第１７話「四人目」Ｄパート

「クェ？」

「…（こくん）」

　ぺたんと座り込んでるレイの前で、ペンペンが怪訝そうな声を出して首を傾げると、
　ぼ〜〜〜っとしたまま、夢心地なまま頷く。

「クェ？」

「…（こくん）」

　寝起きが悪いレイと、シンリから起こすようにお願いされたペンペンとの
　脱力されるようなやり取りもまた、日常の一コマ。



　　ポン♪

　瓶の紙蓋を開ける音が素敵な音色を奏でる。

「お風呂上りのコーヒー牛乳は、日本の文化よね〜♪」

　バスタオルを巻いてお風呂から出てきたアスカが、腰に手を当てて
　んぐっ、んぐっ、んぐっ、と渡された瓶を元気に空っぽにした。

「あら、アスカ、またちょっと育ったんじゃない？」

　ミサトがわざと自分の胸に手を当てて、ほれほれ、とからかう。

「…」

　誘われるように、アスカのバスタオルに覆われた胸元を見たシンリが
　ぽん、と肌を赤くして背を向け、家事に戻った。

「ミ、ミサト！　エロ中年みたいなこと言うんじゃないわよ！！！」

　急に気恥ずかしくなったのかバスルームのほうへとアスカも
　弾かれるように戻ってカーテンを閉める。



「…コーヒー牛乳を飲むと胸が大きくなる？」

　ミサトの背後から、ボソッと問いかけが零れた。
　声に含まれるのは幼子の疑問にも似た純粋さ。

　　思わず、ニマ〜っとした笑みが浮かぶ。

「レ〜イ、それはねぇ、残念だけど俗説なのよ。
　でもねぇ、確実な方法があるのよね」

「…確実…？」

　レイが極秘に、とあるルートから入手している資料によると、
　女性の胸のサイズ、形状というものは、異性に対する
　アピールのかなりの比率を占めるらしい。

　恋愛に悩む主人公の女の子はほぼ例外なく、この問題に
　直面している。…それが確実な対処法があるとなれば…。

　レイはかなりこの話に興味をもったようだ。

「それはねぇ、好きな異性に揉んで貰えばいいのよん♪」

　ウケケケケケと表情が笑ってる。
　リツコが見たら、「また、悪い癖が…」と嘆くこと請け合いの顔だ。

　レイの視線がミサトの標準的な日本人より遥かに豊かなバストに注がれ、
　ちょっとだけ考えていたようだが、何か思いついたらしい。

「異性………揉んで貰う………碇くんに？」

　　　ガタン

　　持っていた皿を落としそうになって、シンリが
　　この上なく慌てて、抱き止めた。

「レイ！！！　いちいちミサトの言うことを真に受けないの！」

　　罵声混じりのアスカの声が激しい突っ込みを入れる。

　　しかし、ミサトの悪癖としか言いようのない、こうした助言だが、
　　実は、それほど悪い結果は出してはいなかったりする。

　　レイはレイなりに考えて、納得できる答えにたどり着いている。
　　…それが時として常識からズレていることもあるのだが。

「…」

　　なんとか表面上は平静さを装っているシンリだが、
　　ミサトに向ける視線は、どこか恨みがましい。


　賑やかで、楽しい…いつも通りの日常。



　　　けれど、ミサトの携帯にかかってきた電話が、日常の終わりを告げた。


　　Pi、Pi、Pi

　携帯端末に表示されている「秘匿通知」の表示。
　通話ボタンを押す表情が俄かに作戦部長のそれに変わる。

「………………………………………消滅！？
　……………………………間違いないのね？」

　告げられた内容があまりにも予想からズレていたために、思わず声が荒くなる。
　同時に、水を打ったように静まり返ったキッチンの雰囲気に、内心、舌打ちすると、
　自分自身を落ち着けるように、殊更、慎重に確認の問いを投げた。

