第１８話「命の選択を」Ｃパート

「停止信号発信…駄目です、応答ありません」

　無人観測機が、松代支部のケイジを破壊して悠然と姿を現す３号機を捉える。
　その様子にはまったく変化がない。

「プラグ排出」

　　バシュッ

　頸部背面にある装甲板が遠隔操作で吹き飛び、エントリープラグが
　勢いよく飛び出そうとするが、僅かに露出しただけでそれ以上出てこない。
　カメラがプラグ付近を拡大すると、そこには白い粘菌状のものが付着している。
　それが、排出を阻んだようだ。



　　ズシーン、ズシーン

　悠然と歩き始める３号機。
　その歩く先にあるのは…第３新東京市。

　
　　使徒降臨時特有の広域ジャミングが無線通信を封じている。


　内蔵電源ゼロであるにも関わらず活動を続けるエヴァ。
　ＮＥＲＶ本部にいる誰もがわかっていた。



　　それが単なる「暴走」ではないことを。

　―ジオフロント内、待機室―

　拒

「…くっ」

　世界に干渉しようとして、その流れに弾かれた。
　カヲルが忌々しげに虚空を睨む。

　頑丈にロックされている扉に触れるが、極めて微弱な…
　力が弱まっているからこそわかる拒絶の壁が、カヲルの意志を阻んだ。

　　イロウル…

　監視カメラのレンズに視線を向けるが、何も変化はない。

「落ち着けないなら、相手になるぜ？」

　いつのまにか後ろのほうにきたケンスケが手に持っていた
　練習用のナイフを投げ渡した。

　カヲルは、手にしたナイフを見て困惑していた。

「男の子って、どうしてこう直接的なのかなぁ〜」

　溜息交じりに…でも、どこか羨むような声でマナが割り込んでくると
　両手で抱えてきたプロテクター一式をカヲルに渡した。



　　べしっ

　マナの細い指がカヲルのおでこを弾く。

「大丈夫……シンリくん達ならきっと助けてくれるよ」

　くるっ、と背を向けて、ジャッジ役の計測機器をセッティングし始めた。





「…そうだね」

　カヲルは…努めて笑顔を作って二人の振る舞いに合わせた。
　けれど、心の中は激しい感情が渦巻いている。


　　…永い、永い記憶の中で、これほど無力感を感じたことはなかった。

”…リツコさん達は…”

　仮復旧しているリニアトレインで最寄のゲートまで移送される。
　イスラフェルとの戦いで使った地下トンネル…。

『…連絡が取れてないんでしょうね。
　そうでなければ、私達に何も伝えないわけがないもの』

　アスカの表情が硬い。

”………”

　不安で胸が締め付けられるように苦しい…。

　いつもと変わらない朝、何も変わらない普段通りの姿。
　出発の時も、ミサトさんは普通の様子だったのに。
　なのに……今は連絡すら取れない…。

『碇くん…今は私達が出来ることをしましょう』

　綾波さんが不安を断ち切るように話す。
　零号機の気配が懸命に心を静めようとしているのがわかる。
　…弐号機からも。

『そう…今は馬鹿トウジを助けなくちゃね。
　それが出来るのは、世界の中で私達３人だけ』

　そっと自分に言い聞かせるように放たれた言葉。

　　…日常を守るために。



”…うん”

　

　　…でも



　　　どうして、ボクの手から、幸せって零れ落ちるのかな…。


　　掴んでおきたいのに、指の間を擦り抜けてしまう。



　ボクにはできる、そしてボクにしかできないことがある。
　なのに…心の奥底にある何かが、悲しい心を消してくれなかった…。

　装甲の隙間から流れ出ている粘性の高い液体――恐らく使徒が出しているもの――が
　足跡に溜まっているのを、無人観測機が発見。

　速やかに調査され、マトリエルの液体とは異なり、融解させる作用はないが、
　３号機から離れた後も、３０秒ほどは恒常展開フィールドを発生させていることが判明した。

　また、反応を見るために、無人攻撃ヘリを周囲にホバリングさせたが、
　無造作に伸ばされた手に捕まり、撃破された。

「エヴァ３機、迎撃位置につきました」

　事前の計画通り、野辺山付近を中心にエヴァが配備された。

　零号機は冷凍弾を装填したバズーカを装備、弐号機は残り２本となった
　ソニックグレイブを装備している。
　初号機は、意思疎通を行う関係で武器は所持していない。
　標準装備となっていた盾もマトリエル戦で溶けてしまい今回は持っていない。
　そのため、ウェポンラックの１方を電池から、プログレッシブナイフを
　収納するものに変更されている。

