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カヲルは、悲しげな表情で、第二発令所の様子を観察していた。
ゆっくりと戻ってくる弐号機、降り注ぐ赤い光の中、崩れ落ちたままの零号機。
初号機へのエントリー準備を進める技術部員達。
ケイジで、緊急救助の準備を懸命に進めている職員達。
遠隔操縦機械による零号機からのパイロット救助について、その可能性を計算するMAGI。
指揮下にあるUN軍はもとより、各国が指揮権を手放さない弾道兵器群による総力戦まで
MAGIの頼みに答えて、猛烈な勢いでシミュレーションを続けるジオフロント下層にいる居候。
事前に想定といっても何でも予測可能なわけではなく。
だからこそ、起きた事態に、どう対処すべきか。その即応性が求められるのだが……。
懸命にどうにかしようとあがいたNERV。
その行動を助力し続けたゼーレ。
だが、流れついた未来は、ここ。
なぜ、人類はこの流れに行き着いてしまったのか。
人類の抱える人、物、金、社会機構。
それらが、アラエルの与えた制約があったとして、崩壊してしまう構造にあったのか。
答えはNOでありYES。
単純に物理的な意味でいえば、生活の質は落ちるだろうが、生命維持に支障をきたすことは回避できる。
たしかに短期的に見れば、崩壊する地域も多いだろうが、それは元々、無理をしていただけ。
小さな都市に大勢の人間を住まわせて維持するという無理を通すために、
その数百倍、数千倍という地域から、多くのものを収奪することでバランスをとっていた、ただそれだけ。
そんな無理が続けば、都市という人工空間にいる人間の心は歪み、驕って来る。
自分達の認識能力の低さゆえに、広大な地域から搾取し続けて成立する環境が、
まるで、普遍のものであるかのように誤解し、疑いもしなくなる。
だから、そんな「当たり前の日常」が維持できなくなった時、それを没落と捉える。
そして「当たり前の日常」を盗り返そうと、「当然の権利」を主張する。
土台が歪んでいるのに、それに気付けない人。
アラエルは、人の持つ、そんな本質的な歪みに、ただ光を当てただけにすぎない。
広大な母なる大地は、今の激減した人類程度なら養うことはできる。
計算上は、十分に可能だ。
なのに、その道を選ぼうともせず。
選ぼうとする流れすら、その兆しすら見せず。
リリンだけの閉じた思考で、針路を決める。
綾波レイの、自分よりも他者を優先する行為。それは尊い。
同じように、我が子のために、友のために、愛する人のために、郷里の人々のために。
我が身を犠牲にすることもいとわない人とて大勢いるだろう。
だが、結果はコレ、だ。
尊敬に値する人、無害な人が大多数を占めるにも関わらずその集合体としての人類は……。
悪影響を与える個体の排除が有効ではないのだろうか？
意思決定を担う中枢が全ての元凶なのか？
この惨状を招いたモノ……それこそが人類が背負う業、あるいは原罪。
カヲルは、傍観者としての立場を自覚し、分析を続けていた。
客観的に分析するには、集団に属さない必要がある。
外部の目。
自分がその資格を持つと自認するが故に。
――＊――
色褪せた弐号機
朽ち果てた零号機
消えゆく心
煮えたぎる穏やかな心
投げ続ける落胆の想い
相手を気にしない批判
低過ぎる幻滅の源
罪には罰を
背を向けた人類
自分勝手
偽りの仮面
見えない悪意
地球を蝕む種
増殖する悪性癌
尽くされた人事
裏切者への裁き
落胆ばかりの決定
悲しい、本当に？
許したい……許したくない
共存という幻影
陳腐な希望
戦いには命のチップを
命令したのは誰？
決定を下したのは誰？
誰かだけが悪者？
全員が悪者？
不作為の加担
等価な復讐
護る価値
見捨てちゃえばいい
何もしなければいい
他人事としての判決
使徒のほうがいい
割れてしまった心
散らばってしまった心
酷い
悲しい
誰もが傷つく現実
加害者と被害者
先に手を出したのは誰？
被害者であり加害者
騙し撃ちをしたのはどちら？
加害者であり被害者
因果応報
傷つけたのは誰？
