第１７話「四人目」Ｅパート

　　第一発令所。

　主に作戦部が見ることの多い指揮命令系統に対するモニターだが、
　そこは、使徒戦時には見られない表示で埋め尽くされていた。

　　それは…捜索を除くあらゆる指示権限の無効。

　使徒降臨時におけるＮＥＲＶの優先指揮特権が発動していない以上、
　それはある種、当然と言える状況である。

　　しかし、更にエヴァ救出のための特例権限を付与しても結果は同じ。

　既に上位権限者…人類補完委員会によって、リスク分析の結果、
　人類が支払うコストに比べて、四号機を救出した際のメリットが、
　比較にならないほど小さい、と判断が下されているから…。

　　つまり、こうだ。

　平時における待機状態（第三新東京市に３機のエヴァを常駐）を維持し、
　使徒出現時の迎撃体制に不備を伴わない限りにおいて、救出作戦の
　実行を許可する、と。

　エヴァキャリアーは発進させることはできない。
　エヴァ３機も当然だが、出撃させることはできない。
　Ｎ２弾、核分裂弾、核融合弾は貴重な迎撃資源であり、浪費は許されない。
　非常警戒体制は、通常の活動に多大な悪影響を与えるため、
　使徒降臨か、それに準じる非常事態でない限り、実行できない。
　戦闘時でもないのに、各国の軍隊を動かすことなどできない。
　
　ほかにも、多々あるが、ＮＥＲＶは使徒降臨時に比較して、
　平時には、意図的に権限を制約されていることの証明でもある。

　懸命に探すシンリ、助けるために為すべきことを考えるアスカ、レイ。

　子供達は真剣そのものだ。
　…無理もない。

　　しかし、今回はそもそも手駒がゼロに等しい。

　救出作戦を拒む要素はいくらでもある。

　前回は、薄皮一枚向うにレリエルの胎内世界があった。
　ある意味、その中は、この世界に近い場所でもある。
　しかし、今回は虚数空間内に直接、放り出された可能性が高い。

　そもそもこの世界の物質が虚数空間内で存在を続けられるかすら不明。
　使徒が降臨してくることから推測すると、エヴァは恐らく残るが。

　それに、四号機が戻ってくる場所はこの世界のどこなのだろうか？

　恐らく「距離」的に近いであろう空間を、仮に弐号機が
　Ａ．Ｔ．フィールドで破壊できたとして、それが四号機を
　この世界に呼び寄せるということに繋がるのだろうか？

　更に、これまでの使徒の出現位置は概ね、太平洋だが、
　そこにエヴァを運ぶのは事実上不可能であるし、
　物理的には可能でも、第三新東京市の守りを薄くするわけにもいかない。

　状況が似ているように見えて、まるで違っているのである。

　手駒があったとしても、前回の作戦はそのままでは使えない。
　…絶望的な状況だった。



　　ミサト達の表情が僅かに曇る。

　
　
　ある程度、予想されたこととはいえ、懸命にがんばっているシンリが
　カヲルの意志を捉えたとして、そしてカヲルが生存していたとして、
　…なんと言えるのだろう？


　　打つ手がない、と…？


　言えるわけがない。
　しかし、判断を行うための情報が決定的に不足している。
　調べる術もない。

　　人類は虚数空間における物理法則などなにも知らないのだから。

　空間という概念がなく、時間という概念もなく、ただただ、
　量子力学における「無」だけがある場所。
　しかし、そこに法則すら捻じ曲げてしまうエヴァが
　加わることで状況がややこしくなる。



　　追い討ちをかけるように、廃棄施設にいるイロウルに対して
　　ＭＡＧＩが推測を依頼した結果が控えめに表示された。


　　　コード６０１


　しかし、それも仕方のないことなのだろう。
　こちらの世界にきてから、自己増殖して知識回路を形成したわけで、
　降臨する前は、探究心、知恵、知識といったものがあったかどうかすら
　怪しいのだから。