「３人とも移送中に判明した使徒の特徴について説明する。
　３号機は使徒に乗っ取られた可能性が極めて高い。
　事前の検査で発見できなかったことからして、増殖、機能強化を行いつつ、
　周囲のものを利用するタイプだ」

　エントリープラグ内に、調査時の映像が表示される。

「粘菌状のものは、マトリエルの溶解液と違い、使徒そのものらしい。
　ただし、本体…３号機から離れると３０秒ほどで活動能力を失う。
　これは足跡に残っている粘菌を調べた結果、わかった」

　３０秒ほどして恒常展開されているＡ．Ｔ．フィールドがなくなった粘菌は、
　火炎放射器の炎に抗することなく、あっけなく焼却処理された。

「無人機を使った調査では、これまでの使徒が見せた特殊能力は一切、観測されていない。
　加粒子砲の類による遠距離攻撃はもちろん、溶解液を飛ばすようなことも見せてはいない。
　ただし、無人ヘリを掴んだ際の腕の稼動範囲は、エヴァの設計限界を超えていた。
　３号機の身体を、限界を超えて制御しているものと予想される。
　恒常展開されているＡ．Ｔ．フィールドの強度、範囲はエヴァの２０％程度。
　松代支部の状況を見る限り、粘菌（使徒）自体に移動能力はない。
　だから、強羅絶対防衛圏外で３号機を停止させればいい」

　日向は、一旦、そこで説明を止めた。

　作戦領域では、ＵＮ軍の爆撃機編隊が上空待機している。
　子供達もそれに気付いたようだ。

「上にいる爆撃機部隊は攻撃担当だ。
　今回の使徒は、増殖するタイプで明確なコアがない。
　だから、エヴァの通常兵装では殲滅するのは難しい」

『Ｎ２弾投下の条件は？』

　アスカが重要となる内容について問い質した。

「４ｔｈの救出に成功した場合、或いは救出が不可能と判断された場合、
　それと、絶対防衛線外での迎撃が困難と判明した場合になる。
　攻撃の際にはエヴァ３機の位置については考慮できない。
　無防備のまま影響範囲内に留まるのだけは回避するように」

　　つまり投下されない場合、というのはないということだ。
　　使徒殲滅は何よりも優先される。当然の判断だった。

『エヴァが被害を受けた場合のパイロットへの影響は？』

　レイが気になっていたことを聞いた。


　しかし、日向はすぐにその問いには答えず、シンリのほうに視線を移す。

「３ｒｄ、３号機と使徒の意志は？」

　日向はあえてシンリに３ｒｄと言った。
　初号機に乗ってからも、顔色が悪く、シンクロ率もいまいち悪い。

　今はそれでも慎重に接するべき時ではない。
　役職を告げることで、救出と使徒殲滅、という緊急の仕事を再認識させる。

　３０秒ほど意識を集中させていたが、いつもと違い、すぐに目を開いた。
　…その目に深い絶望感が刻まれているのを発令所の面々は悟る。

『…感じられる意志には…言葉はありません。
　それと………ボク達のことを人形程度にしか思ってません。
　壊れるまで遊ぶ、飽きたら捨てる…その程度に。
　…交渉は…できません』

　懸命な努力を払い、なんとか告げた報告。
　シンリの不安、嫌悪感、焦燥感が現れた表情、告げた内容からして
　今回の使徒――バルディエル――はかなり…不味いらしい。

「活動時間はとうに越えている。
　意識が感じられないことからして、既にシンクロも切れてる。
　エヴァ３号機を破壊しても４ｔｈに悪影響はない。
　ただし、使徒と近接戦闘を行うエヴァは別だ。
　シンクロ中に機体を侵食された場合、速やかに侵食部分の破棄を
　行う必要がある。神経接続を切る猶予はない。
　かなりの激痛を伴うものと予想される」

