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一切の光を反射しない漆黒の闇。
影のように姿を顕したからといって、それを”影”と呼称してもよいものだろうか。
厚さ３ナノメートル…平面といっていいソレは地面の凹凸に関係なく…
行く手を遮るものがあろうとなかろうと、その面積を広げていった。
黒い湖面に浮かぶ都市…そんな幻想的とすら言える光景。
だが、それは見た目だけであって、引き起こされた惨状は
全ての者を恐怖に陥れた。
＊
影が広がるのに合わせて、機能を停止していく兵装ビル群。
メインモニターの隅に割り込んできたウィンドウに、何が起きたのか、
ＭＡＧＩとイロウルが解析した結果が瞬時に表示される。
それが示した結論は、”切断”。
厚さ３ナノメートルの漆黒の平面は、いわば、空間を絶ち斬る刃と化したのだ。
あの面は、完全にその上と下を絶ち切っていた。
その範囲内にあるものは、重装甲の装甲ビルであろうと、サハクィエルの遺骸
だろうと、アンビルカルケーブルであろうと、関係なかった。
全てが絶ち切られたのだ。その身を置く空間ごと。
「エヴァは！！！？」
リツコの問いに、３機のエヴァの周囲がクローズアップされた。
漆黒の平面と、上空の球体の間の空間が揺らぎ、光学観測すら阻害される。
しかし、常識外のイロウルの補正によって、その姿を捉えることができた。
エヴァはその周囲に常時展開しているＡ．Ｔ．フィールドによって、
その難を逃れていた。その装備も含めて。
しかし、足元から影に向かって沈降し始めていた。
周囲の兵装ビル等は空間の歪みによって崩壊しつつも、同様に沈降している。
「トライデント級１隻、ルート１６−Ｂから初号機の救出に向かって」
「エヴァとの全通信、機能しません。
空間歪曲によって信号が到達しないものと推測されます」
「トライデントα、自立作戦行動命令の入力完了。
突入させます！！」
マナの操作と、ＭＡＧＩの補助によって、トライデント級陸上軽巡の１隻が
通信途絶時の行動パターンを携えて、陽炎のように揺らぐ漆黒平面上に突入した。
＊
「逃げて！！！」
突然、届いたミサトの命令。…というより悲鳴に似た叫び。
アスカは、謎の球体が初号機の頭上に瞬間移動したのを見た。
同時に、ほとんど間を置かずに足元を通過して広がっていった漆黒の影も。
電源供給が絶ちきられ、内部電源のカウンター表示に切り替わる。
そして、モニターに映る外部映像が陽炎のように揺らぎ始めるのを見た。
脱出――が、地面がない。
足場がなくては、どれだけ力があろうとその運動性能は発揮できない。
漆黒の平面の上にあるモノが全て、ゆっくりと沈降を始める。
まるで、そこなし沼に沈んでいくかのようにゆっくりと。
弐号機はスマッシュホークを兵装ビルに叩きつけて埋没させると、
わずかに出ている柄に指をかけて、全身を漆黒の平面から抜きあげ、
その身を、宙へと躍らせた。
ドガン、ドガン、ドガン！！！
そのまま、兵装ビル群の壁面を蹴りあげて跳躍し続けることで、
弐号機は、兵装ビル群の頂上まで登りつめた。
漆黒の平面に沈み続ける第三新東京市。
周囲の光景が歪むなか、はっきりと見えるのはエヴァと謎の球体だけ。
バババババババババババババ
初号機は捜索時の姿勢のまま、沈降を続けており、既に胸元まで埋没している。
そして、零号機は、腰まで沈みつつも、上空の球体に向けて攻撃をしている。
自力での脱出不可能と判断した時点で攻撃することに決めたのだろう。
しかし、放たれた弾丸は、球体内の歪曲した空間を強引に撃ち破って貫通し、
反対側から突き抜けて飛翔していくのみ。
…まるで無意味だった。
別の場所では、トライデント級の１隻が漆黒平面上に突入したようだが、
歪んだ空間内では姿勢制御がうまくいかず、墜落し、半分近く沈降してしる。
漆黒の平面は直径６８０ｍで拡大を止めた。
内蔵電源の残り時間は１０分。
アスカは、ビルの上に立つ弐号機に気づいた零号機に向けて、
ジョイントされていたアンビリカルケーブルをはずすと、鞭のように操って、
零号機のほうへと投げつけた。
ガシッ
すぐにアスカの意図に気づいたレイがアンビルカルケーブルを両手で掴む。
「どぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ！！！！」
裂帛の気合とともに、ケーブルを引っ張りあげて零号機を救いあげ、
さらに凄まじい勢いで、宙へと飛ばした。
放物線を描いて落ちる先は漆黒の平面の向こう。
飲み込まれていない場所だった。
足場にされた兵装ビルが踏み脚の強さに絶えられず倒壊する中、
アスカは残っている兵装ビル群と、初号機の状態、そして自分の位置を把握し、
…脱出の道を選んだ。
中心位置にあった初号機は既に頭の先まで沈降し…消えてしまった。
ドガン、ドガン、ドガン！
残存する兵装ビルも少なく、弐号機の引き上げられた機動性能と、
アスカの卓越した操縦能力と、そして、判断の早さが幸いし、
弐号機も、なんとか、漆黒平面の外へとたどり着くことができた。
点在する兵装ビルを足場とし、その身を跳躍させることで。
しかし、それはギリギリのタイミングであり、わずかでも躊躇していれば、
最後の跳躍で、漆黒平面外へと到達することができなかった、…それほどまでに
兵装ビルの沈降スピードは早かったのである。
「…絶対、助ける…絶対に」
アスカの震える声だけが、静かに響く。
瞬間、瞬間で下した判断に誤りはなかった。
同じ状況に置かれたなら、何度でも同じ決断を下しただろう。
３機のエヴァが、漆黒平面下に沈んでいくのと、
１機だけが沈むのでは、意味はまるで違う。
…それでも、覚悟を言葉にしなくては、エヴァとのシンクロを
維持できるだけの心の落ち着きを維持できなかった。
＊
キィィィィィィン
それからそれほどの間を置かずに、漆黒の平面が揺らぎ、
その性質が一瞬にして変化した。
”向こう側”と”こちら側”を結ぶ回廊が閉ざされた音だった。
ドゴォォォォォォォン
バランスを崩して、漆黒平面に半分、沈降していたトライデント級陸上軽巡が
空間の断絶に巻き込まれて、その身を絶ち切られた。
高出力のガスタービンエンジンが一瞬にしてまっぷたつになったのだ。
安全装置などなんの効果も発揮できるはずもない。
搭載していた兵器もろとも、粉微塵になって吹きとんでしまった。
１分にも満たないわずかな戦闘…。
戦闘と言えるかさえ、定かではない騒乱はこうして終わりを告げた。
「Ｓ２機関…動作反応消失。
影への物質埋没も停止しました」
無数の警報メッセージと、惨状を示す表示が第一発令所を覆う。
第三新東京市にわずかに残っていた兵装ビル、装甲ビル…全滅。
アンビリカルケーブルポイント…全滅。
トライデント級陸上軽巡１隻…轟沈。
そして…汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン初号機…消失。
誰もがその事実を認識していた。
…しかし…
それが何を意味するのか…心が認識することを拒んでいた。
＊
初号機が消失してから１時間が経過し、現状を把握する作業は終わった。
ミィーティングルームには、主だったスタッフとパイロットの子供達が集合した。
あれから、上空の球体も、直径６８０ｍまで広がった漆黒平面にも変化はない。
「…以上、漆黒平面は、厚さ３ナノメートルであり、あらゆる電磁波を出さないのは、
内向きのＡ．Ｔ．フィールドを展開しているためと予想されます」
マヤの報告が終わる。
もはや、第三新東京市は、地下のジオフロント部以外は機能を完全に喪失した。
…そして、あらゆる活動の反応がない…ということは、シンリの調査結果を考慮に入れると、
その発生元である使徒は薄皮一枚挟んだ”向こう側”にいる、という結論に達する。
自分自身を隠蔽する、という結果だけが、この世界に滲み出しているといったところか。
「アスカ、気持ちを切り替えて」
ミサトが声をかけるが、アスカは目の前の模式図を蒼白な面持ちで見ていた。
”向こう側”には手が出ない。…何度も言ってきたことだ。
なのに、シンリと初号機は飲み込まれてしまった。
助けられる可能性があったのは、弐号機だけ。
助けるのは事実上不可能だった…と理性ではわかっている。
しかし、”見捨てた”…という感情が心を蝕んでいた。
「シンちゃんが周囲の変化に気付かなかった以上、