「…これからそちらに向かいます。
　引き続き、調査よろしく」




　電話を終えたミサトを見る子供たちの表情に不安の色が加わる。



「３人とも、今からＮＥＲＶ本部にいきます。
　…四号機が実験中に施設ごと、消滅したの。
　エヴァによる救出作戦が必要になると思うわ。
　準備して頂戴」



　非常時のミサトは、言葉も簡潔。



「「「！！！」」」

　驚愕の空気が重苦しく室内に満ちる。
　「日常」は呆気なく崩れ去っていた。

　　４号機が消滅…渚君も一緒に…。

「だ、だって、昨日、お話してたのに！」

　　自分でも何を言ってるのかよくわからない。
　　何かしなくちゃいけない。
　　そう思うけど、気持ちがぐるぐるしてて空回り。

　　　準備して、とミサトさんが言ってる。

　　エヴァで救出するって。

「ボ、ボク、探します！」

「うん。だからこれからＮＥＲＶ本部に行くの」

　　ミサトさんの落ち着いた声。

　　えっと、えっと…

　　だから探すには初号機に乗らなくちゃいけない！

　　それで、探して、見つけて――

「シンちゃん、さ、行くわよ」

　　えっと、出かける？

　　あの、そう、出かけるんだから、その前に――

「火は止めておいたから大丈夫。
　ペンペンのご飯も用意してあるわ」

　　一つずつ綾波さんが教えてくれた。
　　いつのまにか、全部、終わってる。

「ぐずぐずしてないの！」



　ボクは、皆に押し出されるように、玄関を飛び出した。

　ＮＥＲＶ本部へミサトの愛車で移動する。
　ＭＡＧＩによって、あらゆる移動に対して最優先権限を与えられたことで、
　すべての信号は進行を妨げないように次々に変化し、交通の流れが変えられた。

「………」

　バックミラー越しに、シンリの不安と困惑が混ざった表情が見える。
　相対的に見ると、冷静に見える他の３人。

　伺うように見る視線が、迷いを含んでいることがわかる。

「………」

　そんな落ち着かないシンリの雰囲気をレイとアスカも認識していた。
　
　僅かな思案を経て、ミサトは鏡に映るアスカに視線で話をするよう促す。




「………（はぁ）」

　小さな、小さな溜息。

　上司でもあるミサトが言えば、角が立つ。
　理解していても、損な役回りと思うと、溜息も出るものだろう。

「…！？」

　気づかれないようにそれとなく見ているつもりだったシンリは
　アスカが向けた視線にぶつかって慌てた。



「２回目だもの、少しは慣れるわ」

　　想いは簡潔に。

　心に過ぎる不安は誰もが同じ。そして、そこで慌てても無意味。
　何ができるのか考える…アスカもレイも学んでいた。



　　けれど、少しだけ言葉が足りなかった。



「２回目…？」

　昨晩、普通に話をしたカヲルが関与している四号機が施設ごと消滅…。
　日常と非日常を瞬時に切り替えているアスカとレイを始めて見た驚き。
　それらが心を乱していたのかもしれない。

　　疑問がそのまま口を出た。



　　　　ぷちん

　

「シンリがレリエルに飲み込まれたのが１回目、
　あの馬鹿が消えた今回が２回目よ！！！！！」

　抑えていた感情が濁流となって理性の防波堤を乗り越えた。
　豹変についていけないシンリの頬を指でつまむと、
　アスカは、ふにぃぃぃぃぃぃ、と引き伸ばした。

　会議室。

　大型スクリーンに、事故時の衛星からの監視映像がリプレイ表示される。

　　　実験開始時刻。

　　四号機実験棟を中心に、周辺１ｋｍの地点で映像に歪みが生まれた。
　　蜃気楼のように、空気層の屈折率が変わったかのようにも見える。
　　しかし、実際には空間自体が歪んでいることをＭＡＧＩの解析が弾き出している。

　　　実験開始から５分後。

　　四号機実験棟から滲み出るように漆黒の闇が球状に膨張を開始。
　　そのまま、直径５ｋｍにまで広がった闇は、次の瞬間、何の前触れもなく消えた。

　　　一瞬見えたのは、球状に削り取られた大地。

　　実験施設とその周囲５ｋｍを含む空間がこの世界から消滅していた。
　　完全な真空が突如、生じたことで、穴を埋めようと大量の空気が
　　周囲から爆発的な勢いで流れ込み、成層圏にまで達するキノコ雲が上がる。
　　膨大な量の噴煙が地球規模で広がっていくところで映像が停止された。　

「手がかりはこの映像だけです」

「…酷いわね」

「エヴァ四号機ならびに半径５キロ以内の関連研究施設は全て消滅しました」

「数百の人間を道連れにね」

「タイムスケジュールから推測して、ドイツで修復したＳ２機関の搭載実験中の事故と思われます。
　予想される原因は材質の強度不足から設計初期段階のミスまで３２７６８通り」

　言っている本人もだが、その場にいる全員が、事態の異常さを認識した。
　事故が起きた。それはわかる。

　だが、肝心の原因がまるで絞り込めていない。
　人が作り出したモノであれば、こんな馬鹿な話はあるまい。
　事故内容がわかれば、その原因とておのずと限定されてくるものだからだ。

