　その言葉に嘘はなかった。

　　　　シンリとキスしたい、と言った自分。
　　　　方法は良くなかったけど、その言葉に嘘はない。



　　どちらも手放したくない、という想い。

「…そ、それは…」

　　シンリと加持の間で視線が泳ぐ。
　　どうすればいいのかわからなかった。

　　　ぽん、ぽん


「か、加持さん！？」

　　頭を軽く撫でた大きな男の手。

　加持は全員に別れを告げると、僅かに笑みを浮かべて帰路につく。

　　暖かい大きな手の感触。

　…子供扱いされたはずなのに、見送るアスカの表情は
　どこか、嬉しそうに見えた。

　翌日の日中。子供達は学校に行っている頃。

　ジオフロント最深部…ターミナルドグマ。
　その中へと侵入する最終ゲートの直前に、加持リョウジは立っていた。
　エアロックにも匹敵する重厚な気密扉が行く手を阻む。

　　しかし…

　突然、背後に湧き上がった気配に、カードをゲート横のリーダーの
　手前で止めて、両手をホールドアップした。

「…気分はどうだ？」

「おかげで目覚めは悪くなかったわ」

　背後に立っていたのはミサトだった。遠いわけでも近いわけでもない間合い。
　その姿は不自然なほどリラックスしている。ナイフや銃を構えている訳でもない。
　だが、加持は妙な動きは死に直結する、と理解していた。

「そりゃ良かった」

「これがあなたの本当の仕事？それともアルバイトかしら」

「どっちかな」

「特務機関ネルフ、保安諜報部所属、加持リョウジ。
　そして、日本政府内務省調査部所属、加持リョウジでもあるわけね」

「バレバレか」

「ＮＥＲＶは甘くない…判ってるはずよ」

「碇指令の指示か？」

　それまで、どこかはぐらかそうとするかのような態度だったが、
　その問いには、他にない重みがあった。
　この答え如何によって、自分と、そしてミサトのＮＥＲＶ内に
　置かれている立場と、手足の長さが判る。

「私の独断よ。これ以上バイトを続けると、死ぬわ」

「…碇指令は俺を利用してる。まだいけるさ。
　だけど葛城に隠し事をしてたのは謝る」

　ＭＡＧＩの監視網を僅かな時間だけ騙しここまで来る際に、
　わざとミサトに発見され、追跡できるようにしたが、正解だった。

　…本来、この場にいることは、それだけで射殺の対象になる。
　報告せずに同行すれば、共犯者と見られても仕方ないのだから。

「昨日のお礼にチャラにしてあげる」

　久しぶりに昔の記憶に浸り、ゆったりできた時間。
　折込済みの小さな嘘くらい大目に見てもいい。

　無論、ミサトとて、この場にくる危険性は熟知している。
　それだけに、加持が安全に同行させようと手を回した…その程度のことは
　言われなくてもわかってた。
　気配を断ち、音もなく、空気を乱さずに動く体術を持ってしても、
　質量の移動、空気組成の変化、それに温度分布の差異は誤魔化せない。

　ここまで辿り着いた、という事実がその認識を肯定していた。

「そりゃどうも。ただ、司令やリっちゃんも君に隠し事をしてる。
　それが――」

　加持はカードを持つ手を振り上げ…カードをリーダーに通した。

「――これさ」

　ロックが外れ、重々しく気密扉ゲートが上下に開き始める。
　その先に広がるのは、広大なドーム状の空間であり、濃厚なＬＣＬの湖と
　林立する塩の柱、そして、最奥には、十字架状の拘束台に張り付けられ、
　胸を南極から持ち帰った長大な二股の槍に貫かれた白い巨人の姿があった。

　　その顔は、７つの目が描かれた仮面に覆われており、胴から下はなく、
　　引き千切れたような傷口からは、体液が流れ出ている。

「……あれは！？」

　　ミサトは、想像していたものとは違う存在に、驚きの声をあげた。
　　その様子を加持は背中に感じ、自分の考えが正しいことを悟る。

「…第一使徒アダム…じゃない」

　　この先には、１４年前に見た光の巨人がいるのだ、と聞かされてきた。
　　…だが、捕えられていたのは、同じモノとは思えない別の…使徒。

「セカンドインパクトからその全ての要であり、始まりでもある…アダム。
　だが、その情報は欺瞞…今の言葉でそれは確信に変わった。
　…なにせ、ドイツ支部から、第一使徒アダムの幼体を運んできたのは俺だ」

