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休憩室の前で、紙コップに入ったお茶を飲みながら
マヤ、青葉、日向の３人は互いの表情を伺っていた。
なかなか誰も話を言い出しにくい雰囲気。
それでも、日向は居心地の悪い状況を動かすために口火を切った。
「さっきの話、どう思う？」
…しかし、二人の反応は鈍い。
それほどに、明かされた情報は決断に迷うものだった。
ミサトは殊更、事務的に情報を与える。
「裏死海文書によれば、残りの使徒は３体。
その３体を倒せばＮＥＲＶは用済みとなり、解散が指示される。
平時は厄介者に過ぎないエヴァ。当然、廃棄されることになり、
残務整理を含めて、国連の関係機関に引継ぎを行うことになるわ」
金食い虫であるエヴァ、そして第三新東京市、ジオフロント。
使徒の脅威が去れば、人類には過ぎた力と言える。
ＮＥＲＶに入る際に、これは説明されている内容だ。
しかし、使徒の残りの数が初めから明確になっている、という時点で
その方針に疑念が生まれる。サハクィエルの再訪が確実視されるというのに。
「迎撃でも、回避でも、破壊でも、防衛でもなく…補完…嫌な響きですね」
青葉の呟きが酷く重い。
「人類補完計画が成功すれば、人類は最後の審判が下された後も
滅びることなく、存続し続けることができると考えられている。
老いも病も、死すらなく、悩みも、苦しみも、哀しみもない。
神が約束したという最後の姿へと変わって」
「まさに”最後の審判”ってことですか。
人の力では防ぎようのない天変地異…それは神の裁きの火だと」
その宗教を信仰する者達なら、それに疑問を持たないかもしれない。
しかし、宗教と生活がそれほど密接ではない人、或いは終末思想のない宗教を
信じる者にとっては、”正しき教え”として、それを前提として思考が
行われる姿は…恐ろしく映る。
「あの…葛城さん、エヴァ関連技術を持ってしても、老いは不可避ですし、
万病を治療することもできず、事故死もあるんですよ？
まして、どんな状況にも”慣れて”しまうのは、人の特性です。
万人が幸せと思う状況でも、それが続けば、日常化してしまう。
そして、更なる幸せを求める。もし今が最高の幸せな時期にあると
判断したなら、失うことを恐れます。それなのに、
…悩みも、苦しみも、哀しみもないなんて………そ、まさか………」
マヤは世迷い言と論破しようと懸命だった。
ミサトが冗談で言っているのではないと理解してしまっていたために。
しかし、エヴァに関わる技術者であるからこそ……リツコの次席として
自他共に認める能力があるからこそ、気付いてしまった。
ソレが成立してしまう可能性に。
「人がそれぞれ持つ欠片を、別の強力な心を拠り所として、一つに束ねる。
そして生まれる新たな心。それは人類の総意にして、単一の意志体となるはず。
欠片では展開できない心の壁、Ａ．Ｔ．フィールドの行使もできるでしょうね」
吐き気すら感じるおぞましい思考の末路。
老いも病もない永遠の命。
他人との関係に煩わされることもなく、何も脅かすものもなく。
孤独感を感じることもなく、時間に追われることもなく。
寒さに凍えることもなく、暑さに身を焼かれることもなく。
乾きもなく、飢えもなく、食べ物を探す必要もない。
諍いも、争いもなく、…いつまでも、いつまでも続く平和。
それを人は理想郷と呼ぶのだろうか。
「強力な心…残りの使徒を全部倒した後というなら、それは第一使徒アダム。
ロンギヌスの槍を持ってアダムという名の虚無の器に方向性を与え、
荒ぶる意志の波を持って世界を薙ぎ払い、あらゆる生物は全て形を失う。
肉体という名の入れ物から開放された心は、虚無の器へと流れ込み１つに。
…そういうことですか」
日向が、様々な調査、過去の極秘研究のデータを盗み得た知識を元に
与えられた情報を組み立てて、一つの考えに辿り着いた。
ミサトが、正しい回答をした生徒を褒める先生のように微笑む。
「でも…でも、葛城さん！
恐竜は巨大隕石の激突があっても、絶滅まで数百万年の時間差があります。
かなりの被害は出したのは間違い有りませんが、絶滅のトリガーにしては
説得力が薄い、とされているじゃないですか！？
未曾有の危機ではあっても、絶滅必至じゃないです！」
マヤが懸命にそんな考えは異常だと叫ぶ。
初めに答えがあり、それを補強するデータを集めただけだ、と。