アラエル
酷い怪我
死の匂い
滅びの香り
手を出したのはこちら
殺そうとしたのは二人
紳士的な使徒
野盗のような人類
命じたのは葛城ミサト
許可したのは碇ゲンドウ
悪いのは誰？
犬が悪さをしたら叱らなくちゃいけない
悪さをした犬の主には文句を言うべき
悪いのは犬か飼い主か
その場にいた誰もが犠牲者
犬は勝手に噛み付いた？
ミサトさん達は戦いたくなかった
なら、けしかけたのは飼い主？
誰かが悪？
勝算のない戦い
作られる総意
争いしか選ばない人類
軽蔑
交渉させたのはなぜ？
脆弱な人の世界
打ち切ったのはなぜ？
止まらない争い
独りになるまでやめられない
共食いに邪魔な使徒
身勝手
人類の価値は
尊重すべき意志
慌
アラエル、酷い傷
捻れた翼
焼けただれた体表
不安定で弱々しい脈動
悲しい
あんなに綺麗だったのに
相応しい復讐を
傷つけたのはアスカ
傷つけたのは綾波さん
命じたのはミサトさん
許可したのは碇ゲンドウ
追いこんだのは人類
自分達のことしか考えないリリン
罪には罰を
相応しい罰は？
怖
キミがそう言うの？
力だけを求めた使徒
力こそが正義、強者こそが法
言葉には言葉を
力には力を
暴力には暴力を
身勝手さには理不尽さで
悪さをしたならその場で叱る
皆嫌い
どうせ他人
半殺しにされたアラエル
嫌な奴ら
半分殺す？
初号機なら簡単
醜い考え
死者は何もしない
自己満足
許せない行為
殺戮という欺瞞
大切な家族
友達
なぜ護ろうとする？
価値なんてない
自然の敵
傲慢
無知
空を汚したのは人
海を汚したのも人
大地を汚したのも人
生き物を食べ尽くし滅ぼしたのも人
森を焼き払い、奪い尽くしたのも人
獣より性質が悪い
家族
友達
第三新東京市
どれも例外
生きることは苦痛
死は最後の安らぎ
人同士で殺しあってまで求める終焉
寿命があるのに死に急ぐ
それが望み？
リリンが求めるのは死の安息
与えるのが慈悲？
笑
……アラエル！？
な、ど、どうしちゃったの！？
怪我が酷くなっちゃった？
我を忘れて怒って、睨み付けていたのに
酷い傷を負っているのに、癒すことすら後回しにして……
なのに、どうしてそんな風に涼やかな気持ちを向けられるの？
そんなに無理して……無理をするのはどうして？
ソレがわかるのはボクだけなのに。
……ボクの……ために
安
そ、そう……ごめんね、キミはそんなに酷い仕打ちを受けてるのに
ボクは取り乱してばかりで、考えが空周りしてたみたい。
でも……考えないといけないね。
どう終わらせるか……。
――＊――
初号機とシンクロしたシンリは、明らかにいつもと違っていた。
明確な言語化がされない渦巻く想念のため、思考がわからない。
何を問いかけても、発令所からの通信に、反応しない。
めちゃくちゃに荒れた脳波、そして乱れるほどに高まるシンクロ率。
徐々に薄暗い闇に包まれていく初号機。
「空間侵食率増大。ケイジ周囲より許可されたB、C級職員以外は退避！」
第二発令所に緊迫した空気が流れた。
やっと、ボロボロの弐号機が回収ルートに乗って戻りつつあるというのに
戻ってくるケイジは、人にとっては地獄と呼ぶに相応しい魔境へと変貌しつつある。
慌
「アラエルからの光の照射、停止しました！！」
「零号機パイロット、脳波微弱。危険域です」
「輸送ユニットパージ時のシミュレート終了。
陸上軽巡では、零号機をリニアカタパルトに乗せることはできません」
宥
シンリと初号機のシンクロ率上昇が急に止まった。
炎がふっ、と風に吹かれて消えるように。
カラカラに乾いた喉が痛みを発するのを自覚するだけの間を置いて、
大型ディスプレイに映るシンリが、そっと告げた。
『……地上に射出してください』
「まって。意思疎通なら――」
『綾波さんを助けるのが先です。
単なる意思疎通ならまだしも、隠れてて交渉なんて無理です。
……そのくらいの誠意は見せないと話になりません』
墓石に銘を刻むように、ゆっくり言い聞かせる。
一言、一言が頭の奥底をハンマーで殴りつけるように、そっと響く。
希望という光を、厳然とした事実で闇色に塗り潰していく。
