第１８話「命の選択を」Ｄパート

　拘束具の隙間から無限に湧き出る泉の如く、粘菌が溢れ出ている。
　足跡に零れ落ちている粘菌が、犯人の足跡に流し込んだ石膏のように、
　３号機の足跡を人々に見せ付けていた。


　夕日が照らす水田地帯を、無人の野を歩くように移動していた３号機だったが、
　前方に立ち塞がる３機のエヴァを見つけて、歩みを止める。


　　暴走時に見せる赤く輝いた目が明確に初号機を捉えた。


　高空にいる爆撃機部隊や、周囲を遠巻きに監視飛行する無人偵察機には
　まったく注意を払っている様子は観受けられない。


　敵意剥き出しの３号機…そして、使徒。
　しかし、その中に、救うべき少年がいる…。
　それが皆に、更なるプレッシャーをかけた。




　アスカ、レイがシンリの合図を待つ。
　その一瞬を逃すまいと、二人が集中を高める。


　…変化は唐突だった。


『来る！』

　突然、３号機がその場に膝を曲げて前傾姿勢のまましゃがみ込む。
　
　アスカの弐号機がソニックグレイブを、レイの零号機が冷凍弾装備の
　バズーカを構えて、カウンター攻撃のために備える。

　　誰に攻撃が向いても、対象外になったどちらかが反撃することで
　　意図を読むシンリの初号機すら制する布陣。



　　　…しかし、最もタイミングを必要とする初動…その瞬間に
　　　予想外の要素が割り込みをかけてしまった。



苦
　襲



　３号機が前方へと動きだす、まさにその一瞬。
　限度を超えた制御信号が走り抜けた身体が爆発的な瞬発力を生み出して、
　弾き出されるように超絶機動を始めるその直前…

『！！！！！！！？』

　二重写しのように、使徒…バルディエルの強い意識に重なるように、
　別の意識が垣間見えてしまった。

　突然、現れた別の心…その苦悶に深く触れてしまったシンリが
　声にならない悲鳴をあげてしまう。



　その激しい意識が初号機から波紋のように広がり、
　アスカの、レイの…戦闘を注視する全ての人々の心を走り抜ける。



　バルディエルの足の裏、零れ落ちた粘菌の全て、そして拘束具に
　隠れて見えない位置にあるものまでが、３号機が踏み込む、
　正にその一瞬だけＡ．Ｔ．フィールドを外部展開し、
　３号機は、新たに生まれた絶対的な強度の足場を得たことで
　前方へと急激に飛び出した。


　　地盤強化された第三新東京市で弐号機が見せる超絶機動すら凌ぐ勢いで。


　足が地を蹴り出した一瞬後に、再びバルディエルの意識が
　３号機の心を覆いつくし、同時に展開されていたＡ．Ｔ．フィールドの輝きが消える。



『…っ！』

　残像を残してその場から弐号機へと距離を詰める３号機。
　初動で遅れ、予想外の速度で移動する姿を捉えきれず、
　レイは射撃タイミングを逃してしまった。

　　あまりに近距離になっては射撃は同士討ちを招くだけ。

　　それに大型の冷凍弾を撃ちだすバズーカは、機構的に、弾速が遅い。

　　　３号機の機動に弾が追いつけない！

　訓練で叩き込まれた反応が、心がショックで揺れる中でも
　辛うじて、射線軸にいる弐号機に気付いて発射を止める。




『くっ！！！』

　まさか、滑る足場で、自分を超える機動をするとは！！？
　想定外の事態、更にシンリの心の悲鳴で初動のタイミングを逸した。

　それでも反射的に、３号機の接近を封じるように
　ソニックグレイブを全力で横薙ぎする。


　　…が、ここは第三新東京市の強化地盤上ではない。


　強過ぎる弐号機の脚力が災いし、地面が耐えられる限度を超えて踏んでしまう。
　数々の悪条件が重なったせいでアスカは繊細な制御ができなかった。
　そのせいで軸が僅かにブレてしまい、太刀筋が微妙に乱れる。

　　それは、トウジ達、３馬鹿トリオが操るエヴァ程度でなら、
　　まったく気にならないミス。

　だが、極限レベルの近接戦では、それは致命的だった。




痛
　掴




　迫るソニックグレイブの高周波振動をする刃を、まるで気にせずに、
　走り込みつつ、届かない間合いから渾身の勢いで左腕を突き放つ。

　　防御を完全に無視した攻撃１００％の無謀な特攻。

　３号機と弐号機の相対位置、互いの選んだ行動を聞いたら、
　近接戦闘の心得がある者なら１００人が１００人ともそう答えただろう。


　　　…だが、これは人同士の戦闘ではない。

　　　まして、エヴァ同士でも…ない。



　　斬られる寸前、先ほど同様に粘菌がＡ．Ｔ．フィールドを展開、
　　３号機の装甲を紙のように切り裂いたソニックグレイブを、その下にある
　　薄い粘菌の層を覆う赤い障壁に防いだ。