　日向はここで子供達が自分と目を合わせるまで言葉を止めた。
　これからやる作戦は強い意志が必要だ。
　明確な目的意識と、遂行するための揺ぎ無い決意。

　　それがなくてはこんな状況を打破することはできない。

　それでもレイ、アスカと違い、シンリの目は不安と困惑に揺れている。






「シンリ」

　　ゲンドウが始めて口を開いた。

『…！？』

　　まさか話し掛けられるとは想像すらしてなかったせいで
　　シンリは目を見開いて驚いた。

「救出作戦をやるか、やらないか、今、決めろ。
　浸食するタイプの使徒相手に近接戦闘は本来、避けるべき策だ。
　…やるのなら、迷いは捨てろ。
　やらないのなら、３号機は使徒として処理する」

　　席から立ち上がったゲンドウは厳然とした態度で告げた。

　　ＮＥＲＶ本部を預かる立場の者からすれば、できることなら
　　本部に近づく前に、Ｎ２弾を使って熱処理すべきと判断する。

　　それほどまでに浸食タイプの使徒は危険なのだ。
　　本部を浸食されたら本部ごと吹飛ばすしかない。
　　…最悪の選択だが。

　　イロウルが共存を選んだのは、極めて幸運な出来事だった。
　　しかし、バルディエルがその道を選択する保障はない。　　

　　　…その可能性も極めて低いだろう。

　　救出作戦を行なう、という選択自体、大幅な譲歩なのだ。
　　誰もがこの作戦の困難さを認識していた。



『やります！』

　　泣きそうな表情をしたシンリが叫ぶように応えた。

　　ゲンドウの眼光がシンリを射抜く。



　　…時間にすればそれほど長くはなかったかもしれない。
　　しかし、この親子の間に張り詰めた空気に、
　　見守る人々は、息が詰まりそうだった。



「日向一尉、指揮を続けたまえ」

　　席に座り直し、ゲンドウは指示を出し、腕を組んだ。



　　隣に立つマヤがエヴァ各機のシンクロ率を確認する。
　　…初号機も先ほどよりはだいぶマシになっているようだ。
　　取り立てて問題とはならない、と頷く。



「近接戦闘のチャンスは１回のみ。
　３ｒｄがタイミングを計り、１ｓｔは冷凍弾で動きを牽制、
　その隙に接近した２ｎｄが手足を両断し、エントリープラグを奪取。
　直後に、Ｎ２弾で３号機全体を熱処理する。
　２ｎｄ、相手はエヴァの姿をしているが、別モノを思え。
　関節限界、死角は存在しないと想定し、全力で無力化するんだ」


　エントリープラグ内に作戦の模式図が表示され、
　各機の役割と、上空、爆撃機の投下タイミング、Ｎ２弾の影響範囲が
　大雑把にだが示された。

『シンリ、タイミングも大事だけど、
　もし、危ないと思ったら、すぐ伝えて』

　個別会話モードで、アスカが話しかけてきた。
　パイロット同士の回線がＯｐｅｎされ、レイも会話に参加してる。

”うん…”


『何をされるかわからない…』

　レイが問題を指摘した。そう…一応、調査したとはいえ、
　いつもと、決定的に違う点がある。

　　使徒の胎内…といってもいい位置に、救出すべき人がいること。
　　使徒――バルディエル――固有といっていい能力が不明なこと。

　　特に後者は問題が大きい。

　これまでの使徒はどれも固有と呼べる能力を保有していた。
　しかし、バルディエル固有の能力とは…？

　…限度を超えた身体制御をする、というのがそれに該当するのだろうか？
　増殖と侵食をする、というのではイロウルと変わりがない。
　今までの各使徒が見せた個性を考えると、何もないとは考えにくい。



”…何かあったら伝えるね”

　シンリも二人の心配することを自覚して、頷く。



　　ズシーン、ズシーン



　夕日に照らされる田園風景が似合う景色の中から、
　漆黒の鎧を纏ったエヴァ３号機が徐々に姿を現した。

『エヴァ３号機、作戦領域内に侵入。侵攻方向、速度に依然、変更なし』

　オペレータの声が全員に集中を促す。



『各員、救出作戦…開始』



　日向の静かな宣言。


　…全てが……動き始めた。

放った矢は止められない。
救出作戦開始…ですが…

次パートをお楽しみに（T_T）