第１８話「命の選択を」Ｅパート

　手元に落ちていたバズーカを拾い、零号機が構えるが、
　３号機は、初号機を自分の前に掲げたまま、首を絞めあげる。

　　撃っても、冷凍弾は初号機に当たるだけ。
　　…人質であり、とても頑丈な生きた盾。


『…アレも…あんなモノも………使徒…』

　　深い落胆と狼狽がレイの声に混ざる。
　　その言葉に、いったいどれだけの想いが含まれていたことだろうか。

　　このまま傍観していても初号機がくびり殺されるだけ。
　　しかし、射撃では３号機に攻撃を当てることすら至難。
　　近接戦闘では、滑る足場で弐号機以上の機動をする相手に勝機はない。


　　手詰まりだった…。

　　高空を飛翔する爆撃機部隊。だが、その動きがおかしい。
　　方向を変えることもなく、ただ直進しているだけだ。
　　自動安定装置のおかげで墜落はしないが、戦闘領域から
　　離脱していくのは止まらない。
　
　　それでも、状況を変えようという流れはどこからも起きない。

　　初号機から発せられた感情の激流に流され、心神喪失状態に
　　陥ってしまっている状況では。

　　　パイロットはもちろん…NERV本部のオペレータ達も全て。

　　　早く助けなくちゃ…。

　　底無し井戸に放り込んだ小石のように、願いが沈み込む。
　　心を揺らすことすらなく。



「無理に引き剥がしちゃ…駄目。
　また…首が取れちゃう」

　小さな女の子の涙声が聞こえる。


　ベットの上で人形を溺愛する女性。
　自分を見て欲しくて、奪い取ろうと引っ張って…。


　
　　ちぎれ落ちた頭。



「怒られるのは嫌…嫌われるのは嫌」


　慌ててソレを拾うが、取れた首は繋がらない。
　手を離すと、コロリと落ちてしまう。

　　憑かれたように繰り返していた女性の手から人形が落ちた。



　　　伸びてくる大きな手。


　　そこに我が子に向ける愛情は込められていなかった。
　　宿っていたのは、己の子を殺めた者への憎悪。


　　　グギギギギギギィ


「…や……めて…」

　　

　最後に見えたのは怒りに歪んだ女性の顔。
　…でも、まるでその表情が思いだせない。



　　暗転した記憶。




「わたしを…殺さないで」


　　独りぼっちの女の子の小さなお願い。

　　けれど、それは叶わなかった。
　　すくなくとも、その子が望んだ形では。


　　聞き届けたのは悪魔だったのかもしれない。
　　願いは…ある意味、叶ったのだから。



　　いつもの澄んだ輝きが失われた青い瞳。
　　目の前の光景が見えているようで見えていない。



　　アスカの変化に弐号機も戸惑ってる。
　　それがシンクロ率低下となって現れてしまい、
　　最早、戦闘継続どころの話ではなかった。

　　ザザザ………

　　八方塞がりな状況の中、急に初号機との回線にノイズが混ざり始めた。
　　
　　　感情素子トレース３２．８％不明

　　　　エントリープラグ内映像受信不能

　　　　　遠隔操作…拒絶

　　　ＭＡＧＩが適確に表示をするが、発令所の人間に反応できる者がいない。
　　　…あらたな情報の追加で、更に混乱に拍車がかかった、のかもしれない。





　　『…勝手に身体を使われて参号機が悲しんでる…。
　　　キミに入り込まれて痛がってる…』

　　　　聞くだけで胸が締め付けられるような哀しい想い。
　　　　直接、心に響く言霊。



　　　　停止してしまっていた人々の心が僅かに動き始める。
　　　　例え、哀しみの方向へと感情が激しく揺さ振られたからではあっても。



　　『キミは…怪我を心配する必要もない』



　　　　単なる事実の確認。



　　『寿命に怯えることもない』


　　　　また一つ。


　　『病気に苦しむこともない』


　　　　淡々とした口調。…けれど、一つ告げるたびに、言葉から
　　　　何か、大切なものが欠け落ちていく予感。





　　『キミは…キミたち…使徒は、自分を創り変える力を持ってるよね』


　　　震


　　　初号機の首を締め上げている状況に変わりはない。
　　　しかし、淡々と伝わってくるシンリの言葉に何かを感じたようで
　　　バルディエルは更なる無慈悲な制御で、初号機を黙らせようとする。