　　いつもアルカイックスマイルを浮かべている銀髪の少年が見せた
　　様々な表情、振る舞いが各人の心に過ぎる。　

　絶望的な状況を再認識するため、ミサトはリツコに視線を送る。

　しかし、いつもは明晰な頭脳で解決策を生み出すリツコでさえ、
　ここまで手詰まりでは、どうしようもない。

　
　　覚悟を決めなくてはならない。


　リツコの表情がそう語っている。
　それでも、諦めの意志はない。



　第一発令所を重苦しい空気が覆い始めていた。

　　心を静かに…

　両隣に、アスカの弐号機と、綾波さんの零号機の心が感じ取れる。

　　不安、緊張、迷い、決意…



　　…不安



『…何よ？』

『…？』

　モニタに向けた視線に気づいた二人が怪訝そうな表情を浮かべる。

”…んと、………ごめんね。
　ズルい気がするけど………安心した”

　感じたことを素直に。

　ボクだけが慌ててたわけじゃなかったみたい。
　でも、ソレがわかってしまったのは、３人がエヴァに乗ったからで、
　なんだか、答えを盗み見たような気がした。

『！！！　そう思うなら、さっさと捜す！』

『（こくん）』

　待つよりも、動いているほうがいい。
　そんな雰囲気が伝わってくる。
　二人の硬い表情は、冷静であろうとする強い想いの表れ。


　　…不思議。


　さっきより、少しだけ、…少しだけ、強張っていた気持ちが和らいでる。
　渚君を捜したい、見つけたい、その想いは変わらない。
　けれど、追われるような…急かされるような焦る気持ちは息を潜めてる。



　　これなら…



”…始めます”

　ボクは静かに意識を「向こう側」へと向けた。

　　カチッ、カチッ、カチッ、カチッ


　訓練場に設置されている時計が律儀に秒針を動かし、
　その小さな音が、広い室内に硬質な音を響かせている。

「「「…」」」

　シンリくんがエヴァに乗り込み、捜索を開始して既に１時間。

　すぐ見つかる、と自分に言い聞かせて、いつものように待機指示中の
　訓練メニューをこなしていたけれど、今はただ、時計の針を
　眺めて、無言のまま座っている。


　　１秒ごとに周囲の空気が重くなっていくような気がする…。


　鈴原君も相田君も、私と同じように時計を硬い表情で見てる。



　　「おやおや、どうしたんだい？　皆、元気がないね」


「…！」

　　振り返ってみるけど、そこには誰もいない。


　こんな雰囲気の時、銀髪の少年はアルカイックスマイルのまま、
　場の空気を壊してまいぺ〜すな気分に引き摺り込んでくれるのに。



　　その本人が原因を作ってるのだからどうしようもない。

「…（はぁ）」

　そこに何もなかったかのように、この世界から
　渚君の乗った四号機と周囲の施設が消えたのだから、
　何事もなかったかのように戻ってくるかもしれない…
　そんな言い訳をして、自分に嘘をつこうとする。

　　…逃避行動だとわかっていても。

　それに…根拠はないけど、なぜか「死」というイメージは
　不思議と渚君と繋がることはなかった。



＊




　第一発令所は、胃をぎりぎりと蝕むような緊張感に包まれている。
　
　２時間、懸命に捜したけれど、カヲルの四号機は見つからない。
　これまでに使徒を捜索した範囲をできるだけ捜したけれど、とシンリは告げた。

　そして、投げかけた問い。

”…ボクは…どこを…捜したら……いいんでしょう？”

　焦燥感が色濃いシンリは、絞り出すようにそれだけ言うと目を閉じた。
　疲労と悲しみが声にも混ざっている。

　　第一発令所の全員に投げかけられた言葉。

　　己の無知と無力さを痛いほど認識している大人達…。
　　自然と、リツコの元へと視線が集まる。

「………」

　それはあまりにも酷な問い。

　いつもの使徒のように見つけることができなかったことから導かれる答えは２つ。
　捜した「距離」より遠いところにいるか、捜した範囲内にいるが弱い心の状態のため、
　探知できなかったか、のいずれかである。

　発見する方法はまったく異なるものになる。
　遥か彼方を探ろうとすれば探る範囲は狭く、そして近い場所はわからなくなる。
　近い場所で一層、微弱なものまで探ろうとすれば遠い場所はわからなくなる。