　　ミサトの反応を見て、謎の一つについて裏が取れた。
　　第一使徒アダムの姿を見た唯一の人物であるミサトが言うのだから間違いない。

　　…だが、加持は急に背後から感じていた気配が変わったのに気付いた。

　　よろめくように、通路に片手をついたまま、ただ一点、
　　巨人の胸元を貫くモノ――ロンギヌスの槍――を凝視している。

　　その姿にいつもの力強さがない。

「…あの槍…どうして、私、今まで忘れてたの…？」

　映像で見ても思い出せなかった記憶。
　しかし、近づき、重閉鎖壁の内側に入り、槍から発せられる気配に触れたことで、
　ミサトの心に奥に閉ざされていた”あの時の心”が溢れ出した。

「葛城！？」

　崩れ落ちるミサトを加持が咄嗟に抱き支える。
　浮かべている表情が弱々しい。まるで、１４歳の昔に戻ったかのように…。

「アレは……アレは……人が触れてはいけないモノなのよ」

　口にすることすら忌避するかのように、小さな声で告げられた言葉。
　激流となって流れ込んできた強過ぎる感情を伴った記憶が心を乱す。

　　それでも…

　　…だからこそ、思い出したことを伝えたい…。

　家族に守られていた少女の頃の果たせない想いがそうさせたのか。

　　ミサトの向けた眼差しが…父に似てる…そんな言葉を思い出させた。

　加持はミサトを胸元に抱き抱えるように強く抱き締めて…
　十字架にかけられた白い巨人とロンギヌスの槍に対して、
　険しい表情のまま、刺すような鋭い視線を向ける。

　　そこに、他人を偽るための表情はなかった。

　広過ぎる室内で詰め将棋に興じる白髪の老人――冬月――は、
　ゲンドウが予想よりも早く戻ってきたのを見て手を止めた。

「どうした？　早かったな」

「…試験にならんらしい」

　ゲンドウの返事は素っ気無い。

「今日はレイの状態を調査する日だと記憶していたが。
　…お前がいるとレイが落ち着く…だからこそ同席していたのだろう？」

「私がいると落ち着かないらしい」

　憮然とした顔のまま、湯呑に茶を注ぎ、口に含むが、熱さに表情が歪む。

「…レイも親離れをしつつある、ということかな。
　まさか、こんな日がくるとは…正直、想像すらしていなかったぞ」

「…私を拒絶している訳ではない」

　ずずずずず

　熱い茶を啜る音だけが司令室に響く。

　セントラルドグマ内でリツコが行っているレイへの調査は、中枢部分だけの
　エヴァの試作体を利用したシステムを用いて行っている。
　ただ、その仕組みは、操縦機能のないエントリープラグのようなものであり、
　調査に特化しているため、その形状は透明な円筒形。
　その中にレイは何も纏わない状態で調査が終わるまで浮かんでいるしかない。

　以前ならば平気だっただろうが、恋愛に興味を示しだした今では、
　いくら父と慕う相手と言えども、心の負担になるのだろう。


　今のゲンドウの心情は、急に羞恥心を示す娘に戸惑う父親といったところだろうか。
　その顔には、僅かだが疲れと寂しさが含まれているようにも見えた。

「ところでな、先ほど、委員会から命令書が届いたぞ」

「…」

　表情を改めた冬月を見て、ゲンドウも沈黙を保ったまま、
　話を進めるように促した。

「ＮＥＲＶ第二支部で建造しているエヴァ四号機だが、
　渚カヲルを正式パイロットとして任命するそうだ。
　現時点におけるあらゆる指示に優先し、拒否は認めない。
　しかも、仮想会議システムを使って、直接、指示を伝えるという。
　何から何まで異例尽くしだよ」

「…渚カヲルは委員会から派遣されてきたチルドレンだ。
　最終的には、我々に止める権利はない」

　ゲンドウは慎重に言葉を選んで応える。
　そこに、先ほど僅かに見せた感情の揺れはない。

　　確かに権利はない。
　　…しかし、カヲルのシンクロ率は、実戦に使えるほど高くもない。
　　なのに、予備パイロットの中で一番、シンクロ率が高いトウジではなく、
　　カヲルを選ぶ…疑問を持たないはずがない。


　ゲンドウ達がそう考えるのを承知の上で、敢えて動きを見せる。
　そこにどんな意味があるのか…？



　未来を見据えようとする二人。
　…だが、今はまだ致命的なほど情報が欠落していた。

新たな動きを見せた委員会。
それに対して、カヲルは何を思うのか。
…目的はなにか。

次回をお楽しみに♪