よくあるトンデモ本、古代に超文明があった、とか、世界は××で滅亡するとか、
そういった説などにあるパターンとして、よく見られるものだ。
まず、自説がある。
そして、古今東西を問わず多くの文献から、自説を補強する記述を紹介する。
これだけの文献が指し示しているのだから、私の説は正しい。
しかし、なぜ多くの文献から摘み食いするように一部の記述を取り出すのか、
その取り出す基準は何なのか、について明確な根拠は示されることはない。
それは散りばめられた記録の海から、直感、神の啓示、勘その他によって
ジグソーパズルのピースを集めたら１つの絵になるように、自説に辿り着いたと
力説しているものだ。なんら疑うこともなく。
そんな輩と同じだ、と。
「確かに人類は”最後の審判”が落ちても絶滅はしないかもしれない。
予測される事態に備えて準備し、激変する環境の中でも、なんとか
生存条件を維持しうるために力を集めることもできるのだから。
…でも、光合成ができず世界の大半で食物連鎖の底辺が崩壊する。
落下直後の巨大津波と熱波による被害の後に起こる絶望的な食料不足。
…セカンドインパクト再び。あの地獄が再び地上に顕現化するのよ。
今度は人類の過半数が死ぬでしょうね」
それでも、確実に訪れる地獄に立ち向かえ、と？
ミサトは値踏みするようにマヤを見るが、マヤは怯まなかった。
次に青葉と日向の反応を眺めるが、二人の顔は苦渋に満ちている。
「使徒３体を倒した後、ＮＥＲＶは解体を指示されるでしょう。
けれど、それは国連…ゼーレの意向に沿って、人類補完計画へ繋がる道。
解体を拒絶すれば…我々は国連施設を不法占拠する者と定義され、
強制排除される可能性は高い。
今ならまだ他人事でいられる。いずれ当事者になるけれど。
だから、決めて頂戴。
見てみぬ振りをして人類補完計画を受け入れるか、或いはそれに抗うか」
問いかけは囁くように優しかった。
強制はしない、あくまでも自由意志で決めるように。
そう、目が告げていた。
「…勝算はあるんですか…？
私には…国連決議を覆せるとは思えません」
マヤは消沈した声で、事実を告げた。
人類補完計画は阻止すべきだし、実行される必然性もない。
けれど、それが可能かと言えば、疲弊しきったＮＥＲＶ本部に
その力があるとは到底、考えられなかった。
「勝算は…我々が持てる駒を最大限、効果的に使ったとすれば、
…ゼロではないわ」
確かに酷い提案だとミサトも認めていた。
なにせ、明日死ぬか、１年後に死ぬかと聞くようなものなのだ。
だからこそ、闇を照らす一握りの光明の存在についてだけは
伝えておくことに決めた。
「それは…？」
「各国政府の意志決定はゼーレに既に把握されている。
けれど、政府＝国民ではない。政府の集合が国連だけど、
国連＝人類、ではない…とだけ言っておくわね」
示された微かな輝き。
握りしめれば消えてしまうような小さな光。
…そして、ミサトは３時間後に返事を聞くことにして
一時解散させたのだった。
「…怖いです」
マヤの声は…震えていた。
カップを持っている手も強ばっている。
「そっか。安心したよ、俺だけが怖がってたんじゃなくて」
青葉は精一杯、リラックスした表情で怖がってみせた。
バンド活動で鍛えた鉄面皮で、不安を押し隠して。
――＊――
――地下射撃場。
ズキューン
銃声が響くたびに、広大な敷地に点在するターゲットが穿たれる。
女性が撃つには大きな銃。しかし、黒髪の女性の姿勢は揺らぎはしない。
ズキューン
ただ、ひたすら眼前の人影に意識を集中して。
鋭い視線がターゲットを捉えるたびに引き金を絞る。
ズキューン
弾倉が空になるまで撃ちきり、銃を降ろした。
パン、パン、パン、パン
背後から歩いてくる金髪黒眉の白衣女性が拍手をしてる。
銃声から耳を守るヘッドホンを外して、力を抜く。
「…大悪党だわ、私」
双眼鏡を取り出し、命中結果を確認しながらの独り言。
「世界史に残る有名人になれるわね。
歴史を知る人が残ってくれれば」
手元のディスプレイに結果報告画面が出ているのに、
あくまでも自分の目で確認する友の態度に呆れながら
どこか、楽しそうに返事を伝える。
「リツコは、覚悟を決めたようね」
同じ側にきてしまったのを喜ぶべきか、悲しむべきか。
ゲンドウから、リツコの決断については聞いている。
今までのリツコは、ゲンドウの思惑に流されながら協力してきた。
しかし、これからは違う。あくまでも自分の意志でこちら側に
留まることを決めたのだ。