発令所の面々が理解したのを視界の片隅で確認し、
リニアカタパルトのほうに視線を向けた。
万全の時には、エヴァを軽々と弾き出すように急加速で移動させていた機構も、
多くの不調個所を抱えた今は、徐行運転のようにゆっくりと動かすしかない。
降りてきた弐号機を、そっと横に降ろし、代わりに乗り込む。
躊躇する発令所。
シンリは、とても穏やかな瞳のまま、静かに行動を求めた。
シンクロ率も、ハーモニクス値も極めて高い値で安定している。
暴走の予兆すらなく、この状況下では奇跡的に見えた。
なかなか指示がこないため、判断に苦慮しているであろうと考え、
そっと後ろを覗き見たオペレータ３人組は、瞬時に「見なかった」ことにした。
ミサトも、リツコも、そして上のフロアに陣取り腕組みしているゲンドウや、
その傍らに立つ冬月もまた、噴火寸前の火山の如き表情をしていたために。
冷静さを装う仮面の下は、脈動するマグマそのもの。
いずれも、先ほどの初号機の様子から、シンリの心情を予想していた。
そして、「子供ならば」、こんなことを命じた者や、許可した者、
信頼していた者に、反発や憎しみを向けると考えていた。
しかし、シンリが見せた態度は「労り」。
不機嫌だからと当たり散らすような性格でないことはわかっている。
だからこそ、理解してしまったのだ。
この惨事を招いた者として非難を向ける相手ではない、と判断されたことを。
曇り一つない赤い紅玉のように綺麗な瞳が、内に秘めた激情を灯す相手はここにはいない。
その意志が自分達の先にいる「何か」に向けられているのだ、と悟ってしまった。
だから、向けられる視線はとても穏やかなものだった。
事故で飛行機が飛ばないからと、カウンターの事務員に喚き散らすような真似はしない。
そういうことだ。
……屈辱だった。
向けられた眼差しの意味を理解できてしまった者だけが味わう苦味。
足ざまに罵られるよりも、何よりも胸の奥に響く静けさだった。
アラエルが赤い光の照射をやめたことが発令所でも確認された。
「……初号機、発進」
ミサトがギリギリと強固な意志力で噛み締めた口をこじ開け、
感情をばっさりと切り捨てて命じた。
『――了解』
日向の操作で、ノロノロとリニアカタパルトは地上に向けて動き始めた。
――＊――
倒れたまま、応答がない零号機が、ジオフロントに戻されるのを見届けると、
待たせたことを詫びるように、天空の１点へと視線を向けた。
悲しい目でアラエルの焼けただれた姿を見ている。
『それで、……ボクは何を？』
長い沈黙のあとに、無機質な言葉が投げかけられた。
「この世界からの撤退を勧めて。それがベストの選択だと伝えなさい。
ただし、理由の如何を関わらず、Ｓ２機関の出力増大があれば、撤退の意志なしと判断するわ。
それと交渉期限は２時間。もう十分に相互理解は進んでいるのだから、
引き伸ばす必然性はないと判断します。いいわね」
シンリからの返事はない。
いや、震える声でマヤが会話に割り込んできた。
「シンリちゃん、明確に言葉を意識して。そうでないと言語変換ができない」
ゆっくり深呼吸をして、目を閉じる。
しばらくして、シンリはやっと、口を開いた。
『まだ何かボクの知らない何かが？』
ルビーのように赤く輝く瞳がミサトの姿を捉えた。
「……あるわ」
『……』
何かを告げようとしたように見えたが、明確な言葉とはならなかった。
すべてを振り切るように、そっと、星空のアラエルへと眼差しを向ける。
小さな声に耳を傾けるように。
伝わってくるどんな些細な心の変化も感じ取ろうとするかのように。
魅入られたかのように、ただ、ただ、天空の一点を見つめ続けていた。
痛い静寂だけが支配する世界。
コンピュータの空冷ファンが動く音すら耳ざわりに思うほど、音の消えた時間。
大地震の起きる日の朝、いつもなら鳴いているはずの鳥の声がまったく聞こえないような違和感。
突然、初号機からの映像が急に乱れた。
発令所の正面にある大型スクリーンはもとより、各人の前にある画面もまた、
多くの警告メッセージに埋め尽くされる。