　それだけ、Ｓ２機関が未知のものだということでもあろう。
　だが、現状でそこまで理解不能なものの実験を強行する意味は…？

　　誰も答えることなどできなかった。



「…爆発ではなく消滅なのよね？
　つまり、消えたと」

「たぶん、ディラックの海に飲み込まれたんでしょうね。
　この前の初号機のように」

　多くの施設が消失してしまった第二支部は混乱の極みにあり、
　未だ、正しい状況を認識しようとする段階だ。

　　リツコは慎重に言葉を選んだ。

　この前の初号機のように、と。

　つまり、救出作戦の可能性もゼロではない、と告げたのだ。
　無論、それは雲を掴むような話である。

　　それでも、可能性はある。

　この意味は大きかった。



「修復したＳ２機関は…？」

　ミサトが状況把握のために、疑問を提示する。

「あの漆黒の球体発生は、Ｓ２機関暴走によるものと予想されるわ。
　…人類による制御、その夢は潰えたわね。
　数少ない好条件としては…すでに四号機のＳ２機関は停止していること。
　救出作戦中に、更にデュラックの海を形成するような状況に
　陥ることだけはないから」

　状況はデュラックの海に飲み込まれた初号機の場合に酷似。
　既に内蔵電源のみで生命維持を行っているだろう状況まで同じだった。



「よくわからないものを無理して使うからよ。
　…まったく第二支部も何を考えていたのやら」

「そうですね。…では救出作戦の概要は前回のものをベースにします」

　ミサトはあえて、疑問の種を蒔いた。
　…大局的な部分に残る疑問を。

　これほど重要であり危険な試験を一支部の独断で実行できるわけがない。
　しかし、リスクは計り知れないほど大きい。
　どれだけ得るものが大きいとしても。

　口調はわざと軽く言っているものの、ミサトの目が
　この場に同席している者に、思考しろと告げている。

　　どれだけ自分達の足場が危ういものか自覚させるために。

　　振りかざしている大義名分が実態とかけ離れている事実。

　日向は副官として以前からこの部分への思考を深めていたから
　ごく自然にミサトの考えに同意し、今やるべきことを提示した。　

　青葉は前々から他組織との調整役をしていただけに、
　自分の置かれた立場、選べる未来の道の狭さを再認識していた。

　マヤは改めて提示された虚構と現実の乖離に困惑を隠せず、
　不安げな面持ちのまま、リツコの表情を伺った。



　そして…リツコは、親友が示した言葉にどう応じるべきか悩んでいた。



　　それは一種の踏み絵。



　同じ側に立つのか、対峙するのか、傍観するのか、逃避するのか。

　　リツコとミサト。

　様々な想いが入り混じり、空気が緊張を含む。





「…ミサト、シンリくんに捜索によって場所を特定し、救出作戦を実行。
　その流れでいいわね？」

　リツコは努めて事務的に淡々とやるべきことを告げた。

「…よろしく。
　私は子供達に今後の方針を話すわ」



　　すれ違った想い。

　応えることを避けた迷い……二人の間に僅かに悲しさが漂う。
　しかし、その想いに囚われ続けることはない。

「マヤ、技術部のメンバーを集めて。
　エヴァキャリアー全機、出撃を前提に準備を。
　トライデントβ使用パターン、ＳＬＢＭ使用パターンの
　いずれでも対応できるように」

「は、はい！」

　矢継ぎ早に発せられた指示に、マヤは慌てて気持ちを切り替えた。

　　そう。

　今は、悩むべき時ではない。
　時間は僅かとて足踏みすらしてはくれないのだから…。

「エヴァ各機、配置につきました」

　初号機を中央に、左右に、零号機、弐号機が守るように地上に立った。
　以前にも同じことをしたという虚視感が、アスカとレイの不安を煽る。

　　前回とは違う。　今回、使徒はいない。
　　虚数回廊も存在していない。

　　悪い条件もある。
　　四号機は、外部にある虚数回廊に飲みこまれたのではなく、
　　自ら、制御不能の果てに生みだした虚数回廊に堕ちたのである。

「シンリくん、焦らないで。
　四号機は待機状態の可能性が高いわ。
　エヴァの意思も微弱かもしれない。
　…心を落ち着けて」

　リツコがことさら、落ち着いた声でゆっくりと諭した。

　もし見つけたとして何ができるのだろう？　そう問う者がいる。
　だが、何もせずにいれば、どうなるかはわかっている。

　　　四号機の損失、つまりパイロットである「渚カヲル」の死。

　何かできたはずなのに何もせずにいた…つまり見捨てた、ということは
　単に、相手が死んだ、という事実よりも何倍も重く心にのしかかる。

　エヴァの運用を行う者として、子供達のことを考える大人の一人として、
　見つからなかった場合や、最悪、死を迎える瞬間に立ち合う状況になる可能性があっても、
　それでも、「何もさせない」という選択肢は選べなかった。