　　リツコの唇が鉛が乗せられたようにゆっくりと動く。

　　　…動こうとした。



「…」

　しかし、言葉にならない。

　人類の叡智が及ばぬ未知の領域、理論すらない状態、しかも、
　カヲルの命がかかっている中、シンリに道を示さなくてはならない。


　　内心の葛藤はどれだけのものがあろう…


　だが、リツコはミサトが代わりに発言しようとする素振りをしたのを目で制した。
　他の誰でもない、これは自分が言うべきことなのだ、と知るが故に。






　短い沈黙の末に出た声は驚くほど穏やかだった。

「シンリくん、近いところを綿密に捜しなさい」

　その揺るぎない声にシンリは僅かに目を開いた。

『…わかりました』

　赤い瞳がリツコを捉え、安心したようにゆっくりと閉じる。



　回線状態が切り替えられ、発令所の会話はパイロット側には
　流れない状態になった。

「…根拠は？」

　ミサトはわかってはいるものの、発言を促した。
　この場にいる誰もがソレを望んでいる、と思ったから。



「…勘よ」

　忌々しげに告げられた論拠は、おおよそリツコらしからぬもの。

「か、勘！？」

「…」

　余りに予想とかけ離れた単語に、マヤが拍子抜けとも言える声を漏らすが
　リツコの重い視線に、口を噤んだ。

　声には出さないものの、日向と青葉も同じように
　衝撃を受けていることが見て取れる。

「そう、勘、女の勘。
　質問は受け付けないわ」

　議論は終わり、とそう口調が告げていた。

　　…科学者としての自分ならば、決してこんな発言はできない。
　　根拠もなく、予想しうる手がかりすらないのだから。

　　…母としての自分があるとしても…言えるわけがない。
　　我が子のように思うシンリに対して、友達の命がかかった状況で、
　　なんとなくそう思うから…などという曖昧な言葉なんて言えない。

　　ならば何か。

　　リツコは、それを「女」と断言した。
　　根拠はなくとも、決めねばならぬ時がある。
　　それに己の人生全てを賭けようとも。

　　「未来」のためには、全てを投げ捨てようと躊躇はしない。
　　それがどれだけ可能性が低くても。
　　望むべき道だと信じるのならば…。



「さ、納得したらお仕事、お仕事」

　ミサトがおちゃらけた口調で場を閉めた。
　なんとなく納得しがたいものの、納得できる理由など、人類の誰一人とて
　出せるわけもない、と理性ではわかっているだけに、皆、仕事に戻る。

　　


　リツコを見るミサトの表情にも迷いはない。
　親友が覚悟を決めたのだ…これ以上、言葉を重ねる必要などない。
　それでも、一言、余計に出てしまうのはミサトだからだろう。

「女の勘、か」

「何よ？」

　返す言葉に少し凄みが含まれるのは親友同士だからか？

「今のリツコなら、ピッタリだわ」

「……できれば一生涯、言われたくはなかったわね」

　苦笑しつつ、リツコは近くに鏡がないことに安堵していた。
　多分、いや、間違いなく、今の表情は母、ナオコの面影が出ているだろうから。

　…以前なら忌み嫌っていた母の「女」としての面。
　けれど、どう言われ様とも、今の自分に不満はなかった。

　僅かな気配も見過ごさないように意識を集中を続けて…

　　時間の感覚がまるでなくなって…



　　今、やらなくちゃ後悔するから…と自分に言い聞かせて。

　指先で触れて僅かな凹凸を感じるかのように、世界を少しずつ探し続けて…




　　ソレを感じた時…思わず意識を離しそうになった。



　懐かしい感触が感じられたこともあって、踏み止まったけれど。




　　とても、とても微弱な…





　　けれど、明確な色のある心。







　それは…夜空にあって、更に周囲の星明かりを飲み込むように…
　漆黒の気配を纏っていた。

　更新が随分、開いてしまいゴメンナサイ。

　やっと、キリがいいところまで書けましたので掲載です。
　…当初プロットでは、Ｄ、Ｅ、Ｆパートが一つに纏まっていたのですが…
　内容を詰め込み過ぎ、と反省してます。

　あと、真面目な話ばかり書いていて疲れたので馬鹿話を一つ。（こちらから）
　　　※エヴァＩＳ本編と今度こそ関係ありません。


　シンリが感じ取った謎の気配の正体とは！？（バレバレか…）
　次回もお楽しみに♪