通信の乱れ以上に、初号機の周辺にある世界が、擦り降ろされるように悲鳴をあげた。
EVA1 S2Drive Active
Zerel S2Drive Active
初号機の中で何の前触れもなく、いきなり極限レベルでエネルギーを生みだした二つのコア。
ひとつは初号機自身、そしてもうひとつはゼルエルから奪ったモノ。
二つが共鳴し、世界が悲鳴をあげるほどの力を解き放った。
観測史上、計測された最大のＳ２機関出力を何桁も上回る圧倒的な力の奔流。
だが、一瞬後には、何事もなかったかのように静寂が戻った。
まるで、深夜の静かな時間と、コンサート会場の巨大スピーカー前の暴力的に騒々しい時間が
ほんの０．５秒程度だけ差し替えられたかのように、それはあまりに唐突だった。
「Ｓ２機関観測用センサー群……ぜ、全滅です！！」
発令所に激震が走る。
「他支部の観測網は！？」
「問い合わせ中……結果、でました。
安全装置による回路切断前に、センサーが高負荷で壊れました……全滅です」
正面モニタに映るシンリの表情からは何も読み取れない。
「シンリ」
騒然としていた発令所が、ゲンドウの低い問いかけの声だけで静まり返った。
赤いサングラス越しの眼光はいつになく鋭い。
しばらくして、シンリの赤い瞳がゆっくりと動き、ゲンドウのほうを向いた。
『何か？』
ＭＡＧＩが辛うじて翻訳した言葉はそれだけ。
「理由を説明しろ」
投げられた言葉はただ、それだけ。
別に怒鳴っているわけではない。
だが、その声を聞いた誰もが内面の激しさを感じずにはいられなかった。
『――玄関先でホウキを持って、笑顔で出迎える感じ、だと思う。
”あら、ずいぶんお早い帰りですね？”って。
怒ってるんだぞ、って意志表示をして、反省を促す――。
うまく言えないけど、初号機が”お勧め”って感じに教えてくれたんです。
――何か問題ありました？』
心に浮かぶ情景を説明するように淡々と。すっと細められた目が笑みとも思える弧を描く。
なんとも庶民的な光景のようだが、ソレを今、この時に淡々と告げる姿に異質さが際立つ。
「今、一瞬だけどゼルエルのコアが起動したわ。
シンリくん、意識してゼルエルともシンクロを試みたのかしら？」
リツコが二人の間にやんわりと割って入った。
努めて冷静に、細心の注意を払って、”普段通り”に。
『いえ、ボクがシンクロしているのは初号機だけです。
微かにゼルエルの心は感じられるんですけど、背景に溶け込むような感じで
注意していないと、いるのを忘れちゃう感じです』
すらすらと、いつものように感じたことをそのまま口にしている――ように見える。
その”普段との変わらなさ”が不安をかきたてる。
家族と自他共に認めるレイとアスカが救急治療室に送られ、
様々な意味で親しい関係にあったアラエルも壊れかけているというのに。
そんな殺し合いの現場に佇んでいながら、普段と何も変わらない。
発令所内の誰もが、大型ディスプレイに映る「シンリの普通の様子」から目を離せなかった。
「それで、”説得”できそうな感触を得たのかしら？」
ミサトが核心を突いた。
『――思った以上に”説得”のおかげで、意志疎通に前向きっぽいです。
というかペースを乱されて、ちょっと混乱している感じかもしれません』
不平だらけの状況への嫌悪を義務感で押し切るようにその表情は曇った。
しかし、それは見る者に安心感を植えつけた。
砲艦外交といえば、それなりの交渉術にも聞こえるだろうが、やってることと言えば、
素人のカモ相手に暴力を背景に横車を押すヤクザの論法そのものなのだから。
ソレをやらされていることに、不満を持つシンリ、なら理解できる。
あぁ、この相手は、自分の知る子なのだ、と自分を誤魔化せる。
「じゃ、続けて。リミットはわかってるわね」
『はい』
そのままシンリは、静かに目を閉じた。
センサーが極度の集中状態に入ったことを捉える。
「各員、作戦計画の再チェックを実行。
Ｓ２機関の観測機器、修理は後回しでいいわ。
どーせ、すぐには直らないわよね？」
ミサトのいつもと変わらない声で、場がやっと再起動した。
「何ヶ月かは無理ね。あきらめてもらうしかないわ。