２機のエヴァが脱出するのが最善の選択だった。
もし、誰かを責めたいのなら…私を責めなさい。
使徒の瞬間移動を見切れなかった責任は私にあるわ」
ミサトの問いかけに、泣きそうな表情のまま、アスカは顔を上げた。
…しかし、ミサトを責めることはできなかった。
いきなり現れたのだから、瞬間移動をするかもしれない…。
言うのは簡単だ。しかし、ならばどう対処すればいい？
瞬間移動し、いきなり異世界へのゲートが口を開けて、
空間歪曲が発生して、全通信が不可能になることを予想しろ、と？
ゲートとなった厚さ３ナノメートル、直径６８０メートルの
漆黒平面が全てを切断し、第三新東京市の機能が全滅することを
想定しておけ、と？
この場にいる誰もが、それができるはずがないことを認識していた。
それでも、責任者は責任を取るためにいる。
何か方法はあったはずなのだ…そう責める者がいる。
それは、自分の心であり、その追求は容赦なく厳しい。
重苦しい雰囲気が場を包む。
マナも、トライデント級陸上軽巡の１隻を失い沈んでいた。
失わずに、救出に向かわせる術が何かあったのではないか？
そう自問自答せずにはいられなかったから。
…しかし、レイは強い決意の眼差しを捨ててはいなかった。
「碇くんはまだ生きているわ。
そして、助けられるのは私達だけ」
アスカの手を握って、そう言い切った。
今、すべきは立ち止まって後悔することではなく、
強い意志を持って前へ進むこと。
世界が可能性を否定するなら、世界を変えてみせる。
そう感じられるほどの堅い決意は、この場にいる者達の心を後押しした。
「初号機が一切、回避行動を取らなかったことから、
今回の使徒が、シンリくんに恐怖や嫌悪感を与える相手ではない、と
推測できるわ。少なくとも、すぐに初号機が損傷するような
事態はない…。唯一、明るい材料よ」
リツコが、僅かに残る希望の光を提示した。
言葉とは裏腹に、レイの瞳が不安に揺れていることに気付くが、
同時に、それを見せるべきときではない、と考える振る舞いに、
ゲンドウの面影を見て、気を引き締める。
自分こそがこの場で最も沈着、冷静でなくてはならない。
そう自分に言い聞かせて。
「…初号機が戦闘行動を取らず、使徒との精神接触だけに努めたとして、活動限界はいつ？」
ミサトが、最も重要な情報の提示を求めた。
作戦部とて、その程度の情報は保有している。
だが、デッドエンドラインをこの場の全員が自覚するために、敢えて質問を放った。
「７２時間。それが限界ね。内蔵電源がそれ以上、持たないわ」
武器を持たない代わりに、ウェポンラックと外部シールドに増設されている
非常用バッテリーによって、エヴァの活動限界時間は初期よりは延長されている。
しかし、それとて、短い限界を僅かに伸ばすだけに過ぎない。
限られた時間内に、この難問を解かなくてはならない。
しかも、初号機を助ける…のはミスを消すだけであって、
問題を解決することにはならない。
使徒の殲滅。
もう一つの命題もクリアしなくてはならない…。
技術部の死力を尽くした戦いが、今…始まった。
＊
人類補完委員会のメンバーが集う仮想会議室。
異例の使徒の降臨、行動に、老人達も驚愕を隠せなかった。
「…空間を越えた干渉をしてくるとは…」
「我々、人類の技術力を遥かに超えた事態ですな」
「初号機による捜索で、使徒の存在位置を限定できたが、
そうでなければ、それすら出来なかった…その事実は重い」
「だが、その初号機も失われようとしている」
「初号機がこれまでに為してきた事を考慮すると、
失うことは避けねばなるまい」
「だが、そのためのリスクと比較せねば…。
最悪、初号機を見捨てる、という選択肢も残すべきだ。
人類補完計画はリリスと槍があれば事足りる」
「…それは現状維持以下の案だ。
使徒を残した状況に変わりがない」
「四号機を投入するのはどうか？
使徒と同じＳ２機関を保有する四号機であれば
対処は可能ではないか？」
言外に”渚カヲル”の投入を匂わせるが、ゲンドウが同席しているために、
はっきりとそれを口にすることはできない。
「…試験運用すらできていない状態で投入するのは愚策だよ。
制御できない状態の中、運に頼るべきではない」