　　『人と違って、自分だけで生きることすらできるよね…』


　　　　最後の１枚。


　　　　心を覆っていた表層的な部分が最後に落ちた。







　　『…なのに、どうしてこんなことをするの』


　　　　決して険しい声だったわけではない。
　　　　しかし、聞いた者は、等しく、激しい恐怖に身を震わせた。

　　　　まるで、悪いことをしてる自覚を持った幼子が
　　　　その行為を母親に見つけられてしまったかのように。


　　　　世界の全てから拒絶されるのではないか、という
　　　　抗えない脅迫観念と共に。



　　　　指先がゆっくりと…だが確実に３号機の腕にめり込む。



　　　　　バギィィ…

　焦

　　　　３号機の右腕が一回り大きく膨らみ、凄まじい力で
　　　　初号機の抵抗を抑え込もうと抗う。

　　　　それでも、ほんの僅かですら、初号機の握力を弱めることはできない。



　　　初号機の左手がそっと３号機の頬に触れる。
　　　体温を確かめるように…。






　　『…他人の身体を好き勝手に弄んで…楽しい？』

　怯

　　　初号機の全身が揺らぎ、表面で光の屈折がおき始めた。
　　　それは、極端な温度差が生み出す現象。
　　　初号機の首筋を締め上げる手と、初号機が触れている頭部を基点に
　　　白い輝きが広がりだす。…３号機の表面に纏わり付くように。



　　　　…凄まじい…冷気が。

　　寝ていた者が氷点下の室外へと放り出されたように、
　　心に直接響く声が、少しずつ人々の意志を動かし始めた。


　　目に映っていた情報を認識し、聞こえてくる警告音の危険性を思い出し、
　　自らに課せられた役割を記憶から引き摺りだす。




　　飛んでしまった認識の断層が埋まり始める。
　　同時に、溢れ出す絶望感。


　　　ガンッ


　　立っていた日向がバランスを崩し、反射的に動いた足が
　　椅子に嫌な角度でぶち当たった。


「が……っ…」

　　身体が軋むほど全身の筋肉が硬直していたせいで起きたこと。
　　しかし、それが幸いし、激痛が肉体に感覚を蘇らせた。

　　急激にクリアになる意識。

　　フル回転し始める思考。


　　　背筋を冷たいものが流れる…。


「１ｓｔ、弐号機を連れて後退しろ！
　そのままでは的になるだけだ」

　　自らを叱咤するように、発令所中に響くほどの大声で日向が吼えた。


　だが…心のどこかでは悟っていた。
　事態が既に自分達の手から離れてしまっていたことを。

　　『痛みに苦しむ想いに触れても、キミは何も感じないの？』

　　　　暖かさが欠落した問いかけ。
　　　　どんな猛者も平静でいられなくなる…そんな響き…。



　逃


　　　初号機の首にかけている手を離して逃れようとする３号機。
　　　しかし、初号機がその手首を掴み離さない。
　　　その間にも、３号機に食い込むように広がる粘菌だけを選んで、
　　　青白い宝石のような輝きが広がり、表面を覆っていく。


　　　強引に手を離そうと腕を引き抜く。

　　　　バキィィン

　　　３号機の右手首が千切れ…骨格部分まで食い込んだ冷気と
　　　それによって凍結した粘菌…つまり自分自身を見て、動きが止まる。


　愕


　　　全身の隅々、食い込んだ粘菌に絡みついた冷気が
　　　３号機の動きを完全に封じていた。


　　　自分の首に食い込んでいた３号機の手を引き剥がして足元に落とす。
　　　落下する間にも冷気が粘菌を蝕み、地面に落ちる前に全てが凍りついた。



　　　そのまま、静かに近づくと、３号機の胸部装甲の隙間から見える粘菌を掴む。



　　『…相手の心を踏み躙るのがそんなに面白い！？』



　　　呼応するように、更に周囲の温度が下がり、
　　　瞬間冷却されたかのように、全ての粘菌が氷の如き光の結晶に閉ざされた。



　慌



　　　樹氷のように３号機の全身、バルディエルだけを覆った光の結晶。
　　　それは氷の如き冷えた感情と、拒絶の心の具現。


　　　戦闘地域中の大気にキラキラと小さなものが混ざり始めた。
　　　空気中に漂う微粒子を核として急激に成長した氷片。



　　　周囲の山々の葉がざわざわと音を立て始める。
　　　初号機を中心に発生し続けている低温領域との温度差によって、
　　　風の流れが生まれ始めていた。

　　　大気が氷結し、冷気の結界とも言うべき状況が生まれる。
　　　通信のために放つレーザーすら、無数の結晶に阻まれて直進できない。

　　　赤外線センサーが急激に気温が低下していく様子を捉える。


　初号機から伝わってくる感触と、心に響く言葉によって青褪めていたレイだったが
　このまま、命令通りに退避していいものかどうか迷い、足を止めた。


『早く撤退しろ！　巻き込まれたら全滅するぞ！！！』

　　　大きく目を見開いた日向が見ている画面。
　　　３号機周囲のサーモグラフィー画像。
　　　信じ難いことに、光の結晶は−１５０℃を下回り、
　　　更に温度低下を起していることを示している。