――光学センサーによる推測を行います。
担当者は至急、プランをまとめてＭＡＧＩで検討してちょうだい」
多くのセンサーが破壊されてしまい、アラエルの監視は、質が大幅に低下していた。
別センサー系統による推測で、状況を絞り込むしかない。
人々は目の前に仕事があることに感謝した。
何もなかったら、自由な思考に縛られて身動きがとれなくなっていたかもしれない。
……それほどまでに”重要な何か”が安定性を失いかけていた。
――＊――
「……一度殺すと決めたら中途半端はせず徹底的にやるのが流儀では？
それとも、今度は交渉中に狙撃するつもりですか？」
カヲルは、目を閉じているシンリの映像を凝視しているミサトとリツコに話し掛けた。
零号機、弐号機が動かない以上、もう人類に交渉中に動かせるエヴァはない。
バルディエルに侵食され、スクラップ同然の三号機は当然だが戦力外だ。
人類に、衛星軌道上の使徒を攻撃する手段は思い浮かばない。
エヴァが使える武器で衛星軌道上まで届く……というだけでももうほとんど残っていないし、
片手の握力が不自由な初号機には使いこなせるものでもない。
それに、予備パイロットを使って、エヴァを起動しようという命令も行われていない。
動かなくても、パイロットが使えなくても、だからこそ予備パイロットであるはずなのだが。
……もちろん、カヲル達、予備パイロット組で零号機や弐号機が起動できるかというと、
その可能性があるとは、判断されていない可能性はある。
カヲルの問いかけには、そんな現状認識も含まれていた。
「戦わずに済むならそれに越したことはない。
すぐ武器を振り回すのは幼稚なことよ」
戦力は存在することに意義がある。
使えば消耗する。そうでなくても、存在させるだけでも重荷だ。
ミサトの発言は軍人としての職務を超える内容が含まれている。
正面ディスプレイの片隅では、エントリープラグから救出された二人の少女の姿が映し出されている。
二人とも、意識が戻らない。救護班の人々に抱き抱えられ、担架に乗せられる様子は
まるで糸の切れた操り人形のように、生気が感じられなかった。
「――そして、これが結果、か」
カヲルは誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。
非難するつもりなどなかった。
状況を知る者として、そして、戦力外の傍観する立場にいる者として、この状況が残念でならなかった。
その寂しい眼差しを前に、ミサトもリツコも、かけるべき言葉をもたなかった。
――＊――
息を止め続けるほど永く苦しい沈黙の時間は、人々の想いをよそに止まることなく、流れていく。
どれだけ願おうとも、目を背けようとしても、一瞬とて、止まる慈悲はなかった。
そして、ミサトが期限と区切った時刻まで、残り５分を切ろうとした頃、シンリが唐突に口を開いた。
『……残念ですが、説得できませんでした。
他人から暴力で脅されて行動を変える、ということに強い抵抗を感じているようです。
あと、回り道をしたり、時間を稼いだり、嘘を言って騙すような……そういうのも嫌そうです。
それとたぶん……これは半分くらいボクのせいですけど。
”説得”の裏付けになる……押しこみ強盗のちらつかせる包丁みたいに、
はっきりとしたモノをイメージできなかったせいで、危機感を煽りきれませんでした』
それはある意味、当然の話だった。
砲艦外交なら、軍艦という目に見える”暴力”がある。
押しこみ強盗なら、刃物という凶器がある。
そうでなくても、脅す側は、自らの身体能力の相手に対する優位性を確信している。
ヤクザのように脅すことに慣れているなら、経験は自信に繋がる。
しかし、シンリは今回、ミサトの告げた「ある」という宣言への信頼だけで、”説得”を行ったのだ。
それではどこか、焦点のズレたものにならざるをえない。
アラエルとシンリの関係が深いからこそ、シンリが心から「人類のアラエルに対する牙」が
あると、信じている、ということ自体は共通認識としてもてよう。
だが、あると確信できる「何か」にどう危機感を持てばいいのか。