運…というより人外の力。
成功したとしても、新たな可能性にカヲルが気付くことに繋がる。
それは、ゼーレにとって得策とはいえなかった。
「その通りだ。四号機は今後のエヴァシリーズの改修にも
絡む重要な機体でもある。現存するＳ２機関はあれだけなのだ。
無駄に失うわけにはいかん」
老人達の議論もいつになく白熱しているが、考慮すべき内容と、
人類の実力、そして使徒の実力と、現在の状況を考えると、
意見を絞り込むのも難航するのは仕方ないだろう。
「碇、君の意見を聞こう」
議論を静観しているゲンドウに対して、議長のキールが発言を求めた。
これまでの発言を踏まえて、ＮＥＲＶ本部の司令として、
どう考えるか、意見を述べよ、と。
「この事態はやはり、我々が現時点で運用しうる技術で対処すべきでしょう。
使徒が為した現象であれば、エヴァで対応可能と予想されます」
ゲンドウの意見は簡潔なものだった。
技術部の検討を待つまでもなく、その程度ならば予想がつく。
「ただ、保険はかけておく必要があるな」
「貴国のオハイオ級戦略原潜がその任に相応しいのではないか？」
「それと参号機…か。
Ａ．Ｔ．フィールドがあの空間異常に干渉しうるならば、
参号機と、トライデント２（Ｄ５）ミサイル（※）の同時投入で、
使徒の殲滅は可能だろう」
※アメリカ合衆国のＳＬＢＭ（潜水艦発射型弾道弾）。
１基に最大１２個のメガトン級水爆弾頭を搭載することが可能であり、
オハイオ級戦略原潜には、そのＳＬＢＭが２４発搭載されている。
Ｎ２弾はキロトン級原爆に相当する威力があることから、
トライデント２（Ｄ５）ミサイル１基は、Ｎ２弾１千発以上の破壊力を
内蔵していることになる。
ただし、Ｎ２弾と異なり、重度の放射能汚染を引き起こす。
「その案では、参号機は今回限りで失うが…」
エヴァを使い捨ての特攻兵器のように使うことについては、
やはり、この場にいる者の同意がなければ、実行し得ない。
確認の意味を込めた発言だった。
「使徒を１体殲滅できるならやむを得まい」
アメリカ代表の発言に、他の老人達も沈黙を持って了承した。
そうして今回の使徒を殲滅したとして、次の使徒はどうするのか。
それを考えると頭が痛い話だが、この場にいる誰も、
判断の順番を間違えるほど愚かではない。
今回の使徒を倒せなければ、次はないのだ。
「…使徒殲滅と、初号機救出のプランができるまでは
会議を一時、中断する。よいな？」
キールの提案に、老人達が頷き、仮想会議室が開放された。
＊
明かりの消えた仮想会議室の中、残っているのは冬月とゲンドウのみ。
二人とも、険しい表情をしている。
「この事態…不味いな」
「だが、我々が出来ることは少ない。
…ユイに賭けるしかあるまい」
「ユイ君か…。だが、初号機暴走のトリガーは、恐らく、
シンリくんの生命に危険が及んだ時だぞ？」
サキエル戦の時のように…と暗に冬月は発言に含める。
「本部は、シンリが生存している間に救出する案を出すだろう。
…理由をつけて、生存限界時間まで待たせる」
ゲンドウの言葉には微塵の揺らぎもない。
「シンリくんの”説得”に賭けるように、とでも言うつもりか？」
「あぁ。それに――」
「それに…恐らく、技術部の提示する案は、救出作戦には
程遠いモノにしかならん…か」
「――我々、人類に空間制御技術はない。
重力すら操れない。その状態で無理を通そうと言う以上、
エヴァのＡ．Ｔ．フィールドに頼った案になる。
…これまでの分析では、Ａ．Ｔ．フィールドの発現状態は、
心理学によってある程度、説明がついた。
ならば、結果も予想がつく」
「…その未来は選択したくないものだな」
「……」
冬月の言葉に、ゲンドウは答えず、席を立った。
人知を超えた相手に立ち向かう以上、その策もまた、
常識を超えたモノになるに違いない。
遺された時間は余りにも短かった。
ふぅ…。ちと短いですが今回は切りがいいのでここまで。
原作と違って、ゼーレの老人達や、ゲンドウ、冬月の
登場シーンが次パート以降もかなり増えます…。
次パートも、お楽しみに（＾＾）
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