　　　キィィィィン


　　そして、バルディエルはＡ．Ｔ．フィールドを展開している僅かな間にも、
　　３号機は直前までの流れ…左腕で振りぬくモーションを惰性で続ける。




騒
　伸




　　　バキバキバキバキバキ


　　届かないはずの間合い。
　　だが、バルディエルの意識が再び３号機を覆い、その無慈悲な制御が
　　本来ならありえない腕の伸張を行わせて、通常時の５倍にも急激に
　　伸びた左腕が弐号機の首を掴むと、そのまま投げ捨てた。




　　　ズゴォォォォン



　　３号機に向けていたバズーカの射線軸に重なるように
　　轟音と共に飛来してくる弐号機。

　　レイはとっさにバズーカを捨てて受け止めるのが精一杯だった。

　　
　　　滑る足場が災いし、弐号機と零号機は重なるように倒れてしまう。





嘆
　笑





　　限度を超えて酷使される筋肉、あまりの荷重に軋む骨格、激痛が走り続ける神経。
　　無理やり引き伸ばされる腕、それら全てが、自分の意志に関係なくやらされる。
　　そして、そんな３号機と、感覚を共有した上で思うままに操る…使徒。

　　ショックから抜け出せてないシンリの初号機を３号機が捉える。
　　そのまま、近づくのも億劫だ、とでも言うように、
　　右腕を伸ばすと初号機の首を掴み、手元に引き寄せた。




『…ぐ……っ…ぁ…』



　嘲



　　そのまま、獲物を眺めるように掲げる。
　　倒れこんでいる弐号機と零号機に見せ付けるように。

　　初号機は両手でその拘束を外そうとするが、握力が弱い左手は
　　ほとんど役に立たず、辛うじて縊り潰されるのを防ぐのみ。



　　
　　戦場に…苦悶の声が漏れ響いた…。

　圧倒的な存在が、弱い相手の首に手をかけて締め上げている。
　
　体勢を立て直し、３号機のほうを見たアスカの網膜に映った光景が
　薄皮を剥ぐように、心の奥底に封じ込めていた記憶を露にした。


　　パキッ…




『やめて！！！』

　初号機から発せられた意識の波に翻弄され、その衝撃から
　いまだ立ち上がれない人々の心を悲鳴が空しく叩いた。

　決して戦士としての心からは出るはずのない哀願の響き。
　何より、その言葉に一番、衝撃を受けたのはアスカ自身だった。

　― 第一発令所 ―


　包囲し、数で圧倒するエヴァで使徒と化した３号機の動きを止めて、
　フォースチルドレンを救出…。

　数秒前まで、それにある程度の自信すらあったはず。
　…だが、メインモニターに映る戦場の光景はまるで違っていた。




　　　悪夢？　…しかし、これが現実。


　滑りやすい劣悪な地盤上での弐号機を凌ぐ超絶機動

　　　設計限界無視を考慮した予想を、更に上回った膂力

　　A.T.フィールドの展開と機動行動の両立、という異常

　　シンクロ維持が危うくなるほど混乱に陥っているアスカ

　　半包囲状態から、内懐に入られたことによる陣形の破綻

　　　　首を掴まれたまま吊り上げられている初号機

　　　　　危機的な状況に２機が陥ったことで判断に迷うレイ　　　


　　侵食、増殖するというこの使徒の特性


　　そして、初号機から受けた精神を揺さぶる衝撃の残滓



　　…寄生し、相手を理用するという特性から、あくまでも３号機を
　　操る能力は余技、本命は対象への侵食、増殖にある、という
　　先入観がありはしなかったか・・・。


　僅か数秒の間に激変した状況と、それを指し示す情報の洪水。
　絶望的な事態、それでも指揮をせねばならない重圧。
　自動車に跳ね飛ばされた小石のように、翻弄され定まらない意識。



　戦闘指揮を行うべき場所。
　今、必要なのは、事態を動かすための、心を動かす力強い言葉。



　　しかし、瞬きすら自分の意志で行えない中では、
　それを望んだとしても、得られるはずもなかった。

第１８話Dパート…キリがいいので今回はここまで。
　短かいっ！　…ですよね（＾＾；）
　当初、予定の前半部分だけです。
　
　ごめんなさい。多忙のため、後半部分の出来あがりをまっていると
　掲載がいつになるかわからない、という中での苦肉の策です。

　…次パートをお楽しみに。