具体性がまるでないだけに、それはあまりに厳しかった。
「そう……残念だわ。とっても」
ミサトはある意味、予想していたという口調で答えた。
――＊――
「――碇司令、よろしいですね」
「使徒殲滅は再優先だ。例外はない」
ミサトはその言葉を儀式を済ませるように聞くと、振り返り、皆に告げた。
「作戦を最終フェーズに移行。全コントロールをＭＡＧＩに限定移行します。
終了条件は使徒アラエルの機能停止のみ！」
「りょ、了解！ 全コントロールをＭＡＧＩに委譲します。
限定条件”使徒アラエルの機能停止”……」
青葉が復唱し、隣にいる日向のほうを見て、互いの手にあるキーを確認し合う。
そして、コンソールに同時にキーを差込み、声を揃えた。
「「３、２、１、実行！」」
合図と共に、同時にキーを回した瞬間、全システムが赤い警告文字が埋め尽くされた。
階下にいる職員達が、目の前のコンソールが完全に制御できなくなった状況に驚き、
慌てふためいているが、上級職員達は黙るように短く告げ、これが予定の行動だ、と解らせる。
『全システムの権限について限定委譲を受諾。
第一隠蔽機構”ジオフロント外壁”、直通ゲートを全開放。
第弐隠蔽機構”セントラルドグマ防壁、全安全装置開放、全ゲート開放。
最終隠蔽機構”ヘブンズドア”、全開放。
特殊隠蔽機構”聖骸布”撤去。
コードネーム”ランサー”、エヴァ専用極限兵装”ロンギヌスの槍”を開放します』
４重に施された厳重な封印が厳密な同調制御により、”まったく同時に”開放され、
わずか、数十秒の間に、ジオフロント最深部までに至る直通ルートから障壁が全て取り払われた。
全長２００ｍに及ぶ長大で赤く捻れた二股の槍。
決して形状的に見ても洗練されているとは言いがたく、装飾的にすら見える捻れ。
しかし、あらゆるモノが悟るに違いない。ソレは触れたものの存在を決して許さない意志の現れが形となったものだと。
目に映らない無色の拒絶がロンギヌスの槍から、周囲に溢れだす。
それだけで、周辺にある物質が、素粒子レベルにまで粉砕されて虚空にかき消える。
意志ある存在。
しかし、ソレまでの使徒とは決定的に違う「槍」を前にして、あらゆるモノが、「槍」に意識を向けざるを得なかった。
天空から地上を凝視していたアラエルはもちろんのこと、
意識を伸ばして、ＮＥＲＶの動向に心を向けていたシンリと初号機も、
第弐発令所の中で、傍観者として心を痛めていたカヲルも、
ジオフロント最深部で匿われているイロウルも、
ご主人様の膝の上でごろごろと喉を鳴らしていた小猫も、
ＮＥＲＶで、作戦を指示したミサト達も、
ジオフロントの草木も、直接、認識でいないはずのジオフロントに避難している市民達も。
あらゆるモノが、己の存在自体を根絶する「槍」を前に意識を逃がすことすらできなかった。
……ただ１つ。
生命ではない存在……ＭＡＧＩを除いて。
そして、ＭＡＧＩは厳密に計算された作戦通りに、手順を淡々と進めた。
用意周到に整えられたその「刻」をＭＡＧＩが逃すことはなかった。
真空中では、干渉する空気分子がないために不可視となる位相の揃った光…… レーザー。
なんの前触れもなく、いきなりアラエルのコアの前後から噴煙があがった。
それは極限まで絞り込まれ、放たれた人工衛星ＳＯＬからの長距離狙撃の結果。
意識を「槍」に向けたことで生まれた隙、そこを的確に貫いた光速の針。
『……え？』
それは撃たれたアラエルすら、起きた出来事が何か認識できずに戸惑うほど完璧な狙撃。
何の前触れもなく、突然、揺らいだ気配にシンリが思わず、声を漏らしてしまうほどに。
ＳＯＬ、レーザー連射モード
攻撃衛星ＳＯＬは、指示された通りに、短時間のチャージで再びレーザーを放った。
Ａ．Ｔ．フィールドが展開されるが、しゃぼん玉のように弾け飛び、再び、コアを貫通された。
サキエル級にならば通用すると言われた攻撃力が、大気による減衰なしに、
疲弊しきったところに、叩き込まれたのだ。……耐えられるはずがなかった。
「……っ！！！」
シンリが顔を押さえて、目を背けた。頬を伝う涙が静かに流れ落ちる。