　　バチッ、バチッ、バチッ…


　観測網のセンサーが極低温に耐えられず壊れてしまい、
　情報の途絶えた表示画面が次々に赤い警告表示に埋め尽くされる。

　　近距離観測装置網は機能を完全に消失している。


　長距離センサーは生きているが、情報の量も質も遥かに劣る。


「くそっ、どうすればいい！！！？」

　焦る心が無意味な言葉を口走らせる。
　それを決める立場にいるというのに。


「もう少しだけ待って！」

　コンソールを常人には真似の出来ない速度で操作し、
　幾多の可能性をＭＡＧＩに試させながら、マヤは
　悲鳴にも似た声で答える。


　直感がどう告げようと、自分達は解決策を
　見つけなければならないのだ、という信念だけが
　今のマヤを支えていた。

　『…ごめんね。痛いけど………我慢して…』



　　　　バリバリバリバリバリ、プシュゥゥゥゥゥ

　　初号機が、動きを止めた参号機から冷い光の檻に表面を覆われた
　　バルディエルをそのまま引き抜く。

　　中まで浸食していたものを一気に引き抜いたことで、
　　３号機の身体中から肉片が飛び散り、体液が周囲を赤く染めるが、
　　すぐに、外気に温度を奪われて氷結してしまう。


　　　ズズゥゥゥゥゥン

　　バランスを崩して倒れる３号機はそのまま、青白い氷に閉ざされた。
　　まるで、氷の棺に納められたかのように。


　　神経節に沿うように浸食していた形状のまま外に曝される。
　　その姿は、樹木の根のようにも見えるが、光の結晶に覆われた中で
　　懸命にもがき、衝突し、なんとか逃れようと蠢いている。

　拒絶の光に覆われ、氷付けになったかのようなバルディエルの粘菌を延ばした姿。
　細かく凍り付いている空気分子が光を乱反射し、幻想的な雰囲気すら醸し出すが、
　拒絶の色が含まれた輝きは、見る者の心すら凍て付かせていた。


　　狙


　『…まだ…やめる気がないの？』

　　粘菌が懸命に自身の表面を覆う光の結晶を破ろうと暴れ、
　　それに呼応して結晶面が冷たく輝き、初号機と結晶の接触面から赤い体液が噴出す。




　『どこまでも…他人を利用しようとしか…しないんだね。
　　…最低だよ…キミ』




　　　冷気が暗い輝きを増した。


　　バルディエルの末端個所…
　　細く脆い部分から、徐々に輝きに飲み込まれるように粘菌の欠片に
　　至るまで拒絶の心に飲み込まれ、粉々になって空に消える。



　　極低温へと空気が冷やされ、遂に気体の形態を保てなくなって固体化し始めた。
　　１／１０００にまで体積が圧縮されることで気圧が急激に下がる。
　　周囲から失われていく空気を補完するために、膨大な空気が動きだす。

　　初号機に向かって落ちるように、周囲の大気層が流れ始めた。



　怖

　　　ピキィィィィィィン

　　浸食行為を試みていたバルディエルが、身体を削り殺される恐怖に
　　拒絶の壁Ａ．Ｔ．フィールドの赤い結晶面を発生させた。

　　赤い拒絶の光が、初号機が発する白い光の結晶面と接触して
　　僅かに拮抗する。



　『…不思議だね。
　　怖がってるのがわかるのに、同情の気持ちが全然湧かないなんて』




　　　耳を塞ごうとも、目を閉じようとも聞こえてくる呟き。
　　　あまりの重圧に失神するオペレータまで出始めた。




　『ボクも心が壊れてるのかも…しれない………ね』



　　　ギギギギギギギ、ガシャーン！！！

　　白い光がバルディエルのＡ．Ｔ．フィールドを押し潰し、
　　砕け散った結晶面が風化するように掻き消される。



　　　風の激しい流れに木々が、根こそぎ浮きあがり、初号機に近づくと
　　　一瞬で凍結し、粉々になって消滅していく。
　　　アスファルトが、壊れた武器の破片が、コンクリートが、鉄筋が…
　　　全て、分け隔てなく、凍結し、自重に耐えられなくなるように粉々になった。



　　　狂



　　伸びた根のほとんどが光の粒となって削り消され、僅かに残った粘菌の
　　塊が周囲から浸食する冷たい結晶面に衝突し、消され、暴れ続ける。
　　…が外部展開したＡ．Ｔ．フィールドを砕かれたバルディエルに
　　もはや、己が身を浸食し削る拒絶の光を止める術はない。



　　　叫


　　
　　大型台風を超える暴風の吹き荒れる音だけが聞こえる異常事態。

　　そんな中、最後の粘菌まで全てが光の結晶に飲み込まれ、
　　押し潰されて粉微塵になり、全てがこの世界から消えた。

バルディエル戦…終了です。
次パート、第１８話編のエピローグ部分になります。

お楽しみに。