そして…友の顔は、既に覚悟を決めた者のそれだった。
「世界相手に、己の道を信じて、独り、敢然と戦いを挑む！
それって、科学者なら一度は夢見る晴れ舞台よ」
口元に微笑みすら浮かべて、白衣を翻し言い放つ。
そりゃーもう大盤振る舞いに気前良く。
「…普通、その科学者には”マッド”とか”悪の”なんて
形容詞が付くって、知ってる？」
ミサトの突っ込みもまた、遠慮なく冷たい。
「それは先人達が最終的に勝利してないからよ。
私が最初の一人になれば、そんな常識は無意味に変わる」
「…はぁ」
「私が、赤木ナオコの娘、と常に言われ日陰生活を送る時代は終わるのよ！
赤木ナオコは、赤木リツコの母と呼ばれる日も近い！」
「はいはい、台詞の棒読みのように心の篭ってないご高説はもう結構。
あんたは私が思ってた以上に、生きることに貪欲で意欲溢れるのは
分かったから、ね」
いい加減、下手な演技は止めなさい、と苦笑する。
リツコもまた、葦の野原に秘密を暴露した青年のように
すっきりした顔で笑い返した。
「考え方、よ。地獄も天国も同じ場所。
ただ、そこにいる人の心次第でどちらにも思えるって。
さっきのだって、１％くらいは気持ち入ってるわよ？
残り９９％は”これ以上の面倒は嫌”だけど。
私は、生活するのに困らなければ、後は幸せな家庭と
素敵な旦那様と、可愛い子供がいればそれでいいの」
思ったよりリツコは保守的な考えを持ってるようだ。
或いは手に入らないと思うからこそ、求めるのかもしれないが。
「まぁ、私だって、どこに行っても、国家元首並に出迎えられるなんて
息苦しくてまっぴらごめんだけどさ。
数えきれないほど特許抱えて、勝手に増えてく預金だけで国家予算並、
それを”生活するのに困らなければ”ってーのは
控えめに言っても、すっごく嫌味よ」
「特許は半分以上、母さんのもの。預金も、勝手に増えるというけど、
許可される範囲内でＭＡＧＩに資金運用を任せているだけ。
それに、普段の生活費はここの給料だけで賄っているし、
ミサトがいつも金欠なのは、車に投資し過ぎなだけでしょ」
「はいはい、そうよね、あんたは正しい、いつだって」
互いに相手に心を許しているからこそできる言葉の応酬。
そんなふうに言い合える相手がいることが嬉しかった。
「…ミサトは、迷いがあるようね」
「最悪、人類の８割、９割を見殺しにしようってことなのよ。
正しいと判断しても、そうそう割り切れないわよ」
揺れる心を忘れないように。
それこそが人であることの拠り所なのだから。
「…あと１００年…せめて５０年、猶予があれば…無理ね。
セカンドインパクトで公転軌道が歪まなければ、
接触は有りえなかったのだから」
「人類補完計画阻止は、始めの一歩に過ぎない。
疲弊した状態で、最大規模の天災を切りぬけなくちゃいけない。
使徒戦が終わった後、僅か５年で」
「計画阻止自体、できたら奇跡なのに。
ミサトのほうが楽観的じゃない？」
「ま、ね。やるべきことはやっておきたいし。
後悔だけはしたくないでしょ？ 一度しかない人生だからね」
「…そうね」
人は生きる時代を選ぶことはできない。
ならば、生きよう。己の全てを賭けて。
すれ違い続けてきた二人。
けれど、それも過去のこと。
二人の人生は、今、交わったのだから。
「ねぇ、リツコ」
「なに？」
「あんた、なんかとっても幸せそうよね。
なんか進展あった訳？ その、…碇司令とさ」
積み重なる既成事実から導き出された可能性。
…けれど、答えを聞きたいような、聞きたくないような。
躊躇する問いかけが、ミサトの心情を物語っている。
「別に」
リツコの答えは素っ気ない。
「そ。 お願いがあるのよね、私」
「…言いたいことがあるなら、さっさと言いなさい」
「その…もし、重大な発表とか控えてるなら…
段階的に情報は提供してくれないかしら。
…この若さでショック死したくないの。マジに」
先ほどまで悩んでいた顔より、今のほうが深刻そうに見えるのは
気のせいだろうか。 切実とさえ言える表情で縋り付いてる。
「…考慮しておくわ」
リツコの答えは…やはり素っ気なかった。
――＊――
休憩室に残るのは青葉と日向の二人だけ。
マヤは、一人で考えを纏めたい、と自室に戻った。
「５年後、またあの地獄が現れる、か」
「…意外だな。迷ってるのか？」
あのミサトに好意を寄せるマコトなら、共にある道を
即答で選択すると思っていただけに青葉は不思議そうだ。
「あの”地獄”を生き抜いたなら、アレをもう一度経験したいと言えるか？