攻撃衛星ＳＯＬは、それから何度もレーザーを放った。
何度も、何度も。
もう、Ａ，Ｔ．フィールドが展開されなくなっても、電波撹乱が消え失せても、
それでも、地上からの停止命令もないので、愚直にアラエルのコアを撃ち続けた。
『攻撃衛星ＳＯＬ、全触媒を消耗しました。射撃能力喪失。
使徒アラエルの活動状況をスキャン……活動停止と推測。
コントロールの一部を開放します』
周囲の視線がミサトに集まった。
この状況をどう判断するのか、それを決めるのは作戦部の長である者の義務だ。
確実にアラエルの生死を確認するには何をすればいいのか、それは明らか。
不屈の精神をもって、ミサトは重い心を叱咤し、毅然と正面モニターを見据えた。
――＊――
頑丈な初号機の顎部拘束具が弾け飛び、獣の如き唸り声が漏れ始める。
背部拘束具が次々に吹き飛び、実体のない光の翼がうっすらと姿を現し始めた。
初号機の目が細められた様子を超望遠のカメラが捉えた。
「全隠蔽機構、緊急閉鎖！」
ミサトの叫びに呼応して、ＭＡＧＩが全ての機構を最優先で稼働させ始めた。
閉鎖可能な隔壁が悲鳴に似た耳障りな音を立てながら閉ざされていく。
しかし……
…まるで、空を疾走するように。
初号機が突き出した手を目がけて、唐突にロンギヌスの槍が浮き上がり、
深い、深い封印の底から、地上へと駈け抜けていく。
幾多の使徒の攻撃を防ぎ続けてきたジオフロントの防壁群を、
まるで、豆腐を突き破る箸のようにあっけなく、貫通していく。
僅かに遅延させることすらできず。
衝撃すら加わることなく。
まるで、はじめからそこに何もなかったかのように。
ロンギヌスの槍はあっという間に地上への通路を突き破って、初号機の眼前で急停止した。
初号機の目が嗤ったように見えた。
ダメダ……アレヲモタセタラ……スベテガオワル……
誰もが理性に頼ることなく、それを悟ってしまった。
懸命に止める手段を考えても、答えに辿り着かない。
突き出された左手が、ゆっくりと浮遊する「ロンギヌスの槍」へと近づいていく。
……しかし、人々の絶望は、その寸前に具現化の流れが立ち止まった。
初号機の手が、槍に触れることなく止まったのだ。
「！？」
初号機、手動排出機構起動
エヴァ初号機の背部拘束具が開き、エントリープラグが排出され、ＬＣＬが吹き出す。
あまりに、唐突な出来事に、第弐発令所内がざわつく。
浮力を失ったかのように、ロンギヌスの槍も地面に落ちて突き刺さった。
「エヴァ初号機、シンクロ状態がパイロットにより強制切断されました。
Ｓ２機関、活動は認められません。エントリープラグ内との通信状態……再接続完了」
見知った子供の姿が映ったことで、辛うじて状況を認識することができた。
「シンリ、聞こえるかしら？」
ミサトの落ちついた声が、静まり返った室内に響く。
『――よく聞こえます』
抑揚の消えうせた声で義務感から返事が戻ってきた。
「聞きたいことは一つよ。アラエルを殺せたか、否か」
倒せた、などと言葉を濁さないのはミサトのみせた配慮か。
耳の痛くなる沈黙の中、発令所の人々は固唾を飲んで見守った。
『――アラエルの心は感じ取れません。
死んだか、という問いは、ボクにはわかりません』
「――そう。
総員、戦闘態勢を解除。
現時点をもって、アラエル殲滅を完了と判断します」
まるで鎮魂歌のように、その言葉は人々の虚ろな心に木霊し続けた。
いつまでも。
やっと、アラエル戦終了です。
掲載が遅れてどうもすみませんでした。
綾波さんの内面描写を入れるかどうかで悩みましたがばっさりカットしました。
前パートの流れと通して読むと、どうしても違和感というか、流れが止まる感じがしたので。
粗筋を考えた頃には、原作同様に、ぶーんとロンギヌスの槍をぶん投げて
アラエル撃破だよなーとか考えていたのに、終わってみれば随分と
違った展開になったものです（＾＾；）
Ｈパートで第２２話は終了の予定です。
アラエル戦エピローグにあたる話になります。
次回もお楽しみに♪
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