『……はい』

　無理に不安を押し殺して、シンリは静かに肯いた。

　様子を見守るレイとアスカもまた、不安を平静さの仮面で隠している。

　　…もし救出作戦が行われるとなれば…二人は重責を担うのだから。




　そのやりとりを見守るミサトの様子は普段と変わらないように見える。

　しかし、一瞬、第一発令所の再上部に位置する指令席を見た時に見せた視線は
　普段のものとはまるで違っていた。

　　
　　使徒と対峙したときに見せる見透かそうとするかのような底の深さ。


　少なくとも、それは、「仲間」に向けるものとは完全に異質なものだった。

　作戦の様子を第一発令所の最上部から見ている二人。

「四号機の事故、委員会ではどう話を進めるつもりだ？」

　小声で冬月は疑問を呈した。

「事実の通り、原因不明さ」

　それに対するゲンドウの答えはそっけない。

「しかし、ここに来て大きな損失だな」

「四号機と第二支部はいい。Ｓ２機関もサンプルは失ってもドイツにデータが残っている。
　ここと初号機が残っていれば十分だ。使徒迎撃の戦力に不足はない」

　人類を守護するＮＥＲＶという組織の最高責任者としては、だ。
　そして、ゼーレの最終計画…自分達の計画を遂行する上でも。

　損失があっても、３機のエヴァが今まで通りの運用を行う上で支障がないという前提で。

　…実際には机上の空論に過ぎなかった。
　誰かが怪我をした、悩みを抱えている…そうしたことですら、エヴァとのシンクロ率は
　信じられないほど乱高下するのが実態だ。
　身近な者の死、という要素が何も影響を与えないはずがない。

　無論、それを二人とも熟知している。

「…委員会は血相を変えていたぞ」

「予定外の事故だからな」

　確かに、事故後、緊急で開かれた会議は混乱しているように見えた。

　　だが、本当に予定外なのだろうか。

　ゲンドウ達が把握しているゼーレの行動表にはない事故。

　あの人類保管委員会が、議長のキールが、このような惨事を
　まったく予想していなかったなどということが有りえるのか？

「ゼーレも慌てて行動表を修正しているだろう」

「死海文書にない事件も起きる。
　老人たちにはいい薬だ」

　疑問はあっても裏付けはまだ取れない。
　今後の調査で何か明らかになればいいが、それは一朝一夕に終わるものでもない。

　　死海文書にはない事件、それは事実。



　第一発令所のメンバーにはまだ伝えていないが、つい先ほど終わった緊急会議では、
　四号機は実験機であり、使徒迎撃の実績もないことから、初号機の場合とは
　前提条件がまったく異なる………そのため、初号機救出を前提に作成された
　レリエル戦の際の準備されたような作戦は、実行を許可しない、と明言されている。

　　パイロットの精神への悪影響について提示はしたものの、

「それをどうにかするのは、君達の仕事だよ」

　…と言われれば、返す言葉がない。
　使徒の撃破、という要素がないというのはあまりにも大きな違いだった。

　　根本的な部分で疑問が払拭されない。

　
　指揮をしているミサトが一瞬、向けた視線の意味。
　それがわからぬほど、鈍くはない。

「事故調査を名目にすれば多少の無理は効く。
　裏を取るかね？」

「せざるを得まい。
　老人達に疑惑を向けられようと、放置はできん」

「…そうだな」

　目的のためには手段は選ばない。
　ゴールにたどり着けさえすれば、後は何も残らなくてもかまわない。
　…ゲンドウと冬月の間にあった暗黙のルールだった。

　しかし、現実は既に過去の流れから大きく乖離している。
　手に入れたものをできるだけ失わずに、しかもゴールへ…。

　　ずいぶん、欲張りな話だ。


　冬月は自嘲気味に笑みを浮かべた。

プロバイダ変更も終わりましたので、これからは通常の
運用に戻したいと思います。えっと、メールアドレス変わってます。
こちら（yoko-hp@nifty.ne.jp）です。以前のメールはもう使えません。

…メールアドレス変更と一緒に送付するはずの外伝３まで
手が回らないため、後書きに書いておくことにしました（＾＾；）

さて、原作ではさらっと１シーンで終わった四号機消失事故。
けれど、ちょいエヴァＩＳ風に描写していくと、あれれれれ？
不思議と増量し続けちゃってます。（笑）

　次回もお楽しみに♪