客観的に見て、それが正しい道だと結論づけられたとしても」
「…できうる限り、遠慮したいね、俺は。
マヤちゃん？」
話題の焦点は、人類補完計画ではなく、同僚であるマヤのことらしい。
「そんなことを言えるのは、葛城さんや碇司令のように
鋼の意志を持って必要な決断ができる人。
そうでなければ、…アレを識らない人、だ」
そうだろ？ と同意を求めるマコトは楽しげだ。
「俺は後者に、今日の定食を賭けるよ」
ま、当然、勝てるほうに。
今日の定食はいただきだ。
「二人とも同じほうに賭けちゃ、賭けが成立しない」
そっちに賭けるのか？ 賭けるなよ…まぁ、賭けるよなぁ。
マコトの目がそんなことを語っている。
「「そりゃそうだ」」
ある意味、どーでもいいことに心の底から笑える。
打てば響くような関係にあることを二人は喜び合った。
――＊――
―２０００年南極――
地下の巨大空洞内に建設された施設の喫煙所。
「葛城博士が提唱したスーパーソレノイド理論ですが…」
「あれはあまりに突飛過ぎるよ」
「まだ仮説の段階に過ぎん代物だ」
「しかし、あの巨人の動力はＳ２理論以外に説明できません」
「図らずとも既に実証済みですよ、アレは」
「現実に存在しているのだから、認めるほかあるまい」
「データの検証が全て終わればそうするよ」
技術者達の他愛のない雑談。
無知故に、のんびりしていられた遠い過去。
「ロンギヌスの槍は？」
「先週、死海から陸揚げされたままです」
「地下に送る前に処理が必要だろ？ 大丈夫か？」
「人体との接触実験は来月１３日の予定だろ。
調整は間に合うよ」
目の前にある物の表層しか見ていない愚者達。
１３階段を登っているとも知らずに。
無邪気に歩き続けてる。
「碇さん達は今度の１２日にここを立つそうです」
「喫煙コーナーをもう少し設置して欲しいな」
「全施設禁煙の話もあったそうですよ。
あるだけマシです」
「そうなったらここはいないさ。
タバコなくして仕事はできんよ」
未来よりも現在が大事。
だが、その態度こそが未来から目を逸らす。
自覚することすらできないままに。
気付いた時は、全てが手遅れでも。
「科学者というものはどうも自分の考えを信じ過ぎる」
「独善的ですな」
「思い込みが激し過ぎるのだ。
現実を適確に把握できん連中だからな」
「そういう人種が真実を求めている。皮肉なものです」
「彼らはそんな崇高なものではない。
発見は喜びであり、理解は支配へ繋がる。
求めているのは自分の気持ちの錯覚だ」
闇を知り、人々を導く者はその態度を憂う。
けれど、漠然とした不安を覚えても運命は止められない。
彼もまた人の身に過ぎず、未来は見えなかったから。
暴風が吹き荒れる施設。
「表面の発光を止めろ！
限界予定数値を超えている！
異常事態、異常事態！
総員防撃体制を――」
カメラ映像が酷いノイズに覆われている。
振動も酷い。
「アダムにダイブした遺伝子は物理的融合状態へ移行」
「Ａ．Ｔ．フィールドが全て開放されていきます！」
「槍だ、槍を引き戻せ！」
「駄目だ、距離を保てない！」
「沈んでいくぞ！」
「僅かでもいい、被害を最小限に食い止めろ！！」
「極地的に大気の分解が既に！」
混乱を続ける制御室。
情報が錯綜し、現状を理解することすら追い付かない。
「凄い…歩き始めた」
「地上からも歩行を確認！
Ａ．Ｔ．フィールドの強制展開は！
くそ！ 奴からエネルギーを搾り出せないのか！」
「羽を広げている！ 地上に出るぞ！」
地上に出現し、徐々に輪郭が揺らぎ始める光の巨人。
物質形態からエネルギー形態へと遷移する姿。
成層圏まで伸びていく光の羽…
…過去の映像はそこで途切れた。
――＊――
『はい、ミサトでーす。ちょっち忙しくて今は応対できません。
発信音の後にメッセージをどうぞ』
受話器に向かい、伝言を遺す。
落ち着いた声でやっと自覚できた想いを載せて。
伝言を終えて、電話機からカードを取り出す。
それはＮＥＲＶ職員であることを示す多機能カード。
「まるで血の赤だな」
カードの色に何を見たのか。
…加持の目には深い決意と覚悟の光が宿っていた。
あぁ…今回は全然、子供達が出てこない（＾＾；）
ごめんなさい、次回は昔話になるので、
やっぱり、子供達はあんまり出てこないでしょう。
では、次パートもお楽